栄光の次席・2
083
パラーニャ王立大学の伝統ある学舎に、穏やかな日差しが降り注ぐ。
だがその内部では、あまり穏やかではない視線が降り注いでいた。
(なんなの、あの子は……)
険しい表情をしているのは、メッティと同年代の少女。よく手入れされた艶やかな長い黒髪と上品な物腰だけで、裕福な家柄だというのがわかる。
名をサリカ・ユイ・アソンという。子爵、序列でいえば下から数えた方が早い貴族の一人娘だ。
だが彼女は、普通の貴族の娘とはひと味違った。
「どうしたの、サリカ様?」
「ああ、また例の秀才かあ」
馴れ馴れしく声をかけてきたのは、サリカの学友たちだ。二人いて、やはりどちらも同年代の少女だった。
サリカは振り向きざま、つっけんどんに応じる。
「あんたたち。うちの使用人の子なんだから、少しは私を敬いなさいよ……」
「だから『様』つけてるでしょ?」
「……それだけ?」
「うん。だって私たちはサリカ様の使用人じゃないし」
「うちのお父さんたちだって、子爵様に雇われてるだけで家来じゃないもんね」
アットホームな家風のせいか、それともサリカとのつきあいが長いせいか、どうにも遠慮がない。
何より彼女の父親たちは、使用人といっても上級使用人だ。家令と料理長。
家令は使用人たちのほぼ全てを統括する、最高位の使用人。屋敷と領地、そして財務と人事の全てを管理している。アソン子爵家の顔だ。
そしてその家令でさえ、料理長には命令できない。国王や他の貴族を招く大事なパーティで、全てを取り仕切る責任者が料理長だ。アソン子爵家のメンツを背負っている役職である。
彼らがいなければアソン子爵家は貴族としてやっていけない。当主である子爵も、家令や料理長には最高の待遇を与えていた。不満を抱かれて辞められたら大変だ。家族を十分養えるだけの部屋と俸給を与えている。
「私たち、学費も親に出してもらってるもんね。子爵様のお世話にはなってないよ」
「そうそう、ちゃんと試験も受けたし」
彼女たちがそんなことを言うので、サリカも反論する。
「私だって試験は受けたわよ! それも凄くいい成績で!」
コネで入学するのを潔しとしなかったサリカは、平民たちと一緒に入試を受けている。
だが彼女の学友たちは、フッと同情的な笑みを浮かべた。
「二位だったんだよね、サリカ様」
「かわいそうに、よしよし」
「哀れむな! 頭撫でるな!」
左右から頭を撫でまくられ、キレるサリカ。
「例年だったら、私が首席だったのよ!? なのにあんな……」
視線の先にいるのは、黙々と本を読んでいる少女。
名前はメッティ。エンヴィラン島のメッティ・ハルダ。雑貨商の娘だという。
「あんな……平民の……」
「平民だけど天才だよね。二科目で満点取った上に、試験問題の間違いを証明したんでしょ?」
「私はあの問題、ぜんぜんわからなかったなー。質問の意味すらわからなかった」
学友たちの遠慮のないトークに、徐々にトーンダウンしていくサリカ。
「平民の……天才に……」
左右から生温かい笑顔が接近してくる。
「うんうん。素直だよね、サリカ様は」
「そういうとこ好きよ、サリカ様」
「だから頭撫でるなって言ってるでしょ!」
教室にいるときぐらいは取り巻きっぽく振る舞って、私の威厳を高めて欲しい。そう思うサリカだった。
そんなサリカに、友人たちは興味津々で問いかけてくる。
「で、サリカ様の想い人なんだけど」
「想い人ではない」
「どうするの? やっぱりアレ? 嫉妬して虐めちゃうの?」
少女の片方がそう言うと、もう片方がドキドキした様子で口を押さえる。
「まさか、学舎裏に呼び出してネチネチいびり倒すの?」
「いやいや、そこはバレないように闇討ちでしょ。子爵家の衛士隊とか使って、あんなことやこんなことを……」
「きゃーっ!? 犯罪! 卑猥! サリカ様最低! 変態令嬢!」
サリカは慌てて立ち上がる。
「ちょっ、ちょっと!? いつ私がそんなことやるって言ったのよ!?」
その途端、友人たちがぺたりと机に頬をつける。
「しないよねー」
「粘着質で陰湿だけど、不正は絶対しないのがサリカ様のいいところだよ」
「誰が粘着質で陰湿だ!」
こいつら本当に友達なのかと、ギギギと歯ぎしりするサリカ。
だがしかし、あのメッティという少女が気になるのも事実だ。
「バカなこと言ってないで、これから毎日あの子を監視するわよ」
顔を見合わせ、友人たちは苦笑して溜息をつく。
「あー、やっぱりそういう方向に落ち着きますか」
「やっぱ粘着質で陰湿だよね。モテなさそう」
「あんたたち、私が家督継いだら覚えてなさいよ……」
高給で雇った挙句、給料分一生コキ使ってやると堅く誓うサリカだった。
そうこうするうちに、講義が始まる。
新入生は教養を身につけるため、いろいろな領域の学問を少しずつ学ぶことになっている。今日は医学の講義がある日だ。
入ってきた教官は、若い女性。色白の美人だ。儚げな印象だが、笑顔はとても柔らかい。
「やあ諸君、私は医学助手のニドネ。この中には医師を目指す人も、そうでない人もいるだろう。でも君たちが生きていることに変わりはない。生きている以上、医学は無縁ではないね」
そんな前置きをしてから、ニドネ助手は説明を始めた。
「古来より、病は腐敗した気より生じるとされた。『病気』という言葉が、まさにそれだね。病気に詳しい子はいるかな?」
今こそ我が学識を披露する好機だ。サリカは素早く挙手する。
「おっ、意欲的な学生がいるね。君は?」
「サリカ・ユイ・アソンです」
「うん、じゃあ知っていることを少し話してごらん」
こう見えても医学は得意中の得意だ。サリカはハキハキと答える。
「病は『瘴』『熱』『辛』『臭』の四種の気より生じます。この四種のいずれか、あるいは複数の組み合わせにより、様々な症状が起こります」
「うん、古典医学の基礎をしっかり学んでいるね。とてもいいよ」
「それぞれの気には対応する治療法があり、例えば『臭』の気は香によって退けることができます。病気の治療に香辛料や香味野菜を用いるのも、それが理由です」
「あー、うん、そこまで。そこまででいいから。よく勉強しているね」
ニドネは苦笑してサリカを制したが、サリカはちょっと不満だ。実家の医学書を全巻読破し、かなりの項目を暗記している。
ニドネは説明を続けた。
「これが古典医学だ。ちゃんと効果を上げている技術なので、一定の信頼を置いてもいいと思う。でも最近、病気の原因は『気』ではないことがわかったんだよ」
「えっ?」
サリカが驚いている間に、ニドネは教室を見回す。
「あ、いたいた。メッティ・ハルダ。答えなさい」
「……はい」
スッと立ち上がるメッティ。
彼女は少し困ったような顔をしていたが、よどみなく説明を始めた。
「病気の原因は様々ですが、その中には未だに発見されていない極小の生物が引き起こすものがあります」
(えっ!?)
初めて聞く話だ。サリカだけでなく、他の学生たちも驚きを隠せない。
だがニドネは満足げにうなずいているし、メッティは説明を続けている。
「これらの極小生物は空気や水、食物に無数に存在しています。体表にもです。これらの体内への侵入を防ぐことが病気の予防になります」
正統ファリオ式の美しい発音で、学生たちの知らない知識がスラスラと紡がれていく。
(な、なんなの? この子、ド田舎の離島育ちじゃなかった? なんでこんなに発音が綺麗なの? 弁論術も凄く巧みで……)
「先ほどサリカさんがおっしゃった香辛料や香味野菜には、それらの有害な極小生物を弱めたり、極小生物に対する抵抗力を高める効果もあります。基となる理論は異なりますが、効果的な手段です」
「はい、よろしい。さすがだね、メッティ」
「ありがとうございます」
ちょっと照れくさそうに微笑み、着席するメッティ。
観察力の鋭いサリカはまた驚く。
(もしかしてこの子、ニドネ先生と知り合いなの……?)
サリカは知っているが、ニドネ助手は医学者の若手ホープだ。特に疫病について深い知識があり、この一年足らずの間にいくつもの新しい発見をしているという。
(まさかコネで不正に? いえ、それはないか。この子の知識は本物だし、不正なんかする必要もないわ)
愕然としつつも、サリカはペンを走らせる手を止めることができなかった。未知への探求心が頬を熱くさせる。
そしてニドネの講義が本格的に始まる。
「このように、伝統的な医療も経験の積み重ねによるもので無視できない。古い情報だからといって侮らないようにね。蓄積された情報は価値あるものだよ。さて、ここからが本題だが……」
(凄い……メッティもこの大学も凄い……)
胸のときめきが、サリカの心をとめどなく熱くさせていた。




