再びの眠り・3
022
どうも目の前の吸血美女は、ヤバい病気に感染しているようだ。
ちらりとメッティとポッペンを見るが、メッティはニドネの話に興味津々だし、ポッペンは……まあこいつは人間じゃないからいいか。
さて問題です。
異世界から来た俺は、この世界の病気に対してほとんど免疫がありません。
やっぱり、ヤバいんじゃないでしょうか?
正解は潜伏期間の後で。
いや、慌ててる場合じゃない。
俺は腕組みして内心の動揺を隠しつつ、もう少しニドネに質問してみることにした。
「お前はメッティの曾祖父とも交流があったようだが、島の人々に『バシュラン』はいないようだ……。お前の言う呪いとは、他者に広まらない類のものなのか?」
かなりの長文だったけど、命が懸かってるので頑張って言った。
ニドネはうなずく。
「うん。呪いは『呪われた土』以外だと、吸血によってしか移らないようだよ。噛まれた者の多くは死ぬけど、たまに『バシュラン』として生き残るらしい」
やっぱり感染症っぽいな。
咬傷で唾液から感染して……というパターンか。
「私は生者から吸血したことが一度もないから、誰も『バシュラン』にしたことがない。血やミルクは餌付けした動物から少しずつ集めているからね。どうも動物は呪われないようだ」
動物を経由して人間が感染する可能性もあるが、それならとっくに島民に蔓延しまくってるだろう。
たぶん大丈夫だろうと思うことにして、とりあえず落ち着く。
ニドネはこう続けた。
「エンヴィラン島には、『呪われた土』は存在していない。私が苦労して持ち込んだ土が、あの棺桶の中に敷き詰めてあるだけだ。でも、年々弱まっているんだよ。海を渡ったのが良くなかったみたいだ。塩は清めの力を持つからね」
流れる水を渡れないというのも吸血鬼の弱点だが、妙なところで合致しているな。
彼女は溜息をつく。
「今はもう、なるべく体力を使わないようにひっそりと暮らしている……。一年の大半を寝て過ごしているんだ。おかげでハルダ家の子孫も、もう私のことは知らないようだね」
おっと、それも大事なポイントだ。
「お前の知るオージュ・ハルダは、俺と同じ特徴を持つ異邦人だったのか?」
「いや、君に似ているのはオージュの先祖だよ。ハルダ家の初代当主、エイジ・ハルダだね」
その途端、俺の眼帯に七海が表示される。
『原田英治機関長!?』
誰だよ。
『ななみのクルーです! 艦長、もっと詳しく聞いてもらえますか!?』
おう、任せとけ。
「その男、俺と少しばかり因縁があるようだ。詳しく聞きたい」
「やっぱりそうなのかい? 二百年ぐらい前かな、エイジはエンヴィラン島にフラリとやってきて、私と親しくなったんだ。他の島民たちは私を恐れて近づかなかったけど、彼は私を全く恐れなかった。ニホ語は彼がこの島に伝えた言葉だよ」
そういうことか。
七海が納得している。
『メッティさんの日本語は、原田機関長の方言と似ています。発音はかなり違いますが……』
お前、もう少し早く気づけよ。
『すみません、名簿にはハラダで登録されていたので、ハルダだとわかりませんでした』
これだから機械ってヤツは。
時系列を整理しよう。
ニドネが吸血鬼化して故郷のエンヴィラン島に帰ってきた後、七海の世界から原田という自衛官……あっちじゃ防衛官というらしいが、とにかく原田さんが来た。
原田さんはそのままエンヴィラン島に定住。島の発展に長年尽力し、やがて島民の娘と結婚。ハルダ家の初代当主となる。
素性は最後まで明かさなかったそうで、島民たちは「逃げた船乗りだろう」ぐらいに思っていたらしい。
原田さんはその後、孫や曾孫に囲まれて穏やかな余生を過ごしたそうだ。
おかげでエンヴィラン島にはハルダ家がいくつもあるという。メッティの実家もそのひとつだ。
それからずいぶん経って、七海や俺がこの世界にやってきた。
というか、七海と原田さんは同じタイミングで飛ばされ、違う時代にたどり着いたと考えた方がいいか。
これはどうやら、かなり大規模な異変のようだ。
でもそういうことなら、異世界から迷い込んできた人々の記録が各地に残されているはずだ。
それを調べまくれば、帰る方法もわかるかも知れない。
俺は七海に、こっそりそう伝える。
『原田機関長がもう亡くなられているのは残念ですが、私はこの艦だけでも帰還させないといけません。これからも協力をお願いしてもいいですか、艦長?』
まあそうなるよな。
こいつは自分の責任を忠実に果たそうとしてるだけなんだから。
「任せとけ」
『ありがとうございます、艦長!』
さて、そうなると今度はニドネの問題だ。
彼女は棺桶の方を振り返りながら、悩んでいる様子だ。
「一度『バシュラン』になった者は、もう後戻りできない。『呪われた土』がなければ、体が衰弱していく。できればあの古代遺跡にもう一度行って、土を採取したいんだ」
「だが海を渡れば、今度こそ手持ちの土が使えなくなってしまうかもしれないな」
日帰りできる距離じゃないだろうから、棺桶も持ち運ぶ必要があるだろう。
俺が言うと、ニドネはうなずく。
「うん。だから今は少しずつ衰弱しながら、残りの人生をひっそりと楽しんでいるところだよ」
そう言ったニドネだが、ちらちらと俺を見ている。
「ところで君、空飛ぶ船に乗ってきたよね? ここからでも、あの船はよく見えたよ」
ははあ、なるほど。
「乗りたいか?」
「呪われた女なんて、船乗りが一番嫌う存在だろう。無理を言うつもりはないよ」
寂しげに微笑むニドネ。
「『バシュラン』の呪いは、私が抱えて死んでいけばいい。もう十分に生きたことだし、そろそろ潮時だ。頼みたいのは別のことだよ」
そう言って、彼女は本棚から数冊のノートを持ってきた。
「私たち調査隊の調査報告と、この呪いに関する私の研究報告だ。だがこれを提出する祖国はなくなってしまったので、パラーニャの首都ファリオに届けてくれないか? あそこには確か、王立大学とかいう研究機関があるはずだ」
俺はノートの束を受け取るか悩み、ニドネに問う。
「いいだろう。だが理由を知りたい」
「簡単だよ。あの廃墟は今も存在し、訪れる者には容赦なく呪いを与えているはずだ」
ニドネは真剣な表情で俺に言う。
「この報告書があれば、新たな犠牲者は生まれないだろう。私たちの犠牲を無駄にしたくはないんだ」
そう言われてしまうと、断れないな。
俺はノートの束を受け取ろうと思ったが、ふとニドネの顔を見た。
彼女の整った白い顔には、恐怖や後悔は微塵もない。大事なものを託せたという安堵感と達成感だけが表れていた。
俺はこう言う。
「つまりこれは、死んだ者たちへの弔いと、生きている者たちへの慈悲か」
「うん」
ニドネは満足そうな笑みを浮かべる。
「これが何かの役に立てば、私の冴えない人生も無意味じゃなかったと思える。呪われた長い長い人生にも納得できるよ」
悲しいこと言うなよ。
俺はそういう、無私の善意に弱いんだ。
泣いちゃいそうになるだろ。
俺は少し考え、ノートを受け取るのをやめた。
「悪いが、この報告書は受け取れん」
「えっ?」
驚くニドネ。
俺は目がうるうるしているのをみんなに気づかれないよう、努めて真顔で淡々と言った。
「こんな大事なもの、俺の船には積めんよ。お前が自分で持って行け」
「いや、でもね……」
今度は戸惑ってるニドネ。
ああそうか、このパラーニャ語翻訳じゃ誤解を招くな。
俺は彼女をこれ以上驚かせないよう、にっこり笑った。
「お前は俺が連れて行く」
「えっ、何、どういうこと!?」
驚かせたくなかったのに、今までで一番驚かれた。
お前みたいな立派なヤツは、いいから俺の船に乗れ。




