再びの眠り・7
026
城門の内側は、見事な庭園だった。風化してはいるものの、壮麗な彫刻が飾られ、確かに宮殿か何かに見える。
そして地面の土。
ニドネが心配そうに俺に言う。
「艦長、君はなるべく石畳の上を歩いた方がいい。私の仲間は素手で碑文周辺の土に触れていたが、もしかすると触れなくても危険かもしれない」
「そうだな」
防護服には生物兵器戦仕様のマスクがついているので、空気感染や飛沫感染の恐れも小さい。
もちろん人間が作ったものだから完璧ということはないが、話を聞く限りでは経口感染か血液感染っぽいので、この防護服があればほぼ問題ないだろう。
「この区画、意味不明のオブジェクトが規則的に配置されているな。宗教的、あるいは呪術的なものだろうか」
俺の疑問に、ニドネもうなずいた。
「こうして改めて見ると、確かにここが神殿のような聖域だった気がするね。あるいは忌むべき存在を封印する伏魔殿か」
「忌むべき存在だとしたら、こんな居心地のよさそうな空間にはしないだろう。生活しやすそうだぞ、ここ」
涸れてはいるが古代ローマのような水道もあるし、やはり枯れてはいるが果樹らしいものの残骸もある。
俺とニドネが遺跡巡りを楽しんでいると、メッティの不機嫌そうな声が割り込んでくる。
『あーっ、もう! 私も見に行きたい! のけ者にせんといて!』
「危険だからな。お前は留守番してろ」
『せやったら、せめてニドネさんとイチャイチャせんといて!』
イチャイチャはしてねえよ。
反論しようと思ったとき、ニドネが急に声をあげる。
「あっ、艦長! 見てくれないか、あの柱の彫刻! 古イェンタシオ様式だけど、聖印が刻まれている!」
「じゃあやっぱり神殿か?」
「うん、艦長の言う通りだ。君は船乗りより学者の方が向いているんじゃないかな?」
「光栄だな」
『せーやーかーらー! イチャイチャすんなーっ!』
子供は静かにしてなさい。
聖域は土が外に出ないよう、水路も含めて厳重に隔離されていた。
排水は都市の地下を通るようになっていて、聖域外の住民に触れる恐れはない。
よく工夫されている。
建物はどれも広々としており、数十人程度が快適に生活できるように設備も整っている。浴場や劇場らしい空間もあった。
この感じだと牢獄ではないし、隔離病棟という感じでもない。
やはり神殿か。
だとすると『バシュラン』は支配者、あるいは聖なる存在だったのだろうか。
『あーん、艦長がイケズするーっ!』
すねまくっているメッティの声を適当に聞き流しながら、俺は聖域最奥部の碑文を見上げた。
「七海、碑文の画像を送るぞ。解析できるか?」
『んー、そうですね……。ちょっと時間がかかりそうですけど、バフニスク連邦軍のツェーニカ901暗号よりは簡単そうですね』
比較対象が全くわからんぞ。
『あ、つまり軍用の暗号文と違って隠蔽する意図がないので、何とかなりそうという意味です。はい』
「じゃあ頼んだ」
めんどくさいことは全部機械にやらせて、人間様は楽をさせてもらおう。
「ニドネ、今度はあっちの劇場を見てみたい。演劇には興味があるんだ」
「あ、いいねえ。私も調べたいと思っていたところだよ」
ニドネがうきうきとうなずき、そしてまたメッティが叫ぶ。
『艦長のアホーッ!』
* * *
帰還後しばらくして、碑文解読結果が出てくる。
七海がモニタに表示してくれる文章を、俺はニドネと……あと不機嫌そうなメッティと共に見上げる。
ポッペンはというと冷凍庫からエンヴィラン近海産の魚を運び出し、半分凍ったままのヤツをもぐもぐやっていた。
碑文の前半はこうだ。
『神々の戦争の終わりに、滅び行く邪神は最後の力で炎の球を人々に放った。地は焼き払われ、空は闇に包まれた。昼は夜になり、人々は震えた。夏は冬になり、作物は枯れ果てた』
「これ、たぶん隕石だな」
「隕石?」
メッティが首を傾げるので、俺は説明する。
「天空から飛来する岩石だよ。ほとんどは小さいから無害だが、たまにこの艦ぐらい……いや、エンヴィラン島よりでかいのが落ちてくる」
「こっ、怖すぎるやん!?」
「私も初めて聞くけど、本当にそんなものが落ちてくるのかい?」
さすがにこの世界の二人は、隕石については知らないようだ。
俺は言葉を選びながら、二人に説明する。
「ただの自然現象なんだが、そこまで大きいのはさすがに数百万年に一度、あるいは数千万年に一度とか、そんなもんだよ」
「なんや、驚かさんといて……」
それが明日落ちてこないって保証は、どこにもないんだけどな……。
「この巨大隕石が衝突すると大変なことになる。破壊力も脅威だが、細かい埃が上空に漂って、長期間にわたって日光を遮るんだ」
俺がそう説明すると、ニドネとメッティがふむふむとうなずく。
「興味深いね。でもそうなると、ここに記されているように飢饉が起きたはずだ」
「せやな……麦も野菜も作れへん」
食物連鎖の下の方が死ぬと、上の方も死ぬからな。
日光は遮られてずっと薄暗く、食料は乏しくなって……ん?
「なあニドネ」
「何かな」
「そういう状況になったら、お前のような『バシュラン』はどうだ?」
するとニドネは首を傾げつつ、顎に指を添える。
「まあ、日差しが弱まるのは嬉しいし、どうせ私は普通の食事はできないからねえ……。食料がなければ何十年か休眠していればいいだけだし」
あ、わかったぞ。
俺はニヤリと笑う。
「つまり巨大隕石が衝突しても、『バシュラン』は生き延びやすい訳だ」
するとメッティとニドネがほぼ同時に、ハッとした表情になった。
「てことは?」
「なんや、面白くなってきたな……」
ふふふ、二人の視線が俺に釘付けだ。
ポッペンは知らん顔して魚食ってるけど。
俺は碑文の続きを読んだ。
『善神を奉じた我ら闇の末裔、この災厄を生き延びて後世にこれを伝えん。我らを蝕む忌まわしき呪いなれども、この呪いあればこそ、闇に閉ざされた地に命を繋ぎ得たことをここに記す。我らの力で、今一度この地に繁栄を取り戻さん』
ほぼ間違いなさそうだな。
俺はニドネとメッティに仮説を述べる。
「大昔にこの地方で巨大隕石の衝突があり、この辺りは不毛の大地になった。普通の人間は大勢死んだかもしれないが、『バシュラン』たちは生き延びた」
死んだ人間や家畜の血は吸血鬼の非常食にもなるし、いざとなれば休眠してしまえばいい。
「長命の『バシュラン』の多くは知識層だったはずだ。彼らは滅びた文明の記録や技術を後世に伝え、復興の礎となった」
だが吸血鬼ばかりの文明は作れない。主食を家畜のミルクに頼るとしても、食料の確保に問題がありすぎる。
そこで彼らは吸血鬼の同胞を増やすことを諦め、吸血鬼を作り出す土は一ヶ所に保管した。
俺はそう説明する。
「この聖域の規模をみると、『バシュラン』たちは少数派のまま長い年月を過ごしたようだ。そこからどうして、この街が無人になったのかはわからないが……」
それはニドネが調べてくれるだろう。
どうもパンデミックって感じでもなさそうだ。
「ただ、ひとつだけはっきりしていることがある。『バシュラン』は決して邪悪ではないし、有害でもない。人間のひとつの姿に過ぎないんだ」
「でも艦長、私は『見えない命』と共生している状態なんだろう? 普通じゃないよ」
ニドネが言うが、俺は首を横に振った。
「普通の人間だって、原始の海にいた頃からミトコンドリアと共生している。腸内細菌だって人間の一部みたいなもんだ。……いや、説明が難しいが、とにかく『見えない命』との共生はごく普通のことだ」
よく知らないので適当にごまかす。
今の環境では不利な形質でも、新しい環境では有利になるかも知れない。進化ってのはそういうところから生まれていくらしい。
だから種全体としては、いろんなヤツがごちゃまぜに存在している方が強いのだと、シュガーさんが言っていたような気がする。
「胸を張れ、ニドネ。お前はれっきとした人間で、そしてこの世界に必要不可欠な人材だ。『バシュラン』として存命している、おそらく唯一の人物なんだからな。おまけに学者だ」
俺はニドネの肩に手を置き、真正面から彼女を見つめた。
「いつかまた地上が闇に閉ざされたとき、どれだけの人間を救えるか。その鍵を握っているのは、もしかするとお前かもしれない」
「私が……?」
信じられないような顔をしているニドネに、俺は力強くうなずいた。
「そうだ。そのときはお前が救いの女神になる」
「めっ、女神!?」
ニドネの頬がまた、ほんのり桜色に染まった。
* * *
やがて日没が訪れ、俺たちに別れのときがやって来た。
「じゃあ私はしばらく、ここで調査と研究を続けるよ。この輸血用血液とやらは、本当にもらってもいいのかい?」
「ああ。使用期限切れで、もう輸血には使えない分だ。弁当代わりに持っていけ。口に合うといいんだが」
七海が何年ぐらいこの世界にいるのかよくわからないので、古いヤツは廃棄することになった。
輸血して逆に死んだら困るしな。
「ついでに艦のキッチンから、使えそうなものを少し見繕っておいた。実験器材として利用してくれ」
本当は医務室の備品をあげたかったんだけど、さすがに七海が許可してくれなかった。
でもプラスチックの計量カップとか、ガラスのコップとか、アルミホイルとか、ビニール袋とか、ちょっとずつ置いていくのは許可してくれた。
ニドネならうまく使いこなしてくれるだろう。
するとニドネが懐から金属製のメダルを取り出した。首飾りのようだ。
「何から何まで本当にありがとう、艦長。これは感謝の気持ちだよ」
「これは?」
俺が尋ねると、ニドネが微笑む。
「大イシュカル帝国の『至賢章』だよ。皇帝から授けられる最高位の勲章のひとつさ。私の誇りだったんだけど、もっと賢い人がいたからその人にあげるね」
「俺のことか?」
「もちろん」
当たり前のような顔をして笑われた。
「ほら、君の首にかけてあげよう」
「おいよせ、くっつくな」
「いいじゃないか、たまには私だって君をドキドキさせたいんだよ」
「何の話だよ」
彼女の吐息が感じられるぐらいの距離なので、さすがにちょっと動揺する。
ふと気づくと、メッティがふくれっ面で腕組みしている。
「へーへー、仲のよろしいことで」
「お前も何の話だよ」
「艦長はどこでもモテモテやから、嫉妬しとるんや」
モテモテ……?
子供にはそう見えるらしい。
ニドネは楽しそうな顔で、俺に向かって言う。
「艦長、またいつか会えるかな?」
「当たり前だ。進捗の確認も兼ねて、ときどき遊びに来るぞ」
「それは励みになるな」
色白の美女が、ふふっと笑った。




