8 ナンパに必死
武たちを見送った数週間後。
友人と呼べる人間があの女子の集団にいるわけもなく、俺は一人で施設から離れ、文字通り一人での生活が始まった。
何十人かはあの施設にいることを選んだようだ。
「...あの場所なら、確かに安全は確保されるかもな」
あの場所にいて、この世界にいるはずの魔物だとかが攻めてきた記憶はない。
...まぁ、本当に魔物と呼ばれる存在がいるのかどうかは未だに謎だが。
なにせ、俺自身が今だにであったことがない。
俺の右手に握られている剣で切ってきたのは、森の中に住んでいる野生の動物だけ。
それらをなんとか捌き、焼いて食べるという生活を繰り返している。
そんなことをしつつ、前へ前へ進んでいると、何やら活気のあふれる場所へと出てきた。
「なんだ...?」
ぽつんと建っている一つの建物。
かなりの距離があるというのに、ある程度の大きさで見えているということは、あの建物は実際にはとても大きいのだろう。
「...行ってみるか」
あの日から、人間に会っていない。
今の俺の姿だと警戒心を与えるだけかもしれないが、とにかく誰かと会話をしたかった。
苦手な女性でもいい。毎日のように発していた日本語も忘れてしまいそうだ。
「温厚的な人だといいんだけど」
こうして独り言を言わなければ、本当に喋ることを忘れてしまいそうで怖い。
なにせ、森の中で生活を少し過ごしているだけだが、本当に言葉を発する必要がないし、下手に音を立てようなら容赦なく野生の動物に襲われる。
「こんなにぼろかったか?」
問題の建物までたどり着いた俺は、建物の壁を触る。
触ったところからぽろぽろと壁であったものが崩れる。
俺が思っていたよりも建物は寿命が来ているみたいだ。
というより、それよりも問題なのは、この建物が手入れされているように見えないところだ。
「...ん?」
これは望み薄かもな、と考えていると、中から音がした気がした。
俺の幻聴かもしれないが、何かしらの幻聴が聞こえ始めたらもう終わりだ。
俺はその音に一つの希望をかけ、扉を開けて中に入り込んだ。
中は思っていたよりもきれいで、多少は人が出入りして手入れしているのかという印象だ。
ただ、その中は単純なホール、ではなかった。
「...教会か何かか?」
入口付近から均等感覚で左右に置かれた長椅子。
そのまま進んでいくと、十字架が書かれた台座。
天井は高く、よく見ると三階分まで突き抜けている。
「それが、全部壊れていなければきれいだったんだろうけどな」
俺の呟いた通り、椅子も、台座も、天井も、一階、二階、三階と至る所がひどく破損している。
ここで何が起きたのかは想像するに容易いだろう。
野生の動物が持っているような牙だとかが見当たらず、代わりに何かで穿ったような穴がある。
俺の勘でしかないが、十中八九人間の仕業だろう。
「とはいえ、誰かが来ている雰囲気はあるんだけどな」
全ての階層を見て回ったが、何者かが暴れまわった後の後始末を誰かがしている感じがする。
なにせ、木片だとかが一つの場所にまとめられていたりするのだ。
わざわざここをこんなに破壊した人間がこんなことをすることもないだろう。
誰かがここに住んでいるのではなく、出入りしているのかもしれないな、と考えていると、カタンと物音がした。
「ん?」
「だ、誰?」
音のした方を向くと、そこには一人の少女が立っていた。
白髪でロング。少し破れているが、黒の修道服だろうか、それを身に着けている。
だが、その少女は見るからに不健康そうで、その手に持っている鉄の剣も持つのがやっとという風に切っ先が震えている。
俺はため息一つ吐き出すと、持っている剣を地面に置いて両手を上げた。
「俺は敵じゃない。というより、俺はお前をしらんし、この建物も遠くから見えたから立ち寄っただけだ。...それよりも、腹が減ってないか?」
「...え?」
「お兄さん、いい人なんですね」
「まぁ、悪い人ではないと俺は思ってるけど」
何とか俺が敵対意思はないことを理解してもらい、今は持ち歩いていた焼いた肉の余りをもう一度加熱しているところだ。
その際に驚いたのが、この少女が道具を何も使わずに、手のひらから火球を出して、集めた木片に火をつけているところ。
この少女はどうやら魔法というものが使えるらしい。
「それより、さっき出したあの火の玉、あれって魔法?」
「あれですか? 確かに魔法ですけど、あんなの、誰でも使えますよ」
「...さいですか」
なるほど、わかりやすいように名前を付けるとしたら、下級魔法とでもつけようか。
その下級魔法ぐらいであれば、この世界の住人は簡単に習得することができると。
魔法というものを未だに使えていない俺からしてみれば、この少女が言う誰でも使える魔法もとんでもない奇蹟に早変わりだ。
俺の中での火をおこすという方法は、基本的には原始的だし。
ひたすら木の棒を手で回転させて火を起こしていた火を思い出して感傷に浸っていると、少女が俺の服をくいくいと引っ張った。
「ん?」
「まだ自己紹介がすんでませんでした、私、リンって言います」
「リンか。俺は司。なんと呼んでもらっても構わないよ」
「ツカサですね、わかりました!」
そういうリンは、すでに肉に満足したのか、いい笑顔だ。
俺が渡した分はすでに平らげているらしい。
できればちゃんと肉が通っているかどうかだけ確認したかったが、そこはもう過去の自分を信じるしかないだろう。
「そういえば、どうしてリンはここに?」
「私はしすたーの見習いなので、ここにいます。私に教えてくださるはずだった人はもう死んでしまいましたが」
「...そうか」
リンの話から察するに、彼女がここに来たばかりのころに、何者かの襲撃にあい、奇跡的にリンは生き残ったのだろう。無傷で。
生き残ったのが自分一人だったが、いつか報われると信じて、この教会を綺麗にしていると、リンは言う。
だが、この先報われることはないと俺は思うし、ここを襲った人物は、ここにいる人物がだったのか、ここ事態がそうだったのかは知らないが、邪魔だったから襲った可能性も高い。
であれば、この場所を綺麗にしてまた人が集まり始めたとて、また襲われる可能性もあるわけだ。
「...俺は、報われるなら今だと思う」
「...え?」
「ちょうど、一人は寂しいなと思ってたんだ。これから大きな町に行って、そこを拠点にしようと思ってる。そんな生活に、誰かいてくれたらなぁ、と思うんだけど。具体的には、俺の隣にいるようなかわいい子、とか」
俺が遠回しにそういうと、リンは困ったように笑った。
「それ、もしかしてナンパのつもりですか?」
「もしかしなくても、そうだよ」
自分でも何を言っているんだかと今既に反省しているところだ。
俺は若干頭を抱えながら、横目にリンを見る。
そのリンの顔は、絶賛迷い中というところだった。
「でも私は、ここで一生を告げるつもりで生きてきました。確かにまだ幼い自分ではありますが、神に仕える覚悟はできているつもりです。でも、今あなたの話を聞いて、あなたのような人と一緒に過ごせたら、それはそれで楽しそうだな、とも思いました」
困りましたね、と少女は笑って俺を見る。
俺としては、この子に一緒に来てもらいたい。
この先の生活が一人だと寂しいというのも本音の一部だ。
だけど、それよりも、ここに一人というのは、あまりにもかわいそうだと思ったのだ。
ここで一生過ごす、というのは。
俺は紅い空を見上げる。
「きっと、この世界には面白いことがたくさんある。そんな世界の面白話を神様に教えてあげたらさ、神様も喜ぶんじゃないかな」
「...くす、私をナンパするのに必死ですね」
「そりゃ必死になるさ」
俺が冗談めかしてそういうと、少女は何かを決意したかのような顔で教会の外に出る。
「私、決めました。あなたについていきます」
「...! そうか!」
「はい。なので、面白いこと、たくさんしましょうね!」
そうして、リンというシスター見習いだった少女が、俺の旅に同行することになった。