交渉の開始
ハザマとガグルバイド伯爵たち帝国人の一行はすぐに正門を抜けたところにある小屋に案内をされる。
見た目は質素な感じであったが、中に入ると掃除が行き届いており、かなり居心地がいい空間だった。
家具などの調度類も豪華なものでこそなかったが日頃から手入れを怠らないことがうかがえる状態であり、おそらくは兵士たちの詰所を急いでこちらに明け渡したのだろうが。
流石は王城内に勤務するくらいの兵士たち、たかが兵士といえども躾が行き届いているなどとハザマはかなり失礼な感慨を抱く。
他国へ派兵する際に前線まで出される兵士と、王宮を護衛する任務についているような兵士とでは、おそらくはその血筋からして異なっているはずなのである。
その小屋の中に案内されてからいくらもしない内に帝国人たちに香茶が振る舞われ、しかもそれには一見してそうと判別できる高価な茶器が使われていた。
これだって、そこいらの庶民では一生手が出ないような代物のはずだ、と、その茶器を手にしながらハザマは思う。
庶民の食器は木製か錫を主体とした合金製がほとんどであり、製造が難しく破損もしやすい薄手の磁器などはしかるべきところにしか出回っていない。
兵士たちの帝国人に対する物腰ひとつとっても礼儀作法をわきまえた上で、かなり無難な対応をしている。
そうしたことから、ここの兵士たちも、王国の中ではそれなりに名のある家に連なる者たちなのだろうな、と、ハザマは想像をした。
文化資本というのは、やはり育ちが如実に物をいうので、こうしたとっさの場合にはそれなりに表面化する。
そうして半時間ほど待たされただろうか。
兵士の一人が、
「王宮での準備が整ったようです」
と声をかけてきた。
意外に迅速な反応だな、と、ハザマは感心をする。
場合によっては、もっと待たされることも覚悟をしていたのである。
そういえば、待たされる間にも帝国人たちの要件をまるで訊かれていない。
王国にとっては、帝国人たちの要求そのものよりも、帝国人側がわざわざ公式の使節を送ってきたという事実の方を重く見ているのだろうか。
あるいは。
とも、ハザマは思う。
実際に対面して見れば、ここまで使者が来た理由は自ずとわかるから、別にわざわざ確認をするまでもないと判断してのことか。
いずれにせよ、王国側と帝国側の交渉は、ハザマが予想するよりも遙かに早く実現することになった。
王国側にさっさと帰れといわれもしなかったので、ハザマは帝国人一行に同行した。
帝国側の要求がハザマ領に関することだったので、ハザマ自身も同行した方が対話も円滑になるだろうと配慮してのことである。
王国側の中にも、なぜ帝国人たちをここまで案内して来ただけのハザマが王宮の奥深くまで同行するのか、不思議に思った者はいたはずだったが、同行している帝国人の手前かハザマを追い返そうとする者はいなかった。
先導する兵士たちについていくと、まず王城内に入りそのまま奥へと、ハザマが知らない道順で進んでいく。
もっとも、ハザマ自身がこの王城内に入ったことはそれこそ数えるほどでしかなく、内部の詳しい構造などについてもハザマはほとんど知らない。
案内なしで中に入ったとしたら、すぐに迷子になったことだろう。
王城の中はそれくらいには、広かった。
そのハザマが知らない順路を通ってしばらく行くと、やがて広めの部屋に出た。
どうやらそこが、目的地であるらしい。
ハザマが何度がいったことがある謁見の間ではなかった。
まああそこは、あくまで国王が臣下の者に謁見する場所であるからな、と、ハザマは思う。
この王国は別に帝国に対して服従し、臣下となっているわけでもないのだが、それでも遠い大国である帝国の使者を国王の臣下同然の、目下の者として扱うことはやはり不都合だったのだろう。
おそらくは、普段は高級官吏たちが会議をするときにでも使われるのであろう。
その広い部屋の中央に、重厚な天板の、周囲に何十人も座れる大きな机があるだけだった。
その机や、机の周囲に置いてある椅子などは、一目見ただけでかなり手の込んだ造作であり、たとえば先ほどまでハザマたちが待機していた部屋の調度などとは比較する気にもならない高級品であることが理解できた。
案内してきた兵士たちに促されて、帝国人の一行はその椅子に座る。
ハザマ自身も、ガグルバイド伯爵の隣に座った。
この状態で、またしばらく待たされる。
今度は、お茶も出ない。
そうして二十分ほど待たされてから、ようやく王国側の人間が室内に入ってきた。
先頭に、この国の文官を束ねる立場のガイゼリウス国務総長が居るのはいいにしても、そのすぐうしろに居るのは……。
「ああ。
この段階で、国王まで出てくるのか」
ハザマは、小声で呟く。
帝国相手ともなれば、この対応も決して大げさではないのか。
と、ハザマはそう思う。
でも、国王が直に対面してしまうと、王国にとって都合の悪い条件を押しつけられたときに言を左右にして断りづらくなるはずだが。
「あの方が、メレディラス国王様ですか?」
やはり小声で、ガグルバイド伯爵がハザマに確認をして来る。
「文官長のガイゼリウス卿と、メレディラス国王陛下です」
ハザマも小声で、早口に答えた。
どちらがどうなのか、という情報を口にしないのは、服装や物腰などで身分がたやすく類推できるからだった。
「最初に最高責任者が出てくるのですか」
ガグルバイド伯爵は、そう呟く。
「こちらにしてみれば都合がいい展開ですが、あちらにしてみればいざというときの逃げ場がなくなる選択ですね」
やはりガグルバイド伯爵も、ハザマと同じような疑問を持ったようだ。
せめて国王がこの場に姿を現さなければ、王国にとって都合が悪い案件を押しつけられたときに、
「時間をおいてこちらで協議をさせていただきます」
と返答を保留できるはずなのである。
「おそらくは」
ハザマは自分で想像した内容を語った。
「この国は、自分よりも目上の相手と交渉をした経験がないのでしょう。
外交といっても、周囲の、自分と同格の国家とばかりでしょうから」
その推測が当たっているのかどうか、ハザマにも判断ができない。
しかし、そうとでも考えなければ、ここでいきなり国王が直に姿を現すという事態について、どうにも納得できないのだ。
「あるいは」
ガグルバイド伯爵は、そう返してきた。
「こちらがここまで来た意図について、誤った想定をしているのか」
ま、正解がどちらなのかは、すぐにでも判明するだろうな。
と、ハザマは思う。
これからの対話で、いやでも明瞭になるはずだった。
「遙か遠い帝国からわざわざこのメレディラス王国まで、よくぞおいでくださいました」
ガイゼリウス卿が、まずは口上を述べた。
「さぞやお疲れのことでしょう。
ご入り用のものがあればなんなりと申しつけください。
メレディラス王国は帝国の皆様を歓迎いたします」
転移魔法があるこの世界で、お疲れもなにもないもんだ。
と、ハザマは内心で白けた気分になったが、おそらくは古くから伝わっているこうした際の定型文を機械的に口にしているだけなのだろうな、とも思う。
王国として儀礼的にそつがなく、帝国側の機嫌を損なわないように振る舞わなければならない場面ではあるし。
「さっそくの歓迎、心より感謝をします」
ガグルバイド伯爵も、若干芝居がかった口調でそう返す。
「しかし、早速要件に入らせていただきましょう。
まず今回の使節は、皇帝陛下の勅命を受けた正式な使節であるということを、明らかにしておきます」
ガグルバイド伯爵がそういうと、ハザマの目には国王とガイゼリウス卿の背筋が伸びたように見えた。
無理もないな、と、ハザマは思う。
この世界で一番の権力者の、その言葉を、要求を、そのまま伝言しようと明言したのであるから、王国側としては緊張するしかない。
「皇帝陛下におかれましては、このメレディラス王国の所有する、ごく一部の領土をご所望しております。
ただし、その領地を武力によって切り取ろうという意図はさらさらなく、相応の対価を支払うことによってこのメレディラス王国から譲渡されることを希望しております」
ガグルバイド伯爵は、王国側に対して一気に本題を切り出した。
「……それだけ、でございますか?」
少しの間を置いて、ガイゼリウス卿が確認をしてきた。
「その帝国が所望をする領地というのは、面積にしてメレディラス王国の中の何割ほどになりますか?」
「こちらで調べた限りでは、面積でいうのならば、一割のさらにその半分、いや、四分の一以下のはずです」
ガグルバイド伯爵は即答した。
「しかも、辺地であり、なおかつ農業生産性が極端に低い土地柄でもあり、仮にその領地が王国の領土ではなくなったとしても、王国の経営には大きな影を落とすことはないものと、帝国では予想をしております」
「つまり、ハザマ領を丸ごと買い取りたいと」
ガグルバイド伯爵の返答を聞いて、ガイゼリウス卿は合点がいったという風にしきりに頷いてみせる。
「それは、ハザマ男爵。
貴君が、帝国側に働きかけたのですか?」
「滅相もない」
ハザマは即答する。
「こちらがなにも求めないうちから、帝国側から提案された案件です」
ハザマとしては、ハザマ領の地主が王国であれ帝国であれ、あまり関係はないと思っている。
少し以前ならば、あえて帝国に鞍替えすることに利を見いだせなくて、提案されてもあまり魅力には感じなかったかも知れない。
しかし、昨今の状況を見ると、王国との関係は清算して、背後に帝国が居るということを内外に示しておいた方が、余計な妨害に合わずに普段の業務を全うできるのではないかと、そう考えていた。
皮肉なことに、王国周辺における洞窟衆を巡る情勢の悪化が、ハザマに「帝国の傘下に入るのも、十分にメリットがあるなあ」と判断させる理由となっていた。
とにかく、ガイゼリウス卿の推測は事実とはかけ離れていた。
第一、と、ハザマは思う。
どうすれば帝国のような組織を動かせるものか、そんな都合がいい方法を異邦人であるハザマが知っているわけがないのである。




