士の道・1
077
俺がこの世界に漂着して、もうすぐ一年が経とうとしていた。
一年前、俺はメッティと出会ってエンヴィラン島にやってきた。あのときメッティは王立大学を受験する途中だったが、海賊に誘拐された女性たちを助けるために受験を断念している。
そしてもうすぐ、王立大学の入試が始まる。
「今年こそは絶対に、お前を受験会場に送り届けてやるからな」
俺はカレンダーで何度も日付を確認しながら、士官食堂で勉強しているメッティに笑いかけた。
七海もガッツポーズをする。
『この艦で会場まで直接乗り付けますからね。この世界でこれより確実な方法はありませんよ』
空の上には海賊はいないからな。
しかしメッティはどことなく浮かない表情だ。
「せ、せやな……おおきに」
俺は不思議に思い、彼女に声をかける。
「どうした? 何か心配事か?」
するとメッティは軽く首を振り、それからこう言った。
「ミオのこと考えてたんよ。あの子は読み書きも計算も、パン職人として必要な最低限しか知らへんやろ?」
「まあな。ほとんど学校行ってないし」
「でもあの子、将来立派なパン職人になって人の役に立つと思うねん。そう考えたら、学問ばっかりしとるのもどうなんかなって……」
ポッペンと七海が顔を見合わせている。
「私にはよくわからん悩みだが、七海にはわかるか?」
『いえ全然』
ペンギンと人工知能には、少し複雑な悩みのようだ。
俺は何となくわかったので、メッティの向かい側の席に腰掛ける。
「メッティ。その悩みはとてもいいことだ。成長の証だよ」
「成長の証が悩みって、どういうことやねん……」
不思議そうに俺を見つめているメッティが、なんだかとてもかわいい。俺は思わず微笑む。
「お前はこの一年間、この艦と共にいろんなものを見てきただろう?」
「ほとんど留守番で、何にもさせてもらえへんかったけどな!」
どうやら不満があったようで、ちょっとふくれているメッティ。
そうは言うけど、生身の女の子をウィルスやゾンビに曝せないだろ。
俺はそのクレームは軽くかわして、話を続ける。
「見聞を広め、いろんな人々のいろんな生き方を見てきた。世の中の複雑さも少し学んだ」
人生の『正解』は人ごとに違うし、時と場所によっても違う。
だから迷惑な善人もいれば、信頼できる悪人もいる。両方を兼ね備えた人もいる。
ひとつの価値観、ひとつの生き方しか知らない者には、それは理解できないことだろう。
俺自身もそのへんを理解できてるんだか、正直自信はない。
でもとにかく、メッティが見聞を広めたことは事実だ。
「学問が全てじゃない。学者や貴族や軍人ばかりが偉いんじゃない。船乗りもパン職人も大事な仕事だ」
会社だって取締役だけで動いてる訳じゃないんだからな。
現場で働く俺たちがいなけりゃ、株主への配当金だって出せやしない。
だから給料上げてくれ。あと休暇もな。
もう関係ないけど。
俺は苦笑し、メッティの顔を真正面から見つめる。
「そういうことがわかってくると、いろいろ悩みも出てくる。自分の選ぼうとしている道は本当に正しいんだろうか、とな」
「せやな……」
メッティが腕組みして、鉛筆をテーブルの上に置く。
俺はそれを拾い、クルクル回して言葉を続けた。
「実を言うと、俺はメッティの年頃にはあまり悩まなかった。狭い世界しか知らないガキだったから、適当に生きてきた。そのせいで後から苦労する羽目になった。今は帳尻を合わせてるところだ」
異世界転移してなかったら危ないところだったよ。
「お前は今、その若さでいろいろなことを考えて悩んでいる。多様な価値観を理解したからだ。だからこそ、お前には学問を修める適性があると思う。学んだ知識を正しいことに使ってくれるだろう」
「せ、せやろか?」
「視野が狭くて何も悩まないヤツは怖いからな……」
そういうヤツは発明や発見をとんでもない用途に使いそうだ。
なんだか柄にもなく偉そうな説教になってきた。俺は苦笑しながらメッティに鉛筆を返す。
「自分の正しさについて悩みながら、それでも前に進もうとする人間を俺は尊敬するよ。一年前にも言ったが、お前は凄いヤツだ」
俺のいた世界じゃ、みんなゆっくり悩む暇もなかった。だからあんな生きにくい世の中になったんじゃないだろうか。
メッティは海賊のせいで一年浪人してしまったが、俺は彼女にとって悪いことではなかったと思っている。遠回りなんかじゃない。
でもそれを言われても本人には納得できないと思うので、俺はこう言っておく。
「学者になるかどうかは、学問を修めてから考えてもいいだろう。王立大学出のパン屋や雑貨屋がいてもいいと思うぞ」
「そういう考え方もあるんか……」
「もちろん」
未来の人材を育てるために多額の国費を投じている王様は、たぶん困るだろうけど。
俺のこんな助言がどれぐらい役に立つのかわからなかったが、メッティは大きくうなずく。
「そっか、せやな。艦長の言う通りや。一年前の私なんか、まるっきり子供やったからな。今年こそはバッチリ受験して、首席で合格したるわ」
「おう、その意気だ」
納得してくれたようだ。さすがメッティ、賢い。
俺はシューティングスターの艦長スケジュール表を確認する。
本当は軍務の予定を書き込むものなんだろうけど、俺のは「メッティ入試」とか「モンテオ港・荷卸」とか「島民役員会(正午)」とか、やけにアットホームだ。
「受験は来週だな。明日ぐらいにもう出発して、早めに現地入りしてしまおうか」
しかし七海が首を横に振る。
『艦長、それまでにハルダ商店からの輸送依頼が二件と、カレン海運からの警護依頼が一件あります。メッティさんを首都に置いて、エンヴィラン島に戻ることになりますよ』
「メッティを置いていくのは心配だな。保護者としての責任がある」
俺が腕組みすると、ポッペンが魚をあぐあぐ呑み込みながらこう言う。
「それに依頼を円滑にこなすには、メッティの通訳は重要だ。私も艦長も七海も、パラーニャ語は母語ではないからな」
「そういやポッペン、いつの間にか日本語覚えたな?」
「造作もないことだ」
前々から思ってたけど、卵生なのに胎生の我々と同等の知能って凄くない?
それにしても、あんまり早めの現地入りは無理か。それにシューティングスターが海を留守にしていると、近海の海賊たちが元気になる。
あいつらは独自の情報網を持っているらしくて、シューティングスターがエンヴィラン島にいる間はおとなしくしている。
どうも「エンヴィランの海賊騎士に海賊行為を見つけられると、即座に撃沈される。そして海賊騎士はこの海全てを監視している」と噂しているらしい。
それは誤解なのだが、そう思ってもらった方が都合がいい。航路の治安維持のため、そのままにしている。
「となると、受験の前日ぐらいに発とうか。艦内で一泊すれば安全だ」
シューティングスターなら当日の朝に島を出発しても間に合うんだが、俺は心配性だ。
「七海、スケジュール表の更新を。あと目覚ましの用意も頼む」
『はい、艦長』
「それと整腸剤と解熱剤、そうそう膝掛けと予備の筆記用具も必要だな。あ、水筒も出しておこう。生水は危険だから湯冷ましを」
『あの、艦長? ちょっと落ち着いてください』
冗談じゃない。受験ってのは大事なんだぞ。
俺がそわそわしていると、メッティが溜息をついた。
「エンヴィランの海賊騎士がこんな心配性の世話焼きなんて、誰も知らへんやろな……」
「うむ、私のお袋以上だ」
何と言われようが、今回は万全を期す。
メッティは一度、自分の入試を投げ出して見ず知らずの人たちを助けたんだからな。
それに報いられなくて、何の海賊騎士だ。
「メッティ、着替えは余分に用意しておけよ? いや、新しい服を買おう。既製服なら間に合うな。七海、首都ファリオに向かえ」
七海が何か言うより早く、メッティとポッペンがツッコミを入れてくる。
「艦長、艦長。ちょっと落ち着こう、な?」
「自分の危機にはまるで無頓着な癖に、他人のことは過剰なほど心配するのだな、艦長。さすがは私が惚れ込んだ男だ」
ええい、受験準備の邪魔をするんじゃない。




