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第27話 山に道を作ったら小竜には必要なかったらしい

 土曜日の朝。青梅の山林。

 先週の危険木伐採という大規模な業者作業は無事に終了し、山は通常の静かな運用状態へ戻っている。

 今日はアカネもキャリーケースから出され、すでに元気に飛び回っていた。


 啓介は、公道沿いの進入口から敷地の奥にある《第一作業拠点》まで、折り畳み式の小型カートを引いて歩いていた。

 カートには、飲料水、工具一式、防護手袋などの作業用品、ゴミ袋、そして今回使う資材が積まれている。


 山林へ一歩足を踏み入れて数分。

 ガコンッ!

 カートの右前輪が、落ち葉に隠れて地表に露出していた太い木の根に激しく引っかかった。


「うおっ」

 荷台が大きく跳ねて傾く。

 積んでいた空の作業用バケツが、ガランガラン!と盛大な音を立てて斜面の土の上へ転がり落ちた。


「……またか」

 啓介はため息をつきながらカートを止め、転がったバケツを拾いに行った。

 バケツを積み直し、カートの持ち手を引いて気を取り直して数メートル進む。


 ガッ。

 今度は、地面に半分埋まっている石にタイヤが弾かれた。

「……」

 さらに数メートル進む。

 先日の雨で水が少しだけ溜まったままになっていた、浅いぬかるみの跡。

 ズブッ、と嫌な音を立てて、小さなタイヤが泥に埋まった。カートが急に重くなる。


「…………」

 啓介は無言で立ち止まり、頭上を見上げた。


 アカネは、荷物など一切持たず、軽やかにパタパタと空を飛んでいる。

 啓介より一足先に、奥の《第一作業拠点》へ到着。作業台の防水カバーの上にふわりと着地すると、前脚を揃え、翼を畳んでちょこんと座り込んだ。


 そして、泥に車輪を取られて立ち往生している啓介を見下ろして、短い声で鳴いた。

「あぎゃ!」


 啓介は、泥だらけのタイヤを睨みつけながら吐き捨てるように言った。

「……お前は道なんかなくても関係ないから、いいよなあ!」


 カートを力任せに引っ張り上げ、ようやく作業拠点へと到着した。

 荷物を降ろし、啓介は先週からノートに書き留めていた課題を見返した。

『カートが通れる最低限の管理通路の確保』。


 だが、啓介はすぐにスコップを取り出して穴を掘り始めたりはしない。

 先週、危険木を伐採してくれた職人から言われた言葉が、頭に強く残っていたからだ。

『全部綺麗に刈って土を剥き出しにすると、雨が降った時に表土が流れやすくなりますし、残したい木々の根を傷める原因にもなります』

『危ないものを取って、残せるものは残す。……何もしない(残す)ことも、立派な管理なんですよ』


 綺麗に整地して歩きやすくすることが、必ずしも正しい山林管理とは限らない。

 啓介はまず、作業台にノートを広げ、今日作る道の『要件定義』を行った。


 《青梅山林・第一管理通路》

【目的と要件】

 ・進入口から《第一作業拠点》まで、人間が安全に歩けること。

 ・小型カートで資材を搬入できること。

 ・雨天後でも、極端にぬかるみにくいこと。

 ・【最重要】生きた木の太い根は絶対に切らない。

 ・大規模な掘削(土留めや斜面の切り崩し)はしない。

 ・既存の雨水の流れ(自然な排水ルート)を塞がない。

 ・不必要に下草や苔を除去しない。

 ・コンクリートやアスファルトでの舗装はしない。

 ・必要なら、将来的に撤去・交換・経路変更が可能な可逆的な工法を使う。

 ・《アカネの守り巣》の出入口や、アカネが普段使う離着陸場所を塞がない。


 幅は、約八十センチもあれば十分だ。

 啓介自身と、小型カート一台が通れればいい。軽トラックを山中まで乗り入れられるような林道を作るわけではないのだ。


 啓介は手書きの敷地図を取り出し、メジャーと目印用の水糸(紐)を手にした。

 まずは、一番単純な『最初の案』だ。


 進入口のポイントと、第一作業拠点を、直線で結ぶ。距離は最短。

「普通に考えれば、ここだよな」

 啓介は水糸を張り、その仮ルートに沿って歩いてみた。

 アカネが、近くの木の低い枝からその様子を不思議そうに眺めている。


 開始直後の数メートルは、問題なく歩けた。

 だが、中盤に差し掛かったところで、啓介の足が止まった。


 先ほどカートの車輪が激しく引っかかった、太い立木の根が横切っている。一本ではない。地表近くに複数の根が編み目のように露出している。

 さらに少し先。雨の日に水が流れたと思われる、浅い筋状の地形。枯れ葉が水の力で一方向へきれいに寄っている。


 啓介は腕を組んだ。

「……駄目だな」

 以前の、システムエンジニアの効率至上主義だけの啓介なら、「この根が邪魔だからノコギリで切って、土を削って平らにしよう」と考えたかもしれない。

 でも、今は違う。

「人間の道を通すためだけに、生きてる立木の太い根を切ったら、木が弱って本末転倒だ。それにここ、完全に雨水の通り道になってるな」


 もしこの水が流れる場所を、人間が歩きやすいようにと砕石や土で無理に埋め立ててしまえば、行き場を失った水は別の方向へ溢れ出す。

 一箇所を便利にした結果、溢れた泥水が《第一作業拠点》や《アカネの守り巣》の方向に流れ込むような事態になれば、最悪のシステム障害(二次災害)を引き起こす。


 啓介は、ノートの直線ルート案に大きくバツ印(×)を書いた。

「最短経路、不採用」

「あぎゃ?」

「人間のための最短距離が、山にとっての最適解とは限らないんだよ」

 啓介が水糸を巻き取ると、アカネは首をコテンと傾けた。


 そこから、啓介のシステム屋らしい『比較検証』が始まった。

 三つの候補ルートを設定し、実際に歩いてみる。


【Aルート(最短直進案)】

 距離、約七メートル。

 利点:距離が最も短い。

 欠点:太い根を二箇所で横断する。雨水の流れ跡を完全に分断する。一部の傾斜がきつく、カートの横転リスクがある。

 判定:却下。


【Bルート(旧来の迂回案)】

 これまで啓介が、何となく歩きやすいところを選んで歩いていた獣道のような踏み跡。

 距離、約十二~十三メートル。

 利点:大きな障害物がなく、安全。

 欠点:進入口から作業拠点へ向かうにはかなり大回りになる。一箇所だけ木と木の間が狭く、そこを避けると横傾斜の強い斜面側へ回るため、荷物を積んだカートには不向き。

 判定:完全には使いづらい。


【Cルート(中間案)】

 先週伐採した、危険木があった跡地のすぐ脇を通るルート。

 太い根をギリギリで避け、雨水の流れる筋よりもわずかに高い(尾根側の)微地形を、緩やかにS字カーブを描きながら通る。

 距離、約十~十一メートル。

 利点:大きな根を切らなくて済む。急斜面を避ける。水の流れを塞がない。カートの車輪の向きを変えながら通れる幅がある。下草の除去も必要最小限で済む。

 欠点:最短距離ではない。


 啓介は、Cルートの仮設定ラインの上に立ち、頷いた。

「これだな」


『道は真っ直ぐでなければならない』という固定観念(思い込み)を捨てる。


 啓介は、黄色いプラスチックの目印杭を地面に数本打ち込み、Cルートを仮設定した。

 作業拠点から見下ろすと、そのルートは蛇が這うようにクネクネと曲がっている。


「……見た目は、なんか格好悪いな」

 真っ直ぐなコンクリートの道に比べれば、明らかに歪だ。

 でも、すぐに考えを改めた。

「いや、別に俺は景観のいい公園の遊歩道を作ってるわけじゃない。荷物を載せたカートを、転かさずに安全に運べればそれでいいんだ」

 見栄えよりも、機能的要件を満たすこと。


 啓介は、工事を始める前に最終的なテストを行った。

 荷物をすべて降ろした『空のカート』を引き、仮ルートとして張った水糸の間を実際に三往復してみる。

「頭の中の設計図だけで満足せずに、現地で結合テストをする。これ大事」


 一往復目。

 特に問題なし。


 二往復目。

 カーブの頂点付近で、カートを大きく切り返さないと、内輪差で後輪が目印杭に引っかかってしまう箇所が見つかった。

 啓介は、その部分の目印杭を三十センチほど外側にずらし、道幅を少しだけ広げた。


 三往復目。

 今度はカートが自然な軌道でスッと曲がれた。


「よし。机上設計終了。現地の結合テストも通った」

 ここから、本格的な施工(工事)に入る。


 作業開始。

 まずは、ルートとして設定した幅約八十センチの範囲内だけ、徹底的に清掃する。

 落ちている太い枝、転がっている大きめの石、腐った木片、土に半分埋まっていた人工物のゴミ(古いビニールなど)を手作業で回収していく。


 次に、下草の処理だ。

 啓介は手に鎌を持ち、通行を直接邪魔するほど伸びている草だけを刈り取った。

 ルート全体を丸坊主に「全部刈る」ような真似はしない。通路の幅からはみ出している隣の草や、背の低いシダ類は、そのまま意図的に残した。


 啓介が、ルートの境界線上にある草の塊に鎌を振り下ろそうとして、ピタリと手を止める場面があった。

 先週の職人の言葉が脳裏に蘇る。

『残せるものは残す』


「……ここは、カートの車輪も俺の靴も通らない場所だ。残す」

 啓介は明確に鎌を下ろし、その草の塊を刈るのをやめた。

『何もしないという管理』を、自らの判断で実践したのだ。


 ルート全体は約十メートル以上あるが、本当に物理的に手を入れる(施工する)必要があるのは、三箇所だけだった。

 ルート全体を舗装するなどという無駄なことはしない。


 一箇所目。小石が多い区間。

 ここは、カートの車輪が取られる「浮き石(表面に乗っているだけの石)」だけを回収する。地中に半分以上埋まっていて安定している石は、無理に掘り返さない。それだけで、車輪の引っ掛かりは劇的に減った。


 二箇所目。小さな段差がある区間。

 土をスコップで大きく削り取って平らにするのではなく、周囲に転がっていた安定した小石と、ホームセンターで買ってきた少量の路盤材(砂利と砂が混ざったもの)を使い、段差を「緩やかなスロープ」にする。

 その際、近くの太い根や幹の根元周辺へ厚く盛土しないよう注意を払った。既存の根系へ余計な負荷を掛けないためだ。


 そして三箇所目。最も厄介な、雨の後に泥になる『ぬかるみ区間』だ。

 ここは長さ約二~三メートルほどある。ここだけは本格的に手を入れる。


 啓介は、土と砕石が混ざるのを抑えるため、透水性のある分離用不織布を敷いた。

 その上に、薄い樹脂製のハニカム構造のグリッド(枠)を置き、その枠の隙間を埋めるようにして、持参した砕石を敷き詰めていく。

 目的は、「地面を完全にコンクリートで舗装すること」ではない。カートの車輪の荷重をグリッドで分散させ、泥の中に沈み込まないようにすることだ。雨水はそのまま隙間を通って地中へと浸透していく。


 しかし、ここで啓介は『現実の物理的重さ』を痛感することになった。

「重っ……」

 ホームセンターで買ってきた十キロ入りの砕石の袋。

 一袋。二袋。三袋。

 車からその場所まで運ぶだけで、腕と腰が悲鳴を上げる。


「道ってさ……石を置いて固めるだけの単純な構造なのに、なんでこんなに重労働なんだよ……」

 魔法で虚無から砕石を生成したり、念動力で運んだりはしない。普通にホームセンターで買い、普通に自分の腕で運び、普通に汗だくになる。

 それが啓介のルールだ。


 汗を拭う啓介の頭上を、アカネがパタパタと身軽に飛んで通り過ぎていく。

「おい、お前。一袋くらい持って手伝えないか?」

「あぎゃ」

 アカネは空中で鼻を鳴らした。

「ですよね」


 啓介が一生懸命、砕石を均しながら言った。

「アカネ。ここが新しい通路になるんだぞ。ここを通れば歩きやすいからな」

 アカネは、作業拠点から啓介の様子を金色の瞳で見つめていたが、言葉の意味は全く分かっていないようだった。


 啓介が、進入口側へ道具を取りに戻り、振り返ってアカネを呼んだ。

「アカネ、こっちに来い」

 バサッ。

 アカネは、啓介が汗水垂らして作った『第一管理通路』を完全無視し、空中の最短直線を飛んで啓介の肩へと着地した。


「……うん。お前には本当に一ミリも必要ないな、この道」

 飛べる生物に、地面の舗装など何の関係もないのだ。

「いいんだよ。俺が必要なんだよ!」

 啓介は自分自身を納得させるように声を上げた。


 施工の終盤。

 ルートが、雨水が流れた跡の筋のすぐ近くを通る箇所。

 啓介はスコップを持ちながら、一瞬だけ考えた。

「ここ、この水の通り道を土で埋め立てちゃえば、道がもっと真っ直ぐになって距離が短くなるな……」

 だが、すぐにスコップを下ろした。やらない。


 水の流れは、既存の自然な状態のまま残す。

 むしろ、管理通路の方を水流から少し迂回させるように、目印杭を数センチ外側へずらした。

「水(自然)に人間の道を合わせる。水を、人間の道に合わせようとしちゃ駄目なんだ」


 午後。

 ついに『第一管理通路』が完成した。


 見た目は、極めて地味だ。「道路」なんて呼ぶには、あまりにも頼りない。

 森の中に、幅約八十センチの空間が、緩やかに蛇行しながら続いている。

 通行する部分だけ下草が少なくなり、ぬかるむ数メートルだけが灰色の砕石で覆われている。それだけだ。

 コンクリートはない。アスファルトもない。縁石も、街灯もない。

 それでも。

 人間には、そこが明確に『歩くべき道』だと分かるようになっていた。


 啓介は、実負荷試験(本番テスト)を開始した。

 カートに、飲料水の入ったポリタンク、工具箱、折りたたみ椅子、資材など、普段山へ持ち込む程度の実重量の荷物を積む。


 進入口へと戻り、スタートする。

 以前なら、ガコンッと根に弾かれ、ズブッと泥にハマり、グラッと荷崩れを起こしそうになっていた道のり。

 今回は。


 ゴロゴロゴロ……。

 カートの小さなタイヤが、滑らかに回る。

 緩やかなカーブを曲がる。ここまでは問題ない。

 ぬかるみ区間へ入った瞬間、ガッ、と前輪が止まった。空荷では越えられたグリッド端と元の地面との二センチほどの段差が、荷重を積んだ状態では明確な障害になっていた。

「……空荷テストじゃ出なかったか」啓介は荷物を降ろし、端部へ少量の路盤材と砕石を足して接続を緩やかにした。もう一度同じ荷重で通すと、今度は前輪も引っかからず、そのまま《第一作業拠点》まで到達できた。


 ジャリジャリ、と重量のあるカートが砕石を踏む音に、近くの枝で見ていたアカネが一度だけビクッと翼を浮かせた。二度目には逃げず、金色の目で音の正体をじっと見ている。

 啓介はカートのハンドルから手を離し、息を吐いた。「……一回直したけど、それでもめちゃくちゃ楽だ」


 作業拠点を作った時と同じだ。

 作った設備の価値は、即座に『実際の使用』によって見事に証明された。


 だが、啓介はノートに『第一管理通路:完成』とは書かなかった。

『第一管理通路:暫定供用開始』と記すに留めた。


 理由は明確だ。

 今日は晴天で、土が乾燥した状態で通れただけだ。正式運用へ移す条件は、通常の降雨後点検を二回行い、目立った沈下、砕石流出、新しい滞水や侵食が継続して発生しないこと。

 その条件を満たした後も、豪雨や台風の後には臨時点検を続ける。正式運用になったからといって、永久に安全だと扱うわけではない。


「一回テストが通っただけで、本番運用OKの判子を押しちゃ駄目だ」

 仕事のシステム開発と同じ。カットオーバー後も、初期流動の監視期間が必要なのだ。


 数日後。

 平日に、青梅周辺で普通の雨が降った。

 次の週末、啓介は山林を訪れると、真っ先に新しい管理通路の状況を確認した。


 成功した場所。

 ぬかるみ対策の砕石区間。雨上がりでもカートのタイヤは目立って沈み込まず、砕石も大きく流されたり散らばったりしていない。少なくとも初回の降雨後点検では、想定どおり機能していた。


 問題が出た場所。

 一箇所だけ、通路の脇に落ち葉と細かな泥が少しだけ山になって寄っている場所があった。水の流れた跡だ。

 つまり、完全な成功ではない。でも、致命的な障害(道の崩壊)でもない。

 啓介が水の流れを慎重に観察すると、通路自体が水を堰き止めたわけではなく、既存の微小な窪地に水が集まりやすくなっているだけだった。


 そこをスコップで無理に掘り返すことはせず、水の流れを塞いでいた落ち葉や小枝を手作業で取り除くだけに留めた。

「これで、次の雨が降った時にもう一回様子を見る」

 すぐに完成扱いにせず、トライ&エラーを繰り返す。


 啓介が泥の跡を観察していると、バサッ、という音とともにアカネが通路の上に降り立った。

「お、ついに道を使う気になったか?」

 啓介が期待して見ていると。


 アカネは、砕石の上の通路をトテトテと三歩だけ歩いた。

 四歩目へ進むことなく、その場からバサバサと飛び上がり、《アカネの守り巣》へと一直線に帰っていった。


 啓介は、飛び去った背中を見送った。

「……まあ、三歩は使ったか」


 啓介はバインダーを呼び出し、《創世札典》の表示を確認した。

 《名もなき雑木地》のステータス画面。


 今回の更新は、非常に小さなものだった。

『管理動線:確立開始』

『土地内移動環境:改善』

『既存植生および排水状態を維持した限定的整備:記録追加』


 それだけだ。マナの増加もない。カードの進化や新カードの生成もない。

 ただし、一つだけ重要な補助表示が出ていた。


『用途の継続性:上昇』


 これまで、この土地には様々なものが積み重なってきた。

 アカネが暮らす。防犯設備がある。《アカネの守り巣》がある。人間のための作業場がある。危険木の管理記録がある。そして今回、管理のための動線(道)が繋がった。

 もう明らかに、ここは「偶然何度か立ち寄って使っただけの山」ではない。


 啓介は、カードの名前を見た。

 《名もなき雑木地》。

「……『名もなき雑木地』、か」

 購入直後なら、正確な表現だった。でも今。ここには地図がある。管理区域がある。家があり、拠点があり、道がある。

「もう『何もない土地』ではないよな」


 ただし、啓介はこの場で安易に上位再設計(カード名の変更)を行おうとはしなかった。

 土地側の実績が変わってきたからといって、適当に名前を付けるべきではない。

「もう少し、この道を使って、この土地の形が見えてから考えるか」

 焦る必要はない。


 啓介はノートの新しいページに、一つだけ重要なルールを書き残した。


 《青梅山林管理原則》

『設備を土地(自然環境)へ合わせる。土地を設備へ無理に合わせようとしない。』


 具体的には。

 太い根があれば道を曲げる。水が流れる場所なら避ける。不要ではない下草は残す。明確な危険だけを除去し、必要な箇所だけを最小限で補強する。


 この方針は、今後の山林開拓全体を貫く基本ルールとなるだろう。


 夕方。撤収の時間。

 啓介は、カートに工具箱とゴミ袋を積んだ。

 新しい第一管理通路を使って、進入口へと向かう。


 ゴロゴロゴロ……。

 タイヤがどこにも引っかからない。車体が傾かない。立ち止まって荷物を積み直す必要がない。

 以前より、圧倒的に楽だった。

「いや、本当に……道があるって便利だな」


 ふと見上げると、アカネは啓介の肩には乗らず、上空をパタパタと身軽に飛んでいた。

 啓介の頭上をあっさりと追い越し、一足先に進入口側へと先着する。

 そして、カートを引いて歩いてくる啓介を振り返って、

「あぎゃ!」

 と、勝ち誇ったように鳴いた。


「だから、お前には関係ない道なんだって!」


 車へ荷物を積み込み、啓介は最後に山を振り返った。

 この山林を購入した時は、人間が使うための設備など本当に何もなかった。

 今は、一匹の小竜の《守り巣》があり、監視設備があり、人間用の《第一作業拠点》があり。

 そして今日、それらを繋ぐ一本の道ができた。


 まだ山林だ。まだ未整備だ。

 でも確実に、「使われている土地」になり始めている。


 山の中を覗き込むと、微かに一本の道が見える。

 真っ直ぐではない。途中で緩やかに曲がり、木を避け、根を避け、水の流れを避けている。本当に必要な場所にしか、砕石の補強はない。

 だからこそ、それは『人間が自然を押し退けてブルドーザーで作った道路』というよりは、『山の隙間を借りて、通らせてもらっている道』に見えた。


「……これくらいでいいんだろうな」

 啓介の呟きに、車の屋根の上に乗っていたアカネが、

「あぎゃ」

 と短く同意するように鳴いた。


 そしてアカネは、せっかく啓介が苦労して作った道を一切使わず、車の上からヒョイとキャリーケースの中へダイブした。


「……お前が同意すると、なんか腹立つな」

 啓介は苦笑しながら車のドアを閉めた。

最後までお付き合いいただき感謝します。


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