荒野のレインメーカー・2
043
背後の人物の姿は、俺の眼帯には表示されていない。ここは屋内なので、シューティングスターからの映像が撮れていないからだ。
しょうがないから振り向こう。
相手は声の印象通り、若い男だった。二十代前半ぐらい?
パラーニャ人の年齢はよくわからん。
彼の身なりは普通の人とは違っていた。
複雑な刺繍が施された、ゆったりとした布をまとっている。材質不明の不思議な装身具もジャラジャラつけてるし、全体的に魔法使いっぽい。
ただ、俺はどうしても彼が『魔法使い』には見えなかった。
彼の顔立ちだ。
あの研ぎ澄まされような知性漂う雰囲気には見覚えがある。
学者だ。
俺が黙っていたせいで、彼はかなり動揺しているようだった。
「す、すまん……。気を悪くしたなら謝る。俺はラウド。ラウド・メイダスだ」
「構わん。俺は『艦長』だ」
「艦長……」
するとメッティがびっくりしたような声で、横から口を挟む。
「ラウドさん、王立大学の卒業生やん!?」
まじか。
「ほら、このメダル! 艦長のヤツと似とるやろ? あれ、王立大学で何かの学位を修めた人だけがもらえる、『志学章』やで」
いくつもある装身具の中に、銀色に輝くメダルがあった。
メッティは解説したい欲求をこらえきれないのか、ぺらぺらしゃべりまくる。
「あれは大イシュカル帝国の『至賢章』をモチーフにしとるんや。王立大学を作った王様が、うちの大学の卒業生はみんなめっちゃ賢いって讃えるために制定したんやって。ああ、憧れの『志学章』……」
頬を押さえてくねくねしているメッティが気持ち悪いので、俺は視線を前に戻す。
「ラウド。俺に何の用だ」
ラウドは困ったような顔をしつつも、俺に丁寧に説明する。
「あ、いや……。あんたも大学の卒業生かと思ってな……。でも違うみたいだな、それ」
彼が指さしたのは、俺がニドネからもらった『至賢章』のメダルだ。
どうやら勘違いされたらしい。
ラウドは首を傾げている。
「ていうかそれ、もしかして大イシュカル帝国の『至賢章』じゃないのか……? なんで海賊が持ってるんだ?」
「俺は海賊ではない」
「その格好で言うか!?」
余計なお世話だ。
今度は一転して、不審そうな目で俺を見るラウド。
「あんた、それ盗んだヤツだろ?」
失礼な男だな。俺は首を横に振って答える。
「正当な授与者から、友情の証として譲り受けたものだ」
俺が真面目に答えると、彼はおかしそうに笑い出した。
「その勲章の正当な授与者が生きてたら、今いくつなんだ? おかしなことを言う人だなあ」
うるせーよ。あいつはちょっと不死身なだけだよ。
お前なんかどっか行け。
俺はラウドの相手が面倒になり、ブランデーをぐいっと飲む。
あ、いかん。飲みすぎた。むせそう。
ここでむせると最高にカッコ悪いので、俺は表情を引き締めて耐える。
その表情を見て、ラウドは笑うのをやめた。
「あ、悪い。怒らないでくれ。別にそれを咎めようっていうんじゃないんだ。俺も似たようなもんだからな」
彼は懐から鈴がたくさんついた輪っかを取り出し、シャンシャンと振ってみせた。
「な?」
いや、『な?』と言われましても。
* * *
ラウドはレインメーカー、つまり雨乞い師だと説明した。
「雨乞いったって、ほっときゃ雨なんかそのうち降るのさ」
俺の隣に腰掛けたラウドは、ぐびぐびと安ビールをあおっている。
なんだこの若造。
邪魔だよ、あっち行け。
しかしラウドは溜息をつきながら、ジョッキをカウンターに叩きつける。
「おい、おかわりくれ! 金ならあるぞ!」
「へいへい」
店主が水で割ったビールを持ってくる。
俺はこいつを追い払いたいのだが、メッティは興味津々だ。
「なあなあ、艦長! これ似合う?」
ラウドから借りた『志学章』のメダルを首から下げて、キリッと表情を引き締めてみせるメッティ。
そういやこいつ、王立大学を志す受験生だった。
「うわー、これ気象学のメダルやん!? ラウドさん、気象学者なんやな!」
だがラウドは酔った目で、ぼんやりと虚空を見ている。
「学者ってほどじゃないよ……。やるだけ無意味だった、あんなもん……」
おいおい、気象学の悪口を言うと七海が怒るぞ。
案の定、七海が俺の眼帯に表示される。
『無意味じゃないですよ。気象学の発展がなければ、重力推進機関があっても空は飛べませんからね。私たちは大気の底に暮らす深海生物なんですから、その大気を扱う学問が無意味なはずがないんですよ』
わかったからお前は引っ込んでろ。
カレンのときみたいに話がややこしくなる。
一方、ラウドはまだ文句を言っていた。
「くっだらねえ……。いつ雨が降るかなんて、雲を見てりゃわかるだろうに」
「……そうだな」
俺は面倒くさいので適当にうなずいておく。
しかし俺の答えが少し意外だったのか、ラウドは頭を起こして俺を見つめた。
「あんた、雲のことがわかるのか?」
わかりませんけど……。
でもここは、気象学士さんに話を合わせるべきだよな。
「……船乗りは雲を見る」
俺は船乗りじゃないので、雲を観測してるのは七海です。
この答えにラウドは納得したのか、小さくうなずいた。
「そっか、海で暮らす連中はそうだよな……。陸で暮らす連中も、もう少し雲に関心を持てってんだ」
農業やる人は雲を見てるだろ?
そう思ったのだが、どうやらパラーニャでは少し様子が違うらしい。
「河川や地下水を農業用水に使ってるせいで、降雨の重要性を認識してねえんだよ、あいつらは」
そうですか……。
「だから井戸水が涸れただの、用水路が壊れたので、すぐ大騒ぎしやがる。普段から記録を取ってねえからだよ、ボケが」
この人、めちゃくちゃ口が悪くて怖い。
俺は知らん顔して、目の前の一向に減らないブランデーをどうしようかと考える。お酒は好きだが、パラーニャ人のタフな肝臓にはついていけない。多いよ、これ。
一方、隣のパラーニャ人はまだ飲んでる。
「陸軍はもう、気象学の専門家はいらねえとよ……。大砲が改良されて、多少の雨でも問題なく使えるようになったんだとさ」
戦争するのに気象学って絶対必要だと思うんだけど、パラーニャ陸軍にはバカしかいないの?
気の毒になってきたので、俺はこう応える。
「……愚か者だな」
「ああ、底なしのアホだよ。雨の中、重装備で行軍させられる兵士の負担だって、俺たちがいれば減らしてやれるのに」
酔っぱらってはいるが、このラウドという青年はかなりまともだな。
俺は彼の評価を少し改めた。酒癖以外は。
七海が俺の左側の視界で、首を傾げている。
『近世の戦術レベルでも、気象学は非常に重要だと思うんですが』
パラーニャは日本ほど雨が降らないし、温暖なので雪も積もらない。台風も来ない。だから気象学の重要性が理解されないのは、仕方ないのかも知れない。
俺はそのことを七海に説明し、それからこう付け加えた。
「俺のいた世界でも、西洋では近代になるまで雲に関心が払われなかった。そのせいで、雲の形にも名前がついてなかったそうだ」
『日本とはずいぶん違いますね』
「降水量と河川の様子が全然違うからな。稲作文化でもないし」
別に日本人が特別賢いとか、そういう話ではない。
気候と文化の違いだ。
そうこうするうちに銀行から使いの者が来て、無事に手形の換金が終わる。やれやれ、ようやく疑いが晴れたか。
小麦粉の代金として、メッティが数枚の金貨を受け取る。これでも日本円換算で数十万円分はあるので、預かる身としては緊張するな。
早く艦に戻ろう。
ラウドは酔い潰れて半分寝ていたが、ふと起きると眠そうな目で俺に言う。
「いけねえ、寝てる場合じゃなかった……。俺、近くの村で雨乞い頼まれてるんだよ。ここから歩いて半日ぐらいのとこだ」
すぐそこだな。
「乗せていってやろうか?」
「船で行けるところじゃねえよ、河がないんだから」
俺は笑う……とメッティに叱られるので、真面目な顔でブランデーを一気に飲み干す。
「心配するな。表に来い」
「なんだよ、船なんかどこにも……」
酔っぱらいながらラウドが俺の後に続くが、彼は表に出た瞬間に空を見上げて叫んだ。
「な……なっ、なんだありゃ!?」
俺の船です。




