乙女と海賊・1
004
七海といろいろ話してみると、俺と七海の世界の違いがだんだんハッキリしてきた。
歴史の大まかな流れは同じだが、細部がだいぶ違う。
「織田信長って知らない?」
『人名辞書には登録されてないです。何した人ですか?』
「天下統一目前まで行った人なんだけど……。じゃあ徳川家康は?」
『知らない人ですね』
家康がいないので江戸が開拓されておらず、七海世界の日本では首都が神戸の辺りらしい。東京は比較的のんびりした地方都市だそうだ。
和歌山に幕府ができたり、四国で内戦があったり、日本史全体が瀬戸内海にべったりだった。
家康がいないだけでも、こんなに歴史が違うんだな……。
また大きな違いとして、冷戦がまだ終わっていないらしい。むしろ加速度的に悪化しているようだ。
七海が不安になっているのもわかる。
俺は戦闘指揮所の隣にある艦長室でくつろぎながら、そんな話に相槌を打っていた。
航空機や船舶では空間が貴重なので、艦長室といっても狭い。ビジネスホテルみたいな印象だ。
しかしこれはこれで案外落ち着くので、俺はスーツを脱ぎ散らかしてベッドに仰向けになる。
空調は快適で冷たい飲料水も飲み放題だが、食事は堅いビスケットだけだ。
こんなことなら、今朝の朝食ちゃんと食べておけば良かったな。
ああ、冷蔵庫の牛乳が明日までだ。
明日までに帰れそうな気がしないな……。
七海が定時報告をしてくる。
『艦長。本艦は現在、北北東に進路を取っています』
船はかなりの速度で飛行しているようだが、モニタを流れていく景色が海と雲だけなのでよくわからない。
「北北東に何かあるのか?」
すると七海が首を傾げる。
『さあ……』
「おいおい」
『現在、周囲の海流を計測して海図を製作しています。この海流をさかのぼって航行すれば、いずれ船舶と遭遇できる……かなって』
もう少し自信持ってくれないかな。
「確かにさっきの海賊船も木造帆船だったな。蒸気機関とかはなかったんだろう?」
『はい、砲火以外の大型熱源は確認できていません』
だったら海流に沿って遡上するのは悪くない気がする。
「わかった。何か発見したら教えてくれ」
『あ、発見しました。航行中の木造帆船です』
早くない?
『対象を光学カメラで捕捉しました。モニタに表示します』
ピポッと表示されたのは、古めかしい木造の帆船だった。
いつの間にか眼鏡をかけた七海が、映像を見上げながらうなずいている。
『おそらく大航海時代以前の帆船と思われます。速度と積載量を重視した作りで、外洋航行能力は高くありません』
「見ただけでわかるのか?」
『そりゃあ私も船ですから、船のことなら何でも知ってますよ』
お前は空飛んでるじゃないか。
言いたいことはいろいろあったが、この船の問題が先だ。
帆船は甲板の樽まで見える大きさに拡大表示されていたが、船乗りの姿はない。
「俺は帆船のことはよくわからんが、あれは通常の航行をしている状態か?」
『うーん、風向きに対して適切に帆を張っていませんから、海流に流されているようですね』
「じゃあ、本当に遭難している可能性もあるってことか」
すると七海は別のウィンドウを表示させる。
『指向性複合生体センサーの射程内に入ったため、センサーを起動しました。えーと……確認できている生存者は一名です。現在、船内を移動しています』
「さすがに一人じゃ、この船は動かせないよな」
やはり救助が必要なようだ。
「この船の救助手段は?」
『輸送艦だからロープ垂らすぐらいしかできません』
「ダメじゃねーか」
肝心なところで役に立たない。
「もういい、俺が行く。お前は救助者を収容する準備でもしとけ」
そのとき、七海の頭上に「キラリン」と星型のアイコンが表示された。
「……何それ?」
『あ、お気になさらずに。艦長の機密レベル、いわゆるセキュリティクリアランスがレベルアップしただけです。一レベルになりました』
金色に光る星を鷲掴みにして、ポケットにしまい込む七海。
無駄なグラフィックが充実してるな、この軍艦のコンピュータ。
「機密レベルって、レベルアップするものなの?」
ゲームじゃないんだから。
『本艦は現在、指揮系統などの全システムから切り離されて独立モードで航行しています。この場合、本艦に関する権限は私に決定権があります』
「レベルアップすると、なんかいいことあるのか?」
『ええまあ、多少は』
まあ……何でもいいや。
「それより降下方法は?」
『輸送艦だからロープ垂らすぐらいしかできません』
「本当にダメじゃねーか」
このポンコツを作ったのはどこのどいつだ。
しかし七海は笑っている。
『では早速、必要な装備をお渡ししますね』
* * *
戦略護衛隊所属の輸送艦「ななみ」の戦闘指揮所。
ごちゃっとした計器類が並んでいる場所で、俺は特大モニタに映る七海に言った。
「何これ」
モニタには今の俺の姿も映っている。
メカニカルな眼帯。
暑苦しい厚手のコート。
まるで宇宙海賊のコスプレだ。
七海は無邪気に拍手なんかしている。
『とってもよくお似合いですよ!』
服屋の店員さんか、お前は。
「七海、説明を」
『あ、はい』
コホンと咳払いをして、七海は左目用の眼帯を示す。
『こちらは多機能通信ゴーグルです。私とリンクして情報支援を受けることができますよ。暗視装置などもついてて、とっても便利です』
「なんで眼帯なの」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、士官服の七海が胸を張る。
『両目とも覆ってしまうと、不測の事態で視界を奪われることがありますので。あ、ちなみに左目側なのは、小銃射撃の簡易照準に使うためです。便利でしょう?』
「小銃あるの?」
スッと真顔になる七海。
『セキュリティクリアランスの関係でお答えできません。あと銃刀法に抵触します』
妙なところで機械的、そしてお役所じみていた。
「銃はどうせ俺には撃てないからいいけど、なんか武器ないの? ここ軍艦だろ?」
『表向きは輸送艦ですから……』
「自動小銃とかは期待してないけど、せめて拳銃ぐらいは?」
再び、スッと真顔になる七海。
『セキュリティクリアランスの関係でお答えできません。あと銃刀法に抵触します』
だからそのお役所っぽい対応やめろ。
「もういい、丸腰で行ってくる……」
すると七海がハッと気づいたように言う。
『銃器はアレですけど、これならありますよ』
彼女の言う「これ」というのは、真っ赤に塗装された手斧だった。
「これ、映画とかで見たことがあるな」
『はい、消防斧です。これは通常の工具ですので、お貸しできます』
「これを工具と言い張るか」
『工具ですよ?』
確かこれ、ドアとか叩き割って外に逃げるためのヤツだ。破壊消火にも使う。
あと、壊しておかないとまずい機器を破壊したり、油圧ケーブルを切断したり、ゾンビと戦ったり。映画で見た。
持ってみるとズッシリと重いが、バランスがいいせいか意外と振りやすい。普通の斧と違うのかな。
さすがに武器にするのは少し難しそうだが、素手よりはマシだろう。
「よし、じゃあこれ借りていく。それとこのコートは?」
『防水・防火・防刃・防弾効果が期待できる特殊繊維のコートです』
「期待できるだけ?」
俺が問いつめた瞬間、七海がサッと視線をそらす。
『まあ、無いよりはだいぶマシかと……』
期待しない方が良さそうだな。
未来っぽい軍艦の割に装備がどうも不安だらけだが、俺は覚悟を決めた。
俺の真下には今、漂流している船がある。
そしてその船には、生存者がいる。
そいつがまともな人間かどうかはわからないが、とにかく助けてみないと。
「よし、行くぞ」
『はい!』
特大モニタの七海がビシッと敬礼した。