第2章 第61話 鐘は鳴れど、揺り籠で笑う者なし
第三回有識者会議を終えてから、政府の動きは早かった。
三度にわたる議論で示された意見は、すべてが一つにまとまったわけではない。それでも、合意できた点、意見が分かれた点、なお検討を要する点は整理され、有識者会議としての意見とともに政府へと返された。
そこから先は、政治と行政の仕事だった。
本人の意思を尊重すべきだという意見を踏まえ、任用や継続的な協力については本人の同意を前提とする。資格停止を安易な制裁として用いる案も見直され、緊急時の協力については、その範囲や要件をより限定する方向で調整が進められた。
有識者会議で示された慎重論も、無視されたわけではない。
答えが出なかったから切り捨てたのではなく、答えが出なかったという事実も含めて材料とし、その先の判断を政治が引き取ったのである。
関係省庁との調整を重ね、法案の審査を経て、やがて閣議決定。
法案は国会へと提出された。
世間ではすでに『真神法』という通称の方が広く知られていたが、当然ながら正式な法案名に一個人の名前が入っているわけではない。政府も一貫して、特定の個人のみを対象とした法律ではないと説明している。
もっとも、現時点でその条件に該当する者が一人しか存在しないという事実まで、否定することはできなかった。
国会での審議でも、その点は繰り返し問われた。
事実上、一人のハンターを念頭に置いた制度ではないのか。
本人から直接意見を聞くことすらできていない状態で、法整備を進めてよいのか。
政府はその事実を認めた上で、だからこそ本人の同意を必要とする部分を明確にし、国家が一方的に任用し、恒常的な活動を命じる制度にはしないと答えた。
審議の過程では、いくつもの修正が加えられた。
それでも、法案そのものが止まることはなかった。
ダンジョンは存在し続けている。溢出の危険がなくなったわけでもない。そして今後、真神幸一郎と同等、あるいはそれに近い能力を持つハンターが現れないという保証もない。
必要になってから制度を作り始めるのでは遅い。
その判断もまた、政治が負うべき責任だった。
やがて委員会での審議を終えた法案は、衆議院本会議で採決されることとなった。
◇ ◇ ◇
採決の日が近づくにつれ、ネットでも再び『真神法』の文字が目立つようになっていた。
『今日、衆院で採決か』
『結局ここまで来たな』
『最初に出てた案よりはだいぶ変わったよな』
『本人の同意なしで特別職にはできない。協力要請も原則拒否可能。資格停止もかなり後退した』
『詳しい奴いて草』
『何か月この話見てると思ってんだ』
『でも結局、本人から話聞けてないんだろ?』
『そこなんだよな』
『というか真神どこ行った』
『最近マジで見ない』
『もう半年近くない?』
『またダンジョンじゃね?』
『どこの?』
『知らん』
『JHAも知らないんじゃなかったか』
『それ大丈夫なのかよ』
『別に成人なんだから好きにしていいだろ』
『政府が話したいからって居場所探されたら俺でも嫌だわ』
『それはそう』
『本人、普通に家で寝てたりして』
『前にもそれ言われてたなw』
『法律作ってる間に本人がどっか行ってるの、一番真神っぽい』
『まあ日本にはいるだろ』
『根拠は?』
『…………』
『ないんかい』
賛成する者もいれば、反対する者もいる。
当初より本人の意思を尊重した制度へ変わったことを評価する者もいれば、そもそも一人の人間を念頭に置いた法律を作ること自体に疑問を抱く者もいた。
そして、そのどちらでもなく。
半年近く公の場から姿を消している本人が、いったいどこで何をしているのか。
そちらの方を気にしている者も、少なくなかった。
◇ ◇ ◇
衆議院本会議場。
議席は多くの議員によって埋められていた。
すでに討論は終わっている。
採決が行われ、その結果が集計されていく。
やがて議長が手元の結果へ視線を落とした。
「ただいまの採決の結果――」
議場が静まる。
「本案は、賛成多数をもって可決されました」
次の瞬間、議場の各所から拍手が起こった。
まだ法律が成立したわけではない。この先には参議院での審議が残されている。
それでも、一つの大きな節目を越えたことは確かだった。
三度の有識者会議を経て、いくつもの意見が交わされ、修正を重ねながら作られてきた制度が、ようやく法律という形へ近づいたのである。
真神幸一郎という、これまでの制度では想定されていなかった存在。
その力を国家のものとするのではなく、一人の私人としての意思を認めた上で、必要な時には協力を求めることのできる関係を作る。
完璧ではない。
すべての問題に答えが出たわけでもない。
本人の意見さえ、いまだ聞くことができていない。
それでも、日本は日本なりに、一つずつ答えを探しながら前へ進んでいた。
拍手は、しばらく続いた。
その音が、まだ議場を満たしていた時だった。
鐘が鳴った。
『――ハワイダンジョンにて、最終エリアへの挑戦を確認しました』
誰もが、その鐘を聞いた。
それは後に、世界の流れを変えることになる鐘の音。
そして世界は――。
その音を境に、ゆっくりと動き始めた。




