英雄伝「英雄たちの王」
053「英雄たちの王」
俺はシューティングスターに戻った後、死ぬほど後悔していた。
「あー、しまった……」
「どしたん?」
メッティが紅茶を煎れてくれたので、俺はそれを一口飲んで溜息をつく。
「国王って、王立大学の最高権力者だろ?」
「せやな」
「お前のことよろしくって、お願いしとけば良かったなと」
裏口入学させてくれとは言わないが、無事に入試を突破できたらいろいろ面倒を見てやって欲しい。
ちょっとズルいが、それが親心だ。
しかしメッティは苦笑して手をヒラヒラ振る。
「そんなんいらんって。小細工無用、実力だけでてっぺん取ったるからな。正門前の銅像、私のヤツに作り替えさせたるわ」
「頼もしいな」
正々堂々という言葉がよく似合うメッティは、ときどきとてもまぶしい。
心の汚れた俺には、ちょっとまぶしすぎる。
だが他にも、お願いしておきたいことはあった。
「メッティはそれでいいとして、ポッペンのこともお願いしておけば良かったな。国庫からちょちょいと出してもらえば、ソラトビペンギンの街だって簡単に作れるだろう」
しかしこれも、ポッペン自身が首を横に振る。
「必要ない。私はあなたと一緒にやりたいのだ。それに知らない人間から助けを借りると、後々面倒だ。御免被る。国家とかいう訳のわからないモノは特にな」
こちらも正々堂々としていて、俺にはちょっとまぶしすぎる気がした。
だがこういう心の綺麗な連中と一緒に生活できているのは、俺にとって非常に気持ちがいい。
だから俺は二人を見て、にっこり笑う。
「ありがとう。やはり二人は尊敬すべき仲間だ」
メッティは頬を赤らめ、ポッペンは羽をぱたぱたさせる。
「お、おおきに」
「なに、艦長こそ最も尊敬すべき男さ」
七海がモニタの隅っこから、こそこそと俺を見ていた。
『ここにも仲間がいますよー……』
「尊敬はしてない」
『やっぱりそうですか』
しょげる七海。
俺は苦笑して、タッチパネルで七海の頭をくりくり撫でる。
「だが、信頼はしている」
『あっ、ありがとうございます! がんばります!』
いい仲間に恵まれて、俺は幸せ者だな。
それからふと、俺はフェルデ王のことを思い出す。
「やっぱり王様は王様だったな。大したもんだ」
「そんなに立派やったの?」
「ああ。威厳を持ちつつも寛大で、おまけに聡明だった。あの王がいてくれる限り、パラーニャは安泰だな」
やっぱり俺みたいな庶民とは、育ち方が違うよなあ。
いい経験になった。
あの王にも、いろいろ立場がありそうだ。俺に称号なんか授けたのも、俺との間に「称号を授ける者と受け取る者」という非対称の関係性を構築したかったんだろう。
簡単に言えば「私はあの艦長に称号を授ける立場にある」と、内外にアピールしたかった訳だ。苦肉の策だな。
だから俺も、あの称号だけは素直に受け取っておいた。『海賊騎士』ってカッコイイしな。
これが『くびれ大好きマン』だったら、どう断ろうか頭を抱えていたと思う。
ふふ、この俺が『エンヴィランの海賊騎士』か。最高にカッコイイ……。
俺はにやけながら椅子から立ち上がり、七海に命じた。
「さて、また地道に仕事するか。通行税払わなくていいって王様が認めてくれたからな。エンヴィラン島に帰るぞ」
『はい、艦長!』
* * *
蒼天の彼方に遠ざかっていく鉄の軍船を見送りながら、フェルデは腹心のアッティオに問いかけた。
「私を愚かな王だと思うか?」
先王の頃から王室に仕える忠臣は、真顔で首を横に振る。
「王として八方に顔を立てるには、あれより他に方法がありますまい」
「そうだな。諸侯の請願も無視はできぬが、あの男は私に従うような尋常の器ではない」
フェルデ王は王冠を脱ぎ、額を撫でてからまた王冠を被り直した。
「だがあの艦長も、私の授けた称号だけは受け取った。私と彼の間には、これで公的な関係ができたことになる。細い細い鎖……いや、糸一筋だが、なんとか繋がった」
王室と完全に無関係の存在を、国内で自由に飛び回らせておく訳にはいかない。
しかし艦長は一応、『海賊騎士』の称号を持つ身になった。
「これでどうにか、私も国王として面目が保てたよ。おそらく艦長は、それも見越した上で称号を受け取ってくれたのだろう」
どっちが貸しを作ったのかわからんなと、王は深い溜息をつく。
するとアッティオが苦笑する。
「王室が授与する『王室称号』は、身分制度の外にある者をどうにかする為に先王陛下がお作りになられたものでしたな」
「ああ。領地つきの正式爵位、領地つきの一代爵位、領地なしの一代爵位、そして名誉爵位に王室称号。あれやこれやと使い分け、秩序を保たねばならん。まったく面倒だ」
王のぼやきに、忠臣がまた笑う。
「先王陛下より『それをやってのけてこその王だ』と、さんざん言われましたでしょう? 『王は尋常の者では勤まらぬゆえ、英雄の道を歩まねばならない』とも」
「思い出させるな。たまに離宮に会いに行く度に、今でも言われてるのだぞ」
もういい加減子供扱いはやめてくれと、フェルデは溜息をつく。
「だがな、アッティオよ。私は最近、父とは逆の考えを抱くようになった。王は英雄ではない。むしろ、英雄であってはならぬ」
「ほう」
少し驚いたような顔をするアッティオに、フェルデ王は迷いのない口調で言った。
「王は例外なく、凡人たちの王である。それゆえに凡庸なる者の道を愚直に、そして着実に歩まねばならぬ。私には空飛ぶ船はないのだからな」
王は書斎の椅子から立ち上がると、窓の外を見上げた。
「私が率いるのは凡庸なる貴族と凡庸なる兵士たち。手を握るのは凡庸なる神官たちで、酒場で私の悪口を言っているのは凡庸なる平民たちだ。英雄など、どこにもいない」
フェルデは忠臣に背を向けたまま、頭を掻いた。
「だがあの男だけは紛れもなく、本物の英雄だった。数々の噂も武勇伝も、全て本当だったと確信できる。正直、謁見しながら私は震えっぱなしだったよ」
「左様ですな……。聞いていたよりは穏和な人物でしたが、生きた心地がしませんでした」
船の中で死ぬかと思いましたと、アッティオがぼやいている。
王は振り返ると、額を拭っているアッティオに笑いかけた。
「実はな、アッティオ。あのとき侍従長が邪魔しなければ、艦長に別の頼み事をしようと思っていた」
「はい?」
「『私もあの船に乗りたい。英雄の仲間に入れてくれ』とな」
アッティオがあんぐりと口を開け、まじまじと王を見つめる。
「正気……いえ、本気ですか?」
「本気だったとも。だがもちろん、実際には言わなかっただろう?」
「言っていたら今頃、侍従長が先王陛下に早馬を飛ばしているところですぞ」
アッティオの驚きぶりが面白くて仕方がないフェルデは、くすくす笑う。
「心配するな。……会ってみてわかった。やはり私は英雄ではないし、英雄にはなれそうにもないな」
「陛下……」
今度は寂しそうな顔をするアッティオ。
フェルデは年上の親友を悲しませたくないので、明るく手を振った。
「だからそう心配するな。何度でも言うが、凡人だからこそ凡人たちの王に相応しいのだ」
王は窓の外を見つめ、もう見えなくなった船影を追う。
「真の英雄しか乗組員になれぬという、空飛ぶ軍船。私が子供の頃に憧れた、英雄伝の光景そのままだ。感動すら覚えた。だがこの世を支えているのは、一握りの英雄だけではない」
フェルデは書斎の机に向かうと、山積みになっている書類を手に取った。
「この世の大部分を支えているのは、数多の凡人たちだ。私やお前のような」
「おお、なんというもったいないお言葉……」
感涙を拭うアッティオに、王は笑いかける。
「ではこれからもこの凡人に忠誠を誓うか、アッティオ?」
「言うまでもございますまい。このアッティオ、これからも命をかけてお仕えいたしますぞ。行けと仰せられるのでしたら、『エンヴィランの魔王』の軍船にでも」
「ははは、確かにお前しか行ってくれなかったな」
王と忠臣は顔を見合わせ、昔のように大声で笑った。
「さて。ではまず、この書類の山を夕食までに片づけてしまおう。手が足りぬ、書記官と内務官を呼べ」
「御意」
忠臣は深々と頭を垂れた。
 




