流星の帰還・1
103
波間に漂う、有線式の通信ブイ。通信ケーブルは切れており、既にそれを使う主は存在していない。どこからか飛んできたカモメが一羽、ブイに止まって休息している。
だがそれは今も、内蔵電源で稼働していた。
この世界の人々の目には見えず、耳にも聞こえないが、それは確かに信号を発していた。
そして、カモメが飛び立つ。
* * *
「ジュナさんのおかげで、かなりのことがわかったわ」
メッティが嬉しそうに言い、慣れた手つきでタブレットを操る。
士官食堂の大型モニタに、メッティとサリカが作った表が表示された。
「数学や量子力学の方はややこしいから置いとくとして、前から気になってたことがあるねん」
「何だ?」
「『エンヴィラン島』のことや。艦長はエンヴィラン島の名前を、元の世界で見たことがあるんやろ?」
「ああ」
ゲームの中に登場する地名だけどな。
メッティが表示した表には、『艦長世界』と『基軸世界』という項目があり、その両者の行列が交わる項目に『パラーニャ王国/エンヴィラン島』という単語が入っていた。
「艦長の世界とこの世界は、この単語でつながっとる訳やな」
「まあそうだな」
するとメッティはポインタを動かし、違うところを指し示す。
「狩真の世界は『バシュラン』という存在でつながっとるし、七海の世界とはうちの先祖とつながっとる」
『ついでにバフニスク連邦軍も来ていますし、因縁が深いですね』
七海が頬に手を当てて溜息をついている。
俺も溜息をついて、椅子にもたれかかった。
「たぶん七海の世界が一番深くこの世界に関わっている。俺や狩真の世界は、七海の世界の近くを併走していたんだろうな」
『計算結果でもそんな感じです。もらい事故みたいですね、あはは』
笑い事じゃないよ。
この世界と七海の世界は、かなりの頻度で重なり合っている。
そして俺や狩真の世界は、七海の世界と電子機器の規格が全く同じになるぐらい近い。そのせいでこの世界とも一瞬重なり合ったようだ。
「それで、七海の世界は今どのへんを走ってるんだ?」
「すぐ隣にぴったりくっついとるみたいやな。艦長の世界も、その近くにあるんやと思うで」
メッティは少し残念そうに言うと、肩を落とした。
「タイミングと方向さえ間違えへんかったら、この艦の装置で異世界に飛べるみたいや。艦長もすぐに帰れるんちゃうか?」
「そうか……」
帰りたくないなあ。
すると七海が割り込んでくる。
『じゃあ、ちょっと艦長を元の世界に送り返してみましょう』
「おいおい」
俺は笑ったが、モニタには何か複雑なグラフが表示される。
『重力推進機関、出力上昇します。座標固定、パターン表示』
俺の足下にぼんやりと光る魔法陣が浮かび上がる。
「七海? おい七海、ちょっと待て!?」
俺は立ち上がったが、魔法陣は俺の動きに合わせて動く。レーザーか何かで照射してるらしい。
『重力推進機関、主機一番・二番臨界。空間湾曲開始』
七海は完全に本気の口調だ。さすがのメッティも慌てている。
「ちょっ、待ち!? 待って!? あかんやろ!?」
「そうだぞ、さすがに今戻る訳にはいかないだろ!?」
だが七海は全く聞く耳を持たず、俺に敬礼した。
『失敗したら申し訳ありません。湾曲率最大』
「待てこらーっ!」
俺が叫んだのと、士官食堂の照明が全部消えたのが同時だった。フッと真っ暗になり、非常灯だけが点灯する。
なんだこれ!?
数秒で照明は復活し、士官食堂は普段通りに戻る。
七海はというと、画面の中で溜息をついていた。
『やっぱりこうなりましたか……』
「説明」
俺が腕組みしながら言うと、七海が慌てて背筋を伸ばす。
『しっ、失礼しました! 再現実験が必要でしたので、つい』
「何の再現実験なんだ、今のは」
『実は昨日、冷凍イワシを異世界に転移させてみようとしたんです。でもできませんでした』
冷凍イワシの次が俺って、だいぶ手順を省略してないか?
七海の説明によると、シューティングスターに搭載されている重力推進機関では、異世界転移は起こせないらしい。
「でもお前、ジュナは転移させてただろ?」
『成功したのはあれ一回きりなんですよ。ですからおそらく、ジュナさん自身に何か要素があったのではないかなと』
あの子は魔術師だもんな。それに自力で異世界への転移を何度も繰り返している。
「つまり魔術師ではない俺たちは、元の世界に帰れない?」
『そうかもしれません。ちなみに私も帰れませんでした』
「それ、成功してたらどうする気だったんだよ」
帰りたいのはわかるけど、焦りすぎだろう。最近こいつ、本当の意味でどんどん人間臭くなってきてる気がする。不安だ。
「この魔法陣みたいなヤツに、何か秘密があるのかもな。あるいは魔術師の肉体か精神に手がかりがあるのかもしれない」
『どこかで魔術師捕まえてこないといけませんね』
実験動物みたいに言うな。
七海は真顔で首を傾げつつ、こう続ける。
『ジュナさんの魔術は、おそらく「アーツ」に分類される技術なのだと思います』
「体系化された『サイエンス』ではないと?」
『はい。職人芸っぽいですよね』
結構体系化されてたような印象を受けたが、確かにそうかもしれないな。
そうなると、俺たちはまだまだこの世界から動けないことになる。
「いやー残念だなー。早く元の世界に帰って、ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車に揺られたり、クソ上司のパワハラ説教やクソ社長の無意味な訓話を聞いたりしたいのになー」
『うぐぐぐ』
悔しそうな顔をして制帽を噛んでいる七海。
そんなやりとりの後、今日も平穏にメッティを大学まで送り届けた。
そして今日は入れ替わりにラウドが乗艦してくる。俺の副業だ。
「よう、艦長。今日は頼むぜ」
彼の背後には陸軍の兵士たちがぞろぞろついてきている。
「全員、お前の部下か」
「まあな。陸軍に新設された測候中隊の技術兵たちだよ」
ラウドは大学に戻った後、恐ろしい勢いで気象学を発展させている。
その実力を認められて、ついに陸軍が彼を呼び戻した。一度は気象局を廃止して追い出しているので、今度は平身低頭だったという。
七海が首を傾げる。
『気象局を復活させればいいと思うんですけど、なんで新しい部隊を創設したんでしょうね』
俺は溜息をついた。
「一度廃止したものは簡単には復活させられないっていう、組織の論理だと思うぞ」
するとラウドが苦笑してうなずいたので、七海は納得したような顔でうなだれる。
『あー……それですか。どこも一緒ですね』
思い当たる節があるらしい。
「お前、お役所の人工知能なのにそういう言動はいいのか?」
七海は制帽を脱いで頭を掻く。
『艦長の影響で、すっかりお行儀が悪くなってしまいまして』
人のせいにするのは良くない。
でも確かに、出会った頃より柔軟な対応をすることが増えたような気がする。元の世界に戻ったら、こいつも大変だろうな。
俺はラウドに向き直る。
「測候中隊の兵士が部下ということは、お前もしかして……」
「ああいや、さすがに軍人じゃねえからな。中隊長付の技術顧問って立場だ。でも貴族将校待遇になってる」
一度追い出した人間を呼び戻すんだから、それぐらいはしないとな。
だがラウドはニヤリと笑った。
「陸軍のお偉方は、あんたのことが怖いんだよ」
「俺が?」
「そりゃそうだ。エンヴィランの海賊騎士だぜ? あんたは国王陛下の親友で、民衆も兵士も熱狂的に支持してる。あんたに嫌われるようなことをしたら、配下の兵士が離反しちまう」
まじかよ。
でも考えてみれば、こんな超兵器を乗り回してるフリーランスの異邦人だしな。怖がられるのも道理だ。
俺は芝居がかった仕草で肩をすくめて冗談を言う。
「もし陸軍の幹部がお前に失礼なことをしたら、海賊騎士が挨拶に行くと伝えておいてくれ」
「おう、わかった」
いや、冗談だよ?




