海賊の金貨・2
072
カレン船長はカトラスを振りかざし、乗組員たちを鼓舞する。
「しっかりしな! あいつらに捕まったら、この子たちはまた奴隷に逆戻りだよ!」
船倉に続く階段から不安そうに顔を覗かせているのは、若い娘たちだ。彼女たちは商品用の奴隷として、さっきまで海賊に捕まっていた。
だが必死に操船している乗組員たちも、年齢は様々だが大半が女性だった。
そのうちの一人が叫ぶ。
「船長、だんだん追いつかれてます! あっちは帆が大きくて……」
「わかってるさ! ちょっと待って!」
カレンは望遠鏡を覗き、ハッと気づいたように叫ぶ。
「舵手に伝えて! 風上に逃げるんだ!」
「風上に!?」
「向かい風ですよ!?」
驚く仲間たちに、カレンはこう伝える。
「連中の船は、船体の割に三角帆が小さい! 同じ向かい風の中なら、私たちの船が有利だよ!」
三角帆は縦帆とも呼ばれ、真横からの風に対応している。追い風でしか進めない横帆とは違い、横風でも前進することができる。
さらに向かい風でも、斜めになら前進することが可能だった。
すぐさま舵手が風上に舳先を向ける。激しく揺れるマストの上で、恐れ知らずの女船乗りたちが横帆を畳む。向かい風では邪魔にしかならないからだ。
甲板の上では、別の女船乗りたちが綱を引いてマストを操っていた。
古参の元海賊たちが叫ぶ。
「新入りども、頬で風を感じな! 内海の風はすぐ変わるわよ!」
「ほら変わった! 綱を緩めて!」
カレンは望遠鏡で追ってくる海賊船を見る。こちらの船より大型だが、機動はかなり素早い。こちらの動きに対応して、横帆を畳んで追撃してきた。
「あっちも相当やるね……」
そこに砲術長がやってきた。
「これ以上近づかれると、あっちの艦首砲の射程に入ります。こちらの船尾砲は届きませんけど」
「確かあいつらの艦首砲は、最新型のカンバネル砲だね。ベッケン海軍しか持ってないはずなのに」
砲術長が首を傾げる。
「ベッケン海軍からの掠奪品でしょうか? 横流し?」
「でなけりゃ、ベッケンの私掠船かもね」
まずい相手と関わってしまった。
距離はじりじりと開いてはいるが、油断するとすぐに詰められる。
「新米ども、しっかり働きな! ここが踏ん張りどころだよ!」
そうこうするうちに、ようやく距離が開いてきた。少しずつ海賊船が遠くなる。
「よし、いける」
カレンがほっとした直後、彼女はギョッとした。
風がどんどん弱くなっている。
「船長! 夕凪が!」
「嘘でしょ!? まだこんなに陽が高いのに!」
しかし風は無情にもさらに弱まり、三角帆は徐々に力を失う。
それと同時に、海賊船がじわじわ近づいてきた。船体から長いオールが数本突き出ており、鏡のような海面をゆっくり漕いでくる。
「非常用のオールまで出してくるとはね」
「姐さん、あたしたちも!」
「こっちは漕ぎ手が女ばかりだし、交代要員もいないわ。追い回されて疲れ果ててから白兵戦ってのは、まずいわね」
敵はかなりのベテランだ。逃げ切れないと判断したカレンは、すぐさま覚悟を決めた。
「砲術長、ありったけの大砲を船尾に集めて! 残りの者は白兵戦用意!」
その瞬間、船体に大きな衝撃が走った。
「きゃあっ!?」
「なっ、何!?」
経験の浅い少女たちが怯えるが、カレンは動じない。
「敵の大砲だよ! 被害報告!」
「船尾被弾! 喫水線より上だけど、船倉に浸水あり!」
最悪の状況だ。
古参の元海賊たちが青ざめる。
「マジ!? こっちには奴隷の女の子たちがいるのに……」
カレンたちが救出した人質たちは、海賊たちにとっては大事な『商品』のはずだ。
だがカレンはフッと笑う。
「どうやらちょいと恨みを買いすぎたね。私たちを海の藻屑にする為なら、儲けなんざどうでもいいってさ」
こうなると白兵戦は発生しない。後は大砲で一方的に撃ちまくられ、浸水して沈没するだけだ。
「こうなったら、小舟で人質だけでも逃がして……」
そうつぶやいたとき、誰かが叫ぶ。
「船長! 上!」
「カレン! あんたの彼氏が来たよ!」
「え?」
不屈の女船長が、ふと間抜けな表情になった瞬間。
海賊船に光の柱が立った。いや、光の槍が突き刺さった。
次の瞬間、海賊船が炎に包まれる。威容を誇った軍艦が、まるで焚き付けのように燃えていく。
「あれは……」
空を見上げると、そこには空飛ぶ巨艦。
エンヴィランの海賊騎士が駆る、無敵の海賊船シューティングスター。
パラーニャ中の悪党が震え上がる、誇り高き正義の象徴だ。
船乗りと人質、全員が空を見上げていると、シューティングスターから声が発せられた。
『カレン、大丈夫か?』
艦長の優しい声に、カレンは思わず船縁に寄りかかる。真新しい船長帽がずれるが、カレンは安堵の溜息をついた。
「ありがと、艦長……」
たった今、大丈夫ではなくなったカレンは船長帽で顔を隠した。
* * *
そして俺はカレンの船に降りて、彼女にくどくどと説教していた。
「無謀なことばかりしていると、あの世のグラハルドが嘆くぞ」
「わ、わかってるわよ!? 親父さんの名前出さないで」
「わかっているのなら、もっと慎重に行動しろ」
さっきまで必死にがんばっていた彼女を叱るのは我ながらひどいと思ったが、とにかく心配なので説教が止まらない。
パラーニャの海からは海賊が消えたが、それは永遠の平和を意味する訳ではない。
海は法の支配が及ばない場所だから、もちろんすぐに海賊が湧いてくる。海賊と交易商人は紙一重だから、何かあれば武装商船はすぐに海賊船に早変わりだ。
最近ではむしろ、組織化されていない海賊がちょこちょこ悪事を働いているらしい。普段は交易商人、気が向いたら海賊という連中だ。そして正規の積荷と一緒に掠奪品を売りさばく。
陸の上では法を守る「善良な商人」なので、誰も取り締まれない。
カレンはそんな連中から人々を守っていたようだが、今回の相手はちょっと悪かったようだ。
沿岸の村を襲って奴隷を集めていた海賊たちは、最新式の外国製大砲で武装していたという。
ベッケン公国とかいうところの私掠船だろうか。領海の概念もレーダーも哨戒機もない世界だから、他国の船でも割と自由に侵入してくる。
私掠船は国営海賊だ。カレンとクルーたちが腕利きとはいえ、民間の船一隻で何とかするには相手が悪い。彼女たちに何かあったら大変だ。しばらくはシューティングスターも遠征しない方がいいかもしれない。
俺は腕組みして、思わず溜息をつく。
するとカレンが何か勘違いして、拳を握りしめた。
「な、何よ?」
「いや……」
カレンたちは今、海賊被害に苦しむ人々を儲け度外視で助けている。本来ならパラーニャ王室がやるべきことだ。
王様に文句言った方がいいな、これは。
そう思ったところで、俺はふと周囲の視線に気づく。
カレンの船のクルーは、ほとんどが女性だ。もともと女性の立場が弱い世界だが、その中でも特に社会的に弱者だった人が多い。
今はみんな、いきいきと働いている元気な船乗りだ。
彼女たちは仕事の手を止めて、じっと俺を見つめている。
なに? なんか用?
俺が目を向けると、みんな慌てて目をそらす。どうもやりづらいな。
あ、しまった。
部下が見ているところで、みんなの知らないおっさんから説教されているカレンが気の毒だ。船長のメンツが丸潰れだぞ。
悪いことをしてしまった。急いでフォローしておこう。
俺は表情をなるべく穏やかにして、微笑んでみせる。
「だが、お前が無事だったのだ。もう何も言わんよ」
「わっ!?」
今叫んだの誰だ。
カレンは目をまんまるにして俺を見ているが、叫んだのは彼女じゃない。
俺はますますやりづらく感じながら、会話の行き先が見えないまま言葉を重ねる。
「いつも思うが、この船は素晴らしい。乗組員が規律正しいだけでなく、船内も清潔だ。貴族や富裕層に根強い顧客がいるのもよくわかる。さすがはカレンだな」
こういうのはやっぱり、女性ならではって気がするな。
「お前のような変わり者が、この海からいなくなると寂しい。本当に無事で良かった」
かなり強引に話題をねじ曲げて、カレン船長を称えてみました。
どうでしょうか、クルーのみなさん?
そう思って彼女たちの視線の先を追ってみると、カレンが真っ赤になってうつむいていた。
なんか……もしかすると、変な方向に傷口を広げてしまった気がする。
こういう場合はどうすればいいんだ。誰か助けてくれ。
そう思ったところに、絶妙のタイミングでメッティから通信が入る。
『艦長、こっちは船倉や。ちょっと来てもろてもええかな?』
何かあったようだ。俺はその場を静かに去り、そそくさと船倉に向かう。
その間にメッティが報告を続ける。
『破損箇所は喫水線のだいぶ上やし、大したことあらへん。船体を大きく傾けへん限り浸水せんから、港まではシューティングスターの電動ポンプで対処できそうや。ただ……』
ただ?
『艦長に会わせろって、さっきから変なガキがうるさいねん。あっ、こら! あかんって言うとる……』
そこから先はパラーニャ語に変わり、メッティと誰かの激しい口論が始まった。
よくわからないけど、子供の世話はお前だけでたくさんだよ?