忘れ得ぬ貴方に・4
098
私は今、途方に暮れていた。
苦労して『異界渡り』の技術を再現し、人為的に異界に移動することには成功したものの、そこでにっちもさっちも行かなくなってしまったからだ。
世界の交差が頻発する地帯を目指して旅をしていたが、まさか海の向こうだとは思わなかった。おかげで予定が完全に狂ってしまった。
頼みの綱の使い魔ともはぐれた上に、この世界は魔力密度が薄い。魔術師にはつらい世界だ。
おまけに体調が悪いせいか体内魔力がなかなか回復しないので、とうとう魔力が枯渇した。『つらぬけ』の術で狩りをしたり、盗賊に狙われないように『ぼやけ』の術で印象を薄くしたり、魔力を浪費しすぎたのも良くなかったと思う。
だから今の私には何もできない。
幸い、親切な異界人の少年が私を保護してくれた。さらに空飛ぶ不思議な船に乗せられ、今は衣食住ともに非常に快適な状態にある。どうやらこの船こそが、私が探していた異界の乗り物らしい。
万策尽きていた私にここまで親切にしてくれた彼らには、感謝してもしきれない。
だが私の魔力は枯渇したままだし、彼らとは言葉が通じない。何とかして覚えてみようとしたが、普段から翻訳魔法に頼りきりのせいか単語ひとつ覚えるのにも苦労していた。
魔法にばかり頼っていると、思わぬところで足をすくわれる。父の言う通りだったと、今更ながらに後悔している。
このまま私は異邦人として、この地で果てていくのだろうか。
そんなことを思いながら、眼帯姿の青年を見つめる。
最初は怖い男だと思っていたが、甘い焼き菓子を作ってくれたり、何かと親切にしてくれる。私の周囲にいる異界人の中でも、たぶん一番親切な人物だろう。
その男がにっこり笑うと、急に声をかけてきた。
「オハヨウ、ジュナ?」
「なっ!?」
私は驚き、思わず立ち上がる。私の故郷の言葉を、彼はいつ覚えたのだろうか!?
眼帯の男は穏やかな表情で、さらにこう言う。
「アワテル……イラナイ。ワカル?」
「慌てなくていいと?」
「アワテル、イラナイ。ワタシ、ワタシタチハ、アナタヲ、タスケル」
いったいどんな魔法を使ったのだろう。たどたどしいが、ちゃんと意味は通じる。
「アナタハ、チガウトコロ、カラ、キタ。アナタハ、モト、モドル……モドリタイ、トオモウ。タスケル」
彼は私を異界人だと見抜き、その上で助けてくれると言っているのだ! なんという観察力と慈悲だろう!
私は何度もうなずき、彼にわかるようにゆっくり話す。
「私は、ジュナ。異界から来た魔術師です。事故があって、元の世界に帰れなくなりました。助けてください」
「マジュチュチ?」
「魔術師です」
私は一般人が思い描く「魔術師」のイメージに沿って、手をかざして念じる仕草をした。
眼帯の青年は、それだけで理解してくれたようだ。
「マジュツシ、タブン、ワカル。マジュツシダカラ、クルコトガ、デキタ?」
「そう、そうです。転移魔術に必要な複雑な演算をして、ようやくこの世界に……」
そう言いかけたとき、不意に両目からポロポロと涙が溢れた。
やっと、私の話を聞いてくれる人が現れた。それはパンよりも焼き菓子よりも嬉しく、そして心強かった。言葉が通じるって、なんて素晴らしいんだろう。
でも今は泣いている場合じゃない。
この人は私の目の前に垂らされた、元の世界に繋がるたった一本の命綱なのだから。
そう思っていると、不意に彼に手を握られた。若い男性の力だから、とても力強い。怖い。思わずビクッとする。
しかし眼帯の男は変わらぬ微笑みを浮かべ、私にこう言った。
「ヤット、コトバガ、ツウジル……ツウジタ。トテモ、ウレシイ。ヨウコソ、しゅーてぃんぐすたーヘ」
「はい。ありがとう、ございます……」
私は彼の手を、ぎゅっと握り返した。
* * *
「どうにか言葉が通じたみたいだ。さすがだな、七海」
俺は冷や汗を拭いながら、七海に笑いかける。
『文法はラテン語族に近かったので、単語さえわかればかなり楽でした。そういう意味では幸運でしたね』
毎回こううまくはいきませんからねと、七海が釘を刺す。
だがとにかく、今回はうまくいった。それでいい。
「ジュナともっと会話してみる。引き続き、辞書の精度を高めていってくれ」
『了解しました、艦長』
七海がビシッと敬礼した。
こうして俺たちはさらに四苦八苦した挙げ句、ようやくジュナから事情を聞くことができた。そして俺が期待した通り、それは非常に興味深い内容だった。
「私は見習い魔術師で、師匠のもとで異世界への渡り方を研究していました」
ジュナはそう言い、ほっと肩の力を抜く。
「私の世界には異世界へと通じる未知の装置があり、その使い方を研究していたんです。非常に難しい研究でした」
「装置?」
「はい。大きな岩のようなものなんですが、内部には魔法を操るための回路が立体的に張り巡らされていて、誰がどうやって作ったのかも謎なんです」
モンスターだらけの地下迷宮の一番奥に安置されていたそれは、ジュナたちにとっても謎の遺物だったようだ。
それでもジュナは師匠を手伝い、何とか利用方法を突き止めたという。
「結果的には壊れてたんですけどね。おそらく世界の始まりと同時期から壊れていたのだろうと、父が言っていました」
「世界の始まりから?」
「はい。つまり、世界の始まりと同時に役目を終えたのではないか……と」
じゃあそれを設置したのは、世界を始めた存在になるな。なんだか壮大な話になってきた。
ジュナはそこからさらに研究を進め、異世界に行くための技術を調査した。そしてついに、既存の魔法にそれを組み込むことに成功したという。
「でも転移のときに何か間違えたのか、使い魔を連れてくることができなかったんです。使い魔の高度な計算能力がないと、元の世界の座標が算出できません」
しょんぼりしているジュナ。
俺とメッティとポッペンは顔を見合わせ、それから七海の方を振り向く。
それからもう一度、ジュナに向き直った。
「その計算は、どれぐらい複雑なんだ?」
「ええと……まず最初に必要なのが、それぞれの世界の現在位置を求める計算です」
ジュナが紙に何本もの線を描いていく。さらに数式も。
「それぞれの世界が時間の経過と共に軌跡を残すとして、どの過去を通ってどの未来に到達するのか、そしてそのときに他の世界にどういう影響を与えるのか、ひとつひとつの事例を計算しないといけないんです」
聞くだけで頭が痛くなってくる。というか、こんなの解けるのか?
しかしジュナが紙に書いた式を見て、七海があっさり言う。
『見た感じ、典型的な経路積分みたいですね。何とかできるかもしれません』
「何とかするのはお前じゃなくて、この艦のコンピュータの方だろ」
こいつ自身が割とポンコツなのは知っている。
『そりゃそうですよ。私はインターフェース用AI、つまり一階ロビーにいる受付のお姉さんですから。実際の業務は、もっと上の階にいるプログラムが実行します』
よくわからない自慢をしている七海をほっといて、俺はジュナに言う。
「シューティングスターの計算装置を使えば何とかなるかもしれない。もう少し詳しく教えてくれ」
もしかすると、これは俺たちにとっても元の世界に帰れるチャンスかもしれないぞ。
……まあ、俺自身は帰りたくないんですけどね。
するとジュナは、悲しそうな顔をする。
「これだけじゃダメなんです。実際に転移するには、物凄く複雑な魔法を使うんです。あんまり複雑すぎて覚えきれなかったので、そっちも使い魔任せでした」
「そうか……」
迂闊すぎるだろうと思ったが、よく考えたら俺も大事なことは全部AI任せだった。
「一応、使い魔を失ったときの保険に、必要な術式を書き写した魔術書を持っていました。でもそれを、モンテオの街で盗まれてしまって……」
腹痛で動けなくなっている間に、残りわずかな路銀ごと盗まれたらしい。
この世界の治安を考えると、それで済んだのはむしろ幸運な方だろう。
しょうがない。何とかするか。
俺はバシュライザー改を装着すると、メッティたちに告げた。
「何とかしてみよう。モンテオの悪党どもを震え上がらせてくる」




