第20話 雷光の如き速さで言葉を運べ 〜ダニエル電池と有線電信の実験〜
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蒸気機関と光学顕微鏡の完成から数日後。
からくり宗兵衛の工房の土間には、青と無色の液体が入った無数の素焼きの陶器鉢と、ピカピカに磨かれた銅板、そして亜鉛板がずらりと並べられていた。
「宗介、この青い水と素焼きの鉢は一体なんじゃ? 雷を閉じ込める壺とでも申すのか?」
沙羅が藍染めの小袖の袂を押さえ、興味津々に鉢を覗き込んできた。
「あながち間違いじゃありませんよ、沙羅さん。……冬の乾燥した日に、絹の着物を脱ぐとパチパチと青い火花が散ったり、琥珀を布で擦ると髪の毛や埃を吸い寄せたりすることがありますよね?」
「うむ。南蛮渡りの見世物で『ゑれきてる』などと呼ばれる、まじないのような摩擦の火花じゃな」
「あれはまじないではなく、この世界のあらゆる物質に宿っている『電気』というエネルギーなんです。従来の摩擦器は一瞬パチッと火花が出るだけですが……この【ダニエル電池】は違います。銅板と亜鉛板、そして二種類の水溶液が化学反応を起こすことで、まるで川の水が絶え間なく流れるように、安定した電気を銅線の中へ何時間も流し続けられるんです」
「な……川のように電気を流し続けるじゃと……!?」
沙羅が息を呑んだ。
「さらに、電気が流れている銅線を鉄の棒にぐるぐる巻きにすると――不思議なことに、その鉄の棒が一時的に『磁石』に化けて、パチンと鉄を引き寄せるんです。電気を止めれば、ただの鉄に戻る。この『電磁石』の仕組みを使います」
宗介がスマホをタップすると、シズクが化学電池の回路モデルを展開した。
『マスター、電信網用ダニエル電池スタックの起電力測定完了。直列十セル接続により、端子電圧十一・二ボルト、内部抵抗三・二オーム。長距離銅線通信に十分な直流電力を確保しました』
さらに作業台の上には、宗兵衛と作造が総出で仕上げた前代未聞のからくりが置かれていた。
細く引き延ばした純銅の針金に、生漆を焼き付けて絹糸を巻き付けた『絶縁エナメル銅線』。それを多賀根山の軟鉄棒に幾重にも巻き付けた『電磁石』。
そして、バネと真鍮の接点で回路を開閉する『電信打鍵器』と、電磁石が鉄片を引き寄せて澄んだ音を鳴らす『音響受信機』だ。
「宗兵衛さん、打鍵器の感触はどうですか?」
「がはっ、指先でポンと叩くだけで、真鍮の接点がカチリと噛み合って電流が流れるぜ! 鉄の棒が磁石になっちまうなんて、何度見ても化かされた気分だ!」
「この装置と電線を使えば、何里離れた場所であろうと、雷の光が夜空を走るが如く――瞬き一つの間に言葉を届けることができます」
「ま、瞬き一つの間にじゃと……!?」
沙羅が目を見開いた。
「はい。早馬でも半刻(約一時間)かかる本町通りの『万代屋本店』と、ここ下谷の工房の間――およそ一里(約四キロメートル)を電線で結びました。万代屋には西園寺様と小夜さんが待機しています」
作造たち大工の手により、屋根伝いに陶器の絶縁ガイシが打ち込まれ、江都の空を一筋の銅線が一本、ピンと張り巡らされていたのだ。
――そして、正午。
下谷の工房で、宗介、沙羅、宗兵衛が固唾を呑んで受信機を見つめていた。
宗介は紙と筆を握り、シズクのモールス符号対照表をスマホの画面に表示させる。
「定刻です。……万代屋の小夜さんから、最初の信号が送られてきます」
静まり返る工房。
その静寂を破り――作業台の上の真鍮受信機が、突如として激しく跳ね上がった!
カチッ! カチカチッ! ……カチッ、カチッ!
「ひゃあっ……!? な、鳴ったぞッ! 誰も触れておらぬのに、真鍮の板が勝手に動いておる!!」
沙羅が驚きのあまり宗介の腕にぎゅっと抱きついた。
カチッ(短点)、カチーーッ(長点)。
小気味よいリズムで、一里先の手元の打鍵が、一瞬の遅れもなく下谷の工房の空気を叩き鳴らしている。
宗介は耳を澄ませ、筆を走らせた。
「・-・-・(サ)……--・--(ヨ)……-・--・(ヨ)……-・-・-(リ)……」
「宗介、なんと書いてあるのじゃ!?」
最後の信号がカチリと止まった。
宗介が書き上げた紙を読み上げる。
「『サ・ヨ・ヨ・リ・ア・イ・ヲ・コ・メ・テ(小夜より愛を込めて)』……だそうです」
「なっ…………!?」
沙羅の顔が、一瞬でカッと林檎のように真っ赤に沸騰した。
「な、な、なんという破廉恥な通信を送ってくるのじゃ、小夜の奴めはッ!! 公儀の重大な実験にかような私情を……ッ!」
沙羅は恥ずかしさと憤りで長い袖をバタバタと振って地団駄を踏んだ。
「がはははっ! 小夜のお嬢さんらしい粋な挨拶じゃねえか!」
宗兵衛が腹を抱えて大笑いする。
だが、宗介の表情は真剣そのものだった。
「沙羅さん、怒っている場合じゃありませんよ。……いま、一里(四キロ)離れた万代屋からの言葉が、伝令の馬を走らせることなく、『一秒もかからず』に届いたんです」
「…………っ!」
沙羅がハッと我に返り、真鍮の受信機を見つめた。
「そ、そうか……。馬ならば早駆けでも半刻……歩けば一刻(二時間)かかる道のりを……いま、一瞬で……!」
沙羅の全身に、鳥肌が立った。
その瞳に、信じられないほどの驚嘆と感動が広がっていく。
「これがあれば……湊浦の海に異国の軍艦が現れたとしても、江都の城へ一瞬で知らせが届く……! 敵が上陸する前に、防備を固め、民を逃がすことができるのじゃな……!」
「その通りです、沙羅さん。情報が一瞬の電光の速さで伝わる国は、どんな大軍の奇襲にも負けません」
宗介は電信キーに指を添えた。
「返信を送りましょう。『ツ・ウ・シ・ン・セ・イ・コ・ウ(通信成功)』と」
カチッ、カチカチッ、カチッ!
宗介がキーを軽やかに叩くと、銅線を通じて電気が江都の空を駆け抜けた。
――数秒後。
万代屋本店から、歓喜の打鍵が猛烈な勢いで返ってきた。
カチカチカチカチッッッ!!
『オ・オ・イ・ニ・ウ・レ・シ・イ・ス・グ・ニ・シ・キ・フ・キ・ン・オ・オ・ク・ル(大いに嬉しい、すぐに資金多く送る)』
小夜と西園寺正信の熱狂が、電線の向こうから手に取るように伝わってきた。
工房の中は、作造たち職人の大歓声とお祭り騒ぎに包まれた。
「すげえええっ!! 空を飛ぶ針金が、言葉を喋ったぞォッ!!」
「宗介先生! 先生はまこと、神仏の雷を操る大賢者様だァッ!!」
熱気に沸く工房の中、沙羅がそっと宗介の隣に歩み寄り、愛おしそうに宗介の顔を見上げた。
「……宗介。そなたの知恵は、大地を繋ぎ、海を越え、人の心までも一瞬で結んでしまうのじゃな」
ふわりと漂う清涼な白檀と、可憐な撫子の香り。
沙羅は宗介の手を優しく握りしめ、月光よりも美しい笑みを浮かべた。
「妾は……そなたと同じ時代に生まれ、共に歩めることを、神仏に心から感謝しておるぞ」
「沙羅さん……。こちらこそ、いつも背中を支えてくれてありがとうございます」
二人は見つめ合い、固い絆を確かめ合った。
火と水の力『蒸気機関』、ミクロを明かす『光学顕微鏡』、そして電光の如き言葉『有線電信網』。
三大技術を手に入れた宗介たちの文明開化は、いよいよ迫りくる外圧に備える『沿岸要塞と即時防衛ネットワーク』の構築へと突き進むのだった。
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