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1偽りの結婚

ドンッ!


(はわわ、か、壁ドン!?)


リディアの後ろは壁、そして目の前には夫のアレンがいる。アレンは、リディアの顔の横に手を置いてリディアを恐ろしい形相で見つめている。


リディアの若草色の瞳は不安げに揺れ、金色の美しい髪がはらりと肩から流れる。艶やかな黒髪に深い海色の瞳のアレンは、リディアにゆっくりと顔を近づけた。鼻先が触れ合うほどの距離だ。


(え、ま、待って?なになになに!?)


「どうして離婚しようとする?他に好きな男でもいるの?……まさか、あの商人の男?許さない、離婚なんて絶対にしない。リディアは……リディは俺だけの妻だ」


ギラギラとした瞳で今にもリディアを獲って食ってしまうのではないかと思えるほどだ。


(ど、どうしてこうなったの!?私はただ、アレン様を自由にしてあげたかっただけなのに……!)


「ずっと、ずっと好きだったんだ。でも、君を前にすると何をしゃべったらいいかわからなくて……君を見つめていたいのに、見ていると緊張と嬉しさで心臓が口から飛び出てしまいそうになる」


(え?う、うそ!?嘘でしょう?)


「でも、他の男に取られてしまうって知ったら、そんなこと言ってられない」


そう言って、アレンはリディアの頬に優しく手を添える。その目は、喜びと苦しさでどうしようもないと切に訴えかけていた。



「ずっとこうして君に触れたかった。……リディ、好きだよ。君のことが大好きなんだ」


(……え?一体どういうこと!?)


驚いて何も言えないリディアに、アレンは貪るようなキスをする。


二人がキスをするのは、この日が初めてだった。





リディア・ベルナール。貴族の間で堅物公爵と呼ばれるアレン・ベルナールの妻になってもうすぐ一年になるが、二人は白い結婚のままだった。


アレンはリディアの顔を見ない。たまに目が合うと、すぐ気まずそうに視線をそらしてしまう。


口数も少なく、屋敷の中でリディアに会っても軽く挨拶を交わすだけで、すぐにリディアの前から姿を消してしまうのだ。


(愛されていないのはわかってるし、そもそも私はお飾りの妻だものね)


リディアたちの住むエステリア国の女性は、生まれてすぐに女神から魔法の加護を授かる。治癒魔法、精霊魔法、攻撃魔法、生活魔法など何かしら特化した魔法を使えるようになる。


男性たちは、自分の領地で活用できそうな魔法が使える女性を結婚相手に選び、領地の繁栄をもたらす存在として大切にするのだ。


だが、リディアは何の加護も授からなかった。そもそも魔力がなかったのだ。まれに加護無しが生まれることがあるが、この国では加護無しは役立たずというレッテルを貼られる。


(加護無し魔力無しの私なんか、誰も必要としない。アレン様が私に見向きもしないのは当然だわ)


むしろよく結婚したものだと、結婚当初は思ったものだ。だが、アレンは堅物公爵と呼ばれるほど人嫌いで、女性との接点もほとんどない。

せめて形だけでもいいから結婚しろとうるさく言われ続け、アレンが結婚相手に選んだのがリディアだった。


(ご両親は私との結婚を反対したけれど、アレン様は私でなければ結婚しないと言い張ったのよね)


きっと、加護無しのリディアと結婚するくらいなら独身のままで構わないと両親が言うと思ったのだろうが、アレンの両親はリディアとの結婚を認めてしまう。


(結局、結婚してもうすぐ一年になるけど、アレン様は私に触れもしない。私も別に触れてほしいと思っていないし、男はもうこりごりだもの)


リディアは前世の記憶を持っている。前世では日本という国に住む女性だったが男運が悪く、ことごとく浮気性のクズ男にひっかかってしまった。


(本当の愛なんてどこにもないって、前世で痛いほど身に染みたわ。二度目の人生に期待したけど、生まれてすぐに加護無しって詰んでる。諦めて気ままに生きた方がいいわ)


うーんっと背伸びをして、リディアは窓の外の空を眺める。実家にいた頃は、役立たずと言われてどこにも居場所が無かった。

こうして家の中でゆっくりと安心して過ごせることはとても幸せなことだと心から思える。


(そろそろアレン様がお戻りになる頃かしら。お迎えの準備をしなくちゃね)


形だけの結婚だろうと、妻として最低限の役割は果たしたい。リディアはとても真面目だった。




翌日。二人は領地内を回り、領民たちと交流を深めていた。


「お二人が定期的にこうして来てくださるので、我々領民は安心して暮らすことができます。ありがとうございます」

「いえ。領主として当然のことです。今度は収穫の時期にまた様子を見に来ますね」


アレンはそう言って微笑んだ。


(相変わらず、すごい演技力。貴族たちから堅物公爵と言われているのが嘘みたい)


アレンを見ながらリディアは心の中で感心していると、アレンが微笑みながらリディアへそっと腕を差し出す。

リディアも微笑み、アレンの腕に自分の腕を通して二人は歩き出した。


「きゃっ!」

「大丈夫か!?」


途中、リディアが石に躓きそうになり、アレンが咄嗟にリディアを抱き止める。


「す、すみません……」

「気を付けて。君に怪我をされたら俺が困ってしまう」


心配そうな顔でアレンはリディアを覗き込んだ。その目は本当に心配だという思いが込められているように見えて、リディアは思わずドキッとしてしまう。


(……ドキッとするなんてダメ。これは演技なんだから)


「まあ、お二人は本当に仲睦まじいご夫婦ね」

「奥様が加護無しと聞いた時は驚いたが、アレン様を献身的に支えてらっしゃるし、アレン様も奥様のことを大切にしているのがわかる」

「お二人が円満なら、領地も安泰だな」


あちこちから、二人をほめたたえる声が聞こえてくる。二人は視線を合わせて微笑むとまた歩き出し、停めてあった馬車へ乗り込んだ。


馬車が走り出すと、窓の外で領民たちが笑顔でお辞儀をしている。アレンとリディアは手を振って応え、領民の姿が見えなくなるまでそれを続けていた。


「……」


領民の姿が見えなくなると、アレンは馬車の窓のカーテンを引く。その顔からは先ほどまでの笑顔は消え、屋敷の中で見かける堅物公爵の顔になっていた。


(本当にすごい演技力ね。私までうっかり騙されそうになる)


領民を不安がらせないためにと、領地を回る時には必ず仲の良い夫婦を演じている。

アレンの演技力は凄まじい。領民を思う気持ちは本物なのだろうが、笑顔も優しさも屋敷では絶対に見ることのできない姿だ。


リディアに異常なまでに優しさを見せる時は領民に夫婦仲を見せるためなのだろうが、その演技があまりにうますぎるため、リディアはその度についドキドキしてしまうのだ。


「リディア。足は大丈夫なのか」


急に、アレンがぽつりとつぶやく。


「え、あ、大丈夫です」

「捻ったりは?」

「していません」

「……そう。それならいい」


そう言って、アレンは腕を組んで瞳を閉じる。屋敷に着くまで寝るつもりなのだろう。


(堅物公爵に戻っても優しさが抜けきらない時があるから困るのよね)


ちょっと気になっただけで、別に本気で心配しているわけではないかもしれない。

それでも、つまづいて受け止めてくれた時に見せた優しさと、本気で心配だと言わんばかりの表情を思い出して胸がまたドキドキしてしまう。


(って違う違う!ドキドキしない!偽りの結婚、形だけの結婚なんだから)








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