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【日本昔ばなしクロスオーバー】昔話が語らなかった「なぜ」の終着点

情というものは、罪ですか〜雪女と笠地蔵、向けた者と向けられた者の話〜

作者: 本咲 サクラ
掲載日:2026/05/05

子どもが眠れないと言う夜は、決まって雪が降る。


「お母さん、お話して」


布団の中から、小さな手が伸びてきた。

私はその手を握りながら、何を話そうかと少しだけ考えた。


「笠地蔵の話をしましょうか」


子どもは嬉しそうに頷いた。


昔々、貧しいけれど心の優しい爺さんがいた。大晦日の夜、売れ残った笠を抱えて帰る道すがら、雪をかぶった六体の地蔵を見つけた。爺さんは自分の笠を地蔵に被せた。六体目には笠が足りなくて、自分の手ぬぐいを被せた。寒いだろう、と思ったから。それだけの理由で。


「地蔵様はお礼をくれたの?」と子どもが聞いた。


「ええ、くれました。大晦日の夜、地蔵様たちが爺さんの家に宝物を運んできたのです」


「良かった」と子どもは言った。「優しくしたら、優しくしてもらえたんだね」


私は、すぐには答えなかった。


地蔵のことは、知っている。


山の中で長い時間を過ごしていると、人間以外の存在と言葉を交わすことがある。地蔵もその一つだった。

石でできた体で、雨にも風にも雪にも黙って耐えている。表情一つ変えない。

けれど、あれで案外いろいろなことを見ている。


ある冬の夜、私が山を歩いていると、地蔵が静かに言った。


「今年も爺さんが来た」と。


「笠を被せてくれた爺さんか」と私は聞いた。


「そうだ。毎年来る。手を合わせて、また来年もよろしくと言って帰る。何も求めない」


私はその話を聞きながら、少しだけ羨ましいと思った。


私はしばらく黙ってから、地蔵に言った。


「羨ましいわ」


地蔵は何も言わなかった。ただ、静かにそこに立っていた。


「去らなくていいから」と私は続けた。


しばらくして、地蔵がぽつりと言った。


「去らない代わりに、来てもらう必要がある」


その言葉が、ずっと胸の奥に残っている。

去ることができる私と、その場で待ち続ける地蔵。

どちらが良いのかは、今も分からない。


「地蔵様って、お母さんの知り合い?」と子どもが聞いた。


「少しだけね」と私は答えた。


「どんな人?」


「無口で、動かなくて、でも全部見ている。そういう存在よ」


子どもはふうんと言って、また布団に潜り込んだ。


私は話の続きを語りながら、あの夜の地蔵の言葉を思い出していた。


夫は優しい人だった。私が雪女だと知らずに、ただの女として扱ってくれた。

温かい家があって、食事があって、笑い声があった。

私はその温かさの中で、自分が何者であるかを忘れそうになっていた。


忘れてはいけなかったのに。


ある夜、夫は言った。若い頃に不思議な体験をしたと。雪山で出会った美しい女の話を。

決して誰にも言うなと約束したのに、あなたにだけは話したくなったと。


夫の目は、正直だった。隠すつもりが、全くなかった。

ただ、私への情が、約束より重くなってしまったのだ。悪意はなかった。それが余計に、胸に刺さった。


悪意があれば、恨めた。


けれど夫は、ただ情を向けすぎただけだった。だから私は恨めなかった。ただ、去るしかなかった。


「お母さん、地蔵様はずっとそこにいるの?」と子どもが聞いた。


「ええ、ずっといるわ。雨が降っても、雪が積もっても、ずっとそこにいます」


「寂しくないのかな」


私はその問いに、すぐには答えられなかった。


寂しいかどうかを、地蔵に聞いたことはなかった。

けれどあの夜、去らない代わりに来てもらう必要があると言った時の地蔵の声が、どこか遠かったことを覚えている。


「寂しいかもしれないわね」と私はやがて言った。

「でも、その場所にいることが、地蔵様の答えなのだと思います」


「お母さんの答えは?」


子どもが、まっすぐに聞いた。幼いくせに、時々こういうことを聞く。夫に似ている、と思った。


「まだ、分からないわ」と私は答えた。


嘘ではなかった。

去ったことが正しかったのか、今も分からない。

ただ、地蔵のようにその場で待ち続けることは出来なかった。

去った結果としてこの子が残った。それだけは確かだった。


笠地蔵の爺さんが情を向けた相手は、地蔵だった。

地蔵は約束を破らない。裏切らない。ただ、静かに受け取って、静かに返す。


夫が情を向けた相手は、私だった。

私は地蔵ではなかった。雪女だった。

情を向けられるほどに、去らなければならない理由が積み上がっていく存在だった。


向ける相手が違えば、情は報われる。


それだけのことだったのかもしれない。そう思うと、少しだけ気が楽になる。

ただ、やはり、あの温かい家のことを、今でも時々思い出してしまうけれど。


「眠れそう?」と私は聞いた。


「うん」と子どもは言った。目がとろとろとしてきていた。


私は子どもの額に、そっと手を当てた。

冷たい手だと、子どもはいつも言う。それでも嫌がらない。この子だけは、私の冷たさを当たり前のものとして受け入れている。


失ったものと、残ったもの。


どちらが正しかったのかを、私はまだ知らない。

ただ、この冷たい手を握り返してくる小さな指が、今夜も温かかった。


窓の外では、雪が降り続けていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


情を向けられ、報われる者。情を向けられ、去らねばならぬ者。

向ける相手が違うだけで、こうも結末は変わるのでしょうか。


明日5/6(水) 20:00には、これまでの彼女たちとは違い、

教訓を経て「復讐を選択した女」の物語を投稿します。

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