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忘れ得ぬ貴方に・5

099



 俺はいきなり後悔していた。

「すまん、許してくれ!」

 叫んでいるのは俺ではない。モンテオ市の暗黒街を仕切る顔役の一人だ。ここは彼の裏稼業のオフィスだった。

 彼の周囲には手下が三十人ぐらいいて、全員が土下座みたいなポーズをしている。パラーニャにも土下座ってあるんだな。知らなかった。



「ま、まさかうちの若いもんが、海賊騎士の身内から盗んだなんて知らなかったんだ! 頼む、屋敷ごと俺たちを吹っ飛ばすのは勘弁してくれ!」

 貫禄のある正装の老紳士は、そう言って若い部下の頭を殴りつける。

「このバカ野郎! 海賊騎士の偽者がどんな目に遭わされたか、お前も見ただろうが!」

 え、それ何? 俺は知らないよ?



 俺が首を傾げていると、親分はますます怒り狂う。

「おまけに海賊騎士に逆らったら、王室を敵に回すことになるんだぞ! てめえ、自分が何をしたのかわかってんのか!」

「す、すみません親分! 俺はただ、ガキから荷物を盗んだだけで……」



「子供からは盗むなって、いつもあれほど言ってるだろうが! 養ってるのがどんな大物かわかんねえんだからよ!」

「マジすいません!」

「もういい、お前なんか死んじまえ! おい誰か、ノミとハンマー持ってこい!」

 ちょっと、何するつもりなの?

「親分! もう二度とやりませんから頭をカチ割るのだけは!」

「うるせえ! お前はファミリーの面汚しだ! 地獄で後悔しろ!」



 なんか凄いことになってきたぞ。俺は棒立ちのまま、軽く溜息をつく。

「下手な芝居を見にきた訳じゃない。盗んだものを返してくれ。それが済んだら黙って帰る」

 俺がそう言った瞬間、絶望に沈んでいた全員の顔がパッと輝いた。



「ほ……本当に? あっ、いや、本当ですかい?」

 俺はどうしようかなと思ったが、この手の人々は強いか弱いかでしか人間を判断できないことが多い。スムーズな交渉のため、とりあえず怖がらせておく。

「ラッツァで百人以上殺したときは、後片付けが大変だった。今は急いでいるから、お前たちを殺すのは省いてやってもいい」



 シーンとその場が静まりかえり、親分が横にいる若いのを肘でつつく。

「早く! 早くしろ!」

「へっ、へいっ!」

 若いスリの男が慌てて駆け出す。彼は俺の方を何度も振り返りながら、棚から一冊の小さな本を持ってきた。文庫本ぐらいだ。



「こ、これですよね!?」

 俺は本のタイトルを一瞥する。それからパラパラめくって中身を確認した。

 眼帯のカメラで撮影しているので、すぐにシューティングスターから返事がある。

『艦長、ジュナさんが間違いないと言っています』

 よしよし。



 俺は本をパタンと閉じると、それを無造作に懐に突っ込んだ。

「邪魔したな」

 ふと見ると、スリの若者が悪党たちに押さえつけられて頭にノミを突きつけられている。

 ハンマーを握っていた親分が、俺におそるおそる聞いた。



「こ、こいつは殺さなくても大丈夫なんで……?」

「好きにしてくれ。興味がない」

 俺がそう言うと、全員がへなへなと床にへたりこんだ。

「た、助かった……」

「ありがてえ……」



 一応、用心のためにバシュライザー改も持ってきてるんだけど、どうやら必要なかったようだ。

 それにしても俺の偽者ってやっぱりいるんだな。そいつが誰にどんなことをされたのか、ちょっと気になるが……。

「なあ七海」

『いい天気ですね……』

 今ので全部わかった。やったのはお前らか。



 これ以上ここにいると気まずいことになりそうなので、俺は退散することにした。

 それより俺の偽者は結局どうなったんだ。



 シューティングスターに戻り、さっそくジュナに本を渡す。いそいそと覗き込む七海とメッティ。

『数式だらけですけど、文字が何を示しているかわかりませんね。例えばこれは何ですか?』

「あ、これは私の世界で魔術師たちが秘伝にしている『連続複利定数』と言って、2.7182818284590452353……とどこまでも続く数です」

 なにそれ。



 すると七海がポンと手を叩く。

『ネイピア数ですね。ネイピアは人名ですので、艦長の世界では違う名前かも知れません。そっちではなんて言うんですか?』

「知らない……」

 初めて聞いた。



 メッティは知っているらしく、うんうんとうなずいている。

「ああ、あれか。微分でよう見るヤツやな」

 そうなんだ。もしかしたら高校時代に習ったかも知れないが、全く思い出せない。

 まあいいや、俺の仕事は数学じゃない。



「七海、この本の数式を記録してくれ。メッティ、助手を頼む」

『了解しました』

「任せといて」

 頼もしい仲間たちに丸投げした後、俺はポッペンに向き直る。



「暇だから将棋でもしよう」

「うむ」

 数学に興味のない仲間もいてくれて助かった。



 俺とポッペンが士官食堂で将棋を指していると、メッティがやってくる。

「艦長、それ面白そうなゲームやな。それがショウギ?」

「ああ。だが今は静かにしてくれ。相手の動きを読み合っているところだ」



「そうなん?」

「ああ、俺は深謀遠慮の策略家だ。相手より常に一手多く読む」

 俺がそう言うと、ポッペンがポーカーフェイスでつぶやく。

「そして私は変幻自在の指し手だ。一手も読まぬ」



 メッティが溜息をつく。

「つまり二人とも、一手ぐらいしか読まずに指しとる訳やな?」

「ああ」

「その通りだ」

 だって定跡とか何もわかんないんだもん。



 メッティがもう一度溜息をついて、それから指をパチンと鳴らした。

「七海、あれ出して」

『そうですね、時間がもったいないですし』

 お前ら、男の勝負をバカにするんじゃない。



 七海がモニタに表示したのは、文章にしか見えない数式だった。

『艦長、こちらが異世界との相対距離を算出する計算式と、その計算式に必要な数値を求めるための計算式です』

「もちろんわかっていないので続けてくれ」



『はい。この理論では世界中の電子の挙動ひとつひとつを観測し、予測しなければならないのですが、現実には不可能です』

 なんで電子の話になっているのかよくわからないが、最後まで聞いてから質問することにして黙ってうなずく。

 それにしてもポッペンが意外と将棋強いんだよな……。攻め方が苛烈だ。



『そこで積分を用いて近似を求め、ミクロではなくマクロの世界で捉えることによって計算を単純化しています』

 積分ってだけで凄く複雑な気がするんだが、やはりよくわからないので黙ってうなずく。

 そういえば持ち駒に桂馬と歩三枚があるから、これで何とか逆襲できないかな?



『それとジュナさんからの説明を聞いた感じだと、異世界の位置をこの世界から観測する手がかりは重力波の微細な変動のようです。これらの式にも、それらしい数値が含まれていました』

「重力波か。七海の得意とするところだな」

 やっと、それらしいコメントができたぞ。やれやれ。ホッとした俺は持ち駒を打つ。

 さあ反撃開始だ。



 七海は嬉しそうにうなずき、こう続ける。

『重力波の変動については、この艦にも観測装置があります。敵飛空艦の位置を探知しないといけませんから』

「じゃあ、ジュナと相談して具体的な方法を考えてくれ」

『了解しました』

 おお、なんか艦長っぽいぞ。しかも丸投げだから楽ちんだ。



 これで用件は片づいたはずなので、俺はポッペンとの対局に集中することにした。盤面をじっと見つめる。

 ふと気づくと、七海がまだこっちを見ていた。

「どうした?」

『あの、ええと……』



 七海はだいぶ迷った様子だったが、モニタの中から将棋盤を指さした。

『艦長、それ二歩です』

「あっ」

 こうして俺は人類史上でたぶん最初の、ペンギンに将棋で負けた男になったのだった。



 それはそれとして、どうやら帰還への希望が見えてきたようだ。

 俺自身はあんまり帰りたくないんだけどな……。


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