流星の帰還・5
107
七海が「奇襲による敵艦隊への先制攻撃」を提案してきたのは、検討開始から三十分後だった。
『バフニスク連邦のシチート級防空駆逐艦はバリエーション豊富ですが、いずれも連装光学砲を多数搭載した戦闘艦です』
七海がモニタに敵艦のデータを表示する。シューティングスターよりは少し小ぶりだが、対艦戦闘での火力はあっちの方が上らしい。
『シチート級はより上位の旗艦、あるいは情報収集艦からの指揮や指示を受けて戦闘を行います。しかし映像にはそれらしき艦影はありませんでした』
俺は船長帽をテーブルの上に置いたまま、手を組んでうなずく。
「つまり通常の指揮系統や情報収集能力を備えていないということか?」
『御明察です、艦長』
七海はキビキビとした受け答えで、モニタに作戦概要を表示させた。
『航路を分析した結果、敵艦隊は現在、やみくもに索敵行動を続けていると推測されます。そこでバフニスク連邦軍の通信を偽装します。……あの、これは重大なルール違反ですが、よろしいですか?』
さっそくダーティな戦法が飛び出してきたぞ。俺は少し悩んだが、よく考えたら俺は軍人ではない。交戦のルールなど関係なかった。
「最後まで聞こう。続けてくれ」
『あ、はい。敵艦隊を海上におびき寄せ、主砲による奇襲攻撃で一気に殲滅します』
主砲か。俺は無言でシューティングスターの兵装リストを閲覧する。
「海上なら巻き添えは出ないし、地形への影響も最小限に抑えられる。そういう配慮だな?」
七海は照れたように笑う。
『はい。どうせ戦うなら、誰の迷惑にもならないところでやりましょう。どこで戦っても同じですから』
「いい心がけだ。しかし海上だと、こっちが撃沈された場合はほぼ死ぬな」
すると七海はサラッと応じる。
『漂流しても救助が来ませんからね。本艦が沈んでしまったのなら、艦長を保護する理由もないですし』
「それもそうだな」
納得してうなずくと、七海が指先をツンツン合わせながら首を傾げた。
『怒らないんですか?』
「なんで?」
『艦長の安全を度外視してるんですよ?』
「今から殺し合いを始めるのに、そんなもの気にしてもしょうがないだろう。勝てばいいだけの話だ」
そう答えつつ、俺も首を傾げる。
言われてみると、この反応はちょっとおかしいか……?
でも俺をこういう風に再教育したのは、他でもない七海だ。
「俺のことはどうでもいい。それよりもメッティだな」
『あ、はい……そうですね』
七海がこっくりうなずいた。
そして俺たちの予想通り、メッティは大変ごねた。
「いーやーやーっ!」
俺の胸ぐらをつかんで、必死に叫ぶメッティ。
「なんで私が下船せんとあかんねん! クルーやろ!?」
「退艦命令だ」
俺はメッティの指をほどいたが、またすぐ胸ぐらをつかまれる。
「私がおらへんかったら困るやろ!?」
「残念だが、ここからの戦いにはお前は必要ない。ミッションは戦闘、相手は七海の世界の艦隊だ。通訳も経理も関係ない」
メッティが泣きそうな顔をしているが、俺は腰を屈めて彼女の顔を見た。
「必要のない人員を戦場に連れていくのは、艦長として恥ずべきことだ。理解してくれ」
「わかるけど! でも艦長、それって命の危険があるってことやろ!?」
「軍艦に乗っている以上、命の危険は常にあるさ」
俺はメッティの頭を撫でる。
「生きて帰れないような無謀な作戦は立てていないし、俺は負けるつもりなんか全くない。だが危険はゼロじゃない。だから最小限の人員で作戦を遂行する。それだけだ」
「せやけどっ!……せやけど……」
いつもは饒舌なメッティが、今日は小さな子供のようだ。
それだけ、俺のことを心配してくれているんだろう。たった一年余りではあったが、ほとんど毎日顔を合わせてきた仲だ。何度も一緒に危険をくぐり抜けてきた。
俺は大事なクルーの肩に手を置き、こう言った。
「必ず生きて帰る、とは約束できない。だが生きている限りは必ず帰ってくるつもりだ」
それでメッティが納得できたかどうかはわからないが、聡明な彼女は小さくうなずく。
「……うん」
本当は気休めでもいいから、「必ず帰ってくる」と言いたかった。しかしそれは不誠実だ。俺にはできない。
このへんが俺が今ひとつ英雄っぽくなれない理由なんだろうな。
俺は苦笑し、彼女にタブレットを手渡した。
「これを預けておく。俺のセキュリティクリアランスが四レベルになったから、艦内のデータベースから学術関係の資料をありったけコピーしておいた。パラーニャにとっては知恵の宝庫だ」
「これを私に?」
「ああ。王立大学の学生になら託してもいい。大学の研究者たちと共有して、この国の為に役立ててくれ」
そう言って、俺は船長帽を被った。
「いつも一緒にいるのが仲間の証って訳じゃない。俺とお前は別の人間、別の人生を歩んでいる。ときどきは違う場所で戦うこともあるさ。お前の戦場は大学だ」
そして最後に、こう告げる。
「行ってこい、メッティ。今、お前にしかできないことがある。それをやってくるんだ」
メッティはしばらく黙って考え込んだ後、大きくうなずいた。
「わかった」
タブレットを抱きしめると、メッティはいつもの調子で笑う。
「せやけど艦長、この端末って艦長の愛読書も入っとるんやろ?」
「あっ」
しまった、消去しておくの忘れた。
「ちょっ、ちょっと返しなさい。返して」
「あかんあかん。今、私にしかできへんことをやらんとな。艦長命令や」
メッティは俺の手をヒョイとすり抜け、悪戯っぽく笑った。
「早う帰ってこんと、中身全部見てまうからな?」
メッティの瞳は、いつもより潤んでいる。涙を武器にするような子じゃないから、あれは本当に辛いんだろう。
俺は溜息をつき、軽くうなずいた。
「善処する」
だから例のフォルダは絶対に開くんじゃないぞ。
すると横でずっと黙っていたポッペンが、ぺたぺたとメッティに歩み寄る。
「心配するな、メッティ。後は大人の男たちに任せておけ」
俺は口を挟む。
「ポッペン。お前たちも全員降りるんだ」
「なんと!?」
ポッペンがくるりと振り向く。驚いてる顔……なんだろう、たぶん。
「本気か、艦長!? 私は誇り高き征空騎士、戦士の中の戦士だぞ? 戦場に私を連れて行かない理由がない」
「光学砲の撃ち合いをする戦場で、生身の戦士が空を飛んでも危険なだけだ」
気の毒だとは思ったが、やはり艦長としては許可できない。
「相手が単艦なら征空騎士の出番もあるが、艦隊規模では危険すぎる。シューティングスターの直衛は無人機を使う」
「しかし私は戦士だぞ。こういうときに戦わずして、何の戦友だ」
気持ちはわかるけど、俺はあんたに死んでほしくないんだよ。
「もっと大事な任務を託したい。メッティの護衛だ」
ポッペンが無言で俺を見上げているので、俺は言葉を続ける。
「艦を降りたメッティを守る大人が必要だ。大学のある首都ファリオにはメッティを守れる大人がいない」
ファリオには学友にして子爵令嬢のサリカがいるが、彼女もまだ子供だ。
「メッティは俺たちの大事な戦友だ。守ってやってくれ」
ポッペンはしばらく無言のままだったが、やがて静かにうなずいた。
「承知した。艦長も我が友、メッティも我が友だ。友を守るために戦うのは戦士の誉れ。その任務、命に代えても果たしてみせよう」
「ありがとう、ポッペン」
俺がもし死んでも、メッティさえ無事ならパラーニャはソラトビペンギンたちを大事にしてくれるだろう。メッティは七海の世界の科学知識を持っている。パラーニャの至宝だ。
ポッペンたち征空騎士はパラーニャの市民権を持っているし、ソラトビペンギンの街作りも何とかなるはずだ。フェルデ王は良い人だしな。
そう思って安心していると、ポッペンがさりげなく言う。
「だが私との約束は果たしてもらうぞ、艦長。私はパラーニャ王ではなく、あなたと約束したのだからな」
やっぱりバレてる。
「もちろんだ」
俺が仕方なくうなずくと、ポッペンは楽しげにクェーと笑った。