それぞれの選択
「はなしはまとまったのか?」
そんなことをいいながら、一時姿を消していたエルシムが室内に入ってきた。
「なんだ。
一通り揉めるだけ揉めたら、今度は乳繰り合っているかと思ったのに」
「生憎、そういう展開になるような関係ではないんで」
ハザマは至極真面目な表情を保ったまま答えた。
「ただこいつは、下手をするとおれなんかよりも洞窟衆のことを大事に考えているからなあ。
その線で、合意を得ることは出来たと思います」
「合意、のう」
エルシムは、鼻に皺を寄せ、不機嫌そうな表情をつくった。
「のう小娘。
そちらは、それでよいのか?」
「よいというか、なんというか」
リンザは複雑な表情になる。
「いろいろ考えた結果、そうするのが一番収まりがよさそうだな、と」
「収まり、か」
エルシムは渋い表情のまま、続けた。
「なんといってもお主らヒト族の一生は短い。
それが個人であれ組織であれ、自分以外の存在のために自分を犠牲にするような発想をしていると、後で後悔する羽目になるぞ」
「わかってます」
「いやそれは、わかってんだろう」
リンザとハザマが、ほぼ同時に反応する。
一度顔を見合わせてから、リンザが首を振ってハザマを促した。
「こいつだって馬鹿じゃない。
というか、洞窟衆についていえば、もう半分くらいはおれの手を離れかけている。
その、実務上でのことをいえば、ってことですが」
ハザマは、そう続ける。
「だが、対外的にはお前様の名前がないと、まだまだなにかと不自由をすることが多い」
エルシムは、そう指摘をする。
「実物はともかく、外聞はいいからな、お前様は。
旗印としては、まだ当分働いて貰わねばならぬ」
「いやそれは、わかっていますけどね」
ハザマはため息混じりに、答えた。
「ただおれとしては、早いところ隠居でもして自由の身になりたい」
公務や責任のある地位から退いて、もっと気軽に動きたいという意味だった。
「そういう希望は、わからないでもないのだがな」
エルシムはいった。
「ただ、現実的に考えると、あと何年かは洞窟衆の顔役をして貰わねばならぬだろうな。
そうでないと、まとまるものもまとまらん」
洞窟衆の内部的な結束も、ハザマが居ればこそ、という側面があった。
それ以外にも、外部勢力との力関係においても、ハザマの存在感によって助けられている部分も多い。
ルシアナ討伐を筆頭に数々の、不可能にも思える武勲をあげてきたハザマが治める領域だからこそ、ハザマ領は安定していられるのだった。
もともと山地勢力と平地諸国とがせめぎ合う、かなり難しい土地だった場所である。
ハザマが居なかったら、今もまだ国境紛争は続いているはずだった。
ハザマの存在は、ハザマ自身が漠然と感じているよりは、よほど重い意味合いをこの世界に齎している。
無論、ハザマもそのことについてまったく無自覚ということもない……とは、思うのだが。
しかしエルシムとしては、
「こやつ、なにかというと物事を軽く見なす傾向があるからな」
と、そう見なしている。
「まあ、こいつとおれとの関係は、恋愛や婚姻とかいうよりは、一種の共犯関係みたいなもんだ」
ハザマは、エルシムの考えを知ってか知らずか、しれっとした顔をしてそんなことをいった。
「同じ目的を持つ仲間意識、みたいなのは感じるが、そいつは色恋沙汰とはあまり関係ない気がするな」
「おい、小娘」
エルシムは、リンザに向かって改めて確認をする。
「本当に後悔せぬのか?」
「こういう人ですからね」
軽くため息をついてから、リンザはいった。
「こちらが男爵の存在を利用している側面もあるわけですし。
利用しているのはお互い様というか、そうですね、共通の目的を持った仲間同士という感覚は、あながち間違いでもないでしょう」
この小娘は。
と、エルシムは思う。
この選択をすることで、なにを諦めたのか、理解はしているようだ、と。
「これは」
エルシムはハザマのことを首を振って示してから、いった。
「女を幸せにできるような代物ではないぞ。
元来、そのようには出来ておらん」
「わかっています」
リンザはいった。
「ただ、この大陸に二人と居ない、そんな人間であることは確かで。
せいぜい、どこかに飛んでいかないように、重りになってみますよ」
それはそれで、しんどい道なのではないか。
エルシムは、思う。
特に、ヒト族の短い人生では。
いずれにせよ、この小娘が選んだ道ではあるがな。
とも、思った。
いずれにせよ、
「本人が承知の上で選択をしている」
のであれば、とやかく口を出すつもりもなかったが。
出自からしてアレなハザマはともかく、このリンザまでもが困難な道を歩もうとしていることについて、エルシムは複雑な感慨を持った。
「ここはおれの世界ではない」
エルシムの想いを知ってか知らずか、ハザマがそんなことをいい出す。
「どんな奇跡を起こそうが、やはりおれはこの世界では主役ではないんだよ。
ここでの主役は、この世界の住人たちで」
「それでは、お前様はなんなんだ?」
「なにかの間違えで紛れ込んだ異物、番狂わせを起こすための存在、ってところかな」
ハザマはエルシムの問いかけに、しごく真面目な表情のまま答える。
「おれが居なかった場合の方が、おそらくはこの世界は落ち着いていたはずだし。
仮におれが誰かの意思によってこの世界に送られたのだとしたら、その誰かさんは空騒ぎが好きな酔狂なやつなんだろうよ」
この男とはこの男で、自分が果たした役割と影響とをかなり正確に認識している。
少なくとも、
「自分のおかげで大勢の人間が救われた!」
などと自己陶酔に浸るような可愛げのある性格をしていない。
また、そうした、自分の力量について懐疑的でどこか醒めた性格をしていからこそ、ここまで洞窟衆という組織をどうにか運営できていた、という側面もあるのだが。
「お前様方がそうすることを望むというのならば、なにもいう筋合いではないのだろうがな」
そういいながら、エルシムはこの選択について、まだ判断を保留している。
もっといい選択肢があるのではないのか。
そういう疑念が、なかなか脳裏から離れなかったからだ。
「まあいい」
エルシムは、自分の迷いを吹き消すように勢いよく顔をあげ、ハザマたちにいう。
「ちょうど食事の用意が出来たところだ。
結論が出たのならば、こっちに来て腹ごしらえをしていけ」
エルシムが用意した食事は、例によって煮物とキノコの焼き物、それに即席の、麦の粉を山羊の乳で練って火を通した平たいパンだった。
ハザマとリンザ、エルシムは同じ食卓を囲んで、その食事を食べる。
「こうして顔を合わせて食事をするのも、久方ぶりになるな」
エルシムがいった。
「そうですね」
リンザが頷く。
「この組み合わせで食事をしたのは、もう何ヶ月も前になりますか」
リンザの感触では、もっと長くも感じる。
それだけ、ここ最近の時間、その密度が濃かった、ということなのだろう。
そもそもリンザが、領主代行として何ヶ月も仕事を任されるとは、以前には想像さえしていなかったわけだが。
その意味で、リンザは自分がかなり遠い場所まで来てしまったことを実感する。
この三人で最後に食事をしたのは、それこそ洞窟衆がまだ立ち上がったばかりの、ハザマが貴族として取り立てられる以前のことになるはずだった。
あの頃からまだ一年も経っていないのに、この三人を取り囲む環境は随分と変わってしまっていた。
特にハザマは、領地を得てからも少しも落ち着いておらず、どこかに出かけてはなにかとんでもないことをしでかして帰ってくる。
そんな印象が強い。
そのたびに、洞窟衆を巡る事情も、大きく変化していった。
どうやらハザマ本人もそれなりに自覚はあるようだったが、その自覚以上の変化を巻き起こす存在。
それが、ハザマという男の本質であった。
少なくともリンザは、そのように理解をしている。
その意味では、ハザマがハザマ領から離れることを望んでいるのは、それなりに都合がいいともいえる。
なぜならば、ハザマが長く外出をする機会が増えれば、そうした変化の中心がハザマ領から遠い場所で起こってくれるからである。
そうした変化の影響を完全に免れることは出来ないにしても、その影響が少しでも軽減してくれることはリンザとして歓迎したいところだった。
もっとも、そうしてもハザマ領内が特に困ることがない体制を構築することは、それなりに大変なわけなのだが。
以前から問題視されている人材育成の問題もあったが、それ以外に制度の不備もまだまだ多い。
ハザマ領が立ちあがってから日が浅く、これまでは手探りで運営している部分も多かった。
細かいルールが明文化されておらず、現場の担当者の裁量によって解決している事例が極端に多いのが現実なのである。
そうした不備をひとつひとつ潰し、出来るだけ長く存続するような組織へと改良していく。
その作業の実際を考えると、気が遠くなるほど煩雑な仕事に思えるのだが、それでもハザマ領をこれからも続けていくためには、その煩雑な作業を厭わずに続けていくしかない。




