栄光の次席・3
084
午後の講義の後、サリカ・ユイ・アソンは唸っていた。
「それはそれとして、やっぱり腹が立つわ!」
午前の医学の講義、そして午後の気象学の講義。
どちらも教官たちはメッティを指名した。メッティは質問や課題に対して適切に、そして恐ろしいほどの知識を披露した。
「なんで気圧計の原理まで全部知ってるの、あの子は!」
気圧計はラウド助手が現在開発中の、最新の観測機器だ。現物は試作品がひとつあるだけで、存在すら軍事機密とされている。機密に触れられるのは王立大学生だけの特権だ。
「そもそも気圧なんて言葉自体、聞いたこともないわよ!」
おかげで講義自体はとても新鮮で、サリカはまた興奮してしまった。それがまた、ちょっと悔しくもある。
一方、サリカの二人の友人はぐったりしていた。
「やっべ、ぜんぜんわかんない……」
「私ら、来るとこ間違えたかも」
「簿記学校とかにしとけば良かったかもね」
ぐでぐで言っている友人たちを尻目に、サリカは拳を握りしめる。
「あの天才、どこであんな知識を仕入れてきてるの!? エンヴィラン島に何があるのよ!?」
すると少女の片方、背の高い子が顔を上げる。
「そういやあの有名な『海賊騎士』がいる島だよね、エンヴィラン島って」
「海賊騎士がいたから何だっていうのよ……」
正義の無法者の噂はいくつも聞いてきたが、学問とは関係ない。
サリカは頭を抱えてうずくまるが、ふと気づく。
「あ、そうか。本人に聞けばいいんだわ」
メッティ自身から、どこでそんな最先端の学問を身につけたのか聞き出せばいい。
そうと決まったら行動あるのみだ。
「行くわよ、あんたたち」
「え~?」
「サリカ様だけ行けばいいじゃん」
「使用人の娘らしく、ちょっとぐらいは取り巻きっぽい動きしなさいよ!」
お嬢様っぽく権力を振りかざしてみたいサリカが吼えると、二人の少女は渋々といった様子で立ち上がった。
「サリカ様、釘植えた棍棒とか使う?」
「使うか、そんなもん!」
叫んだ後、サリカはハッとする。
(メッティがこっち見てる)
バカだと思われてないだろうか。不安になったサリカは、慌ててお嬢様モードに切り替える。
「さ、さあ、行きますわよ」
「へいへい」
「寮に帰ったらなんかおごってよね、サリカ様」
「黙ってついてらっしゃいな!」
また叫んでしまった。
サリカは取り巻き二人を従えて、優雅にメッティに歩み寄る。
「ごきげんよう、メッティさん」
するとメッティは本にしおりを入れて、サリカを見上げる。
「こんにちは、サリカさん」
にっこり笑うメッティ。商人の子だからか、笑顔が柔らかくて自然だ。
(う、可愛い……)
しょせん平民の子だと心のどこかで侮っていたが、メッティの仕草には可憐さだけでなく気品も感じられる。
彼女の学識と併せて考えると、もしかすると平民の中でも結構いい家柄なのかも知れない。そんなことを思う。
「改めて自己紹介させてね。私はサリカ・ユイ・アソン」
すかさず二人の友人が割り込んでくる。
「サリカ様はアソン子爵家の長女なんだよ」
「入学試験も次席だったしね」
サリカは二人を黙らせる。
「そういうのは言わなくてもよくってよ、二人とも」
「え、なんで?」
不思議そうな友人に、サリカは溜息をつく。
「今は子爵家は関係ないでしょ……大学なんだから。次席なのも自慢にはならないわ。メッティさんは首席よ」
すると友人たちは顔を見合わせる。
「威張りたいのか威張りたくないのか、どっちなの?」
「たまにサリカ様の頭の中がよくわからないときがあるよね」
サリカは左右の友人の頭をつかんでくっつけ、いつものようにぐりぐりこね回す。
「神聖な学び舎で家柄をちらつかせて優位に立とうなんて、みっともないにも程があるでしょ!? あと次席次席言うな、気にしてるんだから!」
「あいでででで!?」
「サリカ様痛い! 痛いってば!」
二人を解放した後、ハッとして振り向くサリカ。
メッティが困ったような顔をして、こちらを見ていた。
(やっちゃったー……)
天才少女に対抗するクールで高貴なライバルという路線が崩壊した。それも確立する前に。
サリカは小さく咳払いをして、窓の外を見る。
それからにっこり微笑んだ。
「率直に言うわ。あなたの知識と聡明さが妬ましいから、どうやってその知識を身につけたのか教えて欲しいの」
「うっわ」
「かっこわる」
左右で友人たちが引いている。
「サリカ様、絶対そっちの方がみっともないって」
「ごめんね、メッティさん。うちのサリカ様、賢いけどたまにバカだから……」
サリカがまたキレる。
「あんたたち、取り巻きっぽくしろって言ってるのがわからないの!?」
「いでででで!」
「普段やってないことはできないって!」
教室のあちこちから呆れたような視線が突き刺さる。それを感じて、サリカはまた咳払いをした。
「で、あの……」
するとメッティがにっこり笑う。
「私の力じゃないんですよ、サリカさん。最初は実家にあった古い蔵書を読んでいたんですけど、本当に力をつけてくれたのは私の知り合いなんです」
「お知り合いの方?」
高名な学者だろうか?
しかしメッティはこう続ける。
「知り合いっていうか、憧れの人なんですけど……。とても博識で、学問に対しても真摯で、何事にも誠実な人です。それに諦めない強さがあって」
「あの、メッティさん? それは私の質問と関係あることかしら?」
やや戸惑い気味に問いかけると、メッティは照れ笑いを浮かべた。
「あ、すみません。話が少し逸れましたけど、良い師に巡り会えたおかげなんです」
「そう……。良いことね。その方のお名前を伺ってもよろしいかしら?」
「ごめんなさい。本当の名前は誰にも言うなと言われているんです」
どうやらいわくありげな人物のようだ。ますます気になる。
もう少し話したかったが、メッティは時計を見て立ち上がった。
「そろそろ迎えが参りますので、今日は失礼しますね。また明日会いましょう、サリカさん。それと、ええと……」
メッティがサリカの背後の二人に視線を向けると、彼女たちが気さくな笑みを浮かべる。
「ポーリンだよ。サリカ様んとこの家令の娘なんだ」
「私はピッレね。パパは子爵家の料理長」
まず背の高い少女が手を挙げ、小柄な少女がそれに続いた。やれやれやっと名乗れたと、二人が安堵の表情を浮かべている。
メッティは笑顔でうなずき、三人に頭を下げた。
「ポーリンさんとピッレさんも、また明日ね」
「はーい」
手をヒラヒラ振る二人。
教室を出ていったメッティを見送って、サリカは頬に指を添える。
「良い師に恵まれたようだけど、なんだかロマンスの気配を感じるわね」
「おっ、サリカ様、今度こそやっちゃう? メッティさんの想い人を略奪しちゃう?」
「いや、サリカ様には無理でしょ……モテる要素ないし」
「あーんーたーらー!」
「ぎゃー!」
「すっ、すみませんでしたぁ!」
ぐりぐりとお仕置きしてから、サリカは肩をすくめる。
「私は確かに次席だったけど、それは入学試験の話でしょ。いずれ肩を並べて、追い越してやるわ。でもそれは正々堂々とやらなきゃ意味ないの」
サリカは窓の外を見て、メッティの小さな背中を認める。
「不正で首席になっても、そんなものに何の価値もないわ。それよりは正々堂々と次席でいる方が、ずっと誇らしい。そうではなくて?」
友人たちは顔を見合わせると、ニッと笑った。
「やっぱ、サリカ様はそうでなくっちゃね」
「うんうん、こういう性格だからこそ、私らもついていこうって思えるもん」
「誉められてる気がしないけど、まあいいわ。とにかく……」
そう言いかけたとき、サリカは窓の外が妙に暗いことに気づく。
「曇ってきたのかしら?」
窓を見上げたサリカたちは、ほぼ同時に悲鳴をあげた。
「なっ、なんですの!?」
「海賊騎士の船じゃん!?」
「なんでここに!?」
エンヴィランの海賊騎士が駆るという、空飛ぶ海賊船シューティングスター。
船と呼ぶにはあまりにも巨大すぎるシルエットが、学舎上空を占拠していた。
その瞬間、サリカは大事なことに気づく。
「あの子は!? メッティさんは大丈夫!?」
正門の近くに立っているメッティは、特に驚いた様子もない。
そんな彼女に黒い人影が近づいてくる。
立派な船長帽と、風格あるコート。腰のガンベルトには二挺の拳銃と真っ赤な斧。
「サ、サリカ様、あれって海賊騎士だよね!?」
「あっ、メッティさんがなんか話してる! ほらあれ!」
ピッレが指さす先では、確かにメッティが海賊騎士と会話していた。会話の内容は聞こえてこないが、とても親しげな雰囲気だ。
(まさか、あの子の言っていた「師」っていうのは、エンヴィランの海賊騎士!? あの子、海賊騎士の弟子なの!?)
何から何まで、そこらの人間とはスケールが違う。
そしてメッティはというと、海賊騎士に抱き抱えられてロープでシューティングスターへと昇っていった。スルスルとロープが巻き上げられ、二人の姿は吸い込まれるようにして消える。
やがてメッティを収容したシューティングスターは、眩しい日差しを浴びながら悠々と南へ去っていった。行き先はエンヴィラン島だろうか。
空飛ぶ海賊船での通学。もちろん、こんなことをした学生は今まで一人もいない。
呆然としている友人たちが、やっと声を振り絞る。
「す、凄い子と……同期になっちゃった……」
「サリカ様? あれ、サリカ様?」
サリカは友人たちに肩を抱かれたまま、ガクリと机に手を突いた。虚脱しきったようにうなだれる。
子爵家がどうとか、次席がどうとか、そんなものがどうでもよくなってきた。貴族令嬢なんかとは格が違う。
「か……勝てる訳ないでしょ、あんなもん……」
こうしてサリカ・ユイ・アソンの夢見た大学生活は、敗北宣言から始まったのだった。