再びの眠り・5
024
その後、俺はニドネと『バシュランの呪い』の正体について議論を交わした。
「俺はお前の呪いについて、一種の病気ではないかと考えている」
「病気? 呪いと病気は同じようなものだよ」
首を傾げるニドネに対して、俺は首を横に振る。
「いいや、違う」
この世界の医療は近世から近代の水準だ。当然、細菌など発見されていない。
「呪いは俺の知らない世界の理だが、病気は俺の知っている世界の理だ。予防し、治療し、根絶することも可能だろう」
「まさか!?」
「できる。これが病気ならな」
俺にはできないけど。
俺はニドネにわかるよう、もう少し詳しく説明することにした。
「目に見えるものが全てではない。見えないが存在する命もあるのだ。それは我々の体内にもいるし、この空気の中にもいる。そして、お前の棺桶の中にも」
「呪われた土のこと?」
「そうだ。土壌にも『見えない命』がいる。小さすぎて肉眼では見えないが、それがお前を『バシュラン』に変えてしまったのかもしれない」
俺は医者でも病理学者でも疫学者でもないが、だからこそ好き放題言えるというメリットがある。
本当に詳しい人ほど、言葉の使い方には慎重になるものだ。
一方、俺は素人なので自重はしない。
適当にべらべらしゃべるぞ。
パラーニャ語には『細菌』や『ウィルス』という単語が存在しないので、俺は回りくどい翻訳文でニドネに伝える。
「今から話すのは、ひとつの仮説だ。……土壌中の『見えない命』が人体に取り込まれると、数日の潜伏期間を置いて高熱を生じる。このときおそらく、『見えない命』が人体を作り替えているのだ」
「『バシュラン』に?」
「そうだ。この変化に適応できなかった者は死に、適応できた者は『バシュラン』として生き残る。そして体内に『見えない命』を宿し、共存するようになるのだろう」
食性が変わるぐらいの劇的な変化だから、死ぬ確率が高いのも納得だ。
あと汚染された土壌が生活に不可欠になるのも、たぶん体内環境を整えるためだろう。
そして俺の予測では、その細菌だかウィルスだかは塩分に弱い。
エンヴィラン島はどこに行っても潮風が吹いているし、山奥育ちの細菌だかウィルスだかには少々過酷な環境だったようだ。
「普通の人間も、体内に多くの『見えない命』を宿している」
「本当に?」
信じられないような顔をしているニドネに、俺は力強くうなずいてみせた。
「俺のいた世界では、大勢の科学者たちによって百年以上も前に証明されている。それに基づいて多くの技術が開発されていて、もはや疑う余地はない」
特に抗生剤と抗ウィルス剤は神がかっているので、いつかこの世界でも誰かが作ってくれると嬉しい。
「もしかすると本当に呪いなのかも知れないが、そちらは俺にはわからん」
見た感じ、ものすごく感染症っぽいけどな。
こちらの世界でまだ、魔法らしいものを見たことがない。魔法的なものといえば、せいぜいポッペンの翼ぐらいだ。
呪いの存在を検討するよりは、まず感染症を疑ってみるほうがいいだろう。
ニドネはうつむき加減になりながら、ぶつぶつと呟いている。
「なるほど、病気……。もし君が言うように、この世界の理で『バシュランの呪い』を扱えるとしたら、防ぐことも治すことも可能になるかもしれない……」
「だが、汚染された土壌に触れて無事なのは『バシュラン』だけだ。普通の人間では八人中、一人しか生き残れない」
「確かに」
顔を上げたニドネに、俺は精一杯の笑顔を見せる。
「ニドネ、この恐ろしい悪疫に立ち向かえる唯一の人間がお前だ」
「私が……」
「お前は汚染された土壌と共存でき、自分自身を観察対象として記録を残すことができる。そしてお前は学者だ。これほどの適任者、お前以外に誰がいる?」
ニドネの瞳に、力がみなぎってくる。
「そうだね。私が一番、この病に近い場所にいる。私にもできること、いや、私にしかできないことがあったんだ」
「だから言っただろう。お前は凄いヤツかもしれない、と」
よし、さっきの発言にうまくつなげた!
コミュニケーション成功したよな?
ニドネは俺を見上げて、ふっと笑う。
「凄いのは私じゃない。君だよ、艦長」
今凄く頑張ったのは事実なので、また変なこと言い出さないうちに脱出しよう。
「冗談はよせ。俺はそろそろ行く。お前はここで休んでいろ」
「うん、そうするよ」
ニドネは棺桶の蓋を開けてごそごそやっていたが、ふとこちらを振り返った。
「艦長、ありがとう」
俺は余計なことを言わないようにして、無言で軽く手を振って立ち去った。
* * *
それから数時間後、『ななみ』はパラーニャ北部の山中に到着した。
「上空から見ると一目瞭然なんだがな」
モニタから見える景色には、山頂部にある都市の遺跡がはっきりと映し出されている。
メッティが苦笑した。
「せやけど、地上からはぜんぜん見えへんやろな。この近くに街も鉱山も何にもあらへんし、交易路が通っとる訳でもないもん」
「わざわざ調べようと思わなければ、誰も来ない場所という訳か」
ポッペンが重々しくうなずく。
あれ?
ポッペンもしかして俺たちの日本語聞き取れてる?
よく見ると、モニタに俺たちの発言ログがパラーニャ語で表示されていた。フォントは手書き風というか、あれはメッティの字っぽいな。
『どうです艦長、私も少しはサービス良くしてますよ』
得意げな七海が表示される。
俺がポッペンたちにも親切にしろと言ったのを、覚えていたらしい。
一応、誉めておくか。
「そうだな。メッティとポッペンは大事な仲間だし、いい心がけだと思うぞ」
『えへへ』
照れてるグラフィックが表示された。
どうやら七海なりに、現地人への態度を更新しているらしい。
この世界の住人たちから協力を得ようと思ったら、確かにその方がいいだろうな。
「よし、警戒しながら着陸するぞ」
俺がそう言ったとき、七海が叫ぶ。
『八時方向から本艦に接近する熱源を複数感知しました!』
何が出やがった。
次の瞬間には、モニタに翼竜みたいな生物が映し出される。
「なんだあれは」
『翼竜に酷似していますね。翼長は十メートル未満というところでしょうか』
でかいな。
この艦に比べたら圧倒的に小さいけど。
「七海、脅威になりそうか?」
『それなりに体重はありそうですから、高速で体当たりされると装甲がへこむかも知れません。特にセンサー部や開口部へのバードストライクが怖いです。警戒のため、閉じておきます』
バードじゃないけどな。
ニドネの報告書には記載されていなかったから、その後で住み着いた野生動物だろうか。
いや、あれだけの巨体だと森の中で狩りはできないだろう。
地上から古代都市に接近する分には大丈夫なのかな。
そんなことを考えていると、メッティがひどく狼狽えていた。
「か、艦長!? あれ、どないしたらええのん!?」
「どうもこうも、ただの野生動物だろ。たぶん」
ポッペンみたいに知性があったら交渉もできるだろうが、どうもそんな感じでもない。
この艦に対して、しきりに威嚇してくる。
メッティはまだ狼狽えていた。
「野生動物って、どうみてもあれ怪物やん!? 竜やで!?」
「竜というか、翼竜に似てるな。まあそう心配するなよ」
見た感じ、炎や怪光線を吐く訳でもなさそうだ。
俺はメッティの肩に手を置く。
「よくわからんものを、ひとまず『呪い』や『怪物』と分類することは悪くない」
最初はまず、危険を避けることが重要だ。
「だが、それをよくわからんままにしておくのは怠慢だ。七海!」
七海が敬礼する。
『はい、艦長』
「周辺の上昇気流を計測した上で、あの野生動物の飛行能力を分析しろ。あれだけの巨体だ、普通なら滑空でしか飛べないはずだ」
『それもそうですね、了解しました』
するとメッティが不思議そうに尋ねてくる。
「なあ艦長。滑空でしか飛べないって、なんでわかるん?」
「空を飛ぶってのは、かなりの代償を支払わないと不可能な行為でな。そうそう簡単には飛べないんだ。特にデカいヤツは」
この艦なんかは重力をいじってるらしいので、空を飛ぶ物体としては規格外の大きさだ。
俺はもう長いこと使っていないスケジュール帳に、ボールペンで簡単な図を書いた。
「立体物は、大きさが倍になれば体積は八倍になる。縦も横も高さも倍になるんだからな」
俺の説明に、メッティがこっくりうなずく。
「あ……。そっか、せやな」
「もちろん重さも八倍だ。一方、風を受けるための翼の面積は四倍にしかならない。厚みはほとんど関係ないからな。だから巨体になるほど飛ぶのに不向きになる」
大丈夫かな、俺の知識間違ってないかな。シュガーさんと一緒に飛竜狩りしてたときにチラッと聞いた話だから心配だ。
七海の方をちらりと見たが、モニタには七海の姿が表示されていない。
とりあえず話を先に進める。
「そうなると、小鳥のように身軽には飛べなくなる。だから大型の鳥は助走をつけたり、上昇気流を利用したり、いろいろ工夫して飛んでいる。たぶん、あいつもそうだろう」
俺はモニタの翼竜っぽいヤツを示す。
「もしあいつが滑空以外の方法で飛んでいるとしたら、自然の摂理では推し量れない力を持っていることになるが……」
すると七海が虫眼鏡を持ってモニタに現れる。
『分析完了です! 飛行パターンの解析結果から、滑空のみだと断定できました! 未知の飛行手段ではありません!』
「よし、たぶんただの野生動物だな。手っ取り早く追っ払え」
『了解!』
びしっと七海が敬礼した。




