再びの眠り・4
023
俺はメッティに、ニドネの報告書と研究書を査読するように頼んだ。
まだ王立大学に入学すらできていないメッティだが、それでもそこらの大人よりはずっと学識がある。
俺が読んでもいいんだが、七海の翻訳機能だとパラーニャ語の学術用語や固有名詞がわからない。
ということで、俺は少し席を外させてもらう。
表に出た瞬間、左目の眼帯の視界いっぱいに七海のCGが迫ってきた。
『ダメですよ艦長! 絶対ダメです! ダメダメ!』
そうくると思ったよ。
『ニドネさんは間違いなく、何かの感染者です! 艦内でバイオハザードが発生します!』
俺は通話音量を下げながら、七海を説得する。
「だがニドネは、原田機関長と直接の面識がある唯一の人物だ。彼女から得られる情報は貴重だぞ」
『たっ、確かにそれは凄く欲しいです! ですけど、艦内によくわからない異世界の菌だかウィルスだかを持ったまま帰還したら、えらいことになります』
言っておくけど、七海にとっては俺も異世界の人間だからな。
俺の皮膚の常在菌とか、そこらじゅうに付着してるんだぞ。
とはいえ、ニドネの持つ謎の菌だかウィルスだかは確かに無視できない存在だ。
七海には艦の保全という重要な役割があるので、情にほだされている訳にはいかないのだろう。
そもそもこいつ、情とかないしな。
さて、それはそれとして説得を続けようか。
「お前も戦闘艦なんだから、生物兵器への備えとかあるだろ」
『あるにはありますけど……。たとえば医務室や遺体安置室には、本格的な防疫の設備があります』
「患者や遺体からの感染を防ぐためか」
『ええまあ』
じゃあいいじゃん。
「どうせ棺桶で寝起きしているような女だ、遺体安置室でも文句は言わないだろう。乗せてやってくれ」
『う、うーん……』
悩んでいるように見えるが、七海は人工知能だ。
この程度の事案で、思考開始から決断まで何秒もかかるはずがない。
ということは、俺からの「あと一押し」を期待しているんだろう。
世話の焼ける人工知能だな。
「どうせ俺たちは各地を飛び回って、元の世界に帰る方法の手がかりを探さないといけないんだ。それ自体にリスクがある」
『そうですね。事故や戦闘、それに未知の自然現象とのトラブルは容易に予想されます』
「だったら、目の前にある重要な手がかりを無視するのは愚かな選択だろう? ニドネを乗艦させれば、その間は好きなだけ事情聴取できるぞ。乗せて運ぶだけで十分な見返りを期待できるんだ」
我ながら詭弁だと思ったが、説得できれば何でもいい。
『なるほど……。総合的なリスクを考慮すべき、ということですか?』
「そうだ。うまくいけば、ニドネからの情報ですぐに帰れるかも知れない」
その場合、こいつは俺やニドネとの約束なんか反故にして帰っちゃうんだろうな。
何となく想像がつく。
まあでも、七海には七海の立場と世界がある。
人工知能を責めるのも気の毒だ。
うまいこと利害を調整して、いいようにこき使ってやろう。
ふふふ。
さすがに俺の思考までは読めないらしく、七海はすっかり騙されてうんうんとうなずいている。
『なんとなく、艦長のおっしゃる通りのような気がしてきました』
「そうだろう、そうだろう」
『艦長の御機嫌を損ねると、私はまた現在地から動けなくなってしまいますし、ここは艦長の御命令に従うことにします』
「よしよし、いい子だ」
扱いやすいヤツは好きだぞ。
俺は七海の弱みにつけこんで、何とかニドネを乗せる合意を取り付けた。
やれやれと安堵しつつ礼拝堂に戻ると、メッティが興奮している。
俺を見るなり正統ファリオ式のパラーニャ語でまくし立ててきた。
「艦長、これ凄いですよ! パラーニャ建国以前、まだ『大イシュカル帝国』のパラーニャ地方だった時代の詳細な文書です! 歴史的にも価値がありますし、国境付近の山奥にこんな巨大な遺跡があるなんて、どんな本にも書かれてないですよ!」
落ち着いて。
落ち着いてください。
ログが流れるから。
どうやらニドネの報告書と研究書は、パラーニャ人が見ても価値あるもののようだ。
だとすればますます、こいつを死なせる訳にはいかないな。
俺はメッティが作った大量の発言ログをいったん折りたたみ、すっきりした視界でニドネを見る。
「行こう。お前を死なせはしない」
「艦長……」
ニドネの白い頬が、ほんのりと桜色に染まった。
* * *
「はは、これは居心地がいいねえ。窓もないし、暗くて落ち着くよ」
遺体安置室に棺桶ごと運び込まれたニドネは、棺桶の蓋を開けるなり嬉しそうな声をあげている。
お前を台車でここまで搬入するの、大変だったんだからな。
土がこぼれないようにビニール袋に入れて、七海の指定した通路だけ使って搬入して。
通路は後で念入りに消毒するそうだ。
「そうか、気に入ってもらえて何よりだ。移動中は七海から質問責めにされるだろうが、駄賃代わりだと思って応じてやってくれ」
「もちろんだよ、何でも話すね」
今回のクルーは俺とメッティ、そしてポッペン。
メッティはクルーで唯一のパラーニャ人なので、交渉に欠かせない。
ポッペンは「島にいても魚を捕るぐらいしかやることがないので、護衛として同行する」と言っている。
ポッペンの強さは文字通り人間離れしてるので、頼りになりそうだ。
そしてもちろん、俺がいないと七海は言うことを聞かない。
三人揃って、ようやくひとつのチームとして機能しているといってもいい。
迷子と子供とペンギンのチームだ。
俺は船の割に広い遺体安置室を、ぐるりと見回す。
航空機や船舶にとって空間ほど貴重なものはないはずなのに、無駄に広いな。
運用時に大勢死ぬことを想定している、ということか。
それも妙だな。
これは軍艦だが、どちらかというと航空機だ。
この遺体安置室が埋まるぐらい被弾したときは艦が墜ちるときだろう。全滅だ。
どうもつじつまが合わない。
九七式重殲滅艦は最終戦争での勝利とその後の生存を目的としているようなので、そのことを考えれば納得はできる。
ただ、どうも何かがおかしい気がした。
ニドネが首を傾げた。
「何か考えているね?」
「まあな」
すみません、すぐに思考がお散歩に行ってしまうタイプで。
適当に笑ってごまかしておこう。
そんな俺が面白かったのか、ニドネは棺桶に腰掛けながら微笑む。
「君は本当に不思議な人だね。私が怖くないのかい? 呪われた女、不死の吸血鬼だよ」
まあ、そう言えばそうなんだけど……。
でもニドネの過去や考え方が本当なら、俺はやはり彼女を尊敬したいと思う。
俺が同じ立場だったら、自分の生存以外考えられない気がする。
黙っている俺を見て、ニドネが微笑みながら言う。
「私が『バシュラン』だと知った者は、私に触れることすら恐怖する。いつ血を吸われるか、あるいは触れられただけで呪われるのではないか。そう怯えてしまうんだよ」
まあそうだろうね。
でも俺には彼女を蝕む『呪い』が、実は血液感染による感染症だという推測がついている。
推測が正しければ、そこまで怖いものでもない。
だから俺はニドネに歩み寄り、彼女の細い肩に手を置いた。
他者に触れられるのが久しぶりなのか、ニドネがビクッと肩を震わせる。
「ひゃっ!?」
驚かせてしまったか? これじゃただのセクハラ男だ。
「俺は呪いなど恐れはしない」
「えっ、う、うん……」
「こうして触れてみると、お前には人肌の温もりがある。悪鬼でも亡霊でもない。どれだけ呪われようとも、お前は人間だ」
ちょっとひんやりしてるけど、大人の女性って感じでなかなかいいです。
触る大義名分をありがとう。
「最初に会ったとき、人間ではないなどと言ってすまなかった」
ニドネは俺の顔をじっと見ていたが、白い顔がみるみるうちに桜色に染まるのがわかった。耳とうなじまで同じ色になる。
お、そうなると一般的なパラーニャ人と同じにしか見えないな。
彼女は動揺しまくった声で、こう返した。
「お……驚かせっ……驚かせないでくれないかい?」
「すまないな。だが、お前のそんな顔を見られて嬉しいぞ」
紅潮すると普通の人に見えるというのは、彼女が基本的には人間であることの証明みたいで何だか嬉しい。
思わず笑みがこぼれる。
「お前はずっと、そうしているがいい」
「なっ……何を言ってるの!?」
いかん、なんかますます困惑させてしまっているぞ。
ニドネは生きた人間からは一度も血を吸わずに、基本的に動物の血やミルクでやりくりしている。
誰にも迷惑をかけず、そして新たな犠牲者が出ないよう研究もしている。
俺には真似できない。
この尊敬の気持ちをどうにかうまく伝えたいのだが、パラーニャ語翻訳がまだ不十分なのでもどかしい。
ええい、毎回同じフレーズだが、これでいこう。
「お前はもしかすると、凄いヤツなのかもしれんな」
「えっ、あの? 本当にどういう……?」
ダメだ、翻訳以前に俺のコミュニケーション力が低すぎる。