荒野のレインメーカー・1
042
「ところで七海、なんで艦名を名乗ったらダメなんだ?」
俺は『ななみ』の戦闘指揮所の床を掃除しながら、ふと七海に尋ねる。
すると七海も内側からモニタを拭きながら……いや、こいつは拭いてるグラフィックを表示してるだけだ……とにかく、返事をした。
『表向き、私は九四式輸送艦ですからね。五五〇ミリ光学湾曲砲を搭載しているはずがありませんので、艦名は伏せておきたいんですよ』
俺は自動掃除機の掃き残しをモップで集めて、自動掃除機の前にパッパッと落とした。平べったい自動掃除機が、埃を吸い取っていく。
「こんな異世界でもか?」
七海はうなずいた。
『原田機関長の例もありますし、もしかすると他国の人間や飛空艦がこちらに来ている可能性もあります。あと、私の行動は全部記録されてて、帰った後で機密保持についてもチェックされますから……』
「怒られたくない訳か」
『はい』
モニタの内側に「はーっ」と息を吹きかけながら、布巾でキュッキュッと拭く七海。
なんでこんなに意味のないグラフィックが充実しているヤツに、機密保持とか言われなきゃいけないんだろう。
まあいいや。
「わかった。じゃあ今後は『シューティングスター』とでも名乗るか」
『そうですね』
どうやら『ななみ』以外なら何でもいいらしい。機密保持がザルだ。
掃除がだいたい終わったので、俺は快適になった戦闘指揮所の艦長席に陣取る。
船長帽を被って腕組みをすると、気分は宇宙海賊だ。
「さて、我がシューティングスターの乗組員たちよ。いっちょ稼ぐとするか」
『はい、艦長!』
七海が右手に布巾を持ったまま、びしっと敬礼した。
* * *
「よっしゃ、儲かったーっ!」
メッティがガッツポーズを取り、俺とポッペンが重々しくうなずく。
パラーニャ内陸部の都市で、俺たちは無事に手形を受け取っていた。
「ふむ、こんなものか」
ポッペンが手形の数字を確認し、小さく溜息をつく。
「見積もり費用にも足りんな。小麦粉の輸送とかいうのは、あまり儲からんようだ」
「海賊の懸賞金と比較したらアカンって。まっとうな商売しとったら、こんなもんやから」
メッティが手形を防水封筒に入れ、鍵つきの革ポーチにしまう。後でここの銀行に行って、これを換金する予定だ。
「ま、ハルダ雑貨店の資本やと、そないに大量に仕入れはできへんからな。販路もあらへんし」
俺は苦笑する。
「だがハルダ雑貨店のコネがなければ、俺やポッペンだけではそもそも商売ができない。感謝しているよ、メッティ」
「いやあ、うちの店も儲かっとるからお互い様やで。また艦長に借りができてしもたわ。それに勉強も教えてもろとるしな」
屈託なく笑うメッティ。
俺たちは銀行に行ったが、ちょっと問題が起きた。
この街の銀行は個人経営なので、換金に少し時間がかかるという。額がちょっと大きいからな。
「というか、私たちが信用されてへんのとちゃうかな?」
「じゃあこの待ち時間って、手形を切った商会に銀行が直接問い合わせする時間か」
「うん」
俺の身なりとメッティの若さは、商売をする上で大きなデメリットだな。
でもその手形、別に盗品じゃないよ。
仕方ないので近くの酒場に入り、少し時間を潰すことにする。
俺は少し緊張しながら、酒場の主人に注文する。
「葡萄の火酒を頼む。ストレートだ」
「へ、へい」
昼間っからストレートでブランデー飲むような男だと思わないでください。
お腹壊すんだよ。
そうそう、あれも聞いておこう。
「店主」
「な……なんです?」
「シュウガという男を知らないか?」
「い、いえ……」
ぶるぶると首を左右に振るおっちゃん。
俺はシュガーさんの見た目を説明しようと思ったが、会ったことがないのでわからなかった。
俺、シュガーさんのこと何にも知らないんだよな……。
俺は小さく溜息をつき、首を振る。
「そうか。すまんな」
「いえいえ……」
まだ怯えた表情をしているおっちゃん。
俺はメッティと共にカウンター席に座る。テーブル席は常連の定位置だったりするので、よそ者なりの配慮だ。
こんなに気を遣ってる割に、みんな俺を不気味そうに見ている。
「なあメッティ」
「なんや、艦長」
「やっぱり俺のパラーニャ語翻訳、もう少し丁寧な口調にしてくれないか?」
再翻訳された和文を見る限り、ちょっとぶっきらぼう過ぎる。
しかしメッティが首を横に振った。
「それはあかん」
「なぜ?」
「艦長の見た目と合わへんやろ?」
そうか?
……そうだな。
グラスに映る俺の姿は、どう見ても海賊船長だ。
しかもメッティだけでなく、七海までが割り込んでくる。
『艦長はぜったい、今の口調がいいです』
「せやろ?」
『はい!』
ぐっと拳を握りしめて、ディフォルメされたチビ七海が力強くうなずいている。
「この見た目と口調だけやと、艦長めっちゃカッコいいやろ?」
『見た目と口調だけは、ほんとにカッコいいですよね!』
君たち、中身についての言及を避けたね?
いや、中身はただのお調子者の遭難者だから、言及しないでもらえるのは武士の情けか。
なんで俺、こんなコスプレみたいな格好になってんだろ。
俺は小さなグラスに満たされた、琥珀色の液体をちびりと舐める。
うわ、度数高い。おいしいけど。
「艦長、それちゃんとストレートやろな?」
「うん」
「艦長、すぐお腹壊すからな」
「うん」
パラーニャの水、特に内陸部の水はあまり良くない。沿岸部より降水量が少なく、地下水と大河中流の水を使っているからだ。
地下水はまだいいが、河の水は雑菌だらけだという。七海が分析して悲鳴をあげていた。汚水と呼んで差し支えないらしい。
だから俺は、酒場に来ても注文できるものがほとんどない。
「ストレートの蒸留酒なら、さすがに大腸菌はいないだろうからな……」
しかしやっぱり度数が高いぞ。おいしいけど。
メッティはパンにチーズを挟んでもぐもぐ食べながら、小さく溜息をつく。
「他の酒の方が飲みやすいんやけど、原酒樽から出すときに水で割るからなあ」
ワインやビールなどを薄めて出すのは、パラーニャでは日常茶飯事だという。というか、悪い水を安全に飲むための知恵がワインやビールらしい。
だが俺は、わずな生水でも余裕でお腹を壊す。従って、こうしてストレートのブランデーをちびちび飲むことになる。
喉渇いてきた。
安全な飲料としては茶の類もあるが、なんせ燃料が結構貴重なのでホイホイとは飲めない。淹れるまで手間もかかる。
「そういえば、ポッペンはどうした?」
「ポッペンも酒場で飲めるもんがあらへんからな。艦に戻って呑むって言うとった」
「呑むって、何を?」
「魚」
そりゃそうか。
「下船する前に冷凍庫から出しといたから、呑み頃やって言うとったで」
「そうか……」
今頃はキンキンに冷えたアジでも丸呑みしながら、「喉越しが違う」とか言ってるんだろうな。
そっとしといてやろう。
メッティが今度はパンにジャムを塗りながら、ふと俺に尋ねる。
「なあ艦長、シューティングスターに戻らなくてもええのん?」
「今は半舷休息だ。俺とメッティは下船してるが、七海とポッペンが残っている。問題ないだろ」
それにこの酒場も、『ななみ』……じゃなくて、シューティングスターの制圧圏内にある。
全てのセンサーと兵器が使用可能だ。
「しかし手形の換金だけでこんなに待たされるんじゃ、パラーニャで俺が商売を始めるのは無理だな」
あからさまに異邦人の異教徒だし、俺が何を持ってきても全く信用されないのはわかる。
酒場のあちこちから向けられる視線も、俺に対して決して好意的ではない。
「メッティがいてくれて助かる」
俺が笑うと、メッティが少し驚いたような表情をした。
「え、ええって。そんないちいち感謝されたら、ちょっと恥ずかしいわ」
彼女のジャムを塗る手がベトベトになっている。動揺してジャムをこぼしたようだが、何をそんなに驚いてるんだ。
メッティはそれから、少し怒ったように俺に言う。
「艦長は外で笑うの、禁止な」
なんで?
俺が首を傾げると、メッティは視線をそらしながら慌てたように早口で言う。
「に、にこにこしとったら、よそもんは舐められるからな」
「……そうか」
まあ、しょうがないよなあ。
俺がそのことについて口を開こうとしたとき、不意に眼帯が警告表示を出す。
< 警告:人物接近(後方) >
俺は振り向かずに、ブランデーのグラスを揺らしながら声を作る。
「……誰だ」
若い男の声がした。
「な、なんでわかった?」
いやそれ、みんなが言うから。
で、こいつは何の用だ?