感情複合バッドステータス2
「おっはいよー」
「おはようございます」
「おや? 今朝はやけに電導率が低い声だね?」
「何なんですそれ?」
「声が良く通っているってことだよ。うん、つまり、目覚めが良いってことを、歪曲に表現してみたわけ」
「そういう夢野さんは、今日も三次元曲面みたいな滑らかな舌ですね」
僕のシニカルな言葉の応酬に、あっははーと夢野さんは快活に笑う。「それはそうと、彼女との久方ぶりの逢瀬はどうだったのかな?」
「彼女って――」皮膚の温度が少しだけ上がったのがわかった。『彼女』と『逢瀬』を思わず関連づけしてしまうのは、ひとえに夢野さんの人格がなせる業である。まったく――ハード的には申し分ないけれど、ソフト的に問題があるんだよなこの人は。「莉鈴のことですか?」
「もちろん、江戸川・フールフール・莉鈴のことだよ」
「夢野さんが期待していることは何も起こってないですよ」
「あ、そう。まあフラグを立てたからって、すぐにイベントが起きるわけじゃないからね。恩田君は、出会い頭にパンツを脱ぎ始める女の子は好みじゃないだろう?」
「はいそこまで」
通話、強制終了ね。
携帯電話をベッドへ放り投げ、こめかみに指を当てる。変態外科医の番号を着信拒否にしようか否か逡巡しているとき、再び携帯電話が産声を上げた。
「ああ、ごめんごめん」悪びれる素振りも微塵もなく、謝罪を申し入れる夢野先生。「座薬を入れようとして、うっかり媚薬を入れてしまった感じだよね」
「どんだけクレイジーな医者ですか――あなたは」
僕の蓮っ葉な物言いに、『淫乱だけどー』と自らの人格の破綻を夢野さんは証明してみせる。突っ込めば突っ込むほど無軌道を貫くのはわかっているので、「あ、そうですか」と感慨もなく返答をする。
さて、どうやって合理的に通話を終了させようか――変態外科医に対するアプローチの方法を模索していたとき、
「あ、そうだ。夢野さんに聞きたいことがあったんですよ」
声帯はオートマティックに雄弁を振るっていた。いやまったく、カスタマーセンターにクレームを入れる必要があるようですな。身に覚えのない自分の仕様に頭を捻ったあと、左手に携えているスーパーの袋を眇め見る。生鮮類の末路が新鮮ではなく死肉にならないことを厳かに念じるばかりだ。
「僕の通っている学校に夢野さんの関係者とかいたりします?」
「君の学校にかい?」夢野さんはそう僕に訊き返してから、無言の電波をしばらく送信した。「ああ、恩田君。君ってもしかしてエデンの生徒なのかい?」
訊き返す夢野さんの質疑に僕は、おや、と首を捻った。
「あれ? 僕言っていませんでしたっけ?」
「そうだね」僕の疑問に肯定で応える夢野さん。「君にプライベートなことを話す余裕はなかった。と、あのときの恩田君の雰囲気を鑑みて、私はそう評価するけど」
ああ、そうだった。そんな余裕とてもなかったもんな。
夢野さんの的確な分析に、思わず納得してしまう。
自分のことでいっぱいいっぱいになっていた夏休みの日々が、脳裏に再生し始める。
――やや駄目駄目!
ようやくメカニズムが維持できたのに、またぞろカウンターバランスで憂鬱になってしまうんだぜ?
――とっとと自分を取り戻さないと……。
「まあ、とにかく。僕は東之園高等学校、つまりエデンの生徒なわけで、そこで夢野さんの関係者と思しき人物とばったり遭遇しちゃったわけですよ」