23話 誘い
シノの姿が消えると、ドラゴンは身を起こした。
全身に巻きついていた縄はもうない。
アミちゃんが心配そうに走り寄り、大きな首筋をゆっくり撫でた。
ドラゴンが咆哮する。悲愴な鳴き声に聞こえた。
一方、こっちにも近づいてくる人物がいた。
オレの主人ということになっているユーリアだ。
試合内容はともかく、観衆の目にはオレが勝ったように映っている。したがってユーリアこそが勝者であり、普通ならば少しは鼻が高い気分でいるはずだ。
しかし彼女は身を小さくし、俯きながら歩いている。大勢からの視線に怯えてのことだろうが、もっと堂々としててくれよ。別に難しいことじゃないはずだぞ? でもまあ、性格だから仕方がないか。あっ、コケた。
床に伏すユーリアを追い抜いてきたのは、彼女の同級生たちだった。
「お見事でした。さすがは山神様ですわね」
声をかけてきた一番手は、シャナレミアだ。
「わたくしたちの誇りに、傷がつかずに済みました」とビウメラが続いた。
「敗北されたときのお姉様方のお顔ったら……。ふふふ。それを拝めましたのは、あなたのご活躍のお陰です」と、はしゃぐのは雫型イヤリングの生徒だった。
ようやくユーリアが立ちあがり、こっちにやってきた。
彼女は何かいいたそうだが、じっと黙っている。
ん? どうした。かける言葉があるだろ。『オメデトウ』とか『アリガトウ』とか『アイラブユー』とかさ。ほら、いってみ。
「んぐ……」
やっと開口したと思ったら、んぐ、ってなんだよ。
あっ、コイツ、目を逸らしやがった。
だけど嬉しそうな顔だった。許してあげよう。
ふたたび目を合わせてくる。
なんだ。
こんな近い距離なのに手招きしている。
えっ、耳を貸せってか?
少し屈んでやると、ユーリアが顔を近づけてきた。しかし彼女の小さな口は、耳元を素通りした。その唇が額に到達。
体がぬいぐるみに吸収されていく。
おーい。なんのつもりだよ。
彼女はぬいぐるみを抱きしめ、頭頂部に頬ずりを始めた。
「お疲れ様」
その言葉は、オレが顕現しているときに、ちゃんと目を見ていえって。
ま、いっか。
アミちゃんはドラゴンから離れ、こっちに歩いてきた。
ユーリアの前で足が止まる。
二人は向かい合った。そこに何やら異様な空気を感じた。
くっ、苦しい……。ユーリアの腕に力が入り、ぎゅっと締めつけられている。ぬいぐるみ状態のため、いかなる抵抗もできない。
アミちゃんが微笑むと、ユーリアは気後れしたのか、小さく数歩後退するのだった。『にらめっこ』の勝負ならば、先に笑ったアミちゃんの負けだが、この場合はユーリアの完全な負けだといっていい。
おい、ユーリア。逃げるな。もっとしっかりしろ。
「お待ちになって、ユーリアさん」
ユーリアは怯えながら体を丸める。
「怖がらなくてもよくてよ。あなたの使い魔とお話がしたいのだけど」
「だ……め……」
ユーリアはぬいぐるみを抱えたまま、その場を走り去ってしまった。
おい! 止まれ、ユーリア。逃げなくったっていいだろ。オレもアミちゃんと話がしたいんだ。久々の再会だったんだぞ。
背後からアミちゃんの声が届く。
「凛くん。きょうの放課後、校内カフェで待っているから必ずきて」
いく。いきたい。
だがそのためには、ユーリアから解放されなければならない。
ユーリア、オレにいかせてくれ……。
午後の授業が始まった。
この授業が終われば、いよいよ放課後となる。
オレは依然としてぬいぐるみのままだった。
授業の間、体を動かそうと必死になった。むろんアミちゃんに会うためだ。
動けぇー。手よ、足よ、尻尾よ!
しかしぴくりとも動かない。
どうにか顕現したい。このぬいぐるみから抜けだしたい。
それができるのはユーリアとシノだけだ……。
シノ、いるか? シノ、オレの心の声が聞こえるか?
やはりテレパシーなど通じないようだ。
どうしよう。このままではアミちゃんに会いにいけない。
チャイムとともに、この日の最終授業が終わった。生徒の誰もが帰途に就こうとしている。当然、ユーリアもいまから帰ることになる。
ああ、アミちゃんに会えないのか?
ここで教師がユーリアを呼び止めた。
ぬいぐるみのガオちゃんをじっと見つめている。
「ユーリアさん。ランチタイムに競魔稽古を見させていただきました。使い魔の山神は、そのぬいぐるみに宿されているのですね」
ユーリアは黙って小さく首肯した。
「稽古とはいえ、ドラゴンを倒してしまわれるなんて感服しました。是非、もう一度その姿を拝ませてくださいませんか」
「えっ……」
彼女は少しの間、迷ったようすを見せていたが、結局ぬいぐるみの額に口づけするのだった。
そこからオレは姿を現した。
「ありがたい。山神をこんな間近で……」
教師が体をべたべたと触っている。
この姿になれたのはアンタのお陰だ。感謝するぜ、先生。
「先生、もういいだろ? これからいくところがあるんだ。ユーリア、ちょっと用事を済ませてくる」
校内カフェというところで、アミちゃんが待っているのだ。
「凛、駄目。おうちに帰るの。校門の外で馬車が待ってる」
オレは無視して教室をでようとした。
「いっちゃだめ!」
体が動かなくなった。
不幸なことに使い魔のオレは、主人であるユーリアの命令に強制されてしまうのだ。
くっそー!




