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第41話 日向が動くたびに小竜も一緒に移動しているらしい

 日曜日の朝。

 先日の、専門医を交えた癌治療の検証から数日後。

 啓介は、久しぶりに誰と会う予定も、山へ行く予定も全く入っていない、完全なオフの休日を迎えていた。


 天気は快晴。

 マンションの窓のカーテンの隙間から、眩しい朝日がリビングへと斜めに差し込んでいる。


 啓介は、朝から普段通りの生活をこなしていた。

 洗濯機を回す。トーストと目玉焼きの簡単な朝食をとる。食器を洗う。少しだけ部屋の掃除機をかける。平日の間に溜まっていた私用のメールをPCで確認する。


 朝の八時半。

 啓介が、マグカップにコーヒーを淹れてリビングへ戻ってきた時のことだ。


 見ると。

 アカネが、リビングの床にできた『四角い日向』のド真ん中で、綺麗に丸くなっていた。

 もちろん、窓際ぎりぎりの場所ではない。外から姿を見られるリスクを避けるため、日差しが差し込んでいるリビングの中央寄りの床だ。


 アカネは、小さな翼を背中にぴたりと畳み、短い尻尾を身体の脇へキュッと寄せて、すやすやと目を閉じていた。


「……そんなところで寝てたのか」


 啓介は少しだけ意外に思った。

 普段、マンションにいる時のアカネの定位置は、ソファの上に広げられた啓介の古いパーカーの上だ。

 今日のように、何もない硬いフローリングの床で丸くなっているのは、少し珍しい。


 だが、啓介はそこまで深くは考えなかった。


「まあ、たまたま床で寝たら、そこが日向だっただけか」


 啓介はそのままソファに座り、コーヒーを飲みながら本を読み始めた。


 それから一時間弱が経過した。

 啓介は本を置き、洗濯物を干しにベランダへ出て、またリビングへ戻ってきた。

 ローテーブルの横に座り、スマートフォンをいじる。


 ふと。


「……ん?」


 アカネがいない。

 さっきまで寝ていた、床の上の場所が空っぽになっている。


 視線を動かす。


 いや、すぐ近くにいた。

 先ほどの場所から、五十から六十センチほど右へずれた別の床面で、丸くなって寝ている。


 啓介は、その新しい場所を見て、少し首を傾げた。

 そこにも、『四角い日向』が落ちていたのだ。


 朝から一時間が経過し、太陽の角度が変わったため、先ほどアカネが寝ていた床の場所は、もう半分ほどがテーブルの陰に入ってしまっていた。

 そして今、アカネが移動した新しい場所だけが、窓枠の形に切り取られたように明るく照らされている。


「……お前、移動した?」


 啓介が声をかけてみたが、アカネはそのまま寝ているだけで、当然返事はない。


 啓介は壁の時計を見た。

 でも、この時点ではまだノートを取り出して記録するようなことはしなかった。


「まあ、これもたまたまだろ。起きた時にちょっと場所を変えただけかもしれないし」


 啓介は再びスマートフォンの画面へと視線を戻した。


 午前十時半過ぎ。

 太陽の位置がさらに高くなり、部屋の中に差し込む日差しも、床から徐々にソファの方へと移動し始めていた。


 啓介は、PCの画面で仕事関係の記事を読んでいたが、喉が渇いたので冷蔵庫へ麦茶を取りに立ち上がった。


 そして、リビングへ戻ってくると。


 今度はアカネが、ソファの端にできた『細長い日向』の中へ移動して、そこに身体を丸く収めていた。


 啓介は、麦茶のグラスを持ったまま立ち止まった。


「…………」


 ソファの上の日向を見る。

 アカネを見る。

 さっきまでアカネが寝ていた、完全に日陰になった床を見る。


「……お前、さっきも日向にいたよな?」


 啓介がじっと見つめていると、アカネが薄く右目だけを開けた。


「あぎゃ……」


 眠そうに鳴いて、またすぐに目を閉じる。


 ここでようやく、啓介の頭の中に一つの疑問が立ち上がった。


(……これ、偶然か?)


 啓介の思考が、原因の候補を並べ始める。


 光の明るさそのものに惹かれているのか。

 日差しによる暖かさを選んでいるのか。

 床面やソファの表面温度の違いを感じ取っているのか。

 明るい場所と暗い場所の境目が何か気になるのか。

 単に、その時その時で寝やすい場所を選んだ結果なのか。

 午前中にアカネが気まぐれに移動した経路が、たまたま日差しの移動と重なっただけなのか。


 だが。


「……まあ、まだ二回だ」


 啓介は、自分自身にストップをかけた。


 以前の啓介なら、ここで即座に実験を始めていたかもしれない。

 カーテンを意図的に動かして、日向を人工的に別の場所へずらす。アカネがそこへ移動するか確認する。


 そんな方法は、すぐに思いつく。


 でも、今はやらない。


 ただ、安全確認を兼ねて、一つだけ確かめた。

 啓介は、アカネが移動した後の日陰の床と、今アカネが寝ている日向のすぐ横のソファの表面を、手のひらで触り比べてみた。


 日向の当たっている場所の方が、ほんのりと暖かい。


 でも啓介は、すぐに思考を切り離す。


「俺が触って『温度差がある』と感じたことと、こいつが『その温度差を理由に場所を選んだ』ことは、全く別の問題だ」


 温度差がある。

 アカネが日向にいる。


 その二つが同時に観察できたからといって、前者が後者の理由だとはまだ言えない。


 だから、温度計を何個も並べて室内の温度分布を作るような大げさな検証はしなかった。


 啓介は、ソファの上のアカネを黙って眺めた。


 ソファの上に落ちている日向は、窓枠の桟のせいで少し細長い形になっている。

 アカネの身体全部がその中に入るには、微妙に幅が狭かった。


 すると。


 アカネは、まず前脚と顔を日向の中に入れている。

 腹も日向だ。

 でも、小さな翼の端だけが、少し日陰にはみ出している。


 しばらくすると。


 アカネは、寝たままの姿勢で身体を少しだけ、


 ズリッ。


 と動かした。


 さらに数分後。


 ズリッ。


 結果。

 見事に、アカネの赤銅色の身体のほぼ全体が、細長い日向の中へすっぽりと収まった。

 短い尻尾の先だけが、少しはみ出している。


 啓介は呆れた。


「……お前、わざわざそこまでサイズ合わせるのかよ」


「あぎゃ?」


 アカネは寝言のように鳴いた。


(……まるで、自分の身体全部を日向の中へ収めようとしているように見えるな)


 啓介はそう思ったが、それもあくまで『そう見えた』というだけの話だ。

 本人の意図までは分からない。


 昼前。


 ここで、それまでの仮説を少し弱める出来事が起きた。


 外の空を、大きな薄い雲が通過した。

 急に部屋の中へ入る日差しが弱くなり、リビングに落ちていたくっきりとした日向が、ふっと完全に消えたのだ。


 啓介は「おっ」と思い、アカネの方を見た。


 もし、アカネが常に日向にいなければならず、光が消えたらすぐ別の明るい場所を探すほど強く依存しているのなら、ここで何か反応があるかもしれない。


 だが、アカネは。


 移動しなかった。


 日向が消え、少し薄暗くなったソファの上で、そのまま微動だにせず、すやすやと寝続けている。


 啓介は少し拍子抜けした。


「……なんだ。日が陰ったからって、即座に別の場所を探しに行くわけじゃないのか」


 少なくとも、『光が消えたら必ずすぐ移動する』わけではないらしい。


「じゃあ、どうしても日向じゃなきゃ駄目ってわけでもないのか?」


 啓介の中で、仮説の形が少し変わった。


 当然、アカネから明確な答えは返ってこない。


 昼。

 啓介が昼食の準備を始める頃には、アカネも目を覚ました。


 ソファから降りて、室内をトテトテと歩き回り、自分の水皿から少し水を飲み、おもちゃで少し遊び、最後には啓介の足元へやってくる。


 ここで一度、午前中の昼寝の流れは完全に途切れた。


 つまり、一日中ずっと日差しだけを追い続けているわけではない。


 啓介はパスタを食べながら考えた。


「……午前中だけ、たまたま日向と重なったのか?」


 まだ分からない。


 午後一時半過ぎ。

 雲が抜け、再び強い日差しが部屋に差し込んできた。


 太陽の位置は朝から大きく変わっている。

 床やソファではなく、少し離れた場所に置かれた啓介の古いパーカーの端に、四角い日向が落ちていた。


 アカネは、昼食後もしばらく起きて普通に遊んでいた。

 啓介も、そのまま気にせず本を読んでいた。


 数十分後。

 ふと視線を上げると。


 アカネが。

 日差しの当たっている古いパーカーの端の部分に綺麗に収まって、再び丸くなって昼寝をしていた。


 啓介は、本を閉じた。


「……これで、三回目」


 ここまで来ると、単なる偶然だけで片付けるには少し面白くなってきた。


 ただし、言えるとしても。


『今日のアカネは、休む時に日向の場所を選んでいる可能性がありそうだ』


 その程度だ。


『アカネという生物は日向ぼっこが大好きである』とまで一般化する材料はない。


 啓介は、スマートフォンの写真フォルダを開いた。


 午前中、なんとなく可愛いと思って撮っておいた写真が二枚ある。


 朝の、床の日向で寝ているアカネ。

 午前の、ソファの細い日向へ収まっているアカネ。


 そして今。

 パーカーの端の日向にいるアカネを、一枚撮る。


 観察実験のために、定点カメラで連続撮影したわけではない。

 ただ、飼い主として可愛かったから撮っただけだ。


 三枚の写真を並べてみる。


 朝。

 午前。

 午後。


 全部、寝ている場所も背景も違う。


 でも、アカネの身体の周囲だけが、見事に四角く明るく照らされている。


「……写真だけ並べて見ると、完全に光について動いてるように見えるな」


 啓介は、画面の写真を少しだけ拡大した。


 金色の目は閉じられている。

 赤銅色の鱗に日光が当たり、いつもより少し明るく見える。

 小さな翼も背中にぺたりと畳まれ、全身から力が抜けている。


 啓介の口角が、自然と緩んだ。


「……可愛いな」


 パーカーの上のアカネは、完全に熟睡していて全く反応がない。


「聞いてないなら、まあいいか」


 啓介は一人で小さく呟き、スマートフォンを置いた。


 その時。

 啓介の目が、窓のカーテンへ向いた。


 もし今、カーテンを少しだけ動かせば。

 日向の位置を、人工的に十センチほど横へずらすことができる。


 そうすれば、アカネが本当に光の位置へ合わせて移動するのか、簡単に確認できるかもしれない。


 啓介の手が、少しだけカーテンの方へと伸びかけた。


 そして。


 ぴたりと止まった。


「……いや。何やってんだ、俺」


 啓介は、自分で自分の手を下ろした。


 雨水タンクや水たまりを観察した時の経験が、ここでも生きていた。


 可愛い反応が見たいからといって、こちらからわざわざ不自然な刺激を作る必要はない。


「自然にまた動いたら、その時それを見ればいいだけだろ」


 啓介はそう一人ごちて、再び本を開いた。


 午後三時前後。

 啓介がPCで作業をしている間にも、太陽はさらに傾き、部屋の中の日向は少しずつ形を変えながら移動していく。


 さっきまでアカネが寝ていた古いパーカーの上から、完全に光が外れた。


 しばらくして。


 アカネが、ゆっくりと目を覚ました。

 前脚をぐっと前へ出し、身体を反らせて伸びをする。

 周囲を見る。


 そして、トテトテと歩き出した。


 数十センチだけ移動する。


 そこは、パーカーのすぐ横のフローリング。

 新しくできた『四角い日向』のド真ん中だった。


 アカネは、その新しい日向の中へすっぽりと入り込み。

 くるりと身体の向きを整えて、また丸くなった。


 啓介は、たまたまその一連の動作を、最初から最後まで直接見ていた。


 日向が動く。


 しばらくして、光が外れる。


 小竜が起きて。

 次の光の中へ移動する。


 啓介は、感嘆の息を漏らした。


「……やっぱり、光について行ってるように見えるな」


「あぎゃ」


 アカネは一度だけ顔を上げ、そのまままた目を閉じた。


 啓介は、ノートの端に軽くメモを取った。


 大仰な実験記録ではない。

 ただの休日の日記に近い。


 《アカネ・休日観察》

 ・午前:床の日向で休息。

 ・約一時間後:別の日向へ移動して休息。

 ・その後:ソファ上の細い日向へ移動。

 ・曇天時:日向消失後も、起きることなくその場で休息継続。

 ・午後:別位置の日向で複数回休息。

 ・人為的な照明操作、カーテン操作による検証はなし。

【理由】不明。


 啓介は、少しだけ考えた。


 魔法で生まれた召喚体であるアカネの体温調節は、どうなっているのだろうか。

 そもそも、人間や地球上の爬虫類と同じような温度生理を持っているのか。

 日光が生命維持に必要なのか。

 日光から何らかのエネルギーを得る仕様なのか。

 単に、暖かい場所の感触を選んでいるだけなのか。


 全部、不明だ。


 生命維持に日光が必要なのか、日光から何かを得る仕様なのか。

 そのくらいなら、システムに質問すれば何か答えが返る可能性もある。


 そこまで考えて。


 啓介は、バインダーを呼び出さなかった。


「……まあ、今日はいいか」


 今すぐ知らなければ、アカネの安全管理に困るような問題ではない。


 今日のところは。


 日向が動くたびに、アカネも何度か場所を変えていた。


 それだけ分かっていれば十分だった。


 夕方。

 太陽が西の建物の裏へ沈みかけ、マンションのリビングから完全に日向が消えた。


 アカネは、最後に日向が落ちていた床で、しばらくそのまま丸まっていた。


 でも、やがてむくりと起き上がった。

 大きく伸びをして、畳んだ翼を少しだけ整える。


 そして。


 トテトテと歩いて、ソファの上にある古いパーカーのいつもの位置へ戻っていった。


 そこにはもう、光は全く当たっていない。


 それでもアカネは、何事もなかったかのようにくるりと身体を丸め、短い尻尾を身体の脇へ寄せて落ち着いた。


 啓介は、その様子を見て少し笑った。


「結局、夜になったらそこに戻るのか」


「あぎゃ」


 日向は、どうやら昼間に休む場所の候補の一つらしい。

 そして日が落ちれば、アカネはいつもの古いパーカーへ戻ってくる。


 なぜそうするのかは、やはり分からない。


 ただ。


 最後にそこへ戻ってくるのを見て、啓介が少し嬉しくなったことだけは確かだった。


 夜。

 啓介はソファに座り、スマートフォンで今日撮った写真を見返していた。

 アカネは、すぐ横のパーカーの上で休んでいる。


 朝。

 午前。

 午後。


 写真ごとに、背景の床やソファの模様は違う。


 でも全部、明るい光の四角の中に、小さな赤銅色の竜がすっぽりと収まっている。


 啓介は、画面を見ながら隣のアカネに言った。


「お前、今日一日で何回部屋の中を引っ越したんだよ」


「あぎゃ?」


 啓介が自然に確認できた範囲だけでも、四回くらいは移動している。


 ただし、啓介が見ていない間にも細かく動いていたかもしれない。

 だから、『日向移動回数:四回』などという厳密なデータにはしなかった。


 啓介は、自分自身の小さな変化を感じていた。


 能力を手に入れたばかりの頃の自分だったら。


 温度計を用意して。

 照度計アプリを使って。

 時刻を正確に記録して。

 床材の違いまで調べて。

 カーテンを少しずつ動かして反応を試して。


 そうやって、すべてを仕様として整理しようとしていただろう。


 でも、今は違う。


『日向が動いたら、お前も一緒に動いてた』


 それだけで、いい。


 理由は分からない。

 魔法生物としての生理なのか、ただの気まぐれなのか。

 明日もまた同じことをするとは限らない。


 それでも。


 今日一日は、間違いなくそうだったのだ。


「まあ……見てる分には、めちゃくちゃ気持ち良さそうだったけどな」


 啓介は、写真を保存しながら呟いた。


 それはアカネの感情についての結論ではない。

 ただの飼い主としての感想だった。


 夜も更けてきた。


 当然、部屋の中にもう日向はない。

 マンションのLED照明の光だけだ。


 啓介は、寝室へ向かうために部屋の照明を少し落とした。

 パーカーの上のアカネに向かって言う。


「明日も、天気予報は晴れるらしいぞ」


「あぎゃ」


「……だからって、明日も俺がわざわざお前のために日向を作ってやるわけじゃないからな」


「あぎゃ?」


「自分で勝手に探せ」


 言ってから、啓介は少し首を傾げた。


「いや、お前が本当に『日向を探して移動してるかどうか』も、まだ分かってないんだけどな」


 啓介は、小さく笑いながらリビングの照明を消した。


 日向は、一日かけて部屋の中をゆっくりと移動した。


 小竜も、一日かけて、それに少しずつ付いていった。


 でも。最後に帰る場所だけは、朝から一度も変わっていなかった。


最後までお付き合いいただき感謝します。


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