要編 41 赤き大隊
シーン41 赤き大隊
京急・堀之内駅で下車した3人はタクシーに乗り換え、10分ほどで国防大正門前に到着する。
正門前で要たちを出迎えたチャンスは、赤Tシャツと白のスポーツパンツを身につけ、額に締めた深紅の鉢巻きの両端は腰まであり、目を一重にし、シリコン素材の型変えを咥え、アゴと頬のラインを変化させて人相を偽装していた。
その顔を見て、チャンスの成長を実感する。金庫室のテーブルにのせた鏡前であれこれと試していたチャンスに意見を求められ、「人にするアドバイスなんて、総じて自分宛だ。自分で考えて作り出せ」と言ってほったらかした。
チャンスは要の前に進み出て、端を綺麗に揃えて折り畳んだ鉢巻きを、逆手の両手にのせて要に差し出す。受け取るとハチマキの内側に、治療キットが巧妙に隠されていた。
「おお!ありがとう」チャンスにそう言って、手のひらにのる赤鉢巻きを見る。途端に今も色褪せることなく、記憶しているスパルタンとの出会いが蘇った。
国防大最終学年の年、4連覇の掛かった棒倒し決勝戦で、宗弥と僕が所属していた第一大隊は敗退した。優勝大隊の練り歩きを 痛恨の思いを心に刻み、今後の戒めとする為に眺めてやろうと、宿舎の前階段に座っていた僕らの前に、スパルタンは現れた。
あの日のスパルタンは全身から強固な意思を漲らせ、その佇まいは雄々しく、一眼で敬意を抱いた宗弥と僕は、スパルタンの話に興味を引かれて特戦群の選抜訓練に参加すると決めた。
指導主任を務めていたスパルタンは、参加者に、僕らに、文字通り血反吐を吐かせ、鍛え、教え、導き、特戦群の創立に尽力したが、クソッタレのスパルタンは3年前、突然所在不明となった。
いい思い出も、今は辛い。
当然、部隊長コロンブスは徹頭徹尾の体制を取って、スパルタンの捜索を行った。スパルタンの最終派遣地だったイタリアに赴いて僕も捜索に加わり、痕跡を辿っているうちに、外的要因ではなく、自らの意思で姿を隠したと直感した。
コロンブスにもそう報告を入れた。
各国で捜索を行なった隊員からの報告が上がりだすと、本陣とコロンブスは、スパルタンは転向したのではないかと疑念を持った。月日が経つに連れてその疑念は確信へと変わり、今や特戦群に配属された初日、コロンブスからスパルタンの顔写真を手渡されるのが、半ば儀礼化している。自ずと隊員の頭の端に、スパルタンの顔が刻まれる。今もコロンブスは是が非でも、スパルタンを探し出す気でいる。
そのスパルタンが敵に加担し、国益を脅かそうと暗躍していた。消息不明の方がまだマシだった!!スパルタン!
情報を得るために何度となく、転向者と接触して思う事がある。星の数ほど転向する理由はあるけれど、その心を深部まで削ぎ落してみると、共通する本質は己可愛さと、己に泥を飲ませる潔さが無いが残る。
己可愛さは面子か、世間体なのか、そんな評判がなんになる。万人に受け入れられる人は稀で、ほとんどの人間は誰かを忌み嫌っているし、微妙に嫉み、若干恨んでもいる。そんな他人の感性で意味付けされた印象に、自分の本質的な価値を見出し、委ねてどうする。自身の見解は、自身の内包にある定見で、定まってゆけばいい話じゃないか。
本能を獣のように強化された僕たちの世界にスパルタンは順応しきれず、群れから逸れ・・・居た堪れず・・・逃げたのだ。自分の弱さを隠し、それを認められなかったばかりに、強がり、向き合わなかった。自分を見失い、指針を無くして転落しただけだ。
ある意味、それが自然の摂理だ。
ただ、それだけの事だ。
スパルタンの弱さが、僕は憎い。
深紅の鉢巻きを見つめていると、チャンスは棒倒し作戦について相談があると宗弥に言い、宗弥は「要と一緒に聞くよ」と応えていた。その宗弥の声を聞いただけで以心伝心の僕は、ニヒルに笑った宗弥が僕の横顔を見ているとわかる。
手のひらの鉢巻きを握り締め、上着の外ポケットに入れた。口元が耳から耳まで届く野蛮な意味合いの笑顔で、宗弥の視線を捉えてうなずく。
途端に、僕の心がブクリと1つ泡立つ。
富士子は宗弥と僕の表情を見て、本能で、その意味を理解した。満足だ。「準備はいいですか?」僕は抑揚なく、富士子に聞く。
返事を待たず、チャンスに「行こうか」と声を掛ける。少し、富士子をいじめてやりたくなっただけだ。他意はない。富士子の困ったような、驚いたような表情が見れた。僕は大いに満足した。無表情な普段の富士子ではなく、表情豊かで、コロコロと変わる無邪気さを僕は知りたかった。
チャンスを先頭に、僕は富士子を宗弥との間に入れて横並びで歩き出し、一礼して正門をくぐる。
第一大隊宿舎前で富士子が立ち止まり、3人で建物を見上げた。当時、僕は何もかにもに飢え、自分を持て余し、居場所が欲しかった。
校内に足を踏み入れた日から知識欲を満たし、身体を鍛え、武芸を学び、考え、悩み、嘆き、自分の素養を知り、開花させるのに努力した4年間だった。
思い出が僕の口を軽くする。
「ここは学生舎居室棟です。第1学年から第4学年まで、1学年2人ずつの計8人で一班を作り、生活する棟です」と言って指差し、「ほら、窓が4つ並んでいるでしょう。窓2つが一部屋です。班ごとに2部屋与えられます」と言うと、富士子が「広そうですね」と眩しげな眼差しで感慨深く言った。
「2段ベットに私物を収納するロッカー、整頓されていましたが、そうは感じなかったな」僕の口元が綻む。富士子の顔を見ると、先を知りたいような顔をして僕を見上げていた。視線を宿舎に戻して、僕は話し続ける。
「班内で下級生は上級生の指導を受けながら、ここでの集団生活を学びます。この棟には集会所、シャワー室、洗濯室も完備されてます。同期の卒業生は総勢588人、僕達の青春は他校の大学生とは、随分と違う味だったと思います」最後の言葉に感情が溢れた。
本当の意味で自立し、日々の生活を送った宿舎を眺め、今の生き方に悔いも後悔もないと、あるのは、自己完結させた使命感のみだと思う。
左横に立つ、富士子の横顔を見る。
この人をここに連れて来たのは、尾長要という人間が形成された場所を・・・そんな名前の男が・・・この小さな世界に存在していたと、この女性の記憶に留めておいて欲しい・・・そう願う自分がいたからだと気づく。
覚えておいて欲しいか・・・・そうか、この先、何かが起こると予感でも・・したか・・・。
それはそれはで人間らしい感情ではあるが、他人ごとのように思える。置き換えて考えれば、己の甘さだと思う。自分の行動に釈然としない。そういう時があってもいいかなどとも思う・・・思考が沼地にハマった。富士子が側に居ると僕は、逸脱してばかりだ。
宗弥が「写真を撮ろう」と言い出し、僕にスマホを手渡して宿舎の前に立った宗弥は「富士子」と呼び寄せる。
スマホを構え、なんてだらしない顔をするんだ宗弥と思いながら、シャッターを切る。スマホを受け取った宗弥が「お前と富士子のも撮るぞ。俺の大事な2人だからな」と言い、咄嗟に「いいよ」と断る。「それは富士子に失礼だろう」と言い返された。
あっ!と「そういう意味じゃなくて・・・」と富士子の顔を見る。頬を紅色に染めた富士子は首を振り「いいえ」と言った。
宗弥は「どういう意味でも、もう、いいから。並べ」と言い、空気が大いに流れる空間を開けて、僕は富士子の右横に立つ。
宗弥が「笑えよ、富士子。なに意識してんの」と言ったのを聞いて富士子の表情が気になり、富士子に顔を向けたが、入れ代わるように富士子は前を向く。
見逃した。
その瞬間、シャッターが切られた。
そこに大汗をかいたチャンスが慌てた様子で現れ「すみません。自分だけ先に行きまして」と背筋を伸ばす。鉢巻きを濡らす汗を見て、僕は何を遊んでると自分に喝を入れ「いや、僕たちこそ、すまん」と言って歩き出す。第一大隊の出陣式が、行われている朝礼台前へと向かう。
今年の出陣式も、滴るような熱を溢れさせた第一大隊の面々が、朝礼台を取り囲んでいた。
人を遠巻きに眺めているだけの人間は、懸命な人の純粋さに篤き、真っ直ぐな言葉に感化される。人生のいつかどこかで孤独を知り、切に共鳴できる人を見つけ出したいと願い、祈って生きる。大隊の発するこの垂直な熱量にあてられて僕は毎年、気持ちを新たにする。
それに加えて今年は、油断するなと自己を戒めた。
無垢な心で人の気持ちに、寄り添えない人間は存在する。
そして思いやれない自己を正当化するために、よじれた感情を育てた挙句、祟り人になる。
スパルタンのように。
これまでの任務よりもより深く潜り、影を濃くしなければ、今作戦は無事完遂できない。
脳で警告音が鳴る。
そろそろ体は、限界か。
無音のスマホを耳にかざし「宗弥、ちょっと外す。いいか?」と伝えて、僕は修学していた頃と変りない宿舎に、足を踏み入れた。




