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よくある話。  作者: 唐子
【余話。】
23/23

【去る如月の末のこと。】

お姉さまと幼なじみの密談の話。


去りし12月6日は『姉の日』だったそうで、確かいいところまで書いていたなと仕上げた次第。

前半はお姉様の独白形式、後半は、幼なじみの彼との対話形式です。

読みづらいかと思われますが、よろしくお願いいたします。



 冬天の晴れ間についと足を向けた先の公園で、妹の幼なじみと邂逅した。

 邂逅、というのもいささか語弊があるかもしれない。

 正しくは、“待ち伏せされた”。(わたくし)の主観で言えばこれだ。


 冬枯れて寂しい木立の下のベンチの端に座して促せば、するりと猫のように彼もまた私とは反対側の端に座る。

 私は暗赤色のウールの上套、帽子、手袋にブーツ、彼も仕立てのよさそうな墨色の上着に落栗色の襟巻で、防寒にぬかりはなく。

 多少、話が長くなっても障りもない。

 珍しくも話を切り出しあぐねている彼の姿に、少しだけ溜飲も下がったので、ここは私から切り出してあげよう。

 これでも、年上であるので。




 * * *




 お元気そうね。そろそろ来ると思っていたの。

 夏はたいしたお話もできなかったから。答え合わせが欲しいのでしょう?



 あら、買い被っていただいてありがとう。(わたくし)も、貴方のその、見る目を高く買っているわ。だから、多分、ほとんど認識に齟齬はないと思うのだけど、それでも答え合わせ、する? あ、そう。



 そうねぇ……あの子に関する私の一連の行動が、大雑把で、行き当たりばったりなもので、私らしからぬというなら、それは正解なのよ。

 私は、正しく行き当たりばったりで行動していたのだもの。


 ええ、知っていたわ。私があの子のあの人と行動する寸暇の時間が、他人からどう見られ、受け取られるかなんて、火を見るより明らか。承知していましたとも。

 承知の上で、私、あの子に誤解を差し上げていたの。


 怒っているわねえ。あらあら、分かりますとも。私が普段お相手する海千山千の方々に比べたら、同世代で頭一つ抜けていても、貴方はやっぱりまだまだ年相応よ。うふ、まあ、いいわ。そうね。


 悪意がなかったか、と言えば嘘になるわ。


 いやだ、驚くことないじゃない、白々しい。とっくにお気づきでしたでしょ?


 私、あの子が、妹が嫌いだったのだもの。





 貴方もご存じのとおり、私の身持ちはとても悪い。

 女の身、たかが子爵の小娘の身で、男並みに動き、労働し、多少なり名声を得たこの身は、時代に、世相に、この国の常識にそぐわないでしょう。

 身の程もわきまえず突っ走りながら、それでも結果はもってくるのだから、殿方にとっては小生意気でしゃらくさくて、とても目障りでしょうね。


 あら、おべんちゃらは結構よ。私これでも、己への評価は正しく認識しているつもり。


 出過ぎた杭は打たれる。真理だわ。妬心は老若男女の垣根なく降りかかる災禍ね。出来すぎても駄目。出来なさ過ぎても駄目。人の心の揺れ動くさまは、一人では些細でも、集まれば暴力になる。それは、どこでも、どんな理由付けでも。

 その点、功利というのはよいわよね。

 そこに好意も悪意も、男も女もない。評価と実績がものを言う。そんな世界があったらと、願わずにはいられない。幻想だけど。

 確かに私は、多少なり才ある者だった。これは事実でしょう。でもそれが、万民受けするかと言えばそうではない。


 あの子の言うほど、私は周囲に崇拝されているわけではなかったわ。むしろ嫌厭(けんえん)されていたと言ってもいい。

 ふふ、思い当たる節があるでしょう? 皆様、私への『ご要望』がとてもとても多くて。

 ええ、それがどんな無茶なことでも、売りつけられた『喧嘩』を買わないなんて、そんな無礼な真似は、私には、とても、とても。すべて、熨斗をかけて丁寧に返礼させていただいたわ。『ご要望』を上回る『結果』がお礼になっていれば、ですけれど。

 ええ、『結果』に伴った『なにか』に、あちらに不都合が生じても、それは私のせいではないですしねえ。痛い目を見ても繰り返す方って、どこに勝機を見出しているのかしら? 御存じ?

 煩わしいことは煩わしいけれど、悪循環でも、やりかえさないという選択肢はないの。それは貴方にもわかるのではないかしら? ……と、話が逸れたわね。


 目立った才は、人の目につきやすく、口に上がりやすい。それは誰でも同じ。それをどういなすかは、その人の品性に拠るでしょうね。

 私にとって、陰口も誹謗中傷も、賛辞も称賛も、みんな一緒。ただの評価でしかない。

 私はその評価を享受した。私にとってそれはただ事実だったから、いずれ知れることを強く否定も謙遜も出来なかった、し、しなかった。

 これは受け流すこともその裏を探ることもできなかった、私の幼さ。このころはまだ、私にもかわいげがあったわね。


 けれど、美々しい言葉や態度の裏に含まれる嫌悪や侮蔑は、当人が思うより隠せるものではない。


 当然のように礼賛の裏には妬心が、麗句の後ろには蔑視がついていた。

 そんな嘘寒々しい周囲に取り囲まれて、私は出来上がったの。



 そういう感情に敏い方だったし、体面を守るための嘘は容易につけた。

 ぴーちくさえずる鳥の声の内容を理解できなければそれは環境音でしかないけれど、でも、わかってしまってはね。煩わしいわよね。

 同じようにさえずってやってもよかったのだけど、そんなの、ねえ? 同じ枝に移ってやるには時間がもったいないじゃない?

 だからこそ顔をあげて、微笑んで、誰もが否定できないものを身に着けて、堂々と。


 貴方もご存じでしょうけど、世間や社交界ってそんなにきれいなものじゃない。

 煌びやかなようでいて、その裏ではいくつもの思惟が張り巡らされている。

 初めからそんな、きれいなばかりじゃない裏側ばかり見ちゃったものだから、こんな私が出来上がった、とも言えるかもしれないわね。いえ、それは責任転嫁のし過ぎか。

 成るべくして私はこうなった。こんな人間、それこそざらにいるわ。貴方だって知ってるでしょう?


 なんにせよ、私はそこまで人好きのする人間ではないという話。



 ――本当に人に好かれるというのは、あの子の方よね。


 そうね、幼いころは、鈍臭くて、よく泣いて、すぐに我が身を嘆いて、よく立ち止まるあの子に、ヤキモキしたものだわ。

 自分が身につけるべき素養でつまづくことも、悩むこともなかったから。とても苛々した。何故こんなことも出来ないの、って。


 私は、挫折らしい挫折を知らなかった。だから、『出来ない』ことに共感ができない。すべき努力に立ち止まってしまうことに理解が及ばないから、停滞を無意味と断定してしまう。貴方にも覚えがあるのではなくて?


 でもあの子は違う。

 泣いて、出来ないことを恥じて、立ち止まって、でもまた歩き出す。歩みは遅くても、一歩一歩確実に前に進む。自分のモノにする。

 『出来ない』を知っているから『出来ないこと』に寛仁で、歩みが遅いから、周囲を見渡す余裕がある。周りの気持ちに寄り添うことができる。

 自分の歩みも遅いから、人の歩調に合わせることも苦じゃなくて、あの子は、立ちすくむ人に手を差し伸べることを疑問にも思わないし、ためらわない。

 卑下の塊のようなあの子は、だから、大抵の人に尊敬と尊重でもって接せた。

 自分事を優先するより、他人事に骨身を惜しむことに価値を感じるようになってしまった。そうしてしまったのは環境もあるけれど、あの子の資質でもあったの。


 私の周囲には、たしかに人が集まってきたわ。

 家柄に(たか)る者、容姿に集る者、才に集る者、集る周囲に利を見つける者。誰もが何かしらを享受しようと集まる。

 あの中で、正しく私自身を見定めた者は少ない。……数少ない彼らは私の宝よ。彼らがどう思おうとね。


 損得勘定でしか量れないようなその他大勢の人垣に、何の意味があるのかしら? 少なからず人を見る目と情報を抜く耳は養われたけど、それだけよ。どんなに人に囲まれようと、美辞麗句を捧げられても、虚しさがつのるだけ。


 あの子の周りはね、違うの。

 あの子の周囲に集まる人は、ただ、あの子が好きなの。

 あの子が好きだから、あの子のそばにいたいから、あの子の周囲に集まるの。そこには利も得も何もない。

 足りないあの子の足りない部分が、あの子の周囲をやさしい世界にしている。人の和を醸している。


 それに気づいた時が、私の初めての挫折ね。そしてそれは、初めての劣等感になった。



 あの子に嫉妬したわ。

 あのころ、私が虚しい人垣に辟易しながら寒々しい腹のさぐりあいをしている裏で、あの子が温かな人間関係を築いていることが、羨ましくて、憎たらしかった。あの温かな和の中心にいるのが、私でなくあの子なのがとても羨ましかった。


 同時に気がついた。

 私は無意識に、あの子を見下していた。私より劣ると、足りないと。庇護すべき弱者だと。そんな気持ちに気がついて、ぞっとしたわ。


 あの子は……気がついていたはずなの。さっきも言ったでしょう?

 言葉や態度の裏に含まれる嫌悪や侮蔑は、当人が思うより隠せるものではない。

 私が気がついたように、私の侮蔑を、あの子は。


 でもあの子は、変わらず私のそばにいた。妹として、私を尊敬し、姉として立ててくれた。恥ずかしかった。知らず驕ってのびきっていた鼻っ柱を叩き折られた気分だった。

 でもそれ以上に、そんな私を受け入れるあの子の器の大きさに気がついて、驚いたのよ。


 才あるだけでは駄目なんだと、あの子が教えてくれた。

 でも私は、己の才でしか物事を進められない。私にはこれしかない。


 今回の、敢えて騒動というわね。今回の騒動でも、あの子は人に恵まれている。

 手を貸したいと、助けの声を上げるまで根気よく待ってくれる、あの子の想いを大切に掬い上げようとしてくださる人が、たくさんいてくれた。

 あら? ふふ、そうね、うれしいのよ。損得なくあの子の助けになりたいと言ってくださる人の多さが、私は本当にうれしい。


 私にはない才で、私が欲しかったものを得ているあの子を尊敬するわ。

 でも沸々と、憎たらしい気持ちも生まれるの。それが、あの子たちのすれちがいを知りつつ、助長させてた大きな理由。無いものねだりのただのいじわるよ。




 どうかしら? これでも、まあ、私にしては正直に話したつもりなのだけど。

 そうね、要は、安っぽい懺悔ね。



 嫌いで、でもそれ以上に好き。私のかわいい、大切な妹。




 * * *


「そこまで御自分を露悪的に卑下することはないと思いますが」


 ようやく口を挟んだ彼の方へついと視線をやる。

 乾いた風に前髪を揺らし、薄ら笑いを浮かべ傾聴する男に、こちらも笑んでやる。


「そう聞こえたかしら? でも、貴方、怒っていたのではなくて?」

「おや、それは心外な。私が私の女神に対し怒りを感じるなど、そんな、畏れ多い……」

「茶番は結構よ。それで? お望みの言葉を、私は吐けたのかしら?」


 にっこり小首を傾げて促してあげれば、彼は、妹の幼なじみは、臆することなく薄ら笑いを続け、しかしすぐにあぐねたように小さく肩を落として見せた。計算づくのあざとさだが、可愛げはあった。


「私は怒っていたのではなく、疑問に思っていたのです。貴女ほどの方が、こうも後先を濁すような雑な真似をする真意が、どうにも慮れなかったので」

「まあ、上げているようで絶妙に落とした素敵な言葉。正直におっしゃっていいのよ? 『妹に甘えて八つ当たりするのはやめろ』って」


 忌憚を取っ払うために挑発してみる。ニッコリ笑って出方をうかがえば、かくしきれない苛立ちがこめかみをわずかに波打たせたのがわかり、内心でにんまり笑う。嗚呼、愉快。これだから彼を揶揄うのはやめられない。私の悪い癖。

 この男だって、口でどう言いつくろうとも、行動は妹のためそれでしかない。訓練された老獪さの後ろの青い情動に、ほほえましい気持ちがわく。


 そう。どう屁理屈をこねようと、今回の騒動における私の行動の真意など、八つ当たりのそれでしかなかった。

 理由は、先に述べた降り積もった僻み以外にもたくさんある。と、いうか、ほぼこれ。


 私は妹に醜い妬心を抱いている。劣等感という意味でも、恋愛的なアレコレでもっても。


 今は通じ合っていなくとも、想う相手と縁付けたことへの羨望。

 叔父様への攻勢がはかばかしくないことに対する苛立ちと焦燥。

 叔父様と妹が、私などよりよっぽど良好な関係にあることへの妬心。


 自分の恋愛がうまくいかないから、妹夫婦を突っついて憂さ晴らし。最低だ。うつくしくない。自覚はある。

 あまりに進展のない二人に我慢しきれなくなった私の短慮が、事を大げさにした。それについては申し訳なく思う。けど、後悔はない。


 元より、私の見立てでは、あの二人ならば真実想い合う夫婦になるまで、そう長い月日を要することはないはずであった。

 時間をかけ、たくさんの感情を昇華した二人が、穏やかに寄り添う未来は容易く想像できる。こんなに性急に事を動かすことも、あの子が傷つく必要も、誰かが泥をかぶることもなかった。

 職務において現在は殺人的な多忙を極めるあのヘタレの事情も、割と流されやすく自己卑下の激しい妹の性格も知っている。

 二人が寄り添うのに一番必要なのは時間であることは明白で、周りもそれを認知していたから半ば放っていた、というのは彼らの身近なものには周知の事実だ。


 でも、それでは嫌だったのだ。


 昇華し過去にした感情を語り合い、共有するのも素敵だ。悪くない。根っこが温厚なあの二人には似合いだろう。


 けれど、それは『今』をないがしろにするのと、どう違うのか。


 二人はすでに、公に認められた夫婦であるのに。今、同じ時を過ごしているというのに、どうして今、相互理解を進めないのか。あのヘタレは、頑固な妹は、お互いが許される立場にあるのに、何故ためらうのか。諦めるのか。

 今すぐお互いが幸福になれる道が、目の前に広がっているというのに、臆病風に吹かれ見ないふりをしている。

 婚前婚姻直後から変わらない二人の様子に、未だ一方通行な恋情を途している私は苛立ち、一応はこらえ、結局思うがまま動いた。


 二人の関係を進展させる一石を投じる。


 大きなお世話は承知の上。はた迷惑な自己満足でしかない。

 勝算は大きく見積もって八割。私は賭けに勝った。

 あのヘタレはヘタレだが、私をして並大抵でない執着心を妹に対し持っている。そんな彼が、おめおめ妹を手放すような間抜けはするまい、というのが大前提の予想で、それは実際事実だった。

 予想を大きく外したのは妹の方で、家出なんていう斜めな行動に内心焦ったのは秘密である。それでも結果的に見れば、真面目で素直な分頑固な妹の自我の芽生えは喜ばしいものだった。


 この噂で少しは叔父様の気を惹けるのではという、下種な下心もまあ、少しはあった。ほんの少し。

 こちらは大敗で、叔父様の鈍感と察しのよさを思い知らされただけの結果となった。

 妹夫婦に対する活入れだけは正しく伝わり、含まれた私の細やかな思慕は受け取られなかった。分かり切っていた結果に今更落胆はない。少し、悲しかった。それだけだ。

 何の説明がなくとも、せざるを得ない理由があるのだろうと察してくださる程度には、私の弟妹への情を理解してくださっていると、喜びに浮かれる反面苦々しい思いが湧いたのはまだ生々しい記憶。苦言を呈された際の苦笑が忘れられない。これは自業自得なので粛と受け止める。


 妹夫婦は、傷ついたけれど、いらない波風は立ったけれど、向き合うことを恐れることはなくなった。

 二人は、『今』を幸せに生きようとしている。

 私は、これが見たかったのだ。


 絶対に口にしてはやらないけれど。




「貴女ほど複雑でわかり易く、難解でいて単純な方はそう居ないでしょうね」


 彼は溜息の白い凝りと一緒につぶやいた。それでも薄笑いは崩さないのだからご立派だ。手袋をした手で拍手をしてやる。


「まあ、貴方、本当に褒め言葉が下手なのね」

「私一人くらいは、貴女のその手厳しい表裏一体の愛情表現を存じていたって、差し支えないでしょう?」

「そうね。貴方なら、別に構わなくてよ?」

「ああ、そのようなおっしゃりよう、駄目ですよ女神。愚かな信者は容易く天に召されてしまいます」

「ふふ。ねえ、あなた最後まで『それ』なのね?」

「はて、なんのことやら」


 しらばくれようとする彼に、今度はこちらが溜息を吐いてやる。


「私のこと女神だなんだと()()しておいて、最後まで言いたい放題」

「それは心外な。この気持ちに嘘はございませんとも」

「でも本当でもない」

「それは仕様がありませんね。私は、これでも商人ですので」


 神妙に微笑む彼に、お行儀悪く膝の上でほおづえをつきながらうなずいた。知っている。

 この青年が、物心つくかつかないかのころから、もしかしたら生まれた時から骨の髄まで商人であり、損得勘定でしか動かないのは。


 こうしてつかずはなれず私の周りにあらわれるのは、私に利用価値があるから。

 彼もまた、私の周囲に集る大勢の一人にすぎない。中でも彼は、明確に利用しようとする類の輩。


 私が嫌忌しながらも利用してきた彼らの中に、この青年が率先して介入してきたのは、ほぼ初対面から。

 私の出入りする階級や社会の生きた情報、流行、人物評価、それらの情報を求めたのは、彼が大店の跡取りだからだろうことは明白だった。帰属意識の高さは初対面からにじんでいた。ともなった矜持の高さも。

 本来距離を置く取り巻きに、こうして一歩踏み出してくるのを許しているのは、彼が信頼できる親戚からの紹介であったことと、ここでも妹の存在がある。


 妹の幼なじみとしての彼は、誠実であった。


 妹のことも私同様利用しようとしているのなら、いくら信頼できる筋からの紹介でも許さなかった。

 その時私に出来るすべてでもって叩き潰す用意はあった。しかし、そんな機会は終ぞ来なかった。

 いつの間にか偶像を崇拝するような距離感で私を持て囃し始めた彼は、妹相手には素直で、年相応だった。そこに嘘はなかった。そういう嘘に、私も妹も敏感であったから、そこにあった“本当”に、彼の誠実をみた。

 彼はじつにうまく、私を利用した。その巧さと、妹に対する誠実さに敬意を払い、落とせるものは落としていた。


 (ハナ)から妹有りきの、利害関係しか築いていない彼とは、煽て上げるようなつまらない茶番がなくたって、うまく引きまわしてやることは可能だったのだ。

 それが勘弁ならなかったのは彼の方で、いつだって彼にとっての等価を支払ってくる。おべんちゃらは駄賃とでも商売相手への最低限の敬意とでも思っているのだろうし、私もそう流していた。


 そも、妹の幼なじみであるなら、私の幼なじみであってもおかしくはないのだ。その方が交流していて自然である。

 でもこの男ははじめから、私から一定の距離を置いた。

 その根底にあるのは同族嫌悪。

 崇拝、賛美、憧憬、それらで飾った言動を取っ払ってしまえば、そこには私に対する威嚇がある。


 お互い初対面で察したのだ。此奴はムシが好かない、と。同族嫌悪は、私も同じだった。

 ただ私の方が経験値があり、それを上手に隠せただけ。幼い彼がすぐに隠したほんの少しのゆらぎを、恐らく正確に読み取った。


 女のくせに身分や年齢において一段上をいき、立場上見上げなければならないというのは、どんな気持ちなのか。

 存外、古臭い男なのだ。弱い女子どもは守って然るべきだと固く信じている。それができるだけ己を鍛き上げている。

 恐らく、私と彼の能力にそれ程の差異はない。とりまく環境と、それによって重ねた年月と、経験の違いでしかない。それが彼にもわかっているのだろう。


 彼の中で守られるべき場所に置いておけない女が私で、しかも能力的に上位にあたり、それが年輪分でしかないとわかっているから目ざわりなのだ。そういう気持ちはわからないでもない。上には上がいるものなので。


 そこで軋轢を生まないための、あの崇拝で、この距離。

 彼に備わった商人としての直感と、冷徹な計算、鋭い洞察力でくだされた、厳密な隔たり。距離感。幼かった彼が意図して作り上げた、私に相対するための虚像。

 賢い男だ。そして小賢しい。しかし使える。

 それだけのものを提示して、彼は私の崇拝者をうそぶく。差し出せる手は貸し、恩を売りつけ、一定以上近づくことを許さない。

 今となっては面白い男だ。内心では嫌がるだろうが、私は彼が嫌いではない。わかり易いだけ、彼はまだましだ。


「じゃあ、商人さん。これからも私の愛しい弟妹を、つかず離れずよろしくしてくれる?」

「おや、含みがありますね」


「配慮というものよ。そうじゃなきゃ、辛いのかと思って」


 束の間ののち、ざわり、と隣から伝わった威迫の気配は、ひゅるりと一風が通り抜けるまでに消えた。

 前に向けていた顔を横向きに直せば、平素と変わらない男の顔。ふむ、とひとつ頷いた。


「なるほど?」

「……いつからですか?」

「あら、貴方は上手だったわ。ただ、ほら。私はそういう感情に敏いから」


 わかってしまうだけ、と続ければ、沈黙で返された。これほど雄弁な沈黙はなかろう。


「安心していい。他言はすまい。私はどうせ、この国からいなくなる」

「……一週間後の、上海行きの便をとったと」

「ああ、やっぱり。だからこの機会だったのね」


 意地悪く笑ってやれば、今度は気まずそうに視線を外した。本当に久々に見る取り繕えていない彼に自然な笑みが湧く。

 私の船便の手配をどこからか関知し、出港からさかのぼって今日しかないと踏んだのだろう。

 そして彼が本当に知りたかったのは、私の妹に対するねじけた感情でもあるまい。


「――言葉にするつもりはないのです。いつかなくなる。温かなだけの想いになる。してみせる」

「私は言わないといったよ」

「貴女の懺悔を聴いたのですから、私の懺悔も聞いてくださっていいでしょう?」


 貴女はこの国からいなくなる。


 なるほど、本当に聞かせたいのはここからだと。


「それを私が聞いてやる義理はあるのかな?」


 唇の端を持ち上げてみせれば、二拍おいて彼は大きな白い息のかたまりを吐いた。


「いじわるなお方だ」

「手綱を許すものではないわよ。感情の制御に精進なさいな。もう少しは堪えられたはず。揚足をとりたいものはそこら中にいる」

「精進いたします……」


 ほんの少しだけ寄せられた眉根の幼さがほほえましく、吐息で笑った。


 まだこの国にいたころ。一介の子爵令嬢としてふるまい、長子としてあの子たちの姉として気を張っていたころ。


 当時の当家は、今ほど安心できる家じゃなかった

 当主夫妻の留守をいいことに、我欲に溺れ私利私欲に走る親族が横行し、主家である私共一家を軽視する者が蔓延っていた。すなわち、国に残された私達三姉弟は、非常に肩身が狭い中で物心がついた。

 異国に住まう両親はあてにはならず、隠居した祖父母は不在がちで、留守居を任された小父さまは象牙の塔と子爵家の切り盛りで手いっぱい。


 そんな中で、幼い妹と私、頼れるのは互いしかいなかった。後継たる赤子の弟を、自身の身を守れるのは、私達だけだった。

 常に気を張り、落ち度のないようふるまうのは、そこに付け入る隙を与えないため。わかっていても子どもにはむつかしく、心無い言葉なんて驟雨のように受けて育った。

 だから味方を増やす。慎重に、確実に。祖父母や大叔父たち、小父さまが少しずつ紹介される方々は、彼らにとってもは味方でも、私共にとってはそうとは限らない。子どもながらに選別眼は厳しいものであったと思う。そうした中で引き合わされた商家のひとつが、この彼の家だった。


 実を思えば、妹の嫁ぎ先はこの男の元だと思っていた。

 実際、幼いころからの顔合わせは、大人たちのそういった意図もあっただろう。可能性の中で、妹の相手としての最有力はこの彼だった。

 年巡りも頃よく、華族の子女が嫁すにして家相にも家格にも資産的でも問題はなく。さらに幼い時分は特に人見知りが激しかった妹にしては、珍しくよそ行きでない軽くも辛辣な会話を交わせる間柄。


 きっと、伯爵家継嗣であるあの男の隣に立つよりは、商家の夫人となった方があの子は心安く暮らしていけた。単純に性質が向いているのだ。あの子は人の足りないところをそっと支え、補佐することに長けているから。息を吸うように人を気遣うあの子は、伯爵夫人でも商家の女将でも、きっとうまくできる。

 あの男か、この男か。違いはこれだけ。たったこれだけの違いがとてつもなく大きな違いで、決定的な違いでもあった。


 実のところ、この男とあの男。ふたりはよく似通ってはいる。裕福な家の跡取り、優れた能力、見られた容姿。そして中身。とくにあの子に対する想いの掛け方がそっくり。

 一ッ言だって口にしないくせに、瀑布のような勢いと膠のような粘っこさ、巨石より重っ苦しい感情で妹のことを想っている。あの男はわかりやすいが、この彼は本当にうまく感情を隠していた。実をいうと、先ほどの反応で確信できたのだ。それまでは確信六割八分といった感であった。私が気づけたのは、まぁ、私自身に似たような気質があるからで、同族のにおいをかいだようなものだ。


 けれど、妹が思慕を募らせたのは、気を許した彼でなく、あの男の方で。


「あの子のこと、これからもよろしくお願いいたしますわ」

「懐に入れた者はこれでも可愛がるほうですよ」


 裏切らない限りは。言外にそうにおわせて笑む彼が、少しうらやましい。

 彼にはまだ、決定的に薄汚れた、裏切りの気配と匂いがしない。

 小利口に悪ぶってみせていても、他者を陥れたことのない清潔さがある。

 家業にしてもそう。彼の一族は総じて綺麗な金を使う。やましいことで利益を出さない。それが徹底しているからこその、この清潔感なのかもしれない。

 潔癖な商売が信頼を呼ぶ。それを地で行く彼と彼の一族には、これでも信を置いている。そうでなければ、幼なじみと呼べるほど妹に近づけなどさせなかった。


 彼の中の損得なしに動く数少ない中に、妹が入っている。

 それがいつまで続くかはわからない。しかしてこの彼が自分やあの男と似ているのなら、その情は、形や名を変えても一生残り続ける。


 ままならないなと思う。それが人生だとも思う。人の心ばかりは、誰にも矯正できない。

 進退の決定権を親兄弟に握られている女がほとんどの世である。華族はさらに、法の下婚姻の自由などほぼないに等しい。そんな世において、妹は幸運にも、選択の自由を得た。

 どちらを選んでも反対はなく、どちらを選んでもあの子はゆたかに暮らしていけただろう。

 恵まれている。

 私たちは、恵まれている。

 面倒な親族に頭を悩ませそれなりの苦渋を舐めたけれど、この国で衣食住に困ることはなく、基本的にこの身と意思を尊重されてここまで生きてきた。それがどんな幸運か、本当の意味で私は知らなかった。


 留学し、向こうで暮らして身に染みた。

 言葉や肌の色、習慣による迫害、好奇の目。侮蔑も嘲笑も母国の比ではなく、私個人というものをこれでもかと貶められた。鼻っ柱は根っこから折られ、存在から否定され、ないものとして扱われる。どん底の底が抜けたところからの始まり。それが留学生活だった。

 留学を以って、この国にいたころの私が、如何に甘ちゃんで、世の中を舐め腐っていて、社会の不条理から遠ざけられた上澄みの中で生きていたか、ようやく思い知ったのだ。


 その零以下の状況から這い上がって、今の私がある。肥大した自意識は木っ端みじんになった。留学前あれほどに心狂わせた小父様のことを思い出す暇もないくらいには、毎日必死だった。そうでなければ暮らしていけなかった。

 そうしてつくづく分かったのは、誰といようがどこにいようが、私は私としてしか生きられないということ。私という生き方を変えられないということ。

 木っ端みじんになって残ったのは、私というものの自我だ。矜持といっていい。侮蔑も迫害も飢餓も私を傷つけなかった。私が私たらしめているものの正体を握りしめた、あのときが私の第二の産声を上げた瞬間だったのだろう。まあこれは今する話ではない。


 恋を失ったら、死ぬのだと思っていた。それほどに小父様を想っていた。味方の少ない身の回りで、ほとんど唯一こころ許した異性だった。私を甘えさせることができた、ただひとりのひと。その甘やかしが私を狂わせた、誰より優しくて、誰よりひどいひと。

 この人に嫌われたら世界が終わるのだと思っていた。傲慢で視野狭窄な、わがままでいとけない少女の恋。

 けれどそんなことはなかった。恋のすべてを失っても、今私は日々を暮らし、新しい価値観をもって過去の私を俯瞰している。



 木っ端みじんになった上から新しく作られた私という張りぼてを、私は気に入っている。




未だ急に読者数が増えていたりして驚く作品です。読者の皆様にはご高覧賜り

感謝の次第でございます。


割と悪印象の感想をいただくお姉さまの内面と、幼なじみの秘密の話。


幼なじみがボロを出すか出さないかで止まってしまっていたのですが、お姉さまの内面をほりほりしていくうちにボロが出る方向に舵が切られました。かわいそう。しかし彼も七割の好奇心で行動しているので割と自業自得。残り三割が情報取集。彼とお姉さまの関係に情は発生しない。彼の方で小指の爪の先ほどの情を抱いてもお姉さまが切り捨てるので。


お姉さまの言動は好き嫌い別れるよなぁ~と思いながら書いていました。

基本の性格が高慢なので。マイルド自サバ女かつ独善的。正当な理由があってもわだかまりを残す感じ。

基本スペックが高く、結果でねじ伏せてそれが成功体験になっているので好戦的。

お姉さまは家も家族も好きですが、嫌いでもある。家に縛られない暮らしをした方が本領発揮できる人でもあります。留学前は、恵まれているけど満たされない人でした。自力で手に入れたものでないと満足できないんですね。だから常に渇望している。餓鬼かな。

アンビバレントに振り回されていたのが少女期のお姉さま。

留学で客観視と自己分析を会得した結果が帰国後のお姉さまです。


どんな感じだったかな~と思い出しながら書いたので、活動報告につらつら書き散らかしたいと思います。よろしければのぞいてみてくださいませ。


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