艦長の覚悟・4
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『艦長、圧縮式超長波暗号通信です。暗号形式はツェーニカ901と一致』
『我が軍の暗号か!?』
私は海面から聞こえてきたその通信に驚いた。
『ただちに解読しろ』
『はい、表示します』
電磁波にもいろいろあるが、超長波は海中にまで届く代わりに情報量が少ない。暗号を解読しても、出てくるのはそっけないパスコードだけだ。
『これは艦隊司令部の戦闘即時中止コードと一致しています、艦長』
『無視しろ。敵の偽装だ』
私は視界に広がる戦闘指揮所で、部下に目を向けた。若い女性士官が苦笑している。
『艦長もそう思われますか?』
『このよくわからん海域に突然やってきて、今までに発見したのは古めかしい帆船と未確認の人工重力波だけだ』
ここがどこなのか、どれだけ調べても全くわからない。分析結果はここが地球上ではない可能性を示唆している。
『わからんことだらけだが、本艦が指揮系統から孤立していることだけは明白だ。さらに所属不明の武装勢力が存在している。だとすれば本艦は独立戦闘行動を取る任務がある』
ここが連邦の領海内でないことぐらいは私にもわかるが、この艦が最後に受けた命令は依然として有効だ。今となっては命令の撤回も期待できないが、それでも勝手なことはできない。
『……なるべく消耗品は温存したいところだが、そうもいかんだろうな』
『はい、艦長』
仕方ない。こんな任務も給料のうちで、そして私自身が生き延びる道だ。
『本艦は連邦海軍規定の「全面戦争時における独立行動手順」に従う。この海域における非連邦船籍のあらゆる戦闘行為に対して、引き続き無警告での撃沈を命じる』
『了解しました』
* * *
「うーん、やっぱり反応なしか」
ライデル連合王国のバフニスク軍基地で七海がちゃっかり盗んできた機密コードを試しに使ってみたが、さすがに無理だったようだ。逆に警戒させてしまった気がする。
俺は少しがっかりしたが、そこは予想していた。独立して行動する許可を与えられている者は用心深くなる。七海もそうだ。
冷戦時代の潜水艦なら、司令部が壊滅したときには独立行動するよう命令を受けていると考える方が自然だろう。よく知らないが、潜水艦ってそういうものらしい。
『私は早く元の世界に帰りたいんですけど、あっちの潜水艦は帰りたくないんでしょうか?』
七海が首を傾げているので、俺は倉庫の壁にもたれながら苦笑する。
「この艦は命令系統から孤立したときには、敵国本土……つまりバフニスク連邦の本土を攻撃するよう命令されてるだろ?」
『はい、そうです。インフラごと皆殺しですよ』
七海が一片の迷いもない顔でにこにこ笑っていて、大変怖い。
「でも今は攻撃すべき相手がどこにもいないから、お前はとにかく帰りたいと思っている。これが攻守逆転していたらどうだ?」
『あー、防衛任務だったら動かないという判断もありえますね。こんな知らない海を守っても意味ないんですけど』
七海が腕組みしつつ、何度もうなずく。
『でも潜水艦だと陸地の様子はわかりませんし、そもそも浮上するのも命がけですからね。上空に敵の飛空艦がいたら終わりです』
そして実際ここに敵国の飛空艦が飛んでいるので、潜水艦側の判断はある意味で正しいと言えるだろう。
「まあいいや、もうちょっと説得してみる」
俺は救命用具の棚をごそごそ漁りながら、使えそうなものを引っ張り出した。
* * *
静寂の海の中で、私は部下の報告を聞く。
『艦長、またです』
『今度は何だ、サーシャ』
するとサーシャは珍しく困り果てたような声で、こう答えた。
『救難ブイが投下されています。回収の義務がありますが……』
『ううむ』
無視するのが正解だと思ったが、情報が欲しいのも事実だ。
『浮上はしなくていい。作業艇で遠距離から回収し、その場で検査しろ』
こちらが回収に現れたところを、上空から対潜爆雷で攻撃という可能性もある。
ただ何となく、こいつはそういうことはしないだろうなという変な信頼感は生まれつつあった。
そして案の定、無人作業艇からの報告はひどく間抜けなものだった。
『文書データを回収しました。バフニスク語に翻訳されています』
『一応読もうか』
何なんだまったく。
< バフニスク連邦の潜水艦に告げる。ここは我々の世界ではない。近世の西ヨーロッパに似た異世界だ。 >
『唐突に冒険物語が始まったな。西側の連中はどうかしている』
『これも資本主義の影響でしょうか?』
『よくわからん』
私は頭が痛くなってきたが、読むのをやめる気にはなれなかった。
< この海域はパラーニャという王国の領海になる。付近を航行している木造帆船は全て民間の武装商船だ。襲撃は犯罪行為だが、決して軍事的な行動ではない。 >
一応、筋は通っているな。続きを読むことにする。
最後の文には、こう書かれていた。
< ここでの戦闘行為に意味があるとは思えない。元の世界に帰還するため、一時協力して欲しい。できればその後も協力関係を築けることを祈る。 >
私はしばらく考え、それからサーシャに言った。
『あちらの艦に乗っているのは、おそらく民間人か訓練生だ。軍人にあるべき鋼の魂が宿っていない』
『ではどうしますか?』
『まずはいつも通り文章を解析してくれ。救難ブイもだ』
すぐに解析結果が報告される。
『単語の選択と語順に、日本語話者に固有の癖が認められました。また救難ブイは日本製です』
『残念だな。日本製品は作りが丁寧で好きなんだが』
私は覚悟を決める。
『現状では、日本の民間人が連邦海軍の最重要機密コードを知っていると判断せざるを得ない。最悪の事態が進行していると考えるべきだ』
私はそう説明し、コマンドを下す。
『情報収集ブイを射出しろ。艦影と重力波を照合し、艦種を特定する。防空設定を〇四に変更』
『了解しました、艦長』
静寂に包まれた海の中で、私は誰にも聞こえないようにつぶやく。
『サムライでない者がカタナを持ったところで、誇り高き連邦騎士の敵ではない』
* * *
俺は七海から懇々と説教されている。
『通常、敵対関係にある軍との交信は許可されていません。ここまでやった分だけでも重大な違反行為ですよ』
「わかってるよ。でも俺は艦長だけど民間人だし、ここは異世界だ。ついでに俺も七海とは違う世界の人間だ」
これぐらい条件があれば、敵と交信しても良くない?
『艦長はそれでいいかも知れませんけど、私が怒られるんですよ。ああ、元の世界に帰ったら絶対に査問会と思考倫理検査とログの洗い出しがある……』
「軍の装備品は大変だな」
あんまり七海を困らせるのも気の毒なので、俺はこう言う。
「こんなところで戦ってもお互いに無意味だろ。それを理解してもらって、とにかく相互不干渉ぐらいまでは持っていきたい。これもお前を元の世界に帰すためだ」
すると七海はふと優しい表情になり、寂しげに言った。
『ありがとうございます、艦長。私は艦長の優しさに何度も救われていますので、艦長のそういう性格は好きです』
「お、おう」
『ですが、優しさでどうにかなる話ばかりではないのです。おわかり頂けますでしょうか?』
わかる……ような気がする。
俺は艦長席に腰掛けたまま、こう応じるしかなかった。
「それでも俺は民間人だから、民間人のやり方しかできない。どうしても困るのなら、この件はお前が処理してくれ。俺は黙って見てるから」
『もしも本当に困ったときは緊急対応プロトコルに沿って一時的に艦をお預かりしますが、あくまでも一時的な措置です。私は艦長を信じます』
七海は微笑みを浮かべたまま、静かに敬礼する。
なんか、いつもと違うな。
「いいのか? 俺はたぶん、お前の望むような男じゃないぞ」
『いいえ』
七海は敬礼したまま答えた。
『私の艦長はあなたしかいません。シューティングスターが元の世界に帰還して護衛艦「ななみ」に戻るまで、私の艦長はあなたです』
そんなに信頼されるようなことしたか、俺?
そう思ったが、信頼されるのは悪い気分じゃない。それが例え、無慈悲な軍用人工知能であってもだ。
「……不器用ですまない」
俺はそう答え、グラハルドの船長帽で顔を隠した。