第2章 #2
商店街の一角。普段は近づくことがほとんど無いそのエリアに、ツキヨは緊張気味に足を踏み入れた。野菜や肉を売る商人たちと、それらを物色する人々のまばらな賑わいの中、彼は人目を避けるようにしつつ音色を辿った。次第に音色は鮮明になっていった。
暖かいのに寂しいギターの音色。その音色に重なって、少女の歌声も耳に聞こえてきた。ツキヨは耳に神経を集中させながら歩を進めた。やがて少女の声も鮮明に耳に届いた。
月明かりの満ちた雨上がりの夜。すれちがう思い。星々と共に思いをつなぐ言葉。
ごめんなさい、ごめんなさい。
ありがとう、ありがとう。
私は誓う。君の愛した自分でいると。
私は誓う。あなたを永遠に見守ると。
また会える日まで、また会える日まで。
ツキヨは足を止めた。胸には複雑な思いが渦巻いた。「愛」について語るその唄は彼の心の奥を刺激した。彼にはそれが何を意味するのかわからなかった。ただ、優しく語りかけるように歌う少女の切なげな歌声はツキヨの心を震わせた。フードを深く被っており、顔は見えない。足を止める者もおらず、遠巻きに人々が好奇の眼差しを向ける中歌い続ける少女が、ツキヨには輝いて見えた。
少女は歌い終わると誰に向けるでもなく、軽く会釈して座っていた小さな腰掛けを折りたたんだ。ほとんど投げ銭の入っていない革袋を拾い上げ、少女はギターを担いでツキヨのいる方へ向かって歩き出した。ツキヨはどきりとした。反射的に道の脇に身体を避けた。フードの奥から晴れた日の空のように青い少女の瞳が見え、ツキヨは慌てて目を逸らした。少女からちらりと視線を送られた気がした。ツキヨは気付かないふりをして少女とは反対方向に歩いた。
少女が歌っていた辺りまで来て振り返ると、少女は既に小さな人影となっていた。ツキヨの身体は無意識の内に少女の後を追った。
どのくらい歩いただろうか。気配を潜め、罪悪感を覚えつつもツキヨは少女の背中を追いかけていた。獣人の身体は気配を消すことに長けていた。皮肉にもこの時初めて、ツキヨは自分が獣人であることに感謝した。
村の外れまでやってきた。そこには小さな泉が湧いていた。泉の中心からはぽこぽこと泡が湧き、周囲には草木が鬱蒼と茂っていた。時は夕刻。日が傾き始めた頃、少女は泉の前で足を止めた。そばにあるあばら屋の柵には小柄な馬が一頭繋がれていた。
「ただいま、カジ」
凜と澄んだ少女の声が聞こえた。馬はぶるると鼻を鳴らして主人を迎えた。
「この村は旅人が好きじゃないみたい。でも、のどかで良い村に見えたよ」
少女は寂しげに馬に語りかけ、朽ちて横たわる大木に腰掛けた。そして手入れされた馬の背中をなでながら、小さく唄を口ずさみ始めた。
それは、異国の言葉のようだった。ツキヨには詩の意味はわからなかった。しかし、不思議と心が和らいだ。馬も心地よさそうに目を細めているように見えた。
小さな光が茂みからゆらゆらとこぼれた。蛍のような光は揺らめきながら徐々に数を増し、空中を漂った。光はやがて集まり、大きくなり、人の形になった。長い髪の女性のような光は、少女に手を伸ばした。少女もまた、光に手を伸ばした。ツキヨは吸い込まれるようにその光景に見入った。少女の横顔が照らされた。彫刻のように整った顔は、寂しげな表情を浮かべていた。ツキヨは胸が締め付けられるような心地がした。女性の形をした光はそっと少女に触れ、次の瞬間、その手はツキヨを指さした。
「誰!?」
鋭い声と共に、少女の視線がツキヨへ向けられた。ツキヨの心臓は大きく跳ね上がり、身体が硬直した。光は蜘蛛の子を散らすように散り散りになり、茂みの中へ消えた。
少女の青い瞳がツキヨの黄金色の瞳を捕らえた。全身の被毛が逆立ち、鼓動が大きく耳に響いた。




