吸血鬼と後日談
ニコラスは自分が夢を見ていることに気づいた。
いつになく気持ちが穏やかで、頭がフワフワしている。目の前にはあの時の幼女がいて、それでいっそう夢を見ているのだと思った。
『――どうして、この子を庇おうとしたのですか?』
ふと男の声が聞こえた。幼女以外、人の姿は無い。
だから父親の声だと思った。きっと、一人残された幼い娘が心配だったのだろう、と。
「うちの娘と……同じぐらいの年だ……」
『――重ねて見たのですか……』
声は静かで、こちらを詰る風ではなかった。
ただ、幼い娘の悲し気な目が辛い。
「親を呼んでいた……親を呼んでいたんだ……うちの子も、俺が死んだらあんな風に泣き叫ぶんだろうか……」
我が子と幼子を重ねて見てしまえば、もう殺すなんてできなかった。庇おうとしたのは無意識だ。愚かなことだったのかもしれない。けれど、幼い娘を殺そうとすれば、何かが終わる気がした。人の死と密接に係わる職だ。汚い仕事だって今までしたことがある。それでも、それでも――
「まだ、泣いているんだろうか……」
『……もう、大丈夫ですよ』
ふいに降りてきた白い手が、頭の上に乗る。
――まるで迷子の子供を慰めるように。
『貴方はもう、楽になって良いのですよ』
「あのね、おじちゃん。あたしね、もう一人じゃないの」
穏やかな声に続いて、鈴の音が鳴るような可愛らしい声が聞こえた。
「もう大丈夫なの」
目の前の幼い娘が微笑う。
――見ているこちらも暖かくなるような笑みで。
「だから、おじちゃん。もう、おじちゃんも泣かなくていいんだよ?」
そんな風に微笑う姿が、水にぼやけて、ゆっくりと暖かな闇に溶けていった。
――悪夢はもう、見なかった。
※
「あれで良かったのですか?」
地下迷宮の果て、最奥で一休みしながらアルノルトはそう訊ねた。傍らには手を繋いだ幼女がいる。
「……おじちゃん、あれで大丈夫かな?」
「……きっと、大丈夫でしょう。一応、そうなるように【勇気】や【平穏】の魔法も使っておきましたし」
夢を渡って他者の意識を仲介したり、遠くから魔法を届ける能力など、おそらく伝承にも伝わっていないだろう。のんびりと焚火をしているアルノルトはその異能を誇るでもなく、ただ目の前の幼い娘を慮る。
「貴方は、あの人間に恨みは無いのですね?」
「……おじちゃんは、ギュッてしてくれたの。周りの怖い人達からあたしを隠して、ギュッてしてくれたの」
「…………」
「あったかかったの。……あったかいのは、生きているからだよね?」
「……そうですね」
淡く微笑んだ青年に、リリーナは花が咲くように笑む。
「だったら、あたしはそれがいいの。あのおじちゃんは、あったかいのがいいと思うの。いっぱい、いっぱい、ずっと、ずっと、代わりに泣いてくれてたから」
アルノルトは先程精神を繋いだ男を思い出す。この二月、きっと心から安堵して眠ったことなど無いだろう男を。見ず知らずの幼子を、自分の仲間達を殺した吸血鬼の子供を――そうと知っていても、憎めず、自分の子と重ねてしまい心を病みかけた男を。
「……人は、時に驚くほど愚かになりますが――その愚かさもまた、愛おしむべきものなのでしょうね」
「アルの言うことはむつかしーのですよ」
口を尖らせるリリーナに笑って、アルノルトは焚き火に新しい羊皮紙をくべる。他の羊皮紙同様、ゆっくりと燃えていくのを見守って、リリーナの小さな頭を撫でた。
「貴方は今回、憎い人間を倒しました。――同時に、人間を一人、見逃しました。その時に感じたことを決して忘れないでください」
「その時に感じたこと?」
「人を憎むことを知り、恨みをはらすことを知り――それと同時に、人を救うことも選ぶことが出来た。誇りなさい、リリーナ。それはとても難しく、大人でさえなし得にくいことですよ」
リリーナはアルノルトの穏やかな微笑みをじっと見つめた後、おずおずと問いかけた。
「……アルは、嬉しい? あたしがそうやると、誇らしい?」
「ええ。貴方の成長はとても誇らしいですよ」
途端にむふーと嬉し気な顔をして、リリーナはアルノルトの膝上に飛び乗る。甘えてくる子猫のような幼子に、アルノルトは笑った。
「これからどうするの?」
「そうですね……本来なら国境街に行くつもりでしたが、追手が面倒なので森を突っ切って隣国に行きましょうか。あちらには大きな牛型の魔物が沢山出る地下迷宮があるそうですし」
「おにく!」
「ええ。たっぷり食べて、沢山捕獲しましょう。その前に肉を食べ終わった後の皮をまた売り払いたいですね。荷物になりますし」
「毛皮は美味しくないからいらんのですよ」
「売ったお金で美味しいものが食べられますよ」
「だいじですな!」
即座に言を翻したリリーナに、アルノルトは地図を取り出しながら言う。
「後始末をしたら、前に言っていたとおり地下迷宮巡りをしましょう。ご飯が沢山食べられますし、沢山食べても目立ちませんし。……あと、鬱陶しい連中が来ても周りに憚ることなく対応出来ますし」
「……あの人達、また来る……?」
「持っていた書状を見るに、広く知れ渡ってしまったみたいですからね。まぁ、この地下迷宮から出る前に、またちょっと遠出して毛皮とかを北に売ってきますので、少しは攪乱出来るでしょう」
「うん? 前にちょくちょくいなくなってたアレなの?」
「ええ。――貴方も強く大きくなったら使えるようになるかもしれません」
「そしたらお留守番じゃなくなる? 一緒に行けるようになる?」
「ええ。楽しみですね」
「楽しみなのです!」
収まりの良い場所に収まって、上機嫌で膝上に座っている幼女の頭をアルノルトは撫でる。
吸血鬼狩りが近くまで来ている、と告げた時、幼い娘は自分の手で戦うことを望んだ。親を殺された憎しみは彼女の中でまだ燻っている。自身の手で倒しても、その行いに甘美さを覚えなかったのは幸いだ。憎しみを覚えることは自然の摂理だが、復讐に心を囚われることほど悲惨なものはない。誰を殺そうと、喪った者は帰ってこないのだから。
(古来より『血の復讐』は残された者の責務ではありますが……幼い子が負うには重すぎるでしょう。一人葬ったことですし、あとは私が代行することでご両親や一族の者には許していただきましょう。幸い、本人も復讐よりご飯の方が良いようですしね)
「アル。心ここにあらず?」
何故バレるのだろうか。
「ちょっとこれからのことを色々計画していたんですよ」
「あのきょーぼーな人達のこと?」
何故、バレる。
「……ええ」
「……むー……」
「来ても平気でしょう? 貴方には私がついてますよ」
「あい!」
今度は肉のことを考えよう、と心に誓って、アルノルトは上機嫌になったリリーナの頭を撫でた。
※
「なんということだ……」
ロータル王国の西、聖都にあるライムント教会大神殿では、報告を受けた大司教が重いため息をついていた。
ライムント教会は吸血鬼狩りと深く関わるとはいえ、吸血鬼狩りの母体というわけではない。そのため、吸血鬼狩りにとっては危急の報告であっても、大司教の聖務が終わるまで報告は後回しにされるのが常だった。そのため、聖務を終えた大司教は同時に二つの重大な報告を聞く羽目になった。
一つは、大神殿に保持されている吸血鬼狩りの生存を示す宝珠が三つ砕けたこと。
一つは、それより数刻遅れてロータル王国の王都にある大聖堂で治療をしていた吸血鬼狩りヨルダンの宝珠が砕けたこと。
生存を示す宝珠が砕けたということは、対象が死んだということだ。
そんな風にたて続けに複数の吸血鬼狩りが死ぬなど、ある一つの事情以外にありえない。
即ち――本物の吸血鬼との戦闘。
「……二十九人もの吸血鬼狩りを失い、さらに四人……」
力なく呟く大司教の耳には、同じ報告を聞いた隣部屋の司教達の声が聞こえていた。部屋が大きいため互いの距離は離れているのだが、普通の音量で聞こえる。おそらく、彼等が興奮して大声になっているせいだろう。
「生き残りは幼子なのだろう!? なぜ三人も返り討ちにされるのだ!?」
「やはり始祖の血ではないか!?」
「死んだ連中が集まったのはリーヌスの街だ! 今すぐ他の吸血鬼狩りをリーヌスに送り込むべきだ!」
「待て! 後で死んだヨルダンはライムント教会の大聖堂にいたんだぞ!? ロータル王国の王都だ!」
「あれは呪詛が治癒できずに死んだのではないのか?」
「報告をきちんと見ろ! 呪詛が治らず瀕死だったのは確かだが、治癒に当たっていた連中がこぞって失神したと言うんだぞ!? 目覚めた時にはヨルダンが塵になったいたと言うのだ! 吸血鬼が復讐に来たに決まっているだろう!?」
「大聖堂の守りの結界を突破するか……!」
「リーヌスで三人を討ち取り、王都に足を運んだとすれば、まさか、まさか、ここ聖都に乗り込んで来るのでは!?」
「バッ……バカを言うな!! そんなこと、そんなことあってたまるか!」
絶叫のような叫び声を聞いて、大司教はさらに深いため息をついた。報告の為に傍らにいた司教はやや困り顔をしている。
「いかがいたしますか?」
「規約通りに他の協会や吸血鬼狩りに連絡を取る以外、することはあるまい」
「ここの守りを依頼するのですか?」
「いや、こちらが得た情報をそのまま流すだけだ。それ以上はせん」
「……この神殿の守りはいかがいたします?」
「いつも通りで構わん。神殿騎士で守りを固めたところで、複数の吸血鬼狩りを葬るような吸血鬼に通じまい。人的被害が増すだけだ」
「では……吸血鬼が来たら……」
青い顔の司教に、大司教は椅子に深く背を預けて言う。
「忘れてはならん。大聖堂で治癒にあたっていた者達は『眠らされた』。殺されたのは吸血鬼にとっての仇だけだ」
「あ! た、確かに」
「教会は動かさん。わざわざ見逃してくれた相手を悪戯に刺激したくは無い。――そもそも、吸血鬼狩りの連中が勝手に始めだした戦いだ。勝手にやらしておくがいい」
「教会の中には、悪しき吸血鬼を討とうという者もいるようですが……」
「我らが神ライムントは、か弱き者を助ける為に戦いし御方だ。か弱き者を害していた化け物を退治したのもそのためだ。平穏を守る為に立つ我らが神の教えに従うなら、無辜の民を脅かす近隣の魔物狩りに勤しんだほうがよほどに教えに適うだろう。ただ化け物退治がしたいだけならジークムント神にでも宗旨替えすればよい」
ライムントは平穏の守り神だ。
そして今、世の平穏を最初に乱したのは吸血鬼狩りの方なのだ。
「いずれジークムント教会の方が何かしらの動きをするだろうよ。あちらは宝珠を保管していられないほど権力争いの激しい教会だからな。司教どもがこぞって動き出すだろう」
未だに喧喧囂囂とした隣室の声を聞きながら、大司教は誰に言うともなく呟いた。
「……本当に世の平穏を乱すのは、いったい誰なのだろうな」
※
「国境街から連絡が来ましたよ。あと、傭兵組合のパウル様がおいでです」
「国境街から? ああ、パウルはこっちに案内してくれ」
女性組合員から受け取った書類には、鳥便で届いたらしい薄い紙が丁寧に伸ばして貼られていた。カルステンは小さな文字を苦労しながら読み進めていく。
「おう。邪魔する――どうした?」
案内されたパウルが執務室に入室したのは、カルステンが顔を両手で覆ってしまった時だった。
「国境街の通信魔道具に教会から連絡があって、国境街から鳥便が来た」
「お、おう」
「吸血鬼狩りが四名、死んだそうだ」
「教会にあるっていう、噂の宝珠で感知したわけか……」
「そうだろうな」
「……戦争になるな……」
彼等は、その四名がこの街に集まった吸血鬼狩りだと誤解した。情報を短く纏めて連絡した文章では、彼等の誤解を解ける詳しい情報は書かれていなかったのだ。吸血鬼狩りの中に、わざわざ紛れるまがい物がいたなど誰も思いもよらない。
「吸血鬼狩りがこの街に集結するわけか?」
「いや、西に現れる可能性が高いらしい。詳しいことは分からないが、目撃情報でも出たのかもしれないな」
「あん? 迷宮から出て来たのか?」
「いや、それらしいのが来たら報告するように言っておいたが、今も報告は無い、が――なにしろ吸血鬼だからな」
「あー……吸血鬼なら姿を見せずに脱出するぐらい出来そうだよな」
「なんでわざわざ探索者組合で探索者になったのか謎だがな……あぁ、いや、吸血鬼狩りの連中を迷宮に誘導するためか?」
「追われているのが分かっていたから、おびき寄せたわけか。で、返り討ちにしたあと、吸血鬼狩りの大集団が集まる前にとっとと迷宮を脱して西に逃げた――か。頭いいな。こりゃあ、吸血鬼狩りの連中、あちこちで各個撃破されるんじゃないか?」
「まぁ、そうだとしても、遠い場所の話になるだろうな。うちは、一先ずは迷宮の封鎖を解除することから始めるか……数ヵ月はやって来る吸血鬼狩りがいるかもしれないが」
「西に逃げた姿が目撃されてるなら、この街を探しても意味は無いと思うが……ああ、登録名の情報があるか」
「ジェーンと、ドゥーな」
「女の方は珍しい名前でもなし、手掛かりになるのかね……」
「まぁ、組合間ではその名前で来た幼子の情報があれば共有するようにしよう。……意味は無いかもしれないが」
「何かしてないと連中がまた煩いだろうから、やっとくべきだな」
「そうだな。――ところで、お前、今日は何か用事があったんじゃないのか?」
気持ちのひと段落がついたところで、カルステンはパウルの訪問理由が気になった。パウルは何故か視線を逸らす。
「あー……いや、何か進展があったかな、と思ってな?」
実際のところ、パウルが密かに宿で養生させていたニコラスが旅立てるほどに回復したのを知って、何かあったのだと当たりをつけて探索者組合に来たのだ。予想は当たっていたわけだが、まさかこんなに早く吸血鬼狩りが全滅するとは思わなかった。だが、その死にさほど衝撃を受けなかったし、親を殺された幼い吸血鬼が生き延びたことに僅かばかりの喜びが浮かんだのは、ひとえに今の吸血鬼狩りの行いの悪さのせいだろう。魔物が横行する世界にあって、彼等は魔物に苦しむ人がいても放置する。そして吸血鬼と後ろ指を指された者を呵責なく攻め、惨たらしく殺す。そして、なにより悍ましいことに――犠牲になった者のほとんどは人間だった。
ほとんど世に現れることのない吸血鬼より、よほど質の悪い化け物だと言えるだろう。
(……ニコラス達の仇、か……どっちを仇と呼ぶべきなんだろうな……)
久方ぶりにこちらの目を見たニコラスは、ずいぶんと落ち着いた顔をしていた。――いや、憑き物が落ちたような、だろうか。
だが、ニコラスの生存はパウルの一存で隠している。ニコラスにも多めの金子を渡し、傭兵をしていたことは今まで通り隠して生きるように言ってある。戦争で恨みを買うことも多い傭兵は、自身の職を家族に隠すことも多いし、生家や家族のいる場所をみだりに吹聴しないことを組合で率先して教えているため、そうそうバレることもないだろう。だから、パウルも話題に出すことはしない。吸血鬼によって件の傭兵団は壊滅したのだ。――これ以上、化け物に関わらせることはない。
「まぁ、また何かあったら知らせてくれ。いや、ちょくちょくはこっちに顔出すつもりだがな」
「そっちの組合を放置して大丈夫か? 組合長」
「馬鹿言え。組合長はうちのじーさまだよ。ダイス勝負でそう決めたんだからな」
「……肩書だけ押しつけても、やってる業務が業務だと思うが。まぁ、よその組合のことに口を出すのは野暮だな。今度来る時は酒でも持ってこいよ!」
「おう、新ネタがある度に美味い酒を持ち込んでやるよ!」
その後、王国の西から北にかけての探索者組合で、ジェーンという木片の探索者証を持った黒髪の少女が現れ、それぞれの組合で大量の魔物素材を売却したという情報が一日毎にカルステンの元に寄せられることになる。
その間およそ半月。
幾度も酒をたかられたパウルは、次第に涙目になっていった。
※
「あれ? 貴族の旦那?」
久しぶりに良い獲物を狩れたため、朝市に出ようとしていた少年は前に見たことのある背の高い男に首を傾げた。小声の呟きが聞こえたのか、男が振り返る。
「久しぶりですね。ちなみに貴族ではありませんよ。御用商人のようなものです」
「なーんだ。いい服着てると思ったらそっちだったかー。今日も買い付け?」
貴族では無いなら問答無用で自分を切り捨てることもないだろうと、少年はざっくばらんに問いかける。「ええ」と頷く男に少年は目を輝かせた。
「じゃあさ、肉買ってくれよ。またあの大兎を倒せたんだ。血抜きもバッチリだし。いい肉だぜ!」
「ああ、あの肉は実に美味しかったですね。買いましょう。ついでにあの時購入したような香草や野草はありますか?」
「もちろん!」
気前よく何枚もの銀貨を煌めかせる男に、少年は喜んだ。さっさと品が売れてくれれば、その分また地下迷宮に潜れるし、あるいは体を休めるために休息に入ることも出来る。前と同じく食べ物関連しか買ってくれないのは、おそらく食道楽の貴族の命令によるものだろう。そう思った少年は、ふと傍らの子供の衣装が変わっていることに気づいた。長旅用なのか、地味な外套の下は厚手の上着とズボンに帽子という恰好だ。幼女だと思っていたが男の子だったのかもしれない。
「街を出るんだ?」
「ええ。――西の方の珍しい食材を探そうかと」
「そっか……いい旅になるといいな」
せっかくの金払いのいい客が街を離れてしまうことは寂しいが、この街ではよくあることだ。何気なく別れの言葉を告げた少年に、男と幼児はちょっと虚をつかれたような顔になり、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「ええ。……貴方の行く先にも、良き光がありますように」
「ありますように」
どこか神官の祝福のような言葉と仕草をする男に笑って、少年は残りの皮を売りに市へと駆けていった。
リーヌスの西門を出た後、森に入ってから気配と姿を消し、異常な速さで森を突っ切りるアルノルトの腕の中でリリーナは首を傾げた。
「ねぇ、アル。さっきやってたお呪いって、なぁに?」
「祝福ですよ。これでも一時、片田舎のジークムント教会で神官をやっていたことがありますから。脳筋が多いので、周りの魔物を殲滅してたら神官にスカウトされちゃったんですよね。おじいさんの姿に擬態していた時のことですけど」
「アルはいろいろやってるのですな」
「それなりに長生きですからね。――さて、路銀も増やしましたし、お肉も数日ぐらいはもつだろう量ありますから、一息に隣国の地下迷宮に行きましょうか。次は私も子供の姿で登録したほうがいいかもしれませんね。次の登録名は何にしましょうかね……」
「おにく! おにく!」
「ええ。牛肉祭りですよ。楽しみですね」
「楽しみなのです!」
影渡りで他の街に魔物素材を売りに行っていた間の留守番が寂しかったのか、売却が一段落した後からずっとリリーナが張りついてくるようになった。不在の時間はそれほど長くなかったはずだが、度々一人ぼっちになるのはやはり心細かったのだろう。少しばかり反省したアルノルトは、リリーナの気のすむまで好きにさせてある。
かつてリリーナが暴走していた時の『死の領域』――暴走した『吸魂』による痕跡が西から北に転々としていたので、誤解を後押しするために売却先も西から北の探索者組合や皮細工組合を選んで転々とした。それで全ての人間を騙せるとは思わないが、追手を分散させたり情報を攪乱させることは出来るだろう。
一番気を付けないといけないのはリリーナの絵姿を記録されることだが、だからといって四六時中フードを被って俯かせるわけにはいかない。子供の教育に良くないし、なによりせっかくの旅を楽しめないのは可哀想だ。幻惑の魔法や変身の魔法を駆使すれば、リリーナが自分で変化できるようになるまでの時間ぐらいかせげるだろう。保護者として、それぐらいはするべきだとアルノルトは思っている。
「アル、また考え事なのです?」
何故バレるのだろうと思いながら、アルノルトはリリーナの小さな頭にコツンと顎を乗せた。
「貴方がどんな風に成長するのか、楽しみだなと考えてました」
「期待していてなのです! すっごいびじょになってみせるのですよ!」
「……そういう成長では無いんですけどね?」
何故か鼻息の荒い幼女を抱え直して、アルノルトは笑う。
人の世は相変わらず殺伐としていて、少し姿を現すだけで面倒事が山と押し寄せてくる。
それを憂鬱だと思う反面、出会った幼子の存在に心を癒されるのを感じていた。
以前、食事で『満腹』になったのは、いったいどれぐらい昔のことだっただろうか?
年経た吸血鬼が食事で満腹感を覚えることは稀だ。
――それは、心が満たされるということなのだから。
「――今は楽しみましょうか。この旅を」
憂鬱な事の多い人の世界は、それでも広大なのだから。
お題「吸血鬼」「幼女×青年」「憂鬱」「400字×100~120以内で完結」




