英雄伝「海賊の金貨」
076「海賊の金貨」
「どうかな……?」
窯から取り出したパンは、朝の光を浴びてまばゆいほどに輝いていた。円形の薄焼きパンはこんがりと色づき、まるで金貨のようだ。
糖度の高いパンは綺麗な焼き色がつくが、それだけに焦げやすく加減が難しい。
「うまく焼けたよ!……たぶん」
並んでいるパンはどれも美味しそうだが、まだ安心はできない。パンの焼き加減は見た目ではわからないことが多い。見た目は良くても生焼けになっていたりする。
ミオはおそるおそる、傍らの父親を振り仰いだ。
「どう?」
腕利きのパン職人である父は、ずらりと並んだパンを一瞥しただけで軽くうなずく。
「悪くない。そこの端の二つ以外は店に並べられそうだ。最近は焼きムラも随分減ったし、この窯のクセをつかんできたな」
どうやらまずまずの出来らしい。ミオは露骨にホッとする。
父はさらにこう言った。
「六割の出来でも全部店に並べられるようになったら、お前も一人前のパン焼きだ」
「六割?」
「そうだ。十割の出来でないと全部店に並べられないようなら、とても商売にならないだろう。いつも十割の出来なんて、お父さんにも無理だ」
日頃はあまり多くを語らない父だが、今日は珍しく機嫌良く語りかけてくる。
「窯の火がうまく回らなくても、生地の機嫌が悪くても、お父さんたちはパンを焼かなきゃならない。それも毎日同じ味、同じ大きさ、同じ形でな」
「それが難しいんだよね」
ミオの作るパンは、父のものほど大きさや形が揃っていない。焼き加減もムラがある。同じ窯でも場所によって火力が違うからだ。
しかし父は笑顔だった。
「なあに、この調子で励めばいい。いずれ組合に申請して、一人前の親方にしてやる。そしたら海賊騎士の手下にしてもらえ」
「いいの!?」
「パン職人として一人前になった後なら、何が起きようがパン職人として食っていけるだろう。だからお前の好きにしていいんだ。店はティモかレランが継ぐさ」
ミオの兄弟たちの名前を出した後、父は苦笑する。
「それにしても、お前がエンヴィランの海賊騎士に連れられて無事に帰ってきたときには、心底驚いたよ」
「騒ぎにならないよう、そっと連れてきてくれたから……」
「お前が海賊にさらわれたと知ったときには、もう二度と会えないかと覚悟していた。あの人は俺の大事な息子を取り戻してくれた。我が家の恩人だ」
そのとき、店の方からミオの母が厨房にやってきた。
「あんた、あの変な男がまた広場に来てるよ」
「海賊騎士の偽者か」
ミオの父が渋い顔をする。
「パンも人も、この国は紛い物だらけだ。まさか来ないとは思うが、うちの店には絶対入れるんじゃないぞ」
「わかってるさ、ウチは『海賊騎士御用達』の店だからね」
ミオの母がウィンクして引っ込む。
ミオは拳をぎゅっと握りしめると、父を見上げて言った。
「僕、やっぱりあの偽者が許せない」
「よせ、危ないぞ。ああいう手合いは何をするかわからん」
「そりゃ僕だって怖いけど、見過ごせないよ」
大好きな海賊騎士を汚されているようで、ミオには我慢できなかった。
父はしばらく考えた後、溜息をつく。
「気持ちはわかる。店から見といてやるから、存分にやってこい」
「うん!」
ミオはエプロンを脱ぐと、店の外に飛び出していった。
広場では船長帽を被った男が、少年たちを集めて武勇伝を披露しているところだった。
「雷帝グラハルドも大したことはなかった。あの老いぼれ、俺の顔を見るだけで怖じ気付いてな」
「ほんと?」
「もちろん。このサーベルで一突きさ。で、そのときヤツから奪った金貨がこいつだ」
眼帯をした男は、懐からピカピカの金貨を取り出してみせた。
「わあっ!?」
「それ本物の金貨!?」
子供たちが殺到する。
そのとき、ミオの声が広場を貫いた。
「それは偽物だよ。本物の金貨には初代の王様の顔が彫ってある」
眼帯の男が持っているのは、金貨風の小物だ。王族の肖像を無断で作ると罰せられるため、このコインに彫られているのはドクロと帆船だ。
少年の一人が、ミオに言った。
「で、でもよミオ、この人が噂の海賊騎士なんだぜ? お前も会ったことがあるんだろ」
ミオは首を横に振る。
「その人も偽者だよ。エンヴィランの海賊騎士じゃない。本当の海賊騎士なら、空飛ぶ海賊船シューティングスターが近くにあるはずだけど」
すると男は一瞬たじろいだが、すぐに馴れ馴れしい笑みを浮かべた。
「おっと、誤解させてしまったかな。俺はフラギールの海賊騎士。エンヴィランの海賊騎士とは良きライバル、というところだ」
少年たちが顔を見合わせる。
「聞いたことある?」
「ううん」
偽の海賊騎士は小さく舌打ちしたが、すぐにミオに向き直った。
「どうやらこのモンテオには、まだ俺の勇名は轟いていないようだ。しかし俺の武勇伝は、さっき君たちも聞いただろう? 雷帝グラハルドを倒したのも、本当は俺なのさ」
なんという卑劣な男だろう。ミオは怒りに燃えて、紛い物の英雄を睨みつけた。
「お前の武勇伝は、全部嘘だ」
「なぜ嘘だと言い切れるのかね、少年?」
偽者はかなり苛立っている目つきをしたが、口調だけは丁寧に問いかけてくる。
ミオはその敵意のこもった視線を、真正面から受け止めた。
「本当の英雄は、軽々しく武勇伝を語ったりしない。エンヴィランの海賊騎士は一度だって、僕に武勇伝を語ったりしなかった」
「ふん、それはお前が子供だからだろう?」
偽の海賊騎士は動じていないが、ミオは何だか腹を立てるのがバカバカしくなり、小さく溜息をついた。
ミオには何となくわかっている。
海賊騎士もミオの父親も、普通の人にはとても真似できないことを軽々とやってのける。
でもそれは、二人にとって特別なことではない。ごく当たり前のことなのだ。
だから二人とも、そのことを誰にも自慢しない。
だんだん哀れになってきたミオは、そのことを偽者に教えてやる。
「自慢してるってことは、お前はそれを凄いことだと思ってる。でもエンヴィランの海賊騎士は、どんな凄いことをやっても自慢なんかしないんだ。あの人にとっては、そんなのはいちいち自慢するほど大したことじゃないからだよ。凄さがまるで違う」
偽者の海賊騎士は言葉に窮したのか、しきりに帽子を整える。
「な……生意気ばかり言う小僧だ。そういうヤツは長生きできないぞ? なんならここで、サーベルの錆にしてやろうか?」
悪党の目に、ギラリと殺意が光る。
ミオは怯えたが、それでも勇気を振り絞って立ち向かった。海賊騎士なら、どんな相手でも怯んだりしないはずだ。
「僕を殺しても自慢にはならないよ。それとも、お前にとっては自慢になるのか?」
その頃にはもう、周囲にかなりの人だかりができていた。面白そうなことがあれば首を突っ込むのが、パラーニャの人々だ。
さすがにこれだけ人目があるとサーベルを抜くことはできない。もしそんなことをすれば、怒り狂った民衆に捕まってリンチに遭うのは確実だった。
「食えねえガキだ」
偽者の海賊騎士は捨て台詞を吐いて退散しようとしたが、ミオはその背中に慌てて声をかける。
「待って」
「なんだよ」
不機嫌そうな偽者の海賊騎士に、ミオは精一杯の親切心でこう言う。
「こんなこと、もうやめた方がいい……。きっとひどい目に遭うよ」
「うるせえ! ほらどけ!」
人混みをかき分けて去っていく悪党。
ミオは溜息をつき、空を見上げた。
青い空に輝く、海賊船シューティングスター。まだ遥か遠くだが、こちらに向かってきている。
ミオが住むモンテオの街に、本物の海賊騎士が降り立とうとしていた。今日も悪と戦う為に航海を続けているに違いない。
海賊騎士はあんなつまらない偽者をいちいち相手にはしないだろうが、彼の仲間たちは別だ。艦長を心から慕う仲間たちは、卑劣な偽者を絶対に許さないだろう。
偽者の末路を想像して溜息をついたミオの周囲に、友人たちが集まってくる。
「すごかったよ、ミオ!」
「あんな怖そうなヤツなのに、堂々としてたな!」
「お前、度胸あるぜ!」
浴びせられる尊敬の視線。
ミオは嬉しくなって「すごいでしょ」と言いたくなったが、ぐっと我慢した。
海賊騎士ならこういうとき、自慢はしないはずだ。自分も海賊騎士みたいになりたい。
だからこう答える。
「みんな、あんな変な人に関わっちゃダメだよ。海賊騎士の偽者なんて、きっといくらでもいるはずだから」
すると少年たちは恥ずかしそうに頭を掻く。
「ま、まあな……」
「わりぃ、次から気をつけるよ」
「へへ……」
少年たちの一人がふと、こんなことを聞いてくる。
「でもミオ、本物の金貨を見たことがあるんだな」
「海賊騎士に見せてもらったんだよ。お祭りのパンを焼くときの参考にしろって」
ミオはそう言って、ふと遠い目をする。
「『ホンモノ』を見ちゃうと、もうニセモノの輝きなんかね……」
本物の海賊騎士は輝いていた。偽者とは比較するのもバカバカしい。
どうせ憧れるのなら本物の男、本当に偉大な男に憧れたい。ミオはそう思いながら、店の戸口で見守ってくれていた父に軽く手を振る。
それから少年はシューティングスターの雄姿を見上げると、自分の戦場を目指して歩き出した。




