荒野のレインメーカー・4
045
ラウドはさっそく、雨乞いの儀式の下準備に取りかかった。
「村長殿、地下水が涸れてしまったそうだな」
「ええ、このへんには河がありませんから、先祖代々ずっと井戸を使ってたんですが……」
村にある井戸が全部涸れてしまい、今では農業用水どころか飲み水にも困っているという。
隣村に頼んで、どうにか飲み水だけは分けてもらっているらしい。
ラウドは村の簡単な地図を作り、それから地形と井戸の位置を見比べる。さらにパラーニャ全土の地図も広げ、何か考え込み始めた。
そして最後に、俺にだけ聞こえる声でつぶやいた。
「このへんの連中は知らないだろうが、去年と一昨年の冬はパラーニャ北部の雪が極端に少なかった。こういうときは翌年の河の水量も減るが、同時に井戸水も不足する。それも毎回、同じ地域でな」
それからラウドはニッと笑う。
「このふたつに関係があるとすれば、南部の井戸水は北部の雪解け水だ。信じられないだろうけどな」
俺は真顔で首を横に振る。
「いや、地下水は地底を流れる河や湖だ。パラーニャの河は北から南に流れている以上、疑問の余地はない」
ラウドが驚いたような顔をした。
「あんた、ほんとに変わってるな……。俺は大学の図書館で王様の日記や古い公文書を調べ上げて、過去四百年分の記録をまとめた。だから数十年に一度ぐらいの大干ばつでさえ、何度も知ってるんだ。でも農民にゃ、どうしても理解してもらえなくてな……」
「無理もない。農民たちの口伝だと、記憶を継承するのは数十年が限界だ。それ以上は又聞きになり、情報量も正確性もかなり落ちる」
俺がそう答えると、ラウドは妙に嬉しそうな顔をした。
「そうそう、そうなんだよ! あんたと話してると、学生時代に戻った気分になってくるな……」
いいから仕事しろ。
ラウドは真面目な顔になると、地図を書いた紙をくるくる丸めた。
「幸い、今年の積雪は例年通りの兆候を示している。井戸水も来年、遅くとも再来年には元に戻るはずさ。戻らなかったら知らん」
俺はラウドを安心させるために、古い記憶を掘り返して教えてやる。
「地下水が涸れている場合は、地盤沈下で地上の建物に被害が出る。しかしその様子は全くない。つまり地下にはまだ十分な水がある」
「お、おお……じゃあ井戸を改修するか、新しく掘り直せばいいのか……」
感心したようにうなずいてから、ラウドはハッとして俺に叫ぶ。
「いやだから、なんで海賊の癖にそんなに陸地のことに詳しいんだよ!?」
海賊じゃないからです。
俺はそのとき、ふと今回の積み荷のことを思い出した。
メッティとポッペンが下船してきたので、俺は事情を説明する。
「穀倉地帯に小麦粉を運ぶなんて仕事、おかしいと思っていたが……」
俺が言うと、メッティがうなずいた。
「せやな。このへん一帯で不作が続いとったせいか」
とりあえず、俺たちにできることをやろう。
「さて、詐欺師よ。どうする?」
「やることはいつもと同じさ。雨乞いをして、降るまで粘る」
ラウドは鈴をシャンシャン振りながら、そう答える。
俺は空を見上げたが、雲ひとつなかった。
「とはいえ、その雨も期待できそうにないな」
「……ああ」
ラウドは目を逸らした。
「俺は雲が読める。普段なら、もうすぐ雨が降りそうな村でしか依頼は受けない。それでさえ、何度もヒヤッとしたもんさ」
「今回は無謀な賭けに出た、ということか」
「まあな。正直、生け贄の儀式を止めたくてやってきたが、この依頼は受けちゃダメなヤツだよ。近いうちに雨が降る見込みがない」
彼は懐から分厚いノートを取り出した。びっしりと数字が書き込まれたページをめくり、ラウドは首を振る。
「パラーニャのエンスリオ地方……。ダメだな、この季節は降雨の記録が少なすぎる」
彼はさっきの地図を挟み、ノートをパタンと閉じる。
「パラーニャじゃ雨雲は南から来るが、今は南風が吹かないんだ。代わりに北西から吹き込む風が雪雲を運んでくるが、そいつは北部の山岳地帯に雪を降らせて消えちまう」
それからラウドは苦笑した。
「もっとも今は雨が降らなくても、いつかは降る。雨乞い師の本当の社会的役割は、それまで村人たちの忍耐と希望をつなぐことなのさ」
俺は納得してうなずいたが、考えてみると村人の忍耐にはあまり期待できそうにない。
「だがこの村の人々は、もう忍耐も希望も尽きかけている。何をするかわからんぞ」
「ああ。ちょっとまずいよな」
ラウドはそう答え、くしゃくしゃと頭を掻いた。
「あいつらは今、『雨乞い師がダメなら生け贄の儀式をすればいい』と思ってる。その状況で、何日持たせられるか……」
たぶん聞き逃してたと思うけど、そのときはお前が先に生け贄だからな。
そうならないよう助けてやるけど。
よし、余裕のあるうちにこっちの予定を片づけておこう。
俺は七海に命令する。
「七海、メッティとポッペンを連れてエンヴィラン島に戻れ。小麦粉の代金を預かったままだ」
『はい! あ、えと、艦長はどうするんですか?』
「俺は残る」
するとメッティとポッペンが同時に口を開く。
「代金の方は、別に急がんでええで? 人助けが先やろ?」
「私は艦長を守るためにここに残るぞ」
だが俺は首を横に振った。
「預かった金には責任がある。それにポッペンは生魚しか食べられないが、ここには魚はいないぞ」
「うむむ」
相変わらず全く表情は読めないが、ポッペンが無念そうな声を出している。
俺はメッティに向き直る。
「それと、シューティングスターをエンヴィラン島まで動かすこと自体に意味があるんだ。それも今すぐにな」
「ほえ?」
賢いはずのメッティが、ぽかんとした表情をした。
* * *
『艦長、どうか御無事で……』
「心配するな、それよりも頼んだぞ」
『はい、可能な限り早く戻ってきます。ミッションの予想所用時間は、およそ七十二時間です』
「わかった。オペレーション『レインコーラー』第一フェーズを開始せよ」
『了解しました! ううっ、でも艦長おぉ……』
「いいから早く行け」
泣きながら敬礼する七海と共に、シューティングスターが空の彼方に去っていく。
あんまり離れると七海と通信できなくなるので、この眼帯も機能の大半が使用不能になる。
しばらくは自力でがんばるしかないな。
そこにラウドが声をかけてくる。
「いいのか?」
「何がだ」
パラーニャ語の翻訳機能は眼帯にもインストールしておいたので、会話には困らない。
ラウドは遠ざかるシューティングスターの巨影を見上げつつ、頭を掻いた。
「あの船、もう戻ってこなかったらどうするんだ?」
「必ず戻ってくる」
するとラウドはまじまじと俺の顔を見た。
「信じているのか」
「いや」
俺は首を横に振る。
「知っているのさ」
ラウドはさらにまじまじと俺の顔を見る。
「すげえな、あんたは」
「凄いのは俺じゃない。さて、こちらの仕事に取りかかろう」
もし何かのトラブルでシューティングスターが戻ってこれなかったら、それまではラウドと組んで雨乞い師でもやるか。
まあでも、最悪でもポッペンが迎えに来てくれるだろう。
「王立大学気象学士のラウド・メイダス」
「なんだよ急に」
俺はラウドに向かって、薄く微笑んだ。
「お勉強の時間だ」
お前に未来の気象学を授けてやろう。
あくまでも受け売りですが。
「お前は天候を予測する指標として、雲を見ている。それは間違いではないが、気象というものはもう少し奥が深い」
俺は記憶の糸をたぐりながら、ラウドに告げた。
「この大気の中には、大量の水が含まれている。水蒸気という形でな」
「それぐらいはわかっている。パラーニャでも蒸留や製塩は行われているからな。水は消えることもあるが、また姿を現す」
さすがにパラーニャ最高の教育を受けただけあって話が早い。
俺はうなずき、説明を続けた。
「そうだ。そして水を含んだ大気は、上空にも到達する」
「空にか!?」
ぎょっとした様子のラウド。
「つまり、地上の空気が雲の高さまで吹き抜けるということか?」
「そうだ」
俺は早く説明を先に進めたいので、ぞんざいにうなずいた。
「日光などで暖められた空気の塊は泡のように上空に浮き上がり、そこで雲を生成する」
「ちょっと待て、泡!? 風じゃなくて!? イメージがつかめねえ」
いいから黙って聞け。
俺は構わずにどんどん進める。
「雲は空気に溶け込んでいた水が、上空で姿を現しただけに過ぎん。雲になる前から、空気の中に存在していたのだ。雲は生成と消滅を繰り返す」
「そ……そうだったのか」
そうなんですよ。俺も知らなかったけど。
「湿った空気が雲を生み出し、その雲が雨を降らせる。今は雲になっていなくても、雨を降らせる空気は存在するのだ」
俺は空を見上げた。
「シューティングスターは今、南方の沿岸まで観測に向かっている。海は湿った空気を生み出す、巨大な水源だ」
「そうか! それで南からの風が雲を運んでくるんだな!」
ラウドが目を輝かせた。
彼自身の知識と、俺から聞いた知識とが結びついた瞬間だ。
「海水から塩が取り除かれて、真水だけが空気に溶け込む! 天日で製塩するのと同じ理屈だ!」
気象学を捨ててインチキ雨乞い師になった男が、今また科学に興奮している。
なんだかちょっと嬉しくなって、俺はうなずいた。
「ああ。だから今、南下しながら上空の湿度も計測させている。その空気が十分な水を含んでいるのなら、少しの手間で雲を作れるだろう」
「雲を……作る?」
ぽかんとしているラウドに、俺は再びうなずいた。
「そしてその雲に少し手を加えて、雨を作る」
「雨を!? どうやって!?」
「また説明する」
ラウドは俺の話を大急ぎでメモした後、俺の顔をまじまじと見つめた。
「あんた……いったい何者なんだ? あんたは絶対に海賊じゃない。いや、この世の者とは思えん。どこから来た?」
どうやって帰るかもわからない迷子です。
俺は軽く手を振って、彼の疑問を制する。
「そんなことは重要じゃない。一日も早く雨を降らせて、生け贄の儀式を阻止するぞ。俺たちの仕事は時間稼ぎだ」
「わ、わかった」
うなずくラウドに、俺は問いかける。
「まず三日だ。シューティングスターが戻ってくるまで、お前のインチキ祈祷で時間を稼げるか?」
するとラウドはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりうなずいた。
「面白い。やってやろうじゃないか」
頼もしい笑みを浮かべて、彼は胸を叩いた。
「王立大学仕込みの祈祷を見せてやるぜ」
逆に不安になってきた。