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第36話 十五年動かなかった指は一週間後も普通に動くらしい

 土曜日の午前。

 啓介は、三崎が休日に使える健診センターの一室にいた。

 大病院の正式な患者として電子カルテに大々的に登録するような目立つ真似はせず、あくまでこれまで設定した「個人的な診察環境」の範囲内で無理のない形での対応だ。


 部屋には四人の人間が集まっていた。

 啓介、三崎、相馬浩平、そして浩平の父親であり、相馬産業の先代社長である相馬征一。


 今日は、治療後の経過だけを確認するための時間だった。


 三崎が、パソコンのローカルフォルダに保存した記録データを開きながら、第一声を発した。

「じゃあ、一週間後の確認、始めます」

 征一が短く頷いた。

「ああ、よろしく頼む」


 《古傷の修復》による治療の実施から、ちょうど一週間が経過した。

 あの魔法が、一時的な幻や、鎮痛剤のように数日で効果が切れるものではないかを確かめる、最初の中間チェックだ。


 三崎が、画面を見ながら問診を始める。

「まず、本人の自覚症状から。右の薬指、どうですか?」

 征一は、少し考えてから答えた。

「……普通だな」

「痛みは?」

「ない」

「腫れは?」

「ない」

「痺れはありますか?」

「ない」

「熱を持った感じは?」

「ない」

「動かした時の、引っかかりや違和感は?」

「ないな」


 その言葉を聞いて、啓介は横で小さく安堵の息を吐いた。


 でも、三崎は「じゃあ治ってますね、良かったです」で終わるような医者ではない。

 ここからが本番の医学的チェックだ。


 自覚症状の確認に続き、実際の手の状態と動作を確認していく。

 疼痛の有無、腫脹、熱感、疲労感、動作後の痛み。

 自動屈曲(自力で曲げる)、自動伸展(自力で伸ばす)。他動運動(三崎が手で動かして可動域を見る)。

 指先が手のひらにどこまで届くか。全体を握り込む動作。軽い物を持つ動作。細かい物をつまむ動作。

 これらすべてを、一週間前の治療前記録、治療直後、24時間後のデータと厳密に比較していく。


 三崎が指示を出した。

「じゃあ、右手を強く握ってください」


 征一が、ゆっくりと右手を握り込む。

 十五年間、決して手のひらまで届かなかった、右手の薬指。

 それが今、他の指と全く同じように、滑らかに、きっちりと手のひら側まで完全に曲がりきっていた。


 三崎が定規と分度器を当てて角度を確認し、記録用の写真を撮る。


 啓介は、その光景を少し離れた場所から見ていた。

(……何度見ても、不思議な光景だな)


 一週間前までは、それは「十五年前の怪我だから、もう一生治らない。仕方ない」と誰もが諦めていたものだった。

 それが今、目の前にあるのは。

 ただの、『何の変哲もない普通の手』だ。


 光り輝いているわけでもない。そこだけ異様に筋肉が隆起しているわけでもない。

 奇跡が起きている状態ではなく、完全に「普通」になっている。

 ここが一番のポイントだった。


「……見た目だけだと、もうどこが治したところか全く分からないな」啓介がポツリと漏らした。

 三崎が、写真を保存しながら即座に返した。

「それが、一番怖いところなんだけどな」

「怖い?」

「『今の時点で異常がないこと』と、『長期的に絶対に安全だと確認できたこと』は別だ」

 いつもの、三崎のブレーキだった。


 三崎が、キーボードを叩いて本日の結果を記録した。

『一週間後。

 可動域:治療直後とほぼ同等で維持。

 疼痛:なし。腫脹:なし。感覚異常:なし。

 明らかな再損傷または炎症の兆候:なし。

 日常生活上の新規問題:なし』


「ただし、あくまで『短期経過として良好』までだ」


 横で見ていた相馬が言った。

「じゃあ、成功か?」

 三崎が即座に訂正する。

「『一週間時点では問題を認めない』だ」

 相馬が苦笑した。「相変わらず言い方が硬いな」

「医者だからな。曖昧な言葉は使わん」


 征一も少しだけ笑った。

「そのくらいでいい。簡単に成功だって言ってバンザイする奴の言うことなんか、信用できないからな」


 啓介も、もう完全に学習済みだった。

 昔の啓介なら、「よっしゃ、治った! 成功だ!」と単純に喜んで終わっていたかもしれない。

 今は違う。

「一ヶ月、三ヶ月も見るんだよな」

「見る」三崎が即答した。

「その間、何も起きなければ?」

「その時点までの安全性データが、一件増えるだけだ」

「安全だと確定?」

「しない」

 啓介は小さく頷いた。「ですよね」


 このやり取りだけで、啓介が魔法の『医療運用』のリスク管理にかなり慣れてきたことが分かる。


 ここからが、本日の本題だった。

 三崎が、一連の可動域チェックを終えた後、軽い握力測定と、柔らかいハンドグリップを使った動作確認を行った。


 征一は、言われた通りにハンドグリップを普通に握っている。

 しかし。

 三崎は、その動作をじっと見て、少しだけ違和感を覚えたように眉をひそめた。


「……相馬さん(征一さん)」

「何だ」

「もう一回、それを力一杯握ってください」


 征一が握る。

 三崎は、その右手をジッと見つめた。


 啓介も、三崎の視線の先を追った。

(……ん?)


 右手の薬指。

 先ほどの可動域チェックでは、完全に手のひらまで曲がっていた。

 機能的には、完璧に治っている。

 なのに。

 ハンドグリップのような『物を強く握る』動作をした時。

 征一は、無意識のうちに、右の薬指だけを少し浮かせている。あるいは、他の指に比べて明らかに力を弱めているのだ。


「指自体は、完全に動いてますね」三崎が言った。

「ああ。引っかかりもない」

「でも、使ってませんね」

「……何?」

 征一が、不思議そうに自分の右手を見た。


 三崎は、机の上の太めのペンや、タオル、軽い工具などを並べた。

「これ、普通に持ってみてください」


 征一が、ペンチを掴む。

 やはり、右薬指だけが、他の指ほどしっかりと柄を握り込んでおらず、少しだけ力が抜けている。

 本人は、全く意識していない。


 それを見ていた相馬が、ふと言った。

「……親父、それ、昔からだぞ」

 征一が驚いた顔で息子を見た。

「そうだったか?」

「ああ。怪我してからずっとそうだった。重いもの持つ時とか、工具握る時、右手だけ少し薬指浮かせてた。癖になってるんだよ」


 征一は、自分の右手と工具を交互に見た。

 そして、今度は『意識して』、右の薬指にも力を込めてペンチを握り込んだ。

 しっかりと、薬指が柄に食い込む。


「……入るな」

 全員から、少しだけ笑いがこぼれた。

「いや、動くんだから当たり前なんだが」

 征一は、もう一回、工具を置いて、また握った。今度は意識的に五本全部の指を使っている。


 三崎が、静かに結論を口にした。

「……十五年間続けてきた『動作のパターン(癖)』が、今もそのまま残っている可能性があります」

 三崎は続けた。「少なくとも今の動きを見る限り、そう考えるのが自然そうです。ただ、どういう仕組みで残っているのかまでは、今日の観察だけでは断定できません」


 啓介が聞いた。

「カードの魔法で怪我を直しても、十五年分の『使い方』までは巻き戻らないってことか?」

「少なくとも今回の一例を見る限りは、そう見えるな」三崎が答えた。


 これは、非常に重要な発見だった。

 少なくとも征一の指定した古傷について、《古傷の修復》は肉体側を極めて綺麗に修復した。

 でも、その怪我をかばって生きてきた『習慣』『動作学習』『心理的な庇い』『運動パターン』まで、自動的に全部リセットして、記憶喪失のように「怪我をする前の状態」へと戻すわけではないのだ。


 だからこそ、肉体の修復と、その後に残る生活上の癖は、別の問題として切り分ける必要があった。


 三崎が、征一に尋ねた。

「……無意識に力を抜いてしまうのは、使おうとすると、また痛むんじゃないかって『怖い』からですか?」

 征一は、少し考えてから首を横に振った。

「いや。怖い、とは違うな」

「じゃあ?」

「単純に、『使わないのが普通』になってたんだ」

 征一は、自分の右手を開いて見せた。

「『動かない指がある』じゃなくて。俺にとっての右手ってのは、こういうふうに使うものだ、って、身体の動かし方そのものが完全に覚えてしまってるんだよ」


 十五年。

 怪我をした直後。手術を受け、リハビリをした。

 それでも完全には曲がらなかった。

 だから、仕事に復帰した後、工具を持つ時も、ボルトを締める時も、部材を運ぶ時も。

 何をする時でも、常に他の指や手のひら全体で、その動かない薬指を『補う』ようになった。


 最初は、痛みを避けるために意識してやっていたはずだ。

 だが数年後には、それが完全に「無意識の当たり前の動作」になっていた。


 相馬が、少し懐かしそうに言った。

「そういえば、俺がまだガキで現場に出入りしてた頃から、親父の工具の持ち方、ずっとそうだったな」

「……お前、そんなとこ見てたのか」

「工場で親父が工具持ってるの、何千回って散々見てるからな。気づくよ」


 何気ない、父と子の自然な会話だった。


「じゃあ、帰りに工場に寄って、昔の工具や機械でもう一回……」

 征一がそう言いかけた瞬間。

 三崎がピシャリと止めた。


「今日は、絶対にやめてください」

 征一が顔をしかめた。「何でだ」

「今、親父さん、『普通に動くから嬉しくて、つい重い物で試したくなる人』の顔をしてるからです」

 相馬が吹き出して笑った。


 三崎は、現実的な指示を出した。

「日常生活では、右の薬指も普通に使ってください。気づいた時に軽く意識する程度でいいです。無理に握り方を矯正する必要はありません」

「ただし、『治ったかどうかを確認するため』に重い負荷をかけるテストはしないこと。痛みや違和感が出たら止めて連絡してください。一か月後にも癖が強く残るようなら、その時点でリハビリの専門家への相談も考えます」


 テストのための無茶をしない。これは医療検証の鉄則だった。


 征一は、少しだけ残念そうな顔をしたが、すぐに頷いた。

「……十五年待ったんだ。あと一ヶ月くらい、待てるさ」


 落ち着いた、年長者らしい見事な態度だった。


 啓介は、ノートに記録を書き込みながら、一つのことに気づいていた。

『医療の価値は、「治ったその一瞬」だけではなく、「その後」にこそある』。


 一週間前。治療した直後は。

「動いた」「すごい」「魔法だ」という興奮で頭がいっぱいだった。

 でも、実際にこれを人へ使うビジネス(あるいは社会インフラ)として考えるなら。

「治した後に、その人がどうやって暮らしていくか」という現実の時間が、そこには確実に存在するのだ。


 啓介のノートに、新しい項目が追加された。

 《古傷の修復・一週間後》

 身体的結果:短期的に極めて良好。

 新規観察事項:長期化した損傷の場合、魔法によって物理的損傷そのものを完全に修復しても、対象者に長年形成された『代償動作・使用習慣』が残る可能性が高い。


 ここで啓介は、絶対に「魔法では人間の習慣までは治せない」と一般化(法則化)することはしなかった。

 あくまで、『今回の一例では残った』という事実だけを記載する。


 相馬が、啓介のノートを覗き込んで言った。

「これ、将来の『値段』にも大きく関係してくるな」

「値段?」啓介が聞き返す。


 経営担当らしい一言だった。

「治したら終わり、じゃない可能性があるってことだ」

 三崎も同意する。「それはそうだな」

 相馬が続ける。

「治療そのもののコスト(マナ)だけじゃなく、その後の経過観察、定期的な検査、そして場合によっては『機能回復のためのリハビリ専門家との連携』とか、そういう周辺のサービスが必ずセットで必要になる」


 《古傷の修復》というカード一枚を、「魔法一発=商品一個」として単純に値付けすることはできないのだ。

 医療サービスとして成立させるなら。

 事前診断。適応判断。魔法治療。直後の確認。長期追跡。必要に応じたリハビリ。

 その全体のパッケージ(工程)で考えなければならない。


 ただし、相馬はここで「だからパッケージ料金で百万円にしよう」と即断することはしなかった。

 まだ、Phase1の第一例目の一週間が終わったばかりなのだ。


「今はまだ値段を決める話じゃないけど。将来事業にするなら、『一回魔法かけてハイ終了』っていう売り切りモデルには絶対にならないってことだけは、覚えといた方がいい」

 啓介は深く頷いた。「なるほど」


 征一が、呆れたように言った。

「お前ら。俺を目の前にして、俺の指を商売の原価計算のシミュレーションに入れるな」

「いや、親父は栄えある第一号の検証協力者だから」

「そういう問題じゃないだろ」


 部屋に、軽い笑いが起きた。

 未知の魔法と医療という重いテーマを扱っているが、空気まで重くしすぎない。


 三崎が、さらに細かく確認を続けた。

「この一週間、日常生活で何か困ったことはありましたか?」

 征一は少し考えた。

「困ったことというか……むしろ、逆だな」

「逆?」

「物を掴んだ時に、薬指の腹が、ちゃんと対象物に当たるのが、妙に気になるんだ」


 十五年間、そこになかった感覚。

「邪魔ってわけじゃないんだが。ずっと使ってなかった指が、急に仕事し始めるから、違和感がある」

「触覚や位置感覚はどうですか?」

 三崎が、簡単なペン先や指を使って、触覚の確認を行う。

 大きな異常はない。

「十五年使ってなかった分、細かい力加減のコントロールには、少し慣れが要るかもしれませんね」


 三崎は今日撮った握り方の写真も保存した。「これは予定外に見つかった項目だ。次回から、普通に握った時と薬指を意識した時の差も同じ条件で比較しよう」


「一週間経ったら、だいぶこの感覚にも慣れると思ってたんだがな」征一が自分の指を見つめた。「身体の癖ってのは、そう簡単には抜けないらしい」


 啓介は、少し考え込んだ。

 《一年若く》。《健全なる肉体》。他のカード。

 もし将来、もっと大きな治療魔法を使ったら?

 例えば、長期間歩けなかった人の足。視力。複雑な関節。

 身体の物理的構造だけを完全に修復しても、その機能を即座に「正常運用」できるとは限らないのだ。


(……治す対象によっては、治した後の方にこそ、もっと専門的な知識を持った人間が必要になるな)


 啓介がポツリと言うと、三崎が当然のように返した。

「だから、医療ってのは医者一人じゃ完結しないんだよ。リハビリの理学療法士も、看護師も、いろんな専門家が必要になる」


 魔法担当の啓介。

 医療担当の三崎。

 事業と経営の相馬。

 そして、行政と制度接続の藤堂。


「俺がカードをポンと作って、はい終わり、には絶対にならないんだな」

「今さら気づいたのか」


 一週間のフォローアップが終了した。

 三崎が、次回の予定を伝える。

「次は、一ヶ月後です」

「分かった」

「もし、何か少しでも変化があったら、一ヶ月を待たずにその前でもすぐに連絡してください。痛み、腫れ、動きの悪化、痺れ、その他『なんとなく変だな』と思うことがあれば全部です」

「了解した」


 帰る前。

 征一は立ち上がり、自分の右手を見た。

 そして、啓介の方へ向き直った。


「門倉君」

「はい」

「ありがとう、っていう言葉は一週間前に言ったから、今日は言わん」

 啓介は少し戸惑った。「はあ」


「だが」

 征一は、右手を少し持ち上げた。

 今度は意識して、薬指も使って、軽く、しかししっかりと拳を握り込んだ。

 そして、少しだけ誇らしげに言った。


「……まだ、ちゃんと動いてる」


 それだけだった。

 啓介は、小さく頭を下げた。

「……良かったです」

 過剰で派手な感謝の言葉など、必要なかった。


 相馬が、親父の肩を叩いた。

「じゃあ親父、今日は工場には絶対に寄らないで真っ直ぐ帰るからな」

「分かってる」

「本当に?」

「お前は俺を何だと思ってるんだ」

「一週間前まで動かなかった指が、急に動くようになって、ちょっとテンションが上がってる六十五歳」

「……まあ、その通りだな」

 軽い父子のやり取りを残して、二人は帰っていった。


 相馬たちが帰った後。

 三崎は、パソコンの記録を整理している。

 啓介はソファに座り、コーヒーを飲んだ。


「とりあえず、一週間は問題なし、か」

 三崎が、キーボードを叩く手を止めずに言った。

「『一週間時点では』、な」

「訂正が早いな」

「そこを雑な言葉でまとめると、お前はすぐに『よし、成功実績二件! 明日から量産できる!』みたいに軽く考えるだろ」

「そこまで雑じゃないよ」


 三崎が、手を止めて啓介を見た。

「今回、新しく分かって一番重要だったのは、『魔法がすごい』ってことじゃないぞ」

「十五年の癖が残ったこと?」

「それもある。だが根本は、……『治療という行為は、治したその瞬間だけを見ても駄目だ』ってことだ」


 啓介はマンションへ帰宅した。

 リビングのドアを開けると、アカネがいつもの定位置、啓介の古いパーカーの上で丸くなっていた。


「あぎゃ」

 アカネが顔を上げる。

「ただいま」

 アカネは、トテトテと啓介の足元まで来て、見上げてから、またパーカーへと戻っていった。

 啓介は靴を脱ぎながら、ようやく肩の力を抜いた。


 啓介は、ノートの記録をまとめた。


 《Phase 1:古傷の修復・外部対象初期検証》

 第一検証協力者。一週間経過。

【判定】

 三崎:一週間時点では短期経過として良好。医学的な詳細記録は三崎側で管理し、追跡を継続。

【次回確認】

 一ヶ月後。可動域や症状に加え、通常把持時の薬指の使い方と、意識して使った場合との差も同条件で比較。

【新規観察事項】

 修復前に長期間形成された『代償動作・使用習慣』が、肉体修復後も残る可能性あり。

 ※現時点ではカードの指定対象外と考える。効果追加は行わない。


 啓介は、一瞬だけ考えた。

 《古傷の修復》のカードの能力に、『脳の動作習慣まで最適化する』という新しい効果を追加アップデートするべきか?


 だが、即座に却下した。

 治療カードの対象範囲スコープを勝手に広げてはいけない。

 人間の長年の習慣や運動学習、記憶といった『脳や精神の領域』まで魔法で直接書き換えるのは、単なる肉体の物理的修復とは全く次元の違う、恐ろしい別問題だからだ。

「いや。そこまでカード側でいじるのは絶対に違うな」


 三崎がいなくても、啓介は自分でストップをかけることができた。


 啓介の結論。

「身体を治すカードは、身体を治すことだけに特化させる」

「その治った身体をどう使うかは、その後の人間本人と、リハビリ専門家の領分だ」


 啓介は、その方針をノートの余白にも書き残した。


 その時、スマートフォンのLINEの通知音が鳴った。

 画面を見ると、藤堂亮介からのメッセージだった。


 短い、簡潔なテキスト。


『入口の件』

『相談先の候補が、一つ見つかった』

『まだ向こうには、何も詳しくは話してない』

『一度、俺とお前ら三人で話したい』


 これだけだった。


 啓介の動きが停止した。


 数日前までは、山で水たまりを見つけて笑っていた。

 今日のお昼は、指の古傷の話をしていた。

 そして今、また国家と行政の重い話が戻ってきた。


 啓介は、ソファで丸くなっているアカネを見た。

「あぎゃ?」

 アカネが、不思議そうに首を傾げた。


「……なんか、俺の休憩時間、短かったな」


 啓介は、そのメッセージのスクリーンショットは撮らず、テキストの内容だけを相馬と三崎のグループLINEへ共有した。


 相馬から即座にレスが来た。

『来たか』

 三崎からも返信が来る。

『まずは、藤堂本人から直接どういう相手か聞こう』


 全員、慎重だった。

 藤堂が見つけてきた『次の人(相談先)』が、一体誰なのか。どんな役職の人間なのか。

 まだ、何も分からない。


 啓介は、スマートフォンを置き、ノートを閉じた。

 そして、アカネの方を見た。


「お前は今日、何も関係なかったな」

「あぎゃ」

「いや。今回は、本当に一ミリも関係ないか」


 アカネは、古いパーカーの上で再び身体を丸め、短い尻尾を身体の脇へ寄せて目を閉じた。


 啓介は、ノートの一週間の記録を見た。

 その横には、藤堂から届いた短い四行のメッセージが表示されている。


 今日、確認できたことは二つあった。

 十五年前の傷は、一週間経っても治ったままだった。

 だが、十五年かけて身についた癖までは、一週間では消えなかった。


 そして、政府へ繋がる道の方も、啓介たちが休んでいる間に少しだけ先へ進んでいた。


 十五年動かなかった指は、一週間後も普通に動いていた。

 次に動き始めるのは、どうやら政府の方らしい。

最後までお付き合いいただき感謝します。


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