流星の帰還・6
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シューティングスターの巨影が空を横切っていく。
「ああ……行っちゃう……」
女子寮の中庭でメッティがパラーニャ語でつぶやくと、ポッペンが上空に向かって敬礼をしたまま言う。
「見送ってやれ、メッティ。艦長が熟慮の末に決断したことだ」
「でも、艦長は命を懸ける覚悟をしていました。止めた方が良かったのかも……」
しかしポッペンは静かな口調で、諭すように告げる。
「それでもだ。人もペンギンも自分自身で決めたことにだけ、本気になって向き合えるのだ。誰かの言いなりでは全力で戦えない」
ポッペンはそう言い、敬礼したまま口調を和らげる。
「艦長は今、この戦いを自分のものとして受け止めている。私の経験上、困難な状況から生還するのは大概そういうヤツだよ」
「そういうものですか?」
「ああ。お前もいずれわかる」
少女とペンギンが見送る中、シューティングスターが去っていく。
シューティングスターが見えなくなったのと入れ替わるように、女子寮からサリカたちが姿を見せた。サリカはメッティの肩に手を置き、優しく言う。
「心配でしょうけれど、それは胸に秘めておきなさい。貴族の家に生まれた者は、昔はこういう経験を何度もしていたらしいわ。でも残された者の祈りが、戦士に力を与えると信じられていたそうよ」
それが何の根拠もないことは、サリカもメッティもわかっている。
しかしサリカの気遣いに、メッティは微笑んだ。
「ありがとう、サリカさん」
「サリカでいいって言ったでしょ? さ、女子寮に案内するわ。今日からしばらく相部屋だから」
「えっ、聞いてない!?」
「いいからいいから。ポッペンさんもどうぞ」
「すまんな、世話になる」
* * *
俺はだんだん小さくなるメッティたちの姿をモニタ越しに見つめ、そっと息を吐く。
今回ばかりは生きて帰れるかどうか全くわからない。
だが少なくとも、この戦いで死ぬ人間は最大でも一人だ。俺しか乗ってないからな。
そう考えたところで、俺はふと疑問を抱く。
「七海、敵艦隊は無人艦じゃないよな?」
『そうですね、バフニスク連邦軍も一応は条約を遵守しているはずですから、各艦に一名は乗せていると思いますが……』
七海がそう答え、俺たちは顔を見合わせる。
「また『脳だけ』かな?」
『だと思います。居住区画を設けることを考えれば、生命維持装置と脳ユニットを搭載する方が圧倒的に省スペースになりますし』
前に戦ったクリムスキー級潜水艦に乗っていたのは、脳だけの艦長だった。あれと同じってことか。
『潜水艦は海中で隠密行動をするので、独立行動が前提です。でも飛空艦は艦隊司令部からのコントロールで動きますから、ベルゲノフ艦長のような待遇すら怪しいかと……』
「それってどういう意味?」
すると七海が意味もなく声を潜める。
『レベル四の機密情報ですけど、バフニスク軍の飛空艦は人工知能が艦のほぼ全ての機能を掌握しています。だから脳だけの乗員がいたとしても、操艦どころか外部との通信すらできない気がしますね』
おいおい。
『意識レベルを低下させられているはずですし、出航直後に「病死」として処分されている可能性もあります。あと私の憶測に過ぎませんが、例の「博士のウォトカ」はこういうときに便利かと』
言われてみれば脳だけのゾンビなら無害だし、あれは現代の医学では「生きている」状態だ。そして物理的に破壊されない限り、ほぼ不死身になっている。
「確かにおあつらえ向きだな」
『ですよね』
俺は七海を見つめたまま、何となく自分の頭を撫でる。いろいろあったけど、俺の脳はまだ頭蓋骨の中だ。
俺はしみじみとつぶやく。
「やっぱり俺、すごく待遇いいんだな……」
『脳の摘出手術は、さすがにシューティングスター単体では不可能ですから……』
「できるものならやりたかったみたいな言い方は慎みたまえ」
やっぱりこいつも怖い。
俺は腕組みをしながら少し考える。
「そうなると、あっちの八隻には最低八人分の脳が乗せられている訳だ。それも、条約をクリアするだけのただの部品として」
『そういうことになりますね』
別に同情していない口振りで七海がうなずく。
「助けられないかな?」
『それが無理なのは、艦長もおわかりでしょう?』
「……まあな」
取り外そうとするだけで抹殺装置が作動するぐらいだし、仮に救助できても生命維持ができない。もしゾンビ化していたら助けても無駄だ。
仕方ない。覚悟を決めよう。
「七海。俺たちが負ければ、この世界にはもう彼らを滅ぼせる戦力は存在しない。だから何人殺すことになろうが、俺たちは勝つしかないんだ」
『はい、そうしましょう』
ということで、どんな卑怯な方法を使ってでも勝つことにする。
七海の立てた作戦計画はこうだ。
まずバフニスク連邦海軍の通信コードを使い、敵艦隊を海上までおびき寄せる。
敵艦隊には情報衛星や偵察機などの「目」が存在しないが、こちらには無人偵察機がある。
そこで先制攻撃の一発で敵艦隊の大半を撃沈させ、残りもアウトレンジから叩き潰す。
「完璧な作戦だな」
『実行できるのなら、という条件つきですけどね』
「それを言うな」
俺は船長帽を被り直しながら、軽く溜息をつく。
「飛空艦なんて名乗っていても、実質的には航空機だ。火力の割に装甲は薄い。正面からの撃ち合いになれば圧倒的に不利だから、この方法しかないだろう。俺はお前を信じる」
七海は嬉しそうな顔をする。
『艦長も私を信じてくれるようになったんですね?』
「前から信じてるよ、能力的な部分ではな」
『それ以外の部分では?』
「人柄については全く信用してない」
人じゃないからな。
『ひどい……こんなに一生懸命やってるのに……』
いじけてうつむいている七海を、俺は投げやりに慰める。
「軍用人工知能としては信用してるんだから、それで納得しろ。それより始めるぞ」
『あ、はい』
俺は少し緊張しつつも、覚悟を決めて命令を下す。
「作戦プランAを実行しろ」
『了解しました』
七海がビシッと敬礼した。
『作戦海域に到着しました。大気の状態を測定中……』
七海が温度計のアイコンを手に取って見た後、俺に報告する。
『湿度が不足しています。加湿を行います』
「わかった」
五百五十ミリ光学湾曲砲が海面に向けて発射され、もくもくと水煙が沸き上がる。
「良さそうだな。セキュリティクリアランスレベル三解除、『レディバグ』全機発艦せよ」
『セキュリティクリアランス承認。レディバグ隊、発艦します』
テントウムシによく似た無人艦載機が数機、シューティングスターから飛び立っていく。背中の模様は全てレンズだ。
試作無人機『レディバグ』は、プラネタリウムのように映像を投影する。プラネタリウムとの違いは、スクリーンではなく空気中のチリや水滴に投影する点だ。
『パターン投影します』
七海の声と共に、シューティングスターの前方に飛空艦の映像が数隻出現する。本物そっくりだ。
「これで少しは目くらましになるかな?」
『一応、レディバグには電子偽装機能も備わっていますから、最初の三秒ぐらいなら完全にごまかせるはずです』
「三秒か」
俺は腕組みする。
「十分すぎるな」
三秒あれば五百五十ミリ光学湾曲砲を一発叩き込める。それも十分に狙い澄ましてからだ。
「よし、ダミー艦隊をいったん消そう。それからシューティングスターは光学偽装と電子偽装を開始しろ。そろそろ敵艦隊の索敵圏内に入る」
『了解しました。光学偽装開始。雲に偽装します。続いて電子偽装開始、砲門およびレーダーを封鎖。モスキート偵察機が今後は「目」になります』
これでシューティングスターは姿を隠したまま、敵艦隊を待ち伏せできる。
ただ、不安はあった。
『シチート級の電子戦能力は低いと考えられているんですけど、実戦で確認した訳ではないので未知数なんですよね』
今さらそんなこと言われても困る。
俺は大海賊グラハルドの船長帽を目深に被りながら、艦長席のシートにもたれた。
「ここまで来たら戦うだけだ。敵艦隊の誘導を続けてくれ」
囮担当のモスキート偵察機にバフニスク軍の通信コードを発信させ、敵艦隊をこちらに引き寄せているところだ。
そろそろ肉眼で見えてくる頃合いだな。
七海がこれまでにないぐらいまじめな表情で叫ぶ。
『敵艦隊発見! 距離およそ百七十キロ!』
モスキート偵察機からの映像に、豆粒ほどの大きさの黒い艦影が見える。確かに八つだ。
俺は深呼吸してから、七海に告げる。
「作戦に変更はない。続けろ」