【日本昔ばなしクロスオーバー】昔話が語らなかった「なぜ」の終着点
情というものは、罪ですか〜雪女と笠地蔵、向けた者と向けられた者の話〜
子どもが眠れないと言う夜は、決まって雪が降る。
「お母さん、お話して」
布団の中から、小さな手が伸びてきた。
私はその手を握りながら、何を話そうかと少しだけ考えた。
「笠地蔵の話をしましょうか」
子どもは嬉しそうに頷いた。
昔々、貧しいけれど心の優しい爺さんがいた。大晦日の夜、売れ残った笠を抱えて帰る道すがら、雪をかぶった六体の地蔵を見つけた。爺さんは自分の笠を地蔵に被せた。六体目には笠が足りなくて、自分の手ぬぐいを被せた。寒いだろう、と思ったから。それだけの理由で。
「地蔵様はお礼をくれたの?」と子どもが聞いた。
「ええ、くれました。大晦日の夜、地蔵様たちが爺さんの家に宝物を運んできたのです」
「良かった」と子どもは言った。「優しくしたら、優しくしてもらえたんだね」
私は、すぐには答えなかった。
地蔵のことは、知っている。
山の中で長い時間を過ごしていると、人間以外の存在と言葉を交わすことがある。地蔵もその一つだった。
石でできた体で、雨にも風にも雪にも黙って耐えている。表情一つ変えない。
けれど、あれで案外いろいろなことを見ている。
ある冬の夜、私が山を歩いていると、地蔵が静かに言った。
「今年も爺さんが来た」と。
「笠を被せてくれた爺さんか」と私は聞いた。
「そうだ。毎年来る。手を合わせて、また来年もよろしくと言って帰る。何も求めない」
私はその話を聞きながら、少しだけ羨ましいと思った。
私はしばらく黙ってから、地蔵に言った。
「羨ましいわ」
地蔵は何も言わなかった。ただ、静かにそこに立っていた。
「去らなくていいから」と私は続けた。
しばらくして、地蔵がぽつりと言った。
「去らない代わりに、来てもらう必要がある」
その言葉が、ずっと胸の奥に残っている。
去ることができる私と、その場で待ち続ける地蔵。
どちらが良いのかは、今も分からない。
「地蔵様って、お母さんの知り合い?」と子どもが聞いた。
「少しだけね」と私は答えた。
「どんな人?」
「無口で、動かなくて、でも全部見ている。そういう存在よ」
子どもはふうんと言って、また布団に潜り込んだ。
私は話の続きを語りながら、あの夜の地蔵の言葉を思い出していた。
夫は優しい人だった。私が雪女だと知らずに、ただの女として扱ってくれた。
温かい家があって、食事があって、笑い声があった。
私はその温かさの中で、自分が何者であるかを忘れそうになっていた。
忘れてはいけなかったのに。
ある夜、夫は言った。若い頃に不思議な体験をしたと。雪山で出会った美しい女の話を。
決して誰にも言うなと約束したのに、あなたにだけは話したくなったと。
夫の目は、正直だった。隠すつもりが、全くなかった。
ただ、私への情が、約束より重くなってしまったのだ。悪意はなかった。それが余計に、胸に刺さった。
悪意があれば、恨めた。
けれど夫は、ただ情を向けすぎただけだった。だから私は恨めなかった。ただ、去るしかなかった。
「お母さん、地蔵様はずっとそこにいるの?」と子どもが聞いた。
「ええ、ずっといるわ。雨が降っても、雪が積もっても、ずっとそこにいます」
「寂しくないのかな」
私はその問いに、すぐには答えられなかった。
寂しいかどうかを、地蔵に聞いたことはなかった。
けれどあの夜、去らない代わりに来てもらう必要があると言った時の地蔵の声が、どこか遠かったことを覚えている。
「寂しいかもしれないわね」と私はやがて言った。
「でも、その場所にいることが、地蔵様の答えなのだと思います」
「お母さんの答えは?」
子どもが、まっすぐに聞いた。幼いくせに、時々こういうことを聞く。夫に似ている、と思った。
「まだ、分からないわ」と私は答えた。
嘘ではなかった。
去ったことが正しかったのか、今も分からない。
ただ、地蔵のようにその場で待ち続けることは出来なかった。
去った結果としてこの子が残った。それだけは確かだった。
笠地蔵の爺さんが情を向けた相手は、地蔵だった。
地蔵は約束を破らない。裏切らない。ただ、静かに受け取って、静かに返す。
夫が情を向けた相手は、私だった。
私は地蔵ではなかった。雪女だった。
情を向けられるほどに、去らなければならない理由が積み上がっていく存在だった。
向ける相手が違えば、情は報われる。
それだけのことだったのかもしれない。そう思うと、少しだけ気が楽になる。
ただ、やはり、あの温かい家のことを、今でも時々思い出してしまうけれど。
「眠れそう?」と私は聞いた。
「うん」と子どもは言った。目がとろとろとしてきていた。
私は子どもの額に、そっと手を当てた。
冷たい手だと、子どもはいつも言う。それでも嫌がらない。この子だけは、私の冷たさを当たり前のものとして受け入れている。
失ったものと、残ったもの。
どちらが正しかったのかを、私はまだ知らない。
ただ、この冷たい手を握り返してくる小さな指が、今夜も温かかった。
窓の外では、雪が降り続けていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
情を向けられ、報われる者。情を向けられ、去らねばならぬ者。
向ける相手が違うだけで、こうも結末は変わるのでしょうか。
明日5/6(水) 20:00には、これまでの彼女たちとは違い、
教訓を経て「復讐を選択した女」の物語を投稿します。




