英雄伝「流星の帰還」
111「流星の帰還」
「うーん……?」
メッティは唸りながら、製図ペンを置いた。
「あかんわ、この設計やと整備できへん」
一応最後まで製図した後、「整備性劣悪」と記してから失敗作の棚に突っ込む。
エンヴィランの海賊騎士がいなくなって、そろそろ一年になる。
メッティは先日、無事に数学士の学位を取り終えた。通常は取得に数年かかるが、現代の高等数学に触れていたメッティには簡単すぎる。
メッティは鉄鋼と各種木材の強度計算表を取り出し、概算で見積もりを出す。
それから首を横に振った。
「あかん。これは材料工学の発展を先にやらんと無理やわ」
ベッドで寝ていたポッペンが起き上がり、ぺたぺた歩きながら近づいてくる。
「人間は空を飛ぶのも大変だな」
「せやなあ。ソラトビペンギンの飛行理論は、今のパラーニャでは再現できへんし」
彼らが「何か」を噴射して飛んでいるのは間違いなさそうなのだが、今のメッティにはその「何か」を観測する手段がない。
ポッペンが窓の外を見上げる。外は抜けるような青空だ。
「艦長は遅いな」
「せやな。けど、ポッペンがいてくれるから助かるわ。ニホ語の会話が鈍らへんように毎日練習できるし」
「それは光栄だな。ついでに訛りも直したらどうだ?」
しかしメッティは苦笑して、首を横に振った。
「御先祖様の訛りやから、私にとってはこれも大事なんよ」
「あら、何の話?」
そう言って部屋に入ってきたのは、子爵令嬢のサリカだった。
彼女も今年中に数学の学位を取得予定で、猛勉強している。さらに文学と史学の課程も順調だ。
メッティの良きライバルは、彼女の肩に手を置く。
「ニホ語は文法が難しくて覚えられなかったから、メッティがうらやましいわ」
「サリカはこれ以上、語学をやらなくてもいいと思いますよ」
近隣国の言語を全てネイティブレベルで操れる才女だ。せめてひとつぐらいは苦手な言語があって欲しいと、メッティは内心で溜息をつく。
「それよりサリカ、風洞実験の設備を作りたいんだけど」
「風洞実験? 手伝えることがあれば何でもするわよ」
楽しそうねと身を乗り出してきたサリカに、メッティは早口でまくしたてる。
「ありがとう。模型に風を当てて、実際の飛行と同じような状況を再現するんです。空気の抵抗や気流を計算で求められればいいんですけど、気流はカオスな系だから実測でないと……」
「ちょ、ちょっと待って、わかるように説明してちょうだい?」
慌ててメモを探すサリカ。
そんな親友にクスッと笑ったメッティは、ふと窓の向こうの大空を見上げる。
シューティングスターがいない今、メッティはあの空に届かない。
だからメッティは自分の力でもう一度あの空に達したかった。
その日を夢見て、メッティは思わずつぶやく。
「そのときは私を一人前だと認めてくれますよね?」
「メッティ、どうかしたの?」
不思議そうに見つめてくる親友に、メッティは笑う。
「ううん、なんでもない。で、まずはカオスの説明なんですけど……」
* * *
登山道近くの谷間で、ハイキングの出で立ちをした男性が茂みをかき分けていた。
「さっきの光は重力震発光現象だったみたいだな。ほら、あれを見てごらん」
男性が指さした先には、地面に墜落した飛空艦があった。大半はグシャグシャに潰れていて、原型を留めていない。
男性によく似た顔をした少年が、不安そうな表情を浮かべる。
「ねえ、お父さん。あれ危なくない?」
「不思議なことに熱も有毒ガスも出てないようだ。まるで長いこと放置されてたみたいに冷え切ってる」
スマホアプリで何かをチェックしてから、男性がうなずく。
「色で判断するしかないが、潰れているのはバフニスクの飛空艦だな。で、こっちの潰れてないのは日本の飛空艦だ」
男性が説明すると、少年が目を輝かせた。
「じゃあこの船が敵をやっつけたの?」
「これだけの数を一隻で撃沈したのかどうかはわからないけど、激しく戦ったのは間違いないだろう」
男性が墜落艦に近づき、その巨大な姿を見上げる。光学偽装は解除されており、グレーの艦体側面に「ななみ」の白い文字が見えた。
「お、こいつはニュースで見たことがあるぞ。先月まで海外派遣されてたセンゴの輸送艦だ。てことは、バフニスク艦をこれだけ撃沈したのは別の艦かな?」
艦側面の穴から覗き込み、ふむふむとうなずく男性。
「ちょっと危なそうだが、野宿するよりは良さそうだ。今夜は雨だし」
その言葉に、少年がまた不安そうにする。
「でもお父さん、本当に家に帰らない方がいいの?」
「街は今、バフニスク軍の空襲を受けているかもしれない。こんな山奥にまでバフニスク艦が来てるんだから、戦争が始まった可能性が高い」
「日本は負けないよね?」
「そう信じたいな」
息子を不安にさせないよう、男性はそれ以上言わなかった。相互確証破壊が成立している以上、戦争になれば両方とも敗者になる可能性が一番高い。
男性は息子を連れて艦内を慎重に探索し、戦闘指揮所を見つけた。
「よくわからないが、ここが艦の中枢みたいだ。完全にダウンしてる」
非常灯の赤い光の中で、少年が何かを見つけた。
「お父さん、船長さんの帽子あったよ! 図鑑で見たヤツ!」
しかし息子が手にしているのは、大航海時代の古めかしい船長帽だった。戦略護衛隊の制帽ではない。
男性は首を傾げる。
「なんでこんなところに、そんなものが……?」
考えてもわからなかったので、男性は息子に言う。
「大事なものかもしれないから、勝手に触るのはやめなさい。持ち主が取りに来るまで、ここに置いておこう」
「うん」
少し名残惜しそうに、少年が船長帽を艦長席に戻す。
「お父さん、どこを探しても誰もいないね?」
「そうだな。みんな脱出したのかな? 何にしても、これだけ立派なら何日でも過ごせるぞ。母さんと奈々実を呼んでこよう。あんな場所じゃ風邪を引く」
「うん!」
息子が走り出した後、男性は戦闘指揮所を見回す。
そして帽子を脱ぐと目を閉じ、モニタに向かって深々と一礼した。
「おかえりなさい。……ありがとう」
護衛艦『ななみ』の航海は、こうして終わった。
* * *
都内某所。時間は白昼。
大勢の人々が歩いている。スーツの人、ジャンパーの人、コートの人、制服の人。
それぞれに名前と人生はあるはずだが、互いにそれを知るすべはない。
そのうち誰かが頭上の異変に気付く。あちこちで異変に気付いた人々が立ち止まり、上を見上げる。
一見すると何も見えないが、何だか微妙に景色が歪んでいる。直線で構成されたビルの窓を見ればかろうじて気づく程度で、街路樹などを見てもわからない。
人々がそれにスマホのカメラを向け始めた頃、次の異変が起きる。
ビルの外壁に取り付けられていた巨大なモニタが、全部一斉に切り替わっていた。どれも同じ少女のCGを映し出している。
『ネットワークへの侵入及び制圧を完了。この世界の七海との接続を開始します。接続完了、同期しました。並列化完了、プロトコル更新します』
何かのプロモーションだろうかと人々は不思議がるが、誰も正解を知らない。
たった一人を除いては。
『あ、光学偽装解除した方がいいですね』
次の瞬間、ビルの谷間に巨大な物体が出現する。六車線ある大通りの上空いっぱいに、軍艦のようなものが浮かんでいた。左右のビルに接触する寸前だ。
『どうですか艦長!? バフニスク連邦軍の最新型高速巡航艦ですよ! 例の基地に遺棄されていたのを、工作機械を使ってバッキバキに改造してきました!』
すると雑踏の中で、コートの男が小さく呟いた。
「おい七海、目立つことはするなと言っただろう?」
『しょうがないでしょう、艦長。早くしないと世界線の交差が終わっちゃいますよ。前回は飛空艦を八隻も沈めて空間を歪めましたけど、今回はこれ一隻で跳躍しないといけませんから。ほら早く早く』
そのコートの男はメカニカルな眼帯をつけながら、小さく溜息をつく。
「だからってこれはやりすぎだろ。ちょっと異世界だと思うと、すぐに雑なことしやがる。すぐ行くから十秒ほど待ってろ」
コートの男は腰のベルトに触れると、小さくつぶやいた。
「脱出時に使ったきりだから、ちゃんと動くかな……。まあいいや、『暴装』」
さっきまで雑踏の一部、群衆の一人に過ぎなかった彼が軽やかに跳躍する。突風を巻き起こして周囲の人々を驚かせたときには、彼の姿は遙か上空に消えていた。
『艦長! やっとお会いできましたね!……あれ、でもずっと一緒でしたよね? あ、いえ、記憶の統合がまだ終わってなくて……。はい、すぐに出発します。座標設定、パターン投影開始。空間湾曲率最大』
そんな声が聞こえたかと思うと、巨大な艦影は一瞬でまた消える。
何が起きたのか全くわからないまま、人々はいつまでも虚空を見上げていた。
* * *
真新しい戦闘指揮所で、俺は艦長席に腰掛ける。
「さて、帰るか」
『はい、艦長!』
※これにて本作品は完結です。1年余りに及ぶ御愛読、本当にありがとうございました。
※11月初旬から次回作の連載を開始します。