黒翼の騎士・2
012
エンヴィラン島は小さな島で、パラーニャ王国の南の海に位置している。
この海は地中海のような内海らしい。
ただ、彼らの文化圏には他に海がないので、単に「海」あるいは「内海」としか呼ばれていない。
「メッティ、どこか停泊できる場所はないか? 陸地でもいいらしいぞ。お前の家の真上とかでもいいが」
俺が笑うと、メッティが苦笑しながら少し考える。
「せやな、島の西側に港があるやろ? あそこなら文句言われへんと思うわ。店の船も係留しとるし」
「じゃあ光学偽装は解除しても良さそうだな。七海、水上航行に切り替えてくれ。あくまでも船として入港しろ」
『はい、じゃあ着水しますね』
艦が着水すると、艦体はかなり揺れるようになった。
「だいぶ揺れるね」
画面の中の七海が、浮き輪を一生懸命膨らませている。
『水上航行は本来、不時着水のような緊急用のモードなんです。自重による負荷が軽減されるので楽なのは楽なんですが、動きにくい……』
「やっぱりお前、船舶じゃなくて航空機の仲間だろ」
こうして俺は無事に、メッティをエンヴィラン島に送り届けることができたのだった。
* * *
それから数日間、俺は艦長室で完全にダウンしていた。
「うう、医者はどこだ……」
『あの、どこにもいません、艦長』
「わかってるよ……」
原因はやっぱりというか、感染症だった。
俺はこの世界の菌やウィルスに免疫がない。
だから普通のパラーニャ人にはどうということのない菌でも、俺にとっては結構な脅威のようだ。
「俺、このまま死ぬのかな……」
『急性期は過ぎていますから、寝てれば治りますよ』
軍艦のインターフェースだから仕方ないとはいえ、雑な返答だなあ。
一方、メッティは毎日つきっきりで俺を看病してくれていた。
「艦長、どないや?」
「昨日よりはマシかな……」
ぐったりしている俺の枕元で、メッティがバスケットの中からいろいろ取り出してくる。
「リンゴのジュース搾ったから、後でこれ飲んどいて。あとこれ、木苺のジャム。食欲があるんなら、雑穀パンも」
「かたじけない……」
やっぱりこういうときは、生身の人間がいないとダメだ。
七海は簡単な診断はできるが、看病や治療をする手段を持たない。せいぜいエアコンを調整してくれるぐらいだ。
メッティはニコニコ顔で、俺の枕元を食料雑貨だらけにしていく。
「いやあ、こうして恩返しができるんは嬉しいなあ。もっと寝込んでくれてもええんやで?」
「やめてくれ」
メッティの看病のおかげか無事に熱も下がって、俺は健康を取り戻すことができた。
それにしても、メッティは元気だな。
お互いに異世界の菌をうつし合ったはずなのに、メッティの方は全然何ともないから不思議だ。
やっぱり時代が違うから、生物としての頑丈さが違うのかも知れない。
俺は免疫力が強い方じゃないし、今後は感染症に気をつけよう。
* * *
眼帯の網膜投影装置に、新しい文字列が表示された。
「おお、あんたもう大丈夫なのか? 傷は癒えたか?」
俺は今、髭の生えた筋肉男に全身をまさぐられている。
なんかもういろいろ起こりすぎて感覚が麻痺しているが、俺の人生ちょっと波瀾万丈すぎないか?
すると横からメッティが取りなしてくれる。
「あー、お父さん。私の命の恩人に、乱暴しないでくれる?」
さっきの会話同様、こちらもパラーニャ語だ。日本語に翻訳されて、俺の眼帯に字幕が表示されていた。
よしよし、翻訳装置は機能しているようだな。
ただ問題点として、俺の方からパラーニャ語で話しかけることができない。
七海が横からアドバイスしてくれる。
『艦長、声に出さずに日本語で呟いて下さい。骨伝導で音声を拾って、翻訳してから字幕に表示できますので』
「わかってはいるんだけどな」
即座に翻訳される。
< わかってはいるんだけどな:ウートシィ、バッチェ >
そうじゃねえよ。
これは翻訳しなくていいんだよ。
その間にも、メッティと髭のおっさん……彼女の父親との会話はどんどん先に進んでいく。
ダメだ、翻訳してると追いつかない。
「お父さんはもう少し、初対面の人への気遣いをした方がいいと思います」
「ん? そうか? すまんな、商売柄あんまり人見知りはしないんだ」
「ダメですよ、艦長さんが戸惑ってるでしょう?」
なんか……メッティの字幕だけ、やけに日本語が整ってない?
『メッティさんのパラーニャ語は、上流階級や知識層が使う正統ファリオ式です。英語でいえば、クイーンズ・イングリッシュに相当します』
七海の世界のイギリスにも、クイーンズ・イングリッシュがあるんだな。
いや、それはともかく。
「じゃあ、メッティって日本語だけ訛ってるのか」
『というか、訛ってる日本語を覚えてしまったようですよ。本人はとても丁寧にしゃべっているつもりです』
あー、そうなんだ……。
ごめん、君の人柄を若干誤解してた。
俺がぼんやりとメッティを見ていると、彼女は俺の視線に気づいて「にへっ」と笑ってみせる。
「あ、艦長が寝込んどった理由な。みんなには『海賊と戦ったときの名誉の負傷や』って言うといた。気が利くやろ?」
彼女の日本語は、見事にどこかの関西弁だ。
うーん、パラーニャ語とのギャップが凄い。
たぶんメッティは今も、敬語でしゃべってるつもりなんだ。
これはもう少し、俺も丁寧に接してあげないとな。
「ありがとう。その方が俺も格好がつくよ」
「えへへ」
嬉しそうなメッティだった。
メッティの実家の『ハルダ雑貨店』は、俺の予想よりだいぶ立派だった。
名前に反して店は石造りの三階建てで、町の中心部に堂々と建っている。小さな町なので、ここが銀行や役所の機能も有しているそうだ。
エンヴィラン島には商店が少なく、雑貨店の店主ともなれば島の顔役だという。
つまりメッティは言葉遣いが丁寧な秀才というだけでなく、名士のお嬢さんでもあったのだ。
なんか思ってたのとイメージが違う。
そんなメッティの父親は、ウォンタナと名乗った。
「ま、本名じゃないんだがな。本名は『ウォルバルドス』だが、これはもう名乗ってない」
俺は翻訳機能を使って、直接会話を試みる。
「本名はもう、使っていない……のか」
「ああ。もう十数年も昔の話だが、俺も元は海賊でな」
海賊かあ……。こないだ大量に殺したばかりだけど、この人は連中と違って無害そうだな。
「昔のしがらみを忘れたくて、当時の長老に島民としての名前をつけてもらった。この島の古い言葉で『魚屋』という意味らしいが、見ての通り雑貨屋だ」
にかっと笑うウォンタナ。
「海賊、だったのか?」
「まあな。おっと、誤解はしないでくれ。俺はあんたが壊滅させた『黒鮫』の連中とは違う。人は絶対に殺さないし、積み荷も『九と一』を守ってたぜ」
『九と一』というのは、積み荷を襲ったときの海賊の取り分が一割という、伝統的な海賊のルールらしい。
それ以上取ると奪われた側の商売が成り立たなくなるので、長期的なビジネスとしては海賊たちも困るそうだ。
「がっぽり稼いでもらって、また襲われてくれないとな!」
「なるほど」
さらに事前に通行料を支払った船は襲撃しないし、水路の案内や船の護衛などでも便宜を図ってやったという。
また、自分たちの母港に所属する船は決して襲わず、どこの土地でも陸地では法律に従う。
それが地域密着型の本来の海賊だという話だった。
「だが、『黒鮫』みたいな新興の海賊は違う。母港への義理を果たさないし、掟も何もありゃしねえ。他の海賊まで襲いやがる」
すっかり嫌気が差したウォンタナたちは陸に揚がり、当時の母港だったエンヴィラン島で生活することにしたそうだ。
「だが俺の場合、キャシー……うちのカミさんに捕まったって言った方が正確かも知れん。べろべろに酔わされた挙げ句に、ベッドに引っ張り込まれちまってな」
いや、そういう生々しい話はいい。
「親父さんに、婿に来なきゃ猟銃で撃つって言われちまったのさ……」
ショットガン・マリッジじゃないですか。
彼は頬の古傷を撫でながら、しみじみと言う。
「ま、どれだけ商売の仁義を守ったところで、海賊は海賊だ。人様の上前をはねて暮らしてることに変わりはねえ。胸を張って誇れる稼業じゃないさ。だから俺は、こうして雑貨屋の親父をやってる方が幸せだ」
「いいことだ」
するとウォンタナは静かに言った。
「だがそれはそれとして、海賊ってのは執念深い。いったん海賊を敵に回した以上、近海の新興海賊全てがあんたの敵になる」
「どういうことだ?」
「なに、あいつらには同業者への仲間意識とかはねえ。海賊に刃向かうような危ねえヤツを、野放しにしておいたら怖い。それだけさ」
うわ、めんどくさい。
「聞いた話じゃ、『黒鮫』の船は七隻だ。このへんの海賊の中じゃ最大、パラーニャ海軍も手を出しかねてる」
「つまり、あと三隻か。そいつは面白いな」
「あんたまさか、連中を皆殺しにするまで戦う気か!?」
待って、違う。
違います。
今のは「ということは、まだ三隻もいるの!? そんなの冗談じゃないですよ!?」って言いたかっただけだから。
七海のメッセージが流れる。
『すみません、うまく翻訳できなかったみたいですね。うーん、まだ改善の余地があるなあ』
反省するところが全然違う。
すっかり誤解したウォンタナは苦笑して、頭を掻く。
「どうやらあんた、本物の荒くれ者らしいな。いいだろう、気に入った。港の者には俺から伝えておく。あんたは海賊狩りの勇者だってな」
だから違うんだってば。
ウォンタナは俺の肩に手を置き、まじめな顔でうなずいた。
「メッティは俺とキャシーの宝物だ。その宝物を守ってくれたあんたには、俺は一生かけて恩を返していく。安心してここにいてくれ」
「感謝する」
翻訳が追いつかないので苦労したが、お礼だけは言えたようだ……。




