忘れ得ぬ貴方に・3
097
シューティングスターの艦内に移されたジュナは、警戒心よりも好奇心の方が勝ったようだ。目をキラキラさせて、しきりにメモを取っている。
それから俺を見て、こう言った。
「グラン! ファラーユンデ、イソ!」
「すまん。さっぱりわからん」
こりゃまず言語の問題を何とかしないと無理だな。
すると七海がいそいそと声をかけてくる。
『言語学習プログラムを使って、彼女に日本語を教えましょうか?』
シューティングスターでは文明崩壊後に外国人を保護する可能性も想定されている。その際に日本語を教えて「戦力」にするプログラムだ。
セキュリティクリアランス四レベルになった途端、細かい説明がどんどん表示されるようになったので助かる。
しかし俺は首を横に振った。
「日本語を教えても、日本語話者はこの艦のクルーしかいない。あとはニドネと狩真ぐらいだ。彼女のメリットにならない」
『まあそうですけど』
「言語習得は楽じゃないんだから、その苦労に見合うメリットがなければ不誠実だろう」
俺はそう言い、もっと大事なことを七海に言う。
「そもそも学習は、衣食住に対する安心感があってこそのものだ。ジュナは今、衣食住の保証がされていることを認識できていない。言語を学ぶ状態にはない」
『ええと、じゃあどうするんです? わかりません』
七海が途方に暮れているので、俺は笑った。
「俺たちが覚えるんだよ。彼女の言葉を」
『えええ!? 負担が大きすぎませんか?』
でも俺はもう決めていた。
「七海、俺たちがこの世界に来た頃のことを思い出してくれ。メッティと会って、この子が日本語をしゃべれるとわかったとき、俺たちがどれぐらい安心したか」
メッティと出会えていなければ、俺たちはまだ根無し草のままだったかも知れない。異世界で日本語が通じたときの嬉しさと安堵は、今でも覚えている。
「ジュナも、俺たちが言葉を理解してくれるようになったら安心するはずだ。安心させないと人間関係は始まらない」
俺がそう説得し、さらに言う。
「七海は一度聞いたものは忘れないというか、全部きちんと記録できるだろ。パラーニャ語の辞書を作ったときのように、ジュナの言葉を記録分析してくれ」
すると七海が腕組みする。
『艦長の御命令ならやりますけど、簡単じゃないですよ? メッティさんは日本語とパラーニャ語の両方を話せたので、文法の解析や辞書作りは簡単でした』
「心配するな、すでにサンプルは入手できている」
俺は眼帯を操作し、少し前の音声記録を再生する。ジュナとの最初の会話だ。
『ヤータム、サンキエット。バルアンカニェーニ』
『やっぱり日本語も無理か?』
『ソルテ。アンカニェーニ』
俺はちょっと得意げに、七海に言う。
「この短い会話に、『アンカニェーニ』という言葉が二回登場している。このときはお互いに言葉が通じないことを確認していたので、それに関係する言葉のはずだ」
『あー! なるほど!』
七海がポンと手を叩く。
さらに俺はミオに声をかけた。
「ミオ、彼女が空腹かどうかはどうやって判断した?」
「ええと、パンを差し出したり……。あと、食べる仕草で聞いてみたりしたよ。こんなふうにね」
手を口に運ぶ仕草をしてみせるミオ。うーん、賢い子だ。
「見たか? 異世界でも同じ人間だから、基本的な仕草はほぼ同じなんだ。本能に基づいた動作だからな。ここを突破口にしていけばいい」
『はー……なるほど……』
バカみたいな顔をして感心している七海。
『私、食事ってしたことがないから気づきませんでした』
「あ、うん。……そうだね」
言われてみれば確かにそうだな。
少し不安になった俺は、七海にもう少しレクチャーする。
「人間が顔を背ける動作、または首を横に振る動作は『拒絶』を意味するが、これは乳児が母乳を拒む動作から来ている」
『ふむふむ』
「だから異世界の人類が哺乳類である限り、この手の仕草はだいたい通じるんだ」
すると七海は即座に何かを調べる。
『あ、ジュナさんは哺乳類ですね。スキャンの結果、未成熟ですが乳頭の存在を確認しました』
「何をしている貴様!」
『いえ、健康状態のチェックしただけですよ!? あと私も女の子ですから!』
人工知能の性別なんかどうでもいい。
「わかった、じゃあ女の子同士仲良くやってくれ」
『え?』
「ジュナの言語を解析する役割はお前に任せた」
俺はそう言うと、一行を士官食堂へと連れて行く。
七海はひどく心細そうな顔をして、俺の眼帯の中でぴょこりと首を傾げた。
『じゃ、じゃあ艦長は何をなさるんですか……?』
「俺か? 決まっているだろう」
エプロンをつかみ、颯爽とまとう俺。
「パンケーキ作りだ」
最近楽しくなってきた。
実はこのパンケーキにしても、ちゃんと理由はある。
俺はメッティたちに説明しつつ、パンケーキをいくつか焼いていく。
「まずジュナに、こっちのパンケーキを食べさせてくれ」
一番信頼されているミオが皿を運んでいき、ジュナに提供する。
ジュナはしばらくフンフンと匂いを嗅いでいたが、甘い香りに目尻が緩んでパクリと食べた。そして叫ぶ。
「チィート!」
チートじゃないよ。
「七海、今の単語を記録しろ。たぶん『おいしい』『あったかい』『甘い』のどれかだと思う」
『あ、はい。なるほどなるほど』
食事をしない七海が、モニタ上でメモを取りながら単語を記録する。
次に俺は、甘みを抑えたパンケーキを持って行かせる。今度のはバターの塩気を強くして、食事になりそうな味付けにした。
さて、なんて言うかな?
「ンー……?」
なんか言ってよ。
「ソッテ?」
「七海、たぶんあれが『おいしくない』『しょっぱい』のどっちかだと思うので記録して」
『はい。この方法だと、何日もかかりますね……』
しょうがないだろ。俺に言語学の知識なんかないんだから。素人の手探りだ。
この後も試行錯誤が続いたが、徐々にいくつかの単語が判明してきた。
「『チィート』は『甘い』、『ソッテ』は『しょっぱい』、『ハンム』は『食べる』だな」
「せやな。あと、『モンモ』は『おかわり』みたいやな……」
メッティがつぶやいている背後で、ジュナが「モンモ! モンモ!」としきりに訴えている。パンケーキを気に入ったらしい。
全く意図していなかったが、餌付けに成功したようだ。信頼されてきたかも知れない。
「メッティとミオは、ジュナの身の回りの世話を頼む。メッティは同年代の同性だし、ミオは信頼されているからな」
「艦長は?」
ミオが不思議そうに言うので、俺は眼帯を撫でながら苦笑した。
「こんな怖そうな海賊みたいな男じゃ、近くにいるだけで威圧感があるだろう。彼女の世話は俺にはできない仕事だ。だが俺にはできないこともミオにはできる。頼めるか?」
「う、うん! そっか、ボクにはできるんだ……」
言われて初めて気づいたようで、ミオはしきりにうなずいている。
大人にはできなくて、子供にはできることってのもたくさんあるんだよ。無理して大人にならなくていいんだ。
俺はそう思いながら、ミオの肩に手を置く。
「頼んだぞ、相棒」
「任せといて!」
あんまり大きな声で叫ぶから、パンケーキを食べていたジュナがビクッと震えた。まだ落ち着いてないんだから、大声はやめてあげて。
こんな悪戦苦闘を何日か続けた後、ようやく少しずつ言葉が通じるようになってきた。
さあ、やっと事情が聞けるぞ。




