ハザマのルール
この世界で情報産業を育てる。
これは、かなり初期の段階からハザマが洞窟衆でやろうとしていたことであり、今回のこの構想も、その延長線上にある。
というか、ハザマとしては今ここに集まっている人間が、ハザマの指向していることをここまで深く理解しているものとは、ハザマは考えていなかった。
また、通信や出版を通じて情報という物の大切さを広く認識させようとしたハザマはとは違い、より属人性に重きを置いた構想でもあり、ハザマはその部分にも内心で深く感心している。
「慢性の人手不足」という洞窟衆の課題を解消する方策として考案されたことは間違いはないのだが、より本質的な問題へと踏み込んだアプローチだと、思ったのだ。
この構想が現実の物となれば、ルシアニアでなにかを学んだ人間が各地で影響力を持つようになる。
ハザマたちから見れば、効率的に洞窟衆的な価値観を輸出していく仕組みをそのまま作るような物で、長期的になればなるほど洞窟衆の影響力が増す結果となる。
洞窟衆にとっては都合がいい状況を作るわけだが、それでも周辺諸国の人士にしてみれば、ルシアニアが教育機関として優秀であるか、それとも他にはない特殊な知識を授けてくれるところでありさえすれば、積極的に若い、つまり大きな可能性を秘めている人材を寄越してくるようになるわけで。
「予算的には大丈夫なんだな?」
ハザマは、改めて確認をする。
「施設的なことをいうのならば、現在建築中の物に少し手を加える程度なので、そんなにお金はかかりません」
タマルは即答をした。
「そうした箱物よりも、教師や文具、教材などの数を揃えることの方が、現状では難しいくらいです。
どれも急がせてはいるところですが」
「教師や講師役についていえば、引っ張ってこれそうな人材は多少報酬が高くついても積極的に引っ張って来ていい」
ハザマはいった。
「帝国にも大学に相当する研究機関があるそうだが、こちらはもっと実業寄りの人材になる形かな。
とにかく、山地も含めた周辺地域の中で、ルシアニアに来れば最先端の技術を習得することが可能となる。
そんな環境を整えてくれ」
そういっているハザマも、すぐにそんなに都合のいい環境を整備できるとは考えていない。
最初はごく限られた領域のみになるだろうが、そこから開始をして徐々に多くの分野に手を広げていけばいいだけのことだった。
「もちろん、それは考えていますが」
ルアが口を開いた。
「ですが当面は、どこへいっても一通りの実務処理が出来る文官を安定的に供給できるようにすることが先決ですね」
洞窟衆が欲しているのは、結局のところそうした事務員なのである。
この世界では軽視されがちであったが、帳簿をつけたり労働人員の管理をきちんとこなせる人材というのは、それなりに貴重だった。
そうした基本的な事務処理を専門に教えるような機関が、これまで存在しなかったせいでもある。
幼少期の全領民を対象とした義務教育。
事務仕事全般がこなせるところまで育てる実務教育。
専門的な、各分野の先端的な技術の習得並びに研究開発まで行う専門教育。
貴族や王族を対象にした統治者向けの教育。
大雑把に分けても、四種類に分類される教育カリキュラムを用意する必要が出てくるわけだった。
このうちの専門教育についていうのならば、それこそ分野ごとに教員から教材までを揃えなければならず、かなり煩雑になりそうな気もするのだが。
基本的な前提として、まずは出来る範囲内から整備をしていき、その後、段階的に手を広げていくつもりではあるのだろうが、それにしてもかなり「大きな」構想であるように、ハザマには思えた。
「それ、本当に出来ると思う?」
ハザマは、そこに集まった人々を見渡して、確認する。
「つまり、洞窟衆の手で、ということだけど」
「むしろ、洞窟衆がやらずに他のどこがやるというのですか」
ルアが、強気な姿勢でいった。
「うちは印刷技術を世に広めた源なのですよ」
生産技術を押さえているので教材を作りやすい、という面は確かにある。
「さらにいえば、現実的なことをいうと、ここいらでしっかりとした教育機関を整備しておきませんと、洞窟衆そのものの存続も危ぶまれるような状態です」
タマルは、そう指摘をした。
「現状でも各部署からもっと使える人材を寄越せとせっつかれている状態なわけで。
洞窟衆がこれまで以上に業務を拡大していくとなると、必要とされる実務能力が不足してそのお陰で組織が分解をしていく、なんてことにもなりかねません。
多少経費が嵩むことを見越してでも、どうにかして人材の育成を今まで以上に効率化していきませんと、近い将来には身動きが出来なくなってしまいますよ」
拡大する仕事量によって、すぐにでも洞窟衆がパンクしそうだ。
という、かなり強い懸念をタマルは表明した。
ハザマは、これに対する反論を思いつかなかった。
確かに洞窟衆が手がける領域は、物理的にも分野的にも拡大する一方であり、ぼちぼち必要とされる処理能力を超えはじめている。
そうした懸念は、以前から指摘をされていたことなのだ。
これまでは、あの手この手を使ってどうにか誤魔化して来たわけなのだが、そうした小手先の手段に頼る方法論もそろそろ限界に近づいているらしい。
もっと抜本的な解決策を講じないと、洞窟衆が組織として活動を維持できなくなる。
タマルの指摘は、かなり現実味があった。
そもそもこのタマルは、無駄な出費をとことん嫌う。
そのタマルが、この計画に対してここまで積極的であるということは、つまりはこの計画はこれからの洞窟衆の活動にとって、必要不可欠だと考えている証明でもある。
「使える事務員を増やすことは、急務である」
今度は、メキャムリム姫が口を開く。
「現場の感覚でも、それは否定できません。
増員はそれなりに成されているのですが、基本的なことはおぼえていても実務経験には乏しく、結局すでに働いている人がかなりの時間を割いて教えているような状態ですから。
現場に配属される前に、ある程度実際的な手続きや発想をおぼえておいてくれると、現場でもかなりやりやすくなりますね」
こちらは、現場の声というわけだった。
右も左もわからない新人が入ってきて、その教育のために本来ならば別の仕事に当てられるべき人手が拘束されて使えなくなる。
結果として、現場の負担となる。
よくある構図であるとはいえ、これを解消することが可能だというのならば。
「教材や教育課程の構築にご協力いただけますか?」
ハザマはメキャムリム姫に訊ねた。
「それはもう、是非に」
メキャムリム姫は即答をする。
「むしろ、こちらから頼みたいくらいです。
今のうちにしっかりとした内容を確立しておかないと、混乱した、おおよそ実用的ではない内容が世の中に広まってしまう可能性もありますので」
通信とそれに印刷業を押さえている洞窟衆は、この時点で「正しい情報」を伝え広めるのに有利な位置に居る。
ただ、すでに追従して自力で出版物を出しはじめているところも何カ所かあったので、この優位は決して恒久的な物ではなく、あくまで「この時点での」一時的な先行者権益でしかなく、手を抜けば他の勢力に追い抜かれてしまう可能性も十分にあった。
そうならないためには、有益な情報、正確な知識など、必要とされる内容を常に刷新して出版し続けるしかない。
むしろ、洞窟衆が情報を産業化することを指向するのであれば、積極的にそうしていくしかないだろう。
ハザマは少し考え込んだ。
方向性としては、正しい。
むしろ、これしかないといっていい。
ただ、現実に今の洞窟衆の手に負えるような事業なのか。
それと、仮に成功したとしたら、そうなればなったで洞窟衆の影響力は今までとは比較にならないほど大きくなる。
それはそれで、責任重大……というより、この世界に対するインパクトが大きくなりすぎないだろうか。
いや。
すぐに、ハザマは考えるのを止めた。
この計画や方向性は、基本的にハザマではなく、洞窟衆の、今、目の前に居る女性たちから出された者だ。
つまりこの世界の人たちの中から出て来た物であり、だとすれば、よそ者であるハザマは下手に口出しをするべきではない。
これまでのことを振り返っても、洞窟衆が周辺社会に与えた影響は決して少なくはないといえた。
この事業が無事に成功したら、これまでとは比較にならないほど大きな影響を、周辺社会に与え続けることになる。
これはルシアニアを、文字通り、情報の発信基地にしようという計画なのだ。
それも一時的な物ではなく、半永久的な、つまり継続的な活動を続けることを前提とした計画になる。
一度活動がはじまってしまえば、それこそ元に戻ることは不可能な変化を、この世界に与えることになるだろう。
これまでだってハザマは、決して遠慮してきたつもりはないのだが、それでも一定の節度を守るように自制をしていた部分がある。
結果としてこの世界に影響を与えるのはいいが、この世界に影響を与えること自体を目的として動いてはならない。
というのが、これまでハザマが自分に課していた節度であった。
こうしたルールを、ここに来てはじめて曲げることになるわけだったが。
ま、いいか。
と、ハザマは思う。
ひとつは、前述の通り、正確にいえばハザマ自身の発案ではないということ。
もうひとつは、そうした自制ももうあまり意味があるようには思えなくなってきたこと。
周囲を振り返ってみて、ハザマは、自分と洞窟衆がこの世界に与えた影響はすでに甚大であり、後戻りが出来る範囲をとっくに超えていると認めないわけにはいかなかった。
だとすれば、下手に自制などするよりも、むしろここまで来たらとことんまでやってやる、くらいの気持ちでいった方がいいのではないか。
ハザマという個人が内心でどう思っていたとしても、洞窟衆の活動と与える影響を快く思わない人間は現に存在するし、それに、これからも存在し続けるだろう。




