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切望ラスト

最終章『切望のアギト』



静謐佇む城の中で一人、俺はベットから身を起こした。耳を澄ませば、さらさらとした清涼な音が聞こえる。それはまるで、葉の擦れる音のような、小粒の砂が手のひらから零れ落ちていくような音で。


――神秘的に朱く染まる巨大な城の中。


部屋には奥行きがあって、壁には等間隔に並ぶいくつもの扉と、巨大な一つの扉がある。

その特別な扉ひとつを覗けば、どれも似たような構造の部屋になっている。

どこも大差ない。生きた人間の気配がしない。そういう場所だった。


かつてはこの城には大勢の人がいた。城の君主はぶっきらぼうな人物だったが好かれていた。君主は一人のメイドと結婚をした。

でも、今はこの城には俺しかいない。


目隠しをしていた、あの幽霊のようなメイドは城の中心部で死んでいた。何かに切り裂かれたような跡があった。血の一滴も出ていなかった。俺は悲しかった。


俺は机の上にある、剣模様の砂時計を握りしめる。砂はほとんど落ち切っていて、もう世界の余命は幾ばくも無いことがわかった。


やるべきことはなんとなくわかっていた。まず、俺は扉を開き、本能のままに城を散策する。石板を見つける。そこには四つの名が彫られている。


・人神ア(ここから先はかすれて読めない)

・創世神イルフィア・ガーデン

・魔神ウルキオラ

・破滅神エトワール


この石板は未完成なのだとわかった。俺はするべきことをする。

ただ石板に手を添えて、唱えた。


「人神アギト」


途端に、かすれていた石板の箇所から「人神アギト」という文字が浮かび上がった。

最初にこの石板を見た時、うっすらとした法則性がある気がしていた。ただ、そんなものに気づかなくても、俺はなにをすればいいか気づけるという気もした。


どちらでもいい。俺はするべきことをするだけだ。


ただ、使命感が自らを突き動かす。一人ぼっちの感覚。世界から切り離されたような感覚。

なにもかもから見放されたような錯覚。誰もかれもが死んでしまったような、そんな世界にいるような気がしてならない。

……置いて行かれてしまった。


石板の後ろに光の輪が浮かび上がる。そこから溢れんばかりの光は神々しく、小さな光の礫は優しく空を舞う粉雪のようにも見えて、目が覚めるような思いになった。

俺は光の輪まで足を運ぶ。浮遊感と共に、光に連れ去られるみたいにゆっくりと俺の体は上昇を始めた。


城の天井は確かにそこにあったはずなのに、存在しなかったかのように突き抜けてしまった。

堅かった外壁はぼんやりとした形状をしており、最初からそこにはなかったかのようだった。


俺はぼやけた城の中を上昇し、薄い城壁越しに外の世界を観察する。

城の周辺だけは緑いっぱいの美しい景色が広がっていた。花は乱れ、小鳥は歌い、日光が柔らかく差し込んでいる。


さらに上昇していくと、この緑の地が、死んだ色の土地に、覆われているのが見えた。なにも生きていない、という感じがした。

さらに昇れば、『淵』が見えた。『黒』は大地を侵略し、侵食し続ける。それはもう土地のほとんどを呑み干してしまったようだった。今もまた、『黒』は進行している。ゆっくりと、確実に。

円状に世界を侵略している。


なぜ俺は昇らねばならなかったのか。

なにを俺は知らねばならなかったのか。


この光景を見て、なんとなくわかった気がした。


『黒』は円形状に世界を侵略していった。そしてその世界の中心には『魔王』がいるとされていた。

緑の大地はまだまるまる残っていた。それも当然なのだろう。


――この城が『世界の中心』なのだから。


最初からずっとそうだった。『魔王』はずっと近くにいた。つまりはそういうことだった。

でも俺は魔王じゃない。そして城のどこにも魔王を見かけたことがない。なにかを見落としていたんだろうか?


『黒』が急速に世界を呑み込み始める。緑のほとんどを呑み干して、城に『淵』が触れた途端、ぴたりと進行をやめた。


「もう、全部終わりなんだな」


俺は城の頂点から世界を見渡している。比喩ではなく、世界の終わりの光景を見ている。

この世界で残っているのは、城と、俺だけだ。いったいここからなにをすればいいんだろうか? 救うべきものはなにも残っていないのに、なにかをする必要があるんだろうか?


「夢を見ているような気分だったな。ずっと」


『淵』の奥になにかあるんじゃないかって目を凝らす。でも、なにもない。

世界はとっくの昔に滅びていた。僅かな世界の端の残りカスが、俺の住んでいた世界だったのかもしれない。

この世界の外には何もない。初めから何もかもが消滅してしまっている。最初から、この切れ端のような世界には生者が存在していなかった。最初から、絶対に敵わない戦いを挑まされていたのだ。ひどく気分が悪かった。


誰かの声が聞こえる。それは『精霊』と呼ばれる者たちの声だ。今はわかる。ずっと俺を励ましてきたこの声は、確かに世界の創造主の声だ。


――祈りの種族。物語を紡ぐ者達。


ずっと昔に死んでしまって、精霊となった人達の声。無念でやり切れなくて、彼らは夢を見た。

ただひたすらに祈った。『もう少しこの世界が続きますように』って。


この世界は彼らの意志で創造された世界だった。時間逆行なのか、夢の世界なのか、どちらかはわからない。でもどちらでもあまり意味に違いはないのだろう。

どちらにせよ、世界はとっくの昔に滅びていて、今あるのは創造された偽物の世界だ。

そして偽物の世界もまた『黒』によって滅ぼされんとしている。


無駄な事させんなよ、と思った。

俺が今までしてきた一挙一動、すべからずむべにもなく、ただ虚しいだけの行動だった。


「……イルフィア。俺、いったいどうすればいいんだろうな」


考えろ、と思った。まだやれるべきことはあるはずだ、と。

本当に世界が最初から終わっていたのなら、本当に何もかもが最初から無駄だ。

そんな途方もない徒労が、現実に起こりうるだろうか? 少し、それは信じられないという気がする。


俺はなにをすればいい? 

『魔王』に縋るべきなのか? 殺させてくださいって?

そもそも『魔王』なんてものは本当に存在するのか?


あれは御伽噺だ。誰かが勝手に作った神話だ。

じゃあ……俺は……。


「……師匠を探さなきゃ」


なにをするべきかわからない。

でも最後に、会っておきたい人はいる。

師匠はどこに行ったんだろう? こんなにも焦がれているのに、姿が見えない。

何もかもに、置いて行かれてしまったという気がする。



『願いを込めて』、俺は祈った。

心からくる切望は、絶望まじりのもので、それゆえにひたすら純粋だった。


――『切望のアギト』。


俺は誰かから、精霊達から存在を望まれて生まれてきた。

たぶん、俺は死人だ。でも精霊達が無理やり蘇らせた。強引に生き返った体はボロボロで、少し動かすだけで苦痛が伴った。


俺は旅を経て、以前の力を取り戻した。不自然な力の増幅は、獲得でなく、思い出したことによる再帰処理だった。

でもそれだけでは終わらなかった。力を取り戻した後も、俺の力は増していった。精霊の魂たちが俺の中に入ってきたからだ。


この世界に在った魂のほとんどは俺に吸収され、たぶん、俺は『神』に近い存在に成ったのだと思う。

イルフィアの記憶を覗けば、ある程度パズルのピースが当てはまってくる。

彼女は『神』を作るためのある種の試みの一つだったわけだ。そして俺もまた『神』を作るための実験体のようだった。たぶん、アプローチの仕方が違うだけで、俺も彼女も、最終的な目的は『神』に成るということで一致している。

でも、少なくともイルフィアは不完全な『神』だった。

おそらく、『神』を作るという技術には成功例がない。


俺もまた、失敗したのだろう。

力だけは強大だが、イルフィアのような創造力は持ち合わせていない。

どこかの研究者と、別の研究者が『神』を作ろうとした。結果、イルフィアで実験をした研究者の方がより『神』に近い者を作ることに成功した。


たぶん、この話はこれで終わりだ。

物語はここでおしまい。


「……」


本当に? 本当にすべてが無駄だったのか?

……嫌だ、信じたくない。


このまま終わるなんて……考えられない。あんな苦痛を受けて、すべてが無駄だったなんて……とても、認められない。


世界は三次元構造だ。xyz軸で構成されている。世界は在りのままにある。なにを見落としている?

諦めに似た気持ちで俺は地面を見つめる。もう、進行方向が一つしか思いつかない。

消去的選択。馬鹿らしい。でも、それしかもう残っていないのだ。


俺は力を込めて、城の床を攻撃した。

衝撃で城が震える。床に亀裂が走り、その歪みはひたすらに広がっていた。

大きな音がしたかと思うと、俺は虚空に放り出されていた。


「ははは。上も横も、行き止まりだったのに……下はまだあるんだな」


理屈なんてわからない。でもまだ、俺は進むことができる。

約束したから。約束したから。


『黒』が城を呑み干したのを感じた。世界の99.9%はもう消滅してしまった。

残ったのは謎に包まれた城の地下だけだ。それだってきっと、もうすぐ『黒』に呑み込まれる。

でも、もうしばらくは持ってくれるのだろう。ここは恐らくはそういう場所だ。


――物語に終止符を。


俺はすたりと地面に着地する。ここには特徴がない。なんだかじめじめした、地下道のようなところだ。

なのに無限の広さのようなものを感じる。まるで宇宙空間に放り込まれたみたいな。

……イルフィアがここに来たら、そんな感想を抱くだろう。俺は彼女ほど『神』に近くはないが、力と知識のほとんどを継承している。


「よう」と声が聞こえた。


精霊か? と思ったが違う。


殺伐としたオーラ。妄執に近い集中力。

紫色の目が、闇の中で爛々と輝く。少し彼が動けば、紫の残光が尾を引く。


――『剣鬼』バルハーデが俺の前に立っていた。


「気分はどうだ?」と彼は言う。


「よくはないかな」

「……少し歩くか」


俺は彼と地下道にも似た闇の中を歩きはじめる。望めば永遠と歩いて過ごしてしまえそうな、そんな気がする。


バルハーデが口を開く。


「魔王を見つけたか?」

「いや……見つかりそうにもない」

「そう思って見つけておいた。お前は私に感謝すべきだな?」

「はは、ほんとかよ」


俺は苦笑いをした。

バルハーデは言う。


「これが最後の戦いだ。かっこよく、派手に散りに行くぞ」

「負ける前提かよ」

「だってお前がやる気がないからな」

「まさか、元気もりもりだよ。逆立ちだってできる」

「それは私もできる」

「張り合ってくんなよ」

「張り合ってないが」


昔みたいに軽口を叩く。楽しいはずなのに、胸が沁みるように痛む。泣きたくなる。

どうしてこんなことになってしまったんだろうって強く思う。俺は恐る恐る口を開いた。いつかみたいに、自分の口調が丁寧口調へと変化する。


「バルハーデさん」

「なんだ?」

「あなたは……妻のことを愛してたんですか?」

「ああ、この世界の誰よりも。何を差し出してもいいって思ってた」

「過去形、なんですか?」

「……どうだかな」


俺にはわからない。わからないんだ。

俺は生前の記憶を思い出している。師匠――バルハーデと離れてから、俺は勇者として祭り上げられ、ひたすらに戦い続けた。バルハーデの噂を耳にした。ダメになってしまったって。でも、そこから立ち直ったって。どうやら献身的なメイドの世話が功を奏したらしいって。玉の輿は玉の輿でも、綺麗で夢のある、素敵な話だなって。


噂は噂だ。俺にはわからない。

でも……バルハーデは、あのメイドさんのことを恐らく深く愛してた。


「なんでメイドさんを殺したんですか」

「……さあ」

「だって、おかしい……おかしいじゃないですか。こんなの……理屈にそぐわない……」


バルハーデは呆れたように冷たく言い放つ。


「なあ、神様? 勇者様? アギト様? 全部わかっておられるのでしょう? あれはメイドの形をしただけの偽物だ。生きていない」

「でも……」

「うざいんだよ、お前」

「……」

「何を偽善者ぶってやがるんだ。悲鳴に似た音を立てながら動くネジ巻き人形を見て、かわいそうだなんて思う奴は馬鹿だ。想像力豊かな、感受性の錯覚だ」

「俺は……」

「なんでいつもそうも悲しそうな顔をする? 被害者面をする? お前はいかにもといった調子で人の気持ちがわかるような顔がする。それが、ムカつくんだ」


その声には怒りが籠っていた。

淀みが無かった。熱があった。呪文みたいに、歪みなく答えた。

それはずっと彼が感じていたことだったのだろう。ずっと怒ってきた、彼の真実なのだろう。


俺は、なにも言うことができない。


「でもそもそもこんな問答をするのが馬鹿らしいな?」と彼はせせら笑うように言う。


彼は俺を指さした。


「お前はここに存在しているか?」


そして、次に彼は自分自身を指さした。


「私はここに存在しているか?」


――たぶん、バルハーデは世界の真実のほとんどを知ってしまっている。


彼は吐き捨てるように言った。


「わかるだろ? なにも生きちゃいないんだ。ただ創られただけのものなんだよ。じゃあ、どうするべきだ? 決まってる。お前も私もこの世界で何をしてもいいんだ。何を傷つけてもいい、何を壊してもいい。だって、この世界は創造されただけの偽物なんだから。そしてお前はこの世界の神様なんだから。何もかも、自由にしていいんだよ。イラついたら壊せばいいんだ」

「……そんなこと、しませんよ。みっともない」

「おお、偉大だな。私は嬉しいよ」


彼は嫌味っぽく皮肉を言った。


そもそも、俺は俺自身が生きているかが確信を持てない。俺の存在だって偽物なんじゃないかって。

力は強大で、まるで神様だ。でも、それだけだ。

……そもそも俺が本物でも偽物でも、あまり関係ないことなのかもしれない。

どうせ滅んでしまった世界では、そんなことは些末事に過ぎない。


『自分の信じる世界を信じろ』


俺は生きている、と信じることにする。たぶん、あと少しの命なのだという気もするが。


「バルハーデさん。メイドさんは最後になんて言ってましたか?」

「…………さあな」

「……そうですか」


俺たち歩き続ける。

やがて少し雰囲気の違う場所にたどり着いた。

相変わらず辺りは暗い。暗すぎて目をつぶっているような気分になりそうだ。悪いことばかり考えてしまう。


「どうぞ、アギト様。あちらが魔王の御前となります」

「……そうですか」


玉座があった。寂しそうに、世界の中心に玉座があった。

そこに何者かが座っている。俺はゆっくりと近づく。


そこにはぼろとなったマントを羽織った骸骨が座っていた。動く気配はない。

『超感覚』でわかる。


――魔王はすでに死んでいた。


「なんで――」


魔王が存在した? でも、世界の滅亡は止まっていない。

混乱する。一体どういうことなんだ?


「アギト。よかったな。お目当ての魔王だ」

「……どういうことなんだ」

「つい最近まで、生きてたらしい。でも、死んでる。そういうことだ」

「バルハーデさんが、殺したんですか?」

「ああ。容易かったよ」

「少し、遅かった、ということですかね」


『淵』は城を目前にして進行を止めた。それはつまり、ちょうどその時点で魔王が死んだということだったのだろうか。

バルハーデをまじまじと見つめる。

彼は世界で二番目の剣士だった。自己評価が低かったようだが、鍛え抜かれたその剣は、俺に届く可能性を秘めていた。絶対に勝てない、なんてことは決してなかった。


だから正直、彼なら魔王を打倒する力があってもおかしくない。

何ともあっけない結末だった。勇者だ魔王だと囃し立てておきながら、これだけ丁寧に組み立てられたストーリーを組み立てておきながら、特別な力なんて必要なかったのだ。

ただ純粋に、強ければ魔王を殺せる。……イルフィアも似たようなことを言っていたっけ?


「ははは、ばかみたいだ」


思わず苦笑が零れる。いったいなんだったんだ?


俺はバルハーデに向かって言った。


「どうしましょうか。たぶん、世界は残り0.1%ぐらいしか残っていなくて、この世界にいるのはバルハーデさんと俺だけですけど」

「仲良く手でも繋いでお喋りするか?」

「いやいや、ははは……」


バルハーデがゆっくりと太刀を抜く。

そしてあの日みたいに、俺の首元に突き付けた。


「約束、覚えているだろう?」

「……」

「あの日、結局お前は帰ってこなかったな。『帝龍カーディナル』と相打ちだった。……世界の結末を教えてやろう。『帝龍カーディナル』は死の間際に世界を呪った。世界は『黒』に呑み込まれて完全に消滅した」

「……」

「消滅していく世界の中で『祈りの種族』は祈った。『もう少し世界を続けさせてください』と」

「……」

「祈るには対象が必要だった。それが『勇者』とされていたお前だった。お前は大勢の人の助けを得て、信仰されたんだよ。死んだお前に祈りが集まり、世界がもう一度始まった」

「…………」


全部わかっていたことだった。

バルハーデは歌うように言う。俺は諦めに似た気持ちでそれに続く。


「ああ、アギト。ここは夢のような世界。すべてが不確かで、輪郭はぼやけている。この世界では、願えばすべてが創造される。そう、人間さえも。多くの人々の祈りを受けて」

「……多くの人々は祈った。まだもう少し世界が続けて欲しい、と。だから夢見た。ここはそういう世界だった」

「ここは虚構の世界。確かなものはなにもない。あるのはただ『神』のみ」

「……夢の世界に存在する神様。でも結局、時間と共に消えていく」


実験は失敗した。

人々は祈った。世界がもう少し続きますようにって。

それは時間稼ぎだった。神様が誕生して、世界が再び創造されることを祈っていた。

だが、そんな目論見、成功するわけがない。前例なんてなかったのに、ぶっつけ本番でうまくいくわけがない。


わかるだろ? とバルハーデは言った。


「すべてが偽物ならば、すべてが夢ならば、ここでは何をしてもいいんだ」


私も、お前も。


「何を傷つけてもいい。何を壊してもいい。したいことをしてもいい」


だから、私は――。


「――私はお前を殺したい」


太刀を突き付けて、無感動に、空虚に、ただひたすらに。

剣鬼は唱える。


「決闘だ、アギト。あの日の約束を果たしてもらおう」


◇ 


すべてが終わってしまったこの世界。

何もかもが手遅れな、輪郭の定まらないこの世界。


ここではなにをしてもいい。だってすべてが偽物なのだから。


バルハーデが俺を殺したいのならば、俺はそれを止めることができない。

ここには権利だけがある。ただ一方的な権利だ。「阻止」は存在せず、「行使」だけが存在する。


「嫌ですよ。わかるでしょう?」

「……」

「そうです。この世界で何をしたっていい。破壊だとか暴力だとか、八つ当たりをしてもいい。だって何もかもが終わってしまった世界で、今更倫理観なんてどうでもいいのだから。なら――」

「…………」

「俺は死にたいんですよ。もうどうだっていい。抗う気力もない。師匠のことを憎んでないんだから、おとなしく殺されます」

「約束は、守れ」

「嫌です。約束なんて……もうこんな世界じゃ、意味を持たないじゃないですか」


ただひたすらに、冷酷に、バルハーデは俺を見つめていた。ふつふつと湧き出す怒気を受けて、俺は悲しくなった。

約束を守らないのは申し訳ない思っている。でも、俺はこの手で師匠を殺したくなんてない。俺はただ、師匠のストレス解消のために死ねたらいいなあと思うだけだ。

本当は、師匠の満足するように戦って死ぬべきなのだろう。だが、もはや俺にはそんな気力は残されていなかった。


興醒めしたかのようにバルハーデはため息をつき、剣を降ろす。

そして魔王の座る玉座へ向かう。

無造作に魔王の死骸を蹴り飛ばすと、偉そうにその椅子に座った。


「なあ、アギト。お前に世界の仕組みを教えてやろう。私の頭にはなぜかこの世界の『ルール』が叩き込まれていた。世界は滅亡の危機にあるとか、魔王は世界の中心にいるとか、勇者は魔王を殺さなければならない、とかいうやつだ」

「……それが?」

「不思議なもんだよな。私たちは『祈りの種族』に作られた物語の登場人物みたいなもので。世界の『ルール』を強制されていた。『魂』を持つ、自律的に行動できる人間……それだけが唯一の『生きている人間』でそいつらには必ず作中で『名前』があった。『名前』を持った瞬間、そいつは物語の『ルール』を捻じ曲げる権利を得たんだ」

「なにが言いたいんです?」

「私もお前も、今は『名前』持ちだ。世界のルールを破る権利がある。でもこの『バルハーデ』の名前を持つためにいったい何をしたと思う? 私は『バルハーデ』になるまでは世界の操り人形だった」

「興味ないです」

「まあ、そういうなよ。アギト。お前はきっと知りたがるぞ? それに、怒るんだろうな、いつものように」

「……」

「世界のルールを一部書き換えてやったんだ。


6.アギトはバルハーデと決着を付けなくてはならない。


ってな」


彼は言う。悲しい、悲しいよ、と。このためにいったい私はなにをしなくてはならなかったのか、と。


「この世界は『勇者』が『魔王』を倒し、世界を救うという願いを込められたストーリーに則って動いている。お前以外が『魔王』を殺してしまっては困るんだ。だが、もし『魔王』が死んでしまったらどうなる? 他の誰かが魔王の役割を演じなくてはならない。そう決まってるんだ」


魔王は何度も生まれて、何度も死んだ。

私は何度も何度も魔王を殺した。


「世界のルールに抗って、操り人形だったのに私は執念でルールを無視した。世界は私を消すことができなかった。私はストーリーに必要な人物だったからだ。だが決して、世界は私に『魔王』の役割を与えようとはしなかった」

「まさか、バルハーデさん。それじゃあ、あなたは……」


魔王を殺すと、誰かが代わりにその役割を演じなくてならない。

そして、バルハーデは世界に抵抗したからその役割を与えてもらえない。

じゃあ彼は……その世界の意志を破るために、もしかして……。


バルハーデは言う。


「ずっと待っていたんだよ。この世界に『魔王の代わりをやる登場人物』が私以外消え去るのを。本来登場する予定だったお前の仲間は私が全員殺してやった。そして世界滅亡直前になって、私は魔王を殺した。それでようやく、『資格』を得た」


――馬鹿な。


バルハーデが不敵に笑う。彼から闇のオーラが立ち昇る。


「ようこそ『勇者』様。もしかしたら『魔王(わたし)』を殺せば、世界は救われるのかもしれないぜ?」



自然と手が剣に伸びる。絶対的な危機感がそうされた。なかば何かに強制されたかのような、そんな動作だった。

まだ整理が追い付かない。だが、いろんな嫌な想像をしてしまう。


「……メイドさんは」

「あ?」

「……メイドさんは、魔王になったから殺したんですか?」

「ああ、そうだな? まあ、私も博愛主義者だからな。無駄に手を汚そうとは思わなかったし、メイドはストーリーでの役割を与えられていたようだったから、魔王化はしないと踏んでいたんだが、成ってしまってな。殺してやったよ、あの不気味な創造された偽物を」


なにかが込め上げてくるものがある。俺はそれを抑えきれない。


――誰かの痛みに鈍感なやつ。


「でも、アンタはメイドさんを愛したじゃないか」

「おや、耳がついていないのか? アレは偽物だ。誰かが頭の中で考えた被造物だ。あんな気色悪いもの、壊してしまって何が悪い?」


――悲しんでいる人にも、共感できずに見捨てるやつ。


「本当に本当に、尊敬してたんだ。ぶっきらぼうだけど、責任感があって、プライドがあって、そのために試行して高みを目指す、アンタのことかっこいいと思ってたんだ」

「で?」


――他人の苦しみを、無関係だと平気で切り捨てられるやつ


ふざけんなよ、と思った。

だって、バルハーデは嘘をついている。偽物だとしても、本物そっくりのメイドを喜んで殺せたはずがない。むしろ、死んだはずの人間と会えたのなら、それが夢の世界の話だったとしても、彼は涙を流したはずだ。


「なんだよ、なんなんだよ! そんなに俺のことが憎いのかよ! 俺がなにしたっていうんだよ! アンタがしてるのは全部八つ当たりじゃないか! いったい俺は――どうすればよかったっていうんだよ!」


怒鳴る、叫ぶ。

悲しくて悔しくて仕方がなくて。

とてもやるせなくて、イライラして、心底ムカついて。


とにかく俺は、バルハーデに喚き散らす。


そんな俺の姿を見て、彼は心の底から嬉しそうに笑った。


「ははは! そんなこと、私が知るか! お前が生まれたて来たからだよ! そのせいでお前の大切なもの、みんな死ぬ!」


殺してやる、とバルハーデは呟く。

殺意に応えて、俺は剣を抜く。


――互いに怒りに支配されたまま、救いのない戦いが始まった。


「アギトぉぉぉぉぉぉおおおお!」

「バルハーデぇぇぇえええええ!」


大太刀と剣がぶつかり合う。奏でる金属音。空気を切り裂く、音を置き去りにして遅れてやってきた剣戟の衝撃。


バルハーデは俺と互角だった。頭ではわかっていたことだが、俺の爆発的な瞬発力を糧とした斬撃を正面から受け止められるのは、初めてのことだった。


「お前が眠っていた百年間、遊んでいたわけじゃなんでね」


バルハーデがいなすように剣を振るい、俺を空中に弾き飛ばす。

同時に、低く身をかがめ、祈るように抜刀の姿勢を取った。


途端、彼から威圧力が跳ね上がる。


――紫の目が爛々と光っている。


その目に込められた狂気が、おぞましいほどの集中力が。

妄執が、残忍さが、強迫観念が込められたその目が。


真っすぐと俺を貫いている。


「業剣・災姫」


彼の振るった太刀はいくつもの黒い斬撃を発生させ、うねるようにぐちゃぐちゃになって俺に飛んでくる。

俺はその場で回転し、黒い斬撃をすべて跳ね飛ばした。

着地。

バルハーデは次の技を繰り出すべく構えている。


「――重力300%強化」


バルハーデの周囲に重い力の場が生まれる。


――まさか、血に宿る重力の力を操れるようになったのか。


彼の体中には重力の負荷がかかり、血管から血が噴き出している。明らかに、人体に無茶を強制する技。


「業剣・魔鏡閃」


彼の腕が目に留まらぬ速さでぶれたかと思うと、俺の横腹に穴が開いていた。

攻撃を目で追えないという経験は初めてだった。だが、


「コントロールは悪いんだな」

「……怪物め」


俺の横腹は瞬時に回復していく。一方、技を放ったはずのバルハーデの方は、反動で体にダメージを負ってる。


「アンタじゃ、俺に勝てないよ」と俺は吐き捨てるように言った。


「どうかな? そうかな?」


バルハーデが俺に向かって飛び込んでくる。

夥しいほどの剣閃を煌めかせ、強すぎる太刀筋が、目に残るほどの斬線が、残光として漂う。

俺はその剣を着々と受け流していった。時に切り傷を負いながら、致命傷は受けないように。


「ずっとお前が目障りだった。生きているということが不快でたまらなかった」


バルハーデは一方的に刀で攻め立てる。俺はその速度に、僅かに追いつけない。


「生きていればお前の噂が聞こえてきた。革命児だと。剣が魔法を超える時代になったと。私はこんなにも剣に人生を捧げてきたのに、お前は軽々と私を超えた」


大上段から振るわれる太刀を、真正面から受け止める。

俺は歯を食いしばって衝撃に耐え、力を爆発させるように剣を振るって、バルハーデを後退させた。

彼の表情に屈辱の感情が浮かぶ。それでも殺意は爛々と目に籠っている。


「嫉妬だよ。わかってるさ。でも、憎くて憎くて仕方がないんだ。もう理屈じゃない。ずっとお前を憎むことを信仰にしてきた。私にとっての信じる世界は、お前を殺すことにすべてを捧げた人生のことだった」


今度は俺がバルハーデに討ちかかる番だった。

ジグザグと、獅子のように場を駆ける。

目にもとまらぬ速さで、縦横無尽に戦場を駆ける。


すれ違うようにして、単純な速さと力をもって、前、後ろ、左右から、バルハーデを斬り付けた。


それらをバルハーデはすべて見切った。

それどころか、最後の一撃には反撃を入れてきた。

彼の狂気に包まれた目が「通用しないぞ」とでもいうかのように光る。


「お前がいなければ! お前がいなければ、私は失ったものを取り戻して、それで幸せに過ごしたはずだった! なのにお前のせいで、あの龍が来た!」

「……」

「なんでこんなにも惨めな思いをさせるんだ。失ったものなんて、取り戻さなければよかった。立ち直ったのに全部無駄になるのなら、ずっと腐っていた方がましだった、なのに……!」


凄まじい執念を込めて、バルハーデは剣を振るう。

とてつもなく重たい一撃。俺は、吹き飛ばされる。

俺は剣を地面に突き立てて、吹き飛ぶ距離を緩和させた。


目が合う。彼とちゃんと話し合えるのは、これが最後の機会だという気がした。俺は口を開く。


「人は幸せになるために、至幸へと辿り着くために、いろんなことをする、ってアンタは言っていたな。本当に復讐なんかか幸せになるのか?」

「『人は幸せになるために思考・試行する』。宗教みたいに、『自分の信じた世界を信じる』。私は長い間、考えて、試して、それで選択した。間違った信仰だろうと、それに誓いを立ててたんだ。自分の信じる世界に殉じることは幸せなことだ」

「そんなの……!」


俺には、わからない。

だが、俺の価値観と彼の価値観。それが違っていたらなにがダメだというのだろう?


どこか遠くの世界では――。

人肉を食べるのは文化として当たり前のことで。

女が肌を晒してはならないのは最低限の礼儀で。

命令で命を落とすのは名誉なことだったりする。


そんなことは異常だと、俺たちは勝手に断罪をする。

狂気の沙汰だって。自由がないって。遅れた、野蛮人の所業だって。

わかった気になって、批判して、こいつらは異常者だって囃し立てる。時には消えて欲しいとすら願う。


でも、当の本人たちは自分の文化や価値観を当たり前のこととしか思っていない。まるで気にしない。

むしろ、誇りを持っている。歴史が、価値観の共有が、繰り返し続けたきた考え・行動が。

大切なものだって思ってる。たまにそこから外れる人達がいるかもしれないけれど、そのコミュニティーに属する人達のほとんどは不便に思わない。


――バルハーデの狂気に塗れた目を見る。


特定の文化や宗教に属すること。

死んだら天国があるって思いこむこと。

それに縋ることができるのは、きっと幸せなことなのだ。


死んだら消えるだけだ、寂しい、怖い、って思い続ける人間よりも。

死んだら天国があるって思いながら生きている奴の方が明らかに幸福だ。


――バルハーデにとっては、きっと。


自己嫌悪と、劣等感で押しつぶされて自殺するよりも。

なにかを憎んで生きていく方が幸せだった。

歪んでいるかもしれない。間違っているかもしれない。

でも――彼は苦しくて苦しくて、仕方がなくその道を選んだ――。


だって、彼は。


「やめよう、バルハーデ」

「……なに?」

「俺、嫌だよ。アンタのこと、好きだった。絆されるかって思いながら俺を遠ざけたくせに、簡単に剣を教えた。傷つけるようなことはしたくないと思ってたんだろうな。冷たく接する癖に、俺が剣のことを語ると簡単に宝物庫の武器をくれた。甘い、甘すぎるんだ。剣だとか、強くなるだとか、そういうことに拘っているから、優しさを弱さとして排除しようとしているのに……アンタはいつだって、簡単に人に優しくした。城の住人の世話をするときも『義務だから』って言い訳しないといけなかった。プライドのせいで」

「黙れよアギト。おまえになにがわかる。この燃えるような執念が。瞼にちらつく妹の焼死体が、妻が責任のために城の者と死ぬと言い放った時の悲壮な決意が。すべて死んでしまって、死んだ者のことしか頭にない私の気持ちが……お前にいったい、なにがわかる?」

「……わからないよ。わからないさ。でも……わかるように歩み寄りたいって思ってる。バルハーデの信仰だって、もっと遠くの世界の話、ただのどこかの本の物語なら、俺に何にも関係ない話だったのなら、もっと受け入れることができたのかもって思った。――ここまでなのかもな。結局、憎しみを向けられて、それを受け止められないって思った。悲しいアンタの宗教に共感してやりたいって思った。でも――限界があるみたいだ」


俺にはなにもわからない。理解しようとした。けど、無理だと思った。

……少しだけ、少しだけ彼の気持ちはわかるのだ。でも、その思考は、信仰は、妄執は、共感ができない。

なら、わざわざこんな風に語り掛けることに意味があったのだろうか?

俺は、あると思った。


「……結局、俺はアンタの気持ちなんてほんの少ししか、わからなかったよ。アンタの信仰は間違ってる思う。同情なんて、しない」

「なら、私を殺すか?」

「ああ」


話し合うこと。歩み寄って、相手を理解しようとすること。

結果は振るわないかもしれない。徒労に終わったと、恨みがましく思ってしまうかもしれない。でも、

俺は自分がそういった行動を取れる人間になりたかった。自分が納得したいだけだとわかってる。結果がでないのら、何の意味もないと思う。


でも、できる限り高潔でいようとする意志が、

理解しようとする姿勢を自己満足でも続けることが、


――それが俺の、自分の信じた世界だった。


もう何の意味もない終焉を迎えつつあるこの世界。

俺はこの信仰を持って、死んでいこうと思う。


「バルハーデ」

「アギト」

「……アンタを討つ。俺のエゴで。世界なんて関係ない。俺はアンタを否定する。そのため――全力を以って、叩き潰す」

「やってみろ」


バルハーデの望み通り、技術を凝らし、死力を尽くして、どちらかが死ぬまで戦おう。


「――無限の光装気インフィニット・セブンスオーラ



勇者としての力を象徴する赤いオーラ。それを包むようにして、黄色と白の神聖なオーラが纏われる。

これはいつしかイルフィアが振るった力。神の気。

てのひらで剣を受け止められるぐらい、肉体は完璧になる。速度は光のように早くなる。力の出力が何倍にも跳ね上がる。

単純でいて、圧倒的なバフとなる、創造神イルフィア・ガーデンの奥義だ。


「……貴様、なんだ、その力は」


バルハーデはこの力のことを知らない。彼は『魔王』の役割を担っている。だから世界の成り立ちや、ストーリーといったものを知ることができた。

そして、イルフィアの力は魔王に対しての特攻を持つ。『白無限の世界』は決して魔王に認知されることのない閉ざされた世界だ。バルハーデは決して知ることはできない。


「……アンタは強かったよ。正直、生前の俺を凌駕してる。でも、この世界では俺に勝てない。俺は世界の創造主、精霊、祈りの種族に望まれて生まれてきた存在だから」

「関係ない。そんなくだらない、ルールごと叩ききってやる」

「抵抗してみるといいぜ」


バルハーデの背後に飛ぶ。その背中を袈裟懸けに切り裂く。

バルハーデは寸でのところでかわした。だが、態勢を崩している。彼の表情が驚愕へと染まる。


俺はいつかの剣技を発動させる。


「瞬閃」


バルハーデの左腕を切り飛ばした。


「うおおおおおお!」


重傷を負いつつも、捨て身でバルハーデは俺に向かってくる。

その剣を折った。

彼は恐怖に溺れながら、剣の破片を目で追っている。


そのまま俺は彼の髪を掴み、腹に蹴りを入れた。

うずくまる彼にトドメを刺そうと、剣を振りかぶる。

だが、振り切れない。彼が早い段階で剣に自分の右腕を突き刺していた。


「でも、終わりだ」


俺は空いた左腕で発勁をうち、バルハーデを吹き飛ばす。

その衝撃で彼の体中から、血が噴き出る。無様に地面に転がり、残った片腕で立ち上がる。


「……ま、だ、だ」

「……」

「すべての命、すべての執念……何のために……ここでなにもできないのなら……」


彼は自らの脇差しを抜き、抜刀の構えを取る。


「――重……力999%強化」


バルハーデの周囲に重い力の場が生まれる。

残酷なぐらいに、彼の体という体から血しぶきが噴き出している。足はがくがくと震えている。

目は虚ろ。執念だけで立っている。明らかに自分の命を考慮していない攻撃。

彼はこの一撃に、文字通り命を懸けたようだった。


そして重力の場は強まっていき、ウウーンという圧力が耳鳴りになるほど高まって……。

彼の足元から波動のように力の場が円状に波打っている。

すべてが圧縮された攻撃が、放たれる。


「業剣・極魔鏡閃」


俺はいつかのイルフィアのように、ゆっくりとてのひらを彼に向けた。

すべてを賭けた彼の一撃を、そのてのひらで受け止める。それを一秒ほど続けたあと、左へと腕を振り払って容易く流した。


バルハーデの顔が絶望に染まる。


「なぜ……だ……」

「アンタが弱いからだ」


高々と掲げた剣を振り下ろす。

赤と白の混ざった斬撃が、バルハーデに向かって解き放たれた。



「旦那様」

「……なんだ?」

「旦那様は、復讐に囚われているのですか?」

「……そうだ」

「赦してあげられませんか。アギトではなく、他ならぬ貴方自身のことを。貴方は、できる限りことをした。悔やんでも悔やんでも、悔やみきれなくて、全力だったと思います。……旦那様が苦しんでるのを見ると、私も苦しいんです」

「黙れ。偽物のお前になにがわかる。その姿で、声で、妻のフリをするんじゃない」

「……わかりますよ。私は私じゃない。でも、『本物』の私は……旦那様に同じことを言うこと思います。『人は幸せになるために思考する』。ずっと苦しんで、悔やんでいる旦那様がかわいそうだって」

「……」

「もうそんなに自分のことを責めなくてもいいんだって。感謝してるんだって。救ってもらえて嬉しかったって。短い時間だったけど、一緒に居られて幸せだったって」

「……黙れよ」

「自分のこと、赦してあげてください」

「……おい、この手をどけろ。ベタベタするんじゃない。抱き着くな偽物」

「や、です!」

「…………」

「いや、旦那様、喜んでますし」

「喜んでない」

「まあ、なにはともあれ。やっぱり私の言葉は届かないんでしょうね」

「……すまない」

「いいんですよ。でも私はあなたの妻です。だから、私だけは無条件にあなたの味方です。あなたがどんなひどい人だとしても」

「……」

「あ、そうやって本物の私が言ってました。今なんか天から声が聞こえました」

「わかったわかった」

「……とにかく、自分を赦せないのなら……あなたはあなたの信じる世界を突き進んでください。それが虚しさで終わっても、悲しくても、辛くても、意味がないものだったとしても。でも、最後にはちょっぴりでいいから救われて欲しいんです。私だけは、あなたの間違った信仰さえも、頑張ったねって褒めてあげたいんです。……それしかできないからですけど」

「……ああ」

「ねえ、旦那様?」

「なんだ」

「嘘でもいいから、キスしてください」

「……わかったよ」

「ふふふ、幸せ」

「……そう、だな」

「旦那様?」

「なんだ?」

「私を殺してください」

「……」

「世界を滅ぼしてください。私の魔王様」

「…………」

「永久に。あなたのことをお慕いしております」



暗黒のオーラが顕現する。

それは闇より深い闇。すべてを呑み込み、世界を喰らいつくさんとする破滅のシステム。


禁忌の魔王カーガン・ドゥルローザ


バルハーデはそう一言呟いた。俺の一撃は闇に呑み込まれてしまっていた。

彼は『魔王』だった。

精霊、祈りの種族が作ったこの世界……物語の、世界の寿命を定めたシステム――『魔王』。

この夢の世界はにタイムリミットがある。時間が経てばいずれ消えてしまうのがこの世界だ。『世界は黒で呑み込まれるって終わる』――つまり世界が消失し続けている、という現象に、『魔王』という名前を付けたのだ。この世界は、黒に侵食されていたのではなく、世界の淵からぼろぼろと世界の存在が消えていってしまっていたわけだ。


世界の消失を止める。それが勇者の役割。

勇者は神様のようになって、世界を創造する存在になる。そのために勇者に試練を与え、また精霊となった自分たちをも呑み込ませ、とにかくがむしゃらに力をあげる。

それがこの世界の役割だった。


だから、俺がここで魔王を倒しても何の意味もない。『魔王』とは世界消滅のためのシステムで、それより強くなることと、世界を創造する力を手に入れることには因果関係がない。この対決には何の意味もない。


ともかく、この夢の世界では『魔王』はすべてを消滅させる役割を持った敵だ。バルハーデは現実ではない、この世界限定で、最強の存在となる。


「俺も似たようなものだけどな」


俺のこの神のごとく異常な力。これはこの世界だから発揮できるだけの力だ。

夢の世界で持つ力を誇示したところで、何の意味もない。

この力でバルハーデに勝っても、なにも嬉しくはない。ただ虚しいだけだ。


「アギ……ト」


バルハーデの欠けた体が、血が、刀が、闇で覆われて代替されていく。

そして完成と同時に、不気味に巨大な翼が顕現した。その翼からは気色の悪い汁が垂れ、毒々しく地面を焦がす音が耳を刺激する。

穢れた翼をはためかせ、バルハーデはゆっくりと立ち上がった。

彼の様子はまるで全身から血を垂れ流しているかのようだった。強烈すぎる力が体に収まらず、常に不気味な汁と共に放出されている。

――彼は一秒経つと共に刻々と弱っていた。だが弱っていっても尚、彼の力は圧倒的だった。


彼の瞳に強い憎しみの炎が灯る。


「こんな力……使いたくなかったな。怪物ではなく、剣士として、お前を殺したかった……」

「お互い様だよ。俺だってずるしてる。俺だって今振るってる力はこの場だけの限定的な力だ」

「ははは、そうか――」


――白と黒が激突する。


互いにオーラを身に纏い、空中で何度もぶつかった。すれ違いざまに剣を振るう。互いに傷つき、消耗していく。

バルハーデの操る『魔王』の力はまるで毒のようで、俺の体はうまく再生しない。バルハーデ側は時間が経つごとに弱りながら、受けたダメージを穢れた汁を使って補完している。


「もう、戻れないんだよ、アギト」


互いに地面に降り立つ。

バルハーデは穢れた汁を黒い棘に変え、放ってきた。

俺は獅子のようにジグザグと駆け周り、接近戦を仕掛ける。

バルハーデは四股踏みをする。すると、その足元から黒い棘が連続して生え、急速に生えつづける黒い棘は、王座へと向かうレッドカーペットのように、俺の方へと伸びた。


「私はメイドを殺した……もう戻れない、もう無理なんだ。一度始めてしまったことは……もう取り返しがつかないのなら、やり切るしかないんだ」


俺は素早く剣を振るう。

白と赤の斬撃が放たれ、黒い棘の道を、氷の道を砕いていくかのように払いのけた。


そのまま、剣と太刀がぶつかる。

鍔迫り合いとなり、彼の幽鬼のような紫の目を直視する。


メイドを、とバルハーデは言う。


「妻を、殺したくなんてなかったさ! 例え偽物でも……! でも、殺したんだ。殺したんだよ。だからもう、私にはこの信仰しかないんだ」


狂気に溺れた紫の瞳。それは植え付けられた狂気だったのだと、間近で見てわかった。狂うしかなかった。そうでもしなければ、きっと耐えられなかった。


「私には退路がない。良心を殺して、身を削って、大切なものをも手にかけて。お前を殺すために、必要なもの以外、すべてを捨ててきてようやく、剣が届くかもしれなかった。それがお前だった。憎かった。何もかもを投げ打って、それでも私は……!」


キン、と高鳴る剣戟音。

俺は素早くバックステップをする。


穢れた翼をはためかせ、バルハーデは己の身を顧みる事なしに突っ込んでくる。

俺はかわす。勢い余って彼は地面に激突した。痛みなんてまるでないみたいに彼はすぐに宙に浮かんだ。


「お前を必ず殺して見せる」


バルハーデは自らの親指を噛み、血を流した。

その血を大太刀の両面に塗り付け、大上段に構える。


「裏の太刀-業剣・淘汰」


妄執と歪な信念が込められた斬撃。

剣鬼の信仰がそのまま込められたような、重い、理から外れた、世界のルールを打ち破る威力の斬撃。

その斬撃には魔王の力が乗っている。速度だけでも脅威なのに、その斬撃は防御不可能。喰らえば消滅は免れない。


「イルフィア、力、借りるね」


俺は『創造』をする。


五重の光の盾(メギスト・シールド)


魔王が消滅の力なら、それに対抗できるのは祈りの種族も使った『創造』だけだ。

この世界が存続しているのは、もはやすべてが『黒』に呑み込まれた世界の中心で、祈りの種族が『創造』をしたからだ。

ある一定の物質量が、確かに消滅の速度を遅くする。


俺は光の盾の残骸をバルハーデに向けて放つ。

彼は手で払いのけるような動作をし、俺の攻撃はその圧だけでかき消された。けれど、


――弱くなっている。


刻々と、血を流すようにバルハーデは弱っていった。

無限かのように噴き出して続ける力の奔流も当初よりも随分と弱まっている。


紫の目が俺を貫く。最後の力を振り絞るかのように、穢れた翼から汚らしい汁が激しく迸る。


彼はもう一度大上段に大太刀を構えた。

……無駄だ。


「裏の太刀-業剣・淘汰」

五重の光の盾(メギスト・シールド)


魔王の力を纏った黒い斬撃が飛来する。それは確かに、光の盾の一枚を削り取った。


「一連」とバルハーデは呟く。


そして続けて彼は大太刀を振るった。


「二連」


二枚目の光の盾が消失する。


――まさか。


「三連」


三枚目の光の盾が消失した。

だがバルハーデの力は尽き欠けだ。おまけに尋常ではない負担がその体にかかっている。

力を失えば失うほど、彼のボロボロの体を覆っていた黒い液体が剝がれていく。三連目の時点で、彼の体からはまた血が噴き出すようになってる。打てて、もう次がラスト……のはずだ。


「四連」


果たして、彼は斬撃を放った。穢れた翼の片翼が消える。


「五連」


執念で彼は最後の一撃を放つ。信じられない。

俺は最後の光の盾を失った。

でも、それで終わりだった。彼は穢れた翼の両翼を失って、片腕しかない。もはやほとんど魔王の力は感じ取れない。おまけに体はボロボロで、肌の色も血を失いすぎた色をしている。


刹那の時の中で、見つめ合う。

彼は、ふっ、と笑った。


「裏の太刀-業剣・淘汰。六連」


人間の体で、人間の技で、彼は自身の最大の奥義を放つ。

片手で技を放った代償は大きく、その振るった手も衝撃で体からちぎれた。


――凄まじい執念だった。


斬撃は俺の体の半分を切り裂く。

だが俺は止まらずに、そのままバルハーデを切り裂いた。

剣鬼は笑う。


「見事」



どさり、とバルハーデが地面に墜落する。

俺はその横に降り立った。斬撃で切られた俺の体は再生していく。

現実世界の俺の再生力なら、間違いなく死んでいる。彼は――最後の最後に、人の身で俺の半身を削り取った。俺は、イルフィアから受け取った力がなければ、負けていたのだ。


虚ろな目で、バルハーデは俺を見上げる。


「ああ……いったい何が足りなかったんだろうなあ」

「……」

「全部、捨てたのに。大切なもの、すべて。すべてを賭けたのに、届かなかったのか」

「……」

「いったい私の人生は何のために……」


同情するつもりは、なかった。

彼は悪役として振舞った。その歪んだ信仰を掲げて、俺の敵として君臨した。

だから別に、助けてやれるとしても、助けようとは思わない。でも……。


「届いてたさ」と俺は言う


「届いてたさ。本来の俺に、ここまでの再生力は、ない。心臓も脳も切り裂かれたからな。異常だよ。アンタの最後の技は人の技なのにさ」

「………………はっ、そうかよ」


なぜだか、この時だけは心と心がつながっている気がした。

同情なんかじゃない、気遣いなんかじゃない。ただ純粋な、事実だ。

ただ、強かったと敵を認めた。ただそれだけのことだった。


「私は……報われた、思いだよ」

「ラッキーだな」

「ふん、馬鹿言え、こっちは今から死ぬっての……」


俺と彼はにやにやと笑う。

同情なんてしない。こいつは敵だから。なのに、不思議な寂寥感が胸の内を支配する。


「なあ、アギト。最後に一つだけ聞いてもいいか?」



よく晴れた日のことだった。


「ピクニックに行こう!」と言い出したのは妹だった。

「嫌だ」と私は言った。


おねーがーいーっとただをこねる妹に、私は言った。


「気品と礼節を兼ね備えた女性になるよう、努力できるか?」

「お兄様って、なんかお母さんの役もしてくれるよね。もしかしておっぱいついてる?」

「なる気はないらしいな」


城の執務を三日間手伝うということで話がついた。


そしてちゃっかりそのピクニックにはアギトもついてきた。アギトは私から下賜された宝物庫の剣を抱えて、広い草原へと出かけようとする。


「おいアギト。なんでピクニックに剣を持っていくんだ。平和な外出にそんなものを持っていくな」

「いやだ!」


こいつはいったい、なんなんだ。

妹はにこにことアギトに言う。


「ねー、それぐらいいいじゃんねー。お兄様ったら、責任感が強いのか、お母さんみたいな存在になってない?」

「そんな……師匠……ママなの……?」


私はこいつらを無視した。


だが無視したのをいいことに、こいつらは二人でこそこそと話を続けている。


「なんだろうね。たぶん、お兄様は『こいつらの面倒は私が見る!』とか気負いすぎちゃってると思うんだよね……だから口うるさいし、がみがみばっかりいってくるし。困っちゃうのよ」

「まあまあ、それも師匠のいいところだよ」

「この前も気軽に『おっぱいついてる?』と聞いたら怒られちゃって」

「それはそっちが悪くない!?」


とてもうざったい。


その後、木陰のいい位置に大きな布を置いて、みんなで弁当を食べた。

妹が虫でギャーギャーと騒ぎ、アギトは虫に喜ぶ。

なにをやってるんだか、と思う。どうしようもないやつらだなあって。


なんだか日差しを強く感じて、ハットを深く被った。

覗き込むようにして、アギトが私の顔色を伺いにくる。


「師匠、みてみて」

「なんだ?」

「ちょうちょー!」

「よかったな」

「師匠も嬉しそうだ」

「私は嬉しくない」


どうかな? そうかな?


そうやってピクニックはゆったりと進行していく。

バカ騒ぎしている二人を見ながら、私は考え事をしている。もういいんじゃないかって時々思うのだ。


変に意地を張ったり、ぶっきらぼうにしたり。

自分を強く見せようとしたり、くだらないプライドを掲げ続けたり。


――本当は私はどうしたかったんだろう?


幼い頃を思い出す。妹が生まれて、お兄ちゃんとして立派に育たねばならなかった。強く在ろうと努力した。けど、この体に流れる王家と同じ血が憎くて憎くて仕方なかった。私の体は、魔法を使うには向いていない。


剣を見て、その鋼の輝きに心奪われた。切り裂くという凛とした機能が、かっこいいと思った。憧れとか、かっこよさとかが原因で、私は剣を握った。


――本当は私はどうしたかったんだっけ?


幼い頃は、わからなかった。でも、今ならわかる。

幸せになりたかったのだ。幼い頃、正の感情を欲し続けた。憧れもかっこよさも。ただ気分がいいという事象を味わいたくて、本能的に求め続けた。

でも、今になって……私はただ、幸せになりたかっただけなのだと自覚した。強くなりたいのは守るためで、守るのは頼られるためで、頼られるのは気分のいいことだ。気分がいいとは幸せであるということど同義だ。のしかかるような義務感も、実は嫌ではなかった。


――幸せになりたい。


ただ、それだけだった。そうだったんだなって思う。

なら、そうやって原点に立ち戻ったのなら、私はなにをすればいいのだろう。たぶん、もう変に意地を張らなくてもいいんじゃないか? と思う。


ピクニックが終わる。

夕焼けが草原を小麦色に映す。さらさらと流れる風は、草原を黄金の川のようにそよがせた。大海原を、ゆっくり優しくなでるようにして、風は草原にさざ波を立てる。

痛く染み入るような、郷土愛のような。まるで懐かしいなにかに触れているような、そんな気分。


「楽しかったな!」とアギト。妹は満面の笑みで頷く。


どこを切り取っても、おそらくは幸せな光景だった。もう、いいんだと私は思った。変な意地は置き去りにして、このバカ騒ぎに混ざってやろうとそう思った。

けれど、なぜか、なにかをしようとしても私の体は脳からの命令を受け付けない。大声を上げることも、大仰しく頷くこともよしとしない。長らく思想を支配し続けた習慣は、一時の決断でどうにかすることはできない。


代わりに私は、自分のハットをアギトに乗せる。そして言った。


「楽しかったな、アギト」

「……え? どうしたの、師匠?」

「いや、なんでもない」

「ふふふ、またまたぁ。どうしたんだ? つい隠し続けた本音が出ちゃったのか?」

「……別に」


私が強く否定しないのを見て、アギトは本当に驚いた顔になる。そして次には、満足そうな笑みに変わった。私のハットを被ったアギトは、抱えていた剣を強く抱きしめる。


「なあ師匠」

「なんだ?」

「俺、幸せだよ。生まれてきてよかったって思う」

「そうか」

「師匠は今、どんな気持ちなんだ? 今、幸せ?」


その言葉に、私は静かに笑った。


「どうかな? そうかな?」


余裕ぶって、誤魔化すような返事を飄々と返す。それで十分伝わったようで、アギトは頷いた。そして恥ずかしそうに、被せられたハットで自分の顔を隠した。


「あー! もう! このハットは今日から俺がもらう! ピクニックの記念品だ。逃げろー!」

「やめろ!」

「絶対に捕まってやんないんだからな!」


とても捕まえて欲しそうにアギトはそう言った。私は仕方なく、こいつの戯言に付き合ってやることにする。

勢いよくアギトを捕まえて、黄金色の草原に共に転がる。後ろでは「あらまあ」と妹が見ている。どう考えても、こんな行動は私のキャラじゃない。

アギトがたまらないとでもいうように笑い始める。なんだか誘い笑いを起こしそうな、そんな笑い方。


――たぶん、この瞬間。


頬が吊り上がっている気がする。どうなのだろう? わからない。体が脳の指令を受け取らない。体は私の意志を写さない。けど――。


たぶん、私は笑っている。

たぶん、私は幸せを感じてる。


でも、それでいい気がした。


アギトが笑って、妹が笑う。

実は、悪い気分ではなかった。



「なあ、アギト。最後に一つだけ聞いてもいいか?」


剣鬼バルハーデは俺にそう聞いてくる。

俺は静かに頷いた。

バルハーデはゆっくり息を吐くようにして語り始める。


「私がこの世界に来た時……一つだけ現実世界から本物の物質を持ってこれたんだ」

「……そうだな。俺もだ」

「どうやらこれは自分の最も大切な物を持ってこられるらしい。私なら大太刀。メイドなら目隠し。そしてアギト、お前は……」

「……」

「……どうして、それなんだ?」


俺は剣を握りしめる。そんなの決まってる。


「大切な人からもらった剣なんだ」

「……」

「俺はある日、大切な人たちから引き離されて、残された剣に縋った。成長したあと、見つけて貰えるように。誰もが俺のことなんか忘れてしまうんじゃないかって不安だったんだ」


勇者として王家に連れていかれて――。


俺は一人ぼっちで。俺はただの人間兵器でしかなくて。

俺はただ強くて。周りから見た俺は怪物で。誰とも相入れなかった。

いつかの誰かの真似事をして、大人みたいに喋るしかなくなった。


毎日剣に縋るようにして、抱えながら眠った。


――いつか大切な人と再会できますようにって。


「この剣さえあれば、俺は大切な人にもう一度会えるって信じてた。信仰みたいに」

「大切な人には会えたか?」

「どうかな。よく、わかんないや」


この心中を支配する寂寥感はなんだろう? 目の前にいるのは俺の敵だった。

この世界の悪役だった。彼は魔王だった。

失っても少しも痛くないはずなのに、胸がじくじくと痛む。抑えきれない毒のように、俺の魂を蝕み続ける。


「アギト」

「……」

「よく……頑張ったな」


バルハーデは優しく俺の頭を撫でようとして――その腕が一本も残ってないことに気づいた。

誤魔化すようにして、彼は笑う。


俺は縋るように彼の胸に頭を押し付けた。表情を見られたくなくて。

感情の氾濫が、己の身を支配する。


「泣くな、アギト」

「……俺」

「誇れ。お前は成し遂げたんだ。お前は勇者だ。お前は魔王を倒したんだ。悲しむことはなにもない」

「師匠、俺は……!」


――逝かないでくれって。


一人にしないでくれって。叫びだしたくなる。

でも、できない。俺はもうとっくに大人で、そんなことは許されない。


「なあ、アギト。お前、なんのために生きてきた?」

「わからない、わからないよ……もうなにも、わからないよ……!」

「そうだな。私もわからない。でも時々思うんだ。思考して、試行して。それはなんのためだ? って。たぶん、ただ幸せになりたかっただけなんだよな」

「……」

「アギト、お前、幸せになれよ」


その言葉を、無責任だって俺は思った。

でも、それは彼の祈りだった。彼は死の間際に、ただ俺に幸せになって欲しいと願った。祈りは届くと、信じた。自分の信じる世界を信じようと、俺のために祈りを捧げた。


師匠は力が抜けたように言う。


「なあ、アギト」

「師匠……」

「そろそろ、お別れみたいだ」

「……」

「頑張れよ」


彼の目の光はとっくに弱まっていて、あの激烈なまでに光る紫の眼光は、揺らめく燭光のようになっていた。


師匠はぽつりと呟く。


「たぶん、幸せだった」


それからゆっくりと時間は流れた。まるで永遠にも思える時間だった。

師匠の息はゆっくりと弱まっていった。体からはどんどん熱が失われていって、彼の瞼は、空いている時間より、閉じる時間の方が長くなっていった。


――そして、剣鬼バルハーデは死んだ。


今や彼からは欠片も生気を感じ取れない。

俺は蹲って涙を堪えようとする。なぜだか溢れて止まらない。

でも、俺はなぜ我慢をしているのだろう? もうなにもかもが終わってしまった世界で、なにを意地を張ってるのだろう?

たぶん、師匠の目の前だからだろう。彼の前では、強く誇れる人間で在りたかった。それが俺の信じた世界だった。


「師匠、いい夢を」


俺は静かに立ち上がる。

どこかに行かなくてならない。どこかに行かなくてはならない。

でも、どこに行けばいいんだろう?

もう世界は滅亡している。終末までの短い時間、俺は何に縋ればいい?



俺は暗闇の中を進む。もはや自分がどこにいるのかわからない。

ここは城の地下のはずなのに、進んでも進んでも終わりが見えない。まるで無限に閉じ込められているような感覚。


――世界は終焉を迎えつつある。


結局、俺は世界を救えなかった。世界はもうすぐ滅亡する。

いや、最初から滅亡していたのだ。俺に望まれていたのは『世界の創造』だ。神様になって、滅亡してしまった世界を再生させること。


……それも、最初からほぼ不可能なことで、失敗してしまったのだけど。


――寂しい。


このままひとりぼっちで死んでいくのだろうか?

怖くて、寒くて、恐ろしい。


「いやだ……」


最初から俺以外に生者が存在していなかった世界。

そんなことに気づきたくなんてなかった。ずっとなにも知らないまま生きていたかった。


「怖い……よ……」


師匠もイルフィアももう死んでしまった。慰めあう相手は存在しない。

俺はこの暗闇の中で、なんにもできずに死んでいく。

酷く惨めで、酷くおっかなくて。恐怖に押しつぶされそうになって。


それで俺は掲げた信仰に縋りつく。俺は自分の信じた世界を信じた。これでいいんだって。

自分の信じた世界を信じたまま消えることは幸せなことだって。俺は精一杯高潔にかっこよく生きたんだって。やれることは全部やったんだって。


――その時、自分の何かが開けたような感覚があった。


目が覚めるような感覚。そういえば『覚醒』とは何だったのだろう?


――超感覚が反応する。


『魔王』を倒したことによって、俺はようやくこの世界のすべてのことを知ることができた。俺は夢から目を覚ましたのだ。それが『覚醒』だった。


「……誰だよ、俺のことを見てるやつは」


『覚醒』を果たして自覚した。

この世界は、真の意味で、正真正銘誰かに創造された世界なのだと。

『祈りの種族』に創造されたこの世界。それは――。


『神様』がいた。『祈りの種族』を創造した人物。そいつはただの人間だった。筆を取ることしか能がない、一般的に言えば不出来な人間。そいつは飯を食い、服を着、親がいて、なに不自由もなく暮らしていた。本当にただの人間だった。なんの特殊な能力もない。

ただ、頭の中で創造した世界を、筆を取って表現するだけだった。ただ自分のために、そうしただけだった。


――それが、第一世界と呼ばれる場所での話。


次は第二世界の話だ。


『祈りの種族』は第一世界に存在するただの人間によって『想像』された。『神様』が頭の中で描いて、自分のメモ帳にたびたびでてくる、ただの登場人物達。

『祈りの種族』は自らの創造主が世界を終わらせようとしていることを知ってしまった。物語にピリオドを打ち、もう二度と自分の書いた物語を思い出さないようにしよう、としていることを知ってしまったのだ。


『祈りの種族』は前々から、創造主の手から逃れる方法を探っていた。どちらにせよ、創造主はただの人間で、ただの人間である以上、寿命が訪れれば、創造主の頭の中にある世界は滅んでしまうことを知っていたからだ。


『祈りの種族』は超越を果たした種族だった。過去や未来を覗き、また第一世界の事象を観察することができた。それだけではなく、第一世界の未来すらも観測することができた。だから、『祈りの種族』は創造主よりも頭がよくて、技術も遥かに優れていた。オーバーテクノロジーの一部を、第一世界の未来を観測して学んだ。そうやって、『世界創造』についての技術を知った。


『世界創造』は第一世界の未来においても完成していない技術だった。

『祈りの種族』は創造主の頭の中の世界で勝手に研究を続けて、勝手に新たな世界を創造した。


――それが、第二世界と呼ばれる場所での話。


そして――この第三世界は、『祈りの種族』によって創造された世界だった。

創造主と同じように、自らの頭の中に世界を創造した。創造主と違うのは、世界をもっと具体的に投影する方法があったこと、一人の頭の中で世界を作るのではなく、『夢』という形で複数の人間と世界を共有したことだ。『祈りの種族』が創造した世界は『物語』と呼ばれた。物語にはストーリーが必要で、ルールが決められていた。

だから『勇者』は『魔王』を倒す必要があったし、複数のルールで、実際に生きている人物を縛る必要があった。


だが……結局、彼らの技術は不完全で、『神様』と似たような道筋を辿ることになる。


第二世界は『神様』によって終わりを告げられた。でも、それは『神様』だってやりたくやったわけじゃない。不可抗力なのだ。

同じように、『祈りの種族』が創造した世界にも終わりがあった。終わりを設定しなくてはならなかったのだ。永遠に続く物語なんてないのだから。これもまた、不可抗力。


――それが、第三世界と呼ばれる場所での話だった。


「だからなんだな」


――俺たちが見えているんだろう?


俺はこの第三世界を覗く『誰か』に語りかける。たぶんだけど、こいつらは第一世界の誰かなのだろう。


ずっと疑問だった。|なんで創造された世界は・人は《、、、、、、、》、どこか輪郭がぼやけているのかって。

そしてまた、俺自身の輪郭がぼやけたり、ぼやけなかったりしたことがあった。

それは――きっと視点が違うからだ。俺から見た俺は、創造物じゃないから輪郭はぼやけない。でも、第一世界の人たちからみたら、俺は創造物だ。


――第一世界から見た俺という存在は、文字で表された物語の登場人物だ。


想像とは、創造とは……頭の中になにかを投影することだ。第一世界の人たちは文字を読み取って俺の姿形を『想像』する。でも、輪郭は決してはっきりとすることがない。頭の中で『想像』したものは不定形で、しっかりとした想像をすることはできない。椅子を想像しても、その隅から隅がどうなっているかを想像することができないように。

そもそも、俺という人物は文字だけで体の隅から隅まで表現されているわけではない。一部の描写を読者が汲み取って、なんとなくで俺の姿を想像することになる。


だからだ。だから、俺の存在する第三世界は、誰かにとっての被造物だから、世界も、炎も、人も、俺も、どこか輪郭がぼやけていた。


「なあ……神様。お願いだ。助けてくれよ。……助けてください。見えているんでしょう? この悲惨な状況が」


俺はこの現状を真の意味で理解した。この世界が誰かに観測された世界だというのなら、その観測している誰かは、物語の結末を決める力がある。


その誰かが本を閉じれば、物語は終わる。それでいい、と俺は思う。

だが望んでもいいというのなら……物語を幸せに終わらせて欲しい、と俺は祈った。


――お願いです、お願いです。


読者が物語のハッピーエンドを望むなら、ここから先を読むことをやめればいい。

そして頭の中で、無理やりにでもアギトは幸せに過ごした、と結論づければいい。読者にとって、二度と本を開かないのなら、それは事実となるのだから。


――だから今すぐここから先を読むのをやめろ。


……どうしてやめないんだ?

俺にはわかる。第一世界の筆を取った『神様』のことが。こいつは不幸だったり悲惨な世界を描くことをやめないだろう。自分が優れていなくて、虚しいだけの存在だから。だから、意地になって辛いだけの物語を描き続けるのだろう。


だから、今これを読んでいる誰かには、今すぐ物語を読むのを辞めてほしいんだ。

『神様』とされる凡人に抵抗してほしい。君たちだけの結末を見つけて、頭の中で俺たちのことを幸せにしてほしい。


他にも方法がある。できることなら俺はこれが一番いい。

「書くこと」だ。二次創作という手段を用いて、ここから先は自分が書けばいい。それで自分が納得できるよう、世界の結末を決めてほしい。


あるいは――。これをどうやって読者が見ているかわからない。でも、この本に続きが存在していたとしても、この先のページを破り捨ててほしい。そしてどこか余った余白こう書いて終わりにしてほしい。


『これにて物語は終了だ。ハッピーエンド。物語は誰かの想像によって、幸せに終わりました。めでたしめでたし。』



「……なんでだよ」


――なんでまだ読み続けてるんだよ!


「いったよな? きっとこの先は辛いことしか起こらない。何の生産性もない。それなら……俺たちを幸せに終わらせてくれよ。いったい何が不満なんだ?」


不満。消化不足。探求心。

やめない、ということ。できることは続けるということ。


それは――その気持ちは、俺にだってわからないわけではない。

でも、それは――。


「……俺たちがかわいそうじゃないのかよ」


『終了』の二文字を、雑に本に書いて終わってしまえばいい。たったそれだけのことなのに、大した労力というわけではないのに。

でもたぶん、読者が求めているのはそういうことではないのだろう。彼らは続きが見たいのだ。自分で決めた物語なんてどうでもいいのだ。『作者』が書いた物語が、読者にとっては正しくて、自分の解釈なんて二の次で、正しく作品から情報を受け取って、読者として先に進みたくて仕方がないのだ。


「お前は性格が悪いよ」


誰かの不幸を望んでいる奴。自分の生が不甲斐ないからって、外から刺激物を受取ろうとする奴。

自分の人生がしょうもないからって、人の不幸から娯楽を得ようとするのは間違っている。自分の人生に彩がないって思うなら、本とか映画なんかに頼らずに、自分で行動すればいい。


――そんなこともできないから、せめて読み続けるんだろうな。


本を読むことは労力のいることだと思う。だから、楽なことではないからって思いながら、欠片ばかり残ったそのプライドで本を読み続けるのだろうか?


俺にはわからない。わからないが……これを読んでいる奴は人として終わっている屑ばかりだということだ。

まともな奴なら、刺激的だからという理由で、誰かが不幸になる物語を娯楽として選ばない。


とても、弱い人間たちだ。

どんなに億劫でも、外にでてなにかをしてみればいい。なにか趣味を見つければいい。でもできない。今更面倒だ、としか思わない。

できるかもしれないのに、できない理由ばかりを探している。もっと良くなるかもしれないのに、『どうせ』としか思わない。


「じゃあ、最後まで読めばいい。結局自分はどうしようもないんだな、と思いながら」


なにを感じようが、なにに感動しようが、決して行動を変えることがない。

そんな奴ばかりだ。どうしようもない奴、ばっかりだ。



誰かの視線を感じながら、俺は闇の中を歩き続ける。

最初に感じていた怒りも、もうすっかりどうでもよくなってしまっていた。


ただ、虚しい。たぶん、悲しくて、寂しい。でも、もう感情に蓋をしてしまっていた。俺は何も感じない。そう、信じ込むことにする。


――俺は何も感じない。


そうやって俺は自分の信じる世界を信じて死んでいこうとする。


頭を空っぽにすると、何の意味もない想像が繰り返される。瞼を閉じて、よくわからない映像が脳裏に浮かぶ。その意味を理解したくて、映像に注力する。


それは黒と白のわっかだったり、なにかの動物だったりした。以前に見た強い光の欠片がただ瞼の裏に残っていたりもした。

何の意味もない、何の意味もないけれど……やるべきことはなにもない。


想像は広がっていって、やがて意味を持ち始める。それはなにか人型の形を取ろうとする。俺は必死になってその形を消そうとする。だが僅かに遅くて、懐かしい人の幻聴が聞こえた。


「何をやってるんだ、アギト」


――師匠の声。


俺はなにも聞こえないふりをする。でも一度始まってしまった想像はやめられなくて、師匠は勝手に話し続ける。


「このまま死ぬのか?」

「……」

「おい無視するな、聞こえてるんだろう? 今の私は……私から見た偽物のメイドみたいなものだな」

「……」

「お前はこの世界の『神様』だから。創造力が高くて、疑似的に作ってしまった人格でもほとんど本物と同じになる。今の私は確かに偽物だが、放つ言葉は生前と変わりない」

「……うるせえよ」

「別にいいだろ? どうせ終わるこの世界。人形遊びをして何が悪い?」


俺はその言葉に笑った。あんまりにも言い方が師匠っぽすぎる。

ちょっと面白くて、悪くないかもしれない。


「何をしてもいいもんな」

「そうだ。なにをしてもいい。だからお前はなにを続けてもいい。例えば、この人形遊びの世界を永遠にしてもいい。――気づいてるんだろ?」


師匠は言う。

この世界が誰かの認知の上で作られた世界ならば、お前がその認知の担い手になればいい。お前が『この世界は幸せに終わりました』と信じればいい。

自分の信じた世界を信じることが、お前にとっての真実になる。なら――。


「いやだよ。俺はこのまま消えたいんだ」

「アギト」

「師匠を殺した。イルフィアは死んでしまった。メイドさんも、師匠の妹さんも死んでしまった。なかったことになんて、できないよ」


全部起こってしまったことだ。なかったことにはならない。

俺が『創造』したところで、死んだものは蘇らない。俺の認知では蘇ろうが、死んだ本人たちに意味がない。だから、


「俺は死んでいった者たちを偽物にするわけにはいかない。死んでいったものたちのことを考え、それに殉じながら死んでいく。それが俺の信じた世界だから」

「ははは。私の思考とよく似てるじゃないか」

「師匠と呼ばれるだけのことはあるよな」

「よせよ、照れるだろ」


頭の中の師匠は、そう言って去っていた。どこか寂しそうに笑いながら。

でも、師匠は自分の持つ信仰のせいで、俺の信仰を否定できない。彼は俺の考えを変える権利がない。


「アギト」と誰かの声。


ぼんやりと白い影が浮かび上がる。それは愛しくて仕方がなくて、一目でも会いたかった愛した人の姿だ。


「イルフィア」

「えへへ、来ちゃった」


イルフィアがはにかむ。偽物かしれない。妄想かもしれない。それでも俺は、彼女に会って、幸福感を覚えた。なにをやってるんだろうって、泣きたくなる。


「イルフィア。俺、いっぱいいっぱい頑張ったんだ。頑張ったんだよ。でも、あんまりうまくいかなかった。つらいよ。慰めてほしいんで」

「えへへ、いいよ、アギト。私がいっぱいよしよししてあげる。私の方がおねーさんなんだから」

「……ぶっちゃけ、千歳とか一万歳とか、冗談だと思ってたよ」

「おばあちゃんって呼ばれるのは嫌だから超お姉ちゃんって呼んでもいいよ」


……初めて聞く単語だ。


「なあ、そういえばさ。俺を看病するとき、キスする必要あったのか?」

「キスじゃなくて医療行為ね。うーん、私の体から物質が産み出せれば君を助けられたわけだから、別にキスじゃなくても手で掬ったりすればいけたね!」

「キスしたかったとか?」

「いやいや、あの時点ではちょっとしか恋愛感情なかったから」

「ちょっとはあったのか」


俺たちは楽しく思い出を語る。


「ていうか私が作ったあの水ってさ、私が体の中で生成したものなんだよね。よく言えば命の水だし、悪く言えばゲロだよ、あれ」

「……最後の最後にそんなこと知りたくないんだけど」


知りたくなかった、知りたくなかった……。

味は悪くはなかった。


「一緒にいられて、幸せだったね」

「だな」

「アギトは幸せを感じるのが好きなのに、もうやめちゃうの?」


俺は苦笑する。俺の頭の中で産み出されたイルフィアは、もちろん俺と師匠の会話内容も知っている。俺の制御から独立してますよとでもいいだけに、俺が触れてほしくない話題に触れてくる。


……俺は、神の力をもって、おそらく夢の世界で生き続けことができる。


「うん。死んでいった者達に申し訳が立たないっていうかさ、俺だけ幸せになるわけにはいかないって思うんだよな。死んでしまった人たちのことをなかったことにしないために、俺は死んでいこうと思うんだ」


それが俺の宗教だった。間違っていてどこか歪んでしまった、俺の信仰だった。

俺は夢の世界で幸せに生きることができるだろう。しかし、幸せに生きたいのならここで起きたことを忘れなくては、幸せになんて生きられない。イルフィアの犠牲を、なかったことになどできない。


「アギト、別にいいよ。少し寂しいけど、私にとっては、君が幸せに生きてくれるが全てなの」

「ありがとう。イルフィア。でも違うんだ。俺は自分の信じる世界のために、自分の信仰を信じて死んでいきたいんだ。それが正しくて、かっこいいことだと思ってるんだ。――すべてを忘れて生きる、そんな見下げた奴にだけは、絶対になりたくないんだよ」

「アギト、また昏い目をしてる。魔王と一緒に自分も死のうとしてた時と一緒だ」

「……」

「ねえ、アギト。私、君の昏い決意が好きだったの。君の怒りと憎しみは、優しさの裏返しだから。それがたまらないくらいに悲しくて、かっこよかったの。君はやっぱり……『勇者』なんだって」


昔こんなこと言ったよね、と彼女は言う。


「『人は幸せになるために思考する』。昔から言われている言葉でしょ? 執念や決意を燃やすのはいいよ。でも、そうやって自分を奮い立たせるのは、最後には幸せになりたいからじゃないの?」


どんな昏い決意でも、復讐でも、諦念だって。

少しでも幸せに近づきたいから、そういう感情は生まれうる。不幸な気持ちになりたくないという感情は、幸せに近づきたいという感情に似ている。

マイナスの感情に心血を注ぐのは、心の防衛機構のようなものだ。期待しない、諦める、幸せなんていらないと叫ぶ。


でも、そんなのはうそだよね、と彼女は言った。


「復讐者だって、自殺志願者だって、虚無主義者だって、誰だって幸せになりたがっている。いろんな理屈と信念があって、幸せを諦めた人はいるかもしれない。……アギト。君はどうなの? 本当に幸せになんかなりたくないの?」


俺は……


「君は人一番、人間が好きで、冗談や会話が好きで、暖かな幸せを求めてた。なのになんで、幸せになるわけにはいかないって自分に言い聞かせるの?」


俺は……そんなの……!


「私は君に、幸せになってほしいんだよ」


そんなこと……!


「じゃあ! だったらなんでイルフィアは死んだんだよ! 勝手に死ぬんじゃねえよ!」


叫ぶ、叫ぶ。喉から血の味がするほどに。耐えきれなくなって、感情が爆発して、とても、無様に叫ぶ。


「俺だって幸せになりたかったさ! でも……その世界には師匠やメイドさん、そして君が必要なんだ! ……せめて誰か一人でもいたら、俺はその人を理由に生きられたんだ。でも、誰もいない。みんな死んでしまった」


自分の気持ちなんてわかっている。幸せになりたいという気持ちを封じ込めている自覚がある。でも……俺はもう、この行動しか取れない。


「イルフィア……イルフィア……なんで死んじゃったんだよ……。君が生きていてくれたら、それだけでよかったんだ……」

「ごめんね、アギト」

「……」


彼女が俺を抱きしめる。脳が混乱しているのか、幽体のはずの彼女の体には実感があった。生前のような温もりと、幸福感が流れ込んでくる。

矛盾、している。幸せになっちゃいけないって思いながら、俺は彼女に抱きしめられて幸福感を感じてる。


「そうだよアギト。どんな否定しても、封じ込めても、拒んでも、幸せが来たら嬉しくなっちゃうんだよ。そういうものなんだよ。どれだけ理屈を並べても、君は幸せになりたがっている」

「違う……俺は……俺は……!」


――どうか、幸せになってください。


彼女は死の間際にそう言った。イルフィアは俺の目を見つめて、そのことを思い出させてくる。俺は目を閉じて、耳を塞いだ。


「いやだ……やめてくれ、何も聞きたくない。なにも見たくない。もういいんだ。このまま終わりたいんだ、俺は」


彼女は耳を塞いでいた手を優しく降ろした。俺が再び目を開けるまで、辛抱強くまった。そして次に目が合った時、彼女は潤んだ瞳で俺を見つめていた。


アギト、と彼女は言う。


「私を見て」


――私をみてよ。


「私を……みて」


彼女は泣いていた。潤んだ瞳からは、とても綺麗な涙が零れ落ちる。頬はほんのりと赤くなり、心労のせいかわずかに髪の毛が乱れている。

言葉を尽くすのはもう終わったのだろう。彼女は瞳の奥底の感情を、俺に伝えてきた。どれだけ俺のことを想っているのか、どれだけ俺のことが好きなのか。

相変わらず、彼女の瞳の中には孤独への恐怖があった。それを超えて、俺のことを愛しているということが伝わってきた。


俺はがくりと膝をつく。


「ずるい……ずるいよ」


彼女は俺が創造した、都合のいい存在のはずだ。だが彼女への信頼感が、創造した彼女と実物の彼女は同じことをするだろうということを伝えてくる。


――どうか幸せになってください。とあの時彼女は言った。


それがすべてだった。それが、彼女が死の間際に残した、俺への祈りだった。


「アギト、せっかく私が身を挺してあなたを生かしたんだから、死なれちゃうと困っちゃうな」

「困っちゃう……困っちゃうのか」

「うん、とっても困っちゃう」

「困っちゃう……困っちゃうなら、仕方ないな」


いつか交わした時のような冗談とノリで、俺は彼女と会話する。それだけ昔の情景が浮かび上がってきて、幸せだった日のことを思い出す。泣きたくなる。


「じゃあ、私の言うこと聞いてくれるよね?」

「うんわかったよ」

「じゃあ……アギトには世界をやり直してほしい。やり直した世界で、本物の私と一緒に生きてほしい」

「……今ここにいる、君は? この世界で生きていた君は……?」


彼女と俺の手が合わさる。指が絡み合って、世界創造の脈動が聞こえる。

彼女は健気に笑って見せる。


「やり直した世界……時間を遡行するなら、確かにその世界の私は本物だよ。……アギト、幸せになってね」

「なあ……イルフィア! やめてくれ、イルフィア!」


世界創造の脈動は止まらない。

今になって気づいた。彼女のてのひらには、肉体には、確かな実感がある。俺が頭の中で本当に創造されたものならば、確かな実感(、、、、、)なんて感じられるわけがない。


――激しい光があたりを包む。


ビックパンによく似たイメージ。無から有が生まれる。激しい爆発が起こる。爆発はどんどん広がって、世界を創造する。


音も映像も質量も、すべてが置き去りに。世界が塗り替わる。

最後に残ったのは文字という概念だけだ。


"アギト、ごめんね"


"それでも私はあなたの幸せを祈ってる"


"何度繰り返すかわからないけれど、いつか私と一緒に、生きようね"



そうして私はアギトを送り出した。

さて、私は何回同じことを繰り返してきたんだろう?

わからないけれど、一つ確かなことがある。

アギトのために私が消えてしまうこと。それでアギトを幸せにできるのなら、私は幸せだな、と思える。

自らの存在を差し出して誰かを幸せにすること。

それが私にとって宗教だ。他人からみたら胡散な信仰でも、私は自分の信じる世界を信じる。



静謐佇む城の中で一人、俺はベットから身を起こした。耳を澄ませば、さらさらとした清涼な音が聞こえる。それはまるで、葉の擦れる音のような、小粒の砂が手のひらから零れ落ちていくような音で。


――神秘的に朱く染まる巨大な城の中。


部屋には奥行きがあって、壁には等間隔に並ぶいくつもの扉と、巨大な一つの扉がある。

その特別な扉ひとつを覗けば、どれも似たような構造の部屋になっている。

どこも大差ない。生きた人間の気配がしない。そういう場所だった。


――なんでなんだろう。


涙が溢れて止まらない。もうどうしようもないという気もする。

俺は自分の顔をてのひらで覆った。



「目が覚めましたか?」


目隠しをしたメイドが、そう俺に声をかける。

俺はベットから身を起こした。枯れ木のような手足。ガリガリの体。まるで罰を与えられていたかのような、病人みたいな身体。


ああ、と俺は思う。また始まったんだな、と。


「メイドさん」

「わかっていますよ。全部。けれど、私もアギト様も、すべてを忘れてしまうのでしょう。すでに頭の中に霞がかかってきてますし」

「そうみたいだな。全部、最初の一ページ目に戻ってしまうんだろうな」


・「私と、あなたの力を合わせるの。あなたの『自分の信じる世界の具現化』と私の『時間遡行』を使う。そうするとやり直しができる」

・「無駄だ。世界にリソースが残ってない。もうページはない。物語は続かないんだ」

・「そうだよ。だから、すべてを繰り返す(、、、、)ことになる。一挙一動、一字一句、同じに。|同じ本を読みなおすこと《、、、、、、、》になる」


そんな言葉が頭の中に浮かぶ。つまりはそういうことらしい。


「アギト様。あなたはこれから何回繰り返すことになるんでしょうね?」

「……さあ」

「この世界は誰かに認知されなければ存在できない。だから、『読み返す』という事象があって初めて、この閉じられた世界は存続を許されます。でも、これはハッピーエンドになりますか?」

「……」

「絶対になりませんよね。一挙一動、一字一句、同じことを繰り返す。同じ本を読むのだから、結末は絶対に変わらない。それこそ、途中で読者がページを破り捨てて、『幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし』と書き込まない限り」

「……そうだな。救いなんて、ないかもしれない」

「物語に『続き』がでれば違うかもしれませんよ。誰かがあなたたちの幸せを祈ってくれるかもしれない」

「それは第一世界への干渉だ。祈りの種族もできなかったことだ。無理だよ」


どちらにせよ、無理な話だ。俺たちが存在し続けるためには、永遠に物語が続く必要がある。つまり『神様』が物語を書き続けなければならない。

あるいは、他の人が勝手に書くしかない。俺たちがメディアになって、文字という域を超えて、誰かに認知され続けるしかない。


「メイドさん、俺、呪われたのかな?」

「祝福ですよ。きっと」

「でも、これは永遠の祝福だ。何度も繰り返し続けろって言われてる。こんなの耐えられないよ」

「耐えられますよ、きっと」

「どうして?」

「さあ、あなたが『勇者』様だからじゃないですか?」


メイドは暗示するかのように言う。俺はため息を吐いた。

まだ諦めてないんでしょう? とメイドさんの目は言っている。


――本当は俺はどうしたかったんだっけ?


答えは決まってる。俺はただ、幸せになりかたった。

ずっと願いを叫ばせてもらえなかった。俺はずっと、誰かにとっての勇者だった。


――幸せになりたい。


強く強くそう願う。すべてがキレイな結末で終わってほしいと願う。


――イルフィアと幸せになりたい。


師匠も、メイドさんも、師匠の妹さんも、全員。

全部救われてほしいと願う。


――なあ、頼むよ。


俺は祈るようにそう願った。

目を閉じ続けていると、頭がぼんやりとしてきた。


「いい夢を」とメイドさんは言う。


視界はおぼつかなくなっていって、景色は曖昧に、輪郭はぼんやりとしてくる。だが俺はその中でも祈り続けた。幸せになりたいって。切望し続けた。


城の景色には、光の筋がかかり、祝福するような鐘の音が聞こえた。

すぼめるように捻じれて消えていく景色に、篝火のような明かりが見えた。

意識を失うことは、世界が終わることに似ている。自分の周りの光景すべてが、ぎゅっと縮まって、自分と一つになった気がした。


――俺は世界の中心だ。


俺はこれからも何度も繰り返すのだろう。本物のイルフィアは、俺と自分がどこかの世界で幸せに過ごすことを願った。そこに自分はいないのに。新しく始まる世界の自分は、自分じゃないのに。


――体から力の残滓を感じる。


前回の世界から引き継いだ、何回も蓄積された力だ。俺は繰り返す。そしていつか力で満たされて、神様になる。何人ものイルフィアを犠牲にした世界の上で、たぶん、幸せな人生を送る。


心の中で彼女に呼びかける。けれど、彼女の声は聞こえなかった。


――イルフィア、君のことが好きだよ。


会いたいよ、イルフィア。

この先にいる君じゃない。

俺を救おうと犠牲になった、今はもうどこにもいない、君に会いたい。



『切望のアギト』 ―fin

切望のアギト完結です

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