それぞれの準備
『なにをコソコソやっているのかと思えば』
タマルは、そう反応した。
『そういうことならば、もっと早くに相談してくれればよかったんですよ』
「反対はしないの?」
『反対するもなにも、ここで手を打たなければ状況が悪化するばかりなんでしょ?
費用のことなら大丈夫。
最近増やした支店の方の収益もそんなに悪くないですし、それに、森の東側も治安を回復すればそれなりにおいしい地域になるでしょうし、これも投資であると考えることにします』
「最近増やした支店は、もう黒字化しているんですか?」
『まさか。
支店を開設するために先行投資した分がたっぷり残っていますし、昨日の今日でそれを払い切れるほどの収益をあげられるほど商売は甘いものではないですよ。
ですが基本的にはどこも上向きで、これは、うん、支店に配属された人たちがこれを機会と捉えて頑張ってくださるからだと思います。
今の時点で黒字化はしていないですが、先の見通しはかなり明るいといっていいでしょう』
各国に点在している洞窟衆の支店。
そこを生活のための起点として生活を成り立たせている人々が居る。
それも、大勢。
洞窟衆という組織が瓦解すれば、その大勢の人たちの生活も崩壊するのだ。
リンザは、改めてそんなことを思った。
洞窟衆は従来の国家の枠組みでは捕らえられない組織ではあるのだが、その内部で働いている人間たちの今後の人生に大きな影響を与えることは変わらない。
その不沈により、大勢の人間の生活と、それに場合によっては生死さえも、影響を与える可能性があった。
その責任の重さについてリンザは改めて認識をし、そして一層、気が重くなった。
「うん、いいよ」
急遽呼び出されたトエスは、二つ返事で使者となることを快諾した。
「そんな、気軽に」
頼んだ側であるリンザの方がかえって引き止めたくなるような、あっけらかんとした口調であった。
「ちゃんとことの重大さを、理解している?」
「してる、してる」
トエスはやはり深刻さを微塵も感じさせない口調で頷く。
「要するに、森の東側の悪い人たちをとっちめて追い返そうってことだよね」
「そういう口実で向こうにいって、グラウデウス公爵様の同盟相手に接触して言質を取り、その上でできればこちら側の味方につける」
「それ、方法は問わないってこと?」
「そうね」
リンザはトエスの言葉に頷いた。
「こちらにも、方法を選んでいる余裕はないし、おそらくは向こうにもないと思う」
「どっちにも余裕がない、ってことか」
トエスはいった。
「場合によっては、荒っぽい手段に訴えることも辞さない、と」
「向こうは、周辺の諸国ごとかなり荒れた様子だというしね」
リンザが思案顔で、そういう。
「あなたにいってもらうのは、まずは詳細な情報を集めてからだね」
なにをするにしても、向こうの詳細を把握しないことにははじまらない、と、リンザは思う。
「いつでも出られるように準備しておくよ」
トエスはやはり軽い口調でそういった。
「そのかわり、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「アレルとエレルの双子も連れていきたい」
「あの子たちを?」
予想もしなかったこの発言には、リンザもかなり驚いた。
「まだほんの子どもじゃない!
なんでわざわざ、あんな危険な場所に!」
「年端もいかない子どもだけど、役に立つんだ」
トエスはことなげにそういった。
「あの子たちは、犬頭人たちを完全に服従させて動かすことができる。
大きな人数を動かせないこの状況だと、使わないともったいないよ、これ」
「犬頭人たちも連れていくの?」
「普段は別行動することになるかな。
向こうの人に不安をあたえないために」
トエスはやはり平静な声で続ける。
「山地の人と異族が攻め込んできて滅茶苦茶になっているってこってしょ?
そこへ犬頭人の集団率いていったら信用されないよね、どうみても。
特に最初の、こちらを信用してくれるまでは森の中にでも潜ませておくよ」
「まあ、トエスがそれでいいというんなら、いいけど」
リンザは煮え切らないいい方をする。
リンザにしても、手がかかる双子の世話を率先して引き受けてくるのは助かるのだが、真の目的の重要さを考えると両手をあげて賛成をする気にはならないのだった。
「向こうは通信網が届いていないから、なにをするのにも自分の判断で動かなければならないと思うのだけど」
湧きあがってくる不安を、リンザはそのような形で口にする。
「大丈夫、大丈夫」
トエスは気安い口調で請け負った。
「そのグラウデウス公爵様の同盟相手を確保して、ついでに森の向こう側を静かにしてくればいいんでしょ?
洞窟衆がこれまでやって来たことの延長だし、わたしにだってできるよ」
子連れでか、と、リンザは内心でツッコミを入れる。
とはいえ、そのトエスを推挙したのはリンザであり、他に極秘の内容を伝えた上でこの仕事を任せられるような人材がいないのも確かなのである。
不安は不安として置いておくことにして、リンザとしてはトエスに任せて送り出すしか選択肢がなかった。
『こちらの方も落ち着いて来ましたので、まとまった人数を森の向こうに移動させることは十分に可能ですが』
スデスラス王国の王城跡地に居たオットル・オラもそう即答した。
『そういうことでしたらわれわれが一足先に現地にむかって詳細な状況を検分し、十分な情報を集めておくべきでしょう』
騒乱が一段落した現在のスデスラス王国では、オットル・オラら洞窟衆の諜報機関はすでに役割を終えている形となる。
スデスラス王国内でその資質を見出し、勧誘して育成を開始した人材も少なからず存在し、そうした「若い」人材に活躍の場を与え、場数を踏むための機会を与えるために都合がいい、といった意味のことをオットル・オラは伝えてきた。
『こちらも、仕事は増えるばかりですから』
積極的に人数を増やしていかないと、処理しきれないのだという。
その辺の事情は、洞窟衆の他の部署と変わらないのだな、と思いながら、リンザは訊ねた。
「いつ頃から移動できますか?」
『早速、明朝からにでも』
オットル・オラはこれについても淀みなく即答をした。
『わたしはハザマ男爵の強制転移を阻止することができませんでした。
わたしにしてみれば、その失態を回復する機会がこんなに早くやって来たといったところですな』
「失態だなんて、そんな」
リンザはオットル・オラのそのいいように不安をおぼえる。
「男爵のあの事件は、そばに誰が居てもまず避けることはできなかったずです」
少なくとも、オットル・オラが自責の念を抱くような性質のものではなかったはずだ。
『オラ家の者は、男爵に大きな恩義を持っています』
オットル・オラは静かな声で告げた。
『その男爵の居所が杳として知れない今、洞窟衆のために尽力するのはむしろ当然のことです』
なんとも義理堅いことだ、と、リンザは思う。
このオットル・オラは、なにかと調子のいい人間が多い洞窟衆の中では、少々異質の人間なのかも知れない。
……間者の長、というオットル・オラの役職とは、完全に正反対の気質だとも思ったが。
「とにかく」
気を取り直して、リンザは確認した。
「そちらは、すぐに動いてくださるということでいいのですね?」
『そのつもりで準備をはじめます』
オットル・オラはそう請け合った。
『一口に森の東側といってもかなり広い地域になりますかね。
ある程度大人数を投入し、相応の期間を使わないと現地の状況もよく把握できないでしょう』
「その時間がないのです」
リンザがいった。
「その調査期間は、どこまで短縮できますか?」
『まず十日、いや、五日以内にはある程度のことは調べあげてみせます』
「五日ですか」
リンザは少し考える。
それくらいあれば、トエス一行の準備を整えて森の東側まで送り出すことができるだろうか。
「では、できるだけ急いでお願いします。
表面的なことを調べたあとも、引き続き調査を続けてください」
『わかっております』
オットル・オラたちはその仕事柄、多くの転移魔法使いを抱えている。
こちらとの連絡に不自由することはないはずであった。
心配になるのはむしろ正式な使節として森の東側に赴くトエスたちで、なにしろあちらは詳細な様子がわからないだけではなく、通信網さえ届いていない。
当然、何名か転移魔法使いもつけるつもりであったが、洞窟衆もそちらにばかり割り振るほど大勢の転移魔法使いを抱えているわけでもないので、自然とその人数も限られてしまう。
向こう側でのトエスたちは、連絡はもとより、機動力についても大きく制限されてしまはずであった。
なにもかも急なことであったから、本来であれば必要となる準備がまるでできていない状態であり、そうした状態でありながらもトエス個人の判断力に多くを委ねなければならない状態でもあるわけであり、リンザとしても心配の種は尽きない。
いっそのこと自分自身で向こう側にいってしまいたいという気持ちさえあったが、今のリンザはここで領主代行という仕事に従事しているわけであり、まさかその仕事を放り出すわけにもいかなかった。
痒いところに手が届かないもどかしさを感じながらも、リンザは、すべてをトエスに託すしかないのだった。
「と、いうことらしいのだけど」
「ふむ、そんなことがのう」
エルフのトスラタトテと王国魔法界の重鎮といわれた大魔法使いであるハメラダス師は、チェスの盤面を挟んで頷きあった。
「そもそも今の通信網の術式を組んだのはこのぼくだからね。
その通信網を通る情報はだいたい筒抜けにできるわけだし」
別に通信内容を無分別に盗聴する趣味もないのだが、この時期にオットル・オラとバジルニアが直接やり取りをするとなれば興味を抱かないわけにはいかない。
なんといっても、トスラタトテは洞窟衆で一番魔法に詳しく、姿を消したハザマを捜索する班で、魔法方面の解析を担当していたからだ。
問題は、ヒトよりもよほど長寿であるエルフは、空間を操作して移動時間を短縮するような必要も感じず、その手の魔法に関してまるで知識を持っていないということだったが。
つまり、ここでのトスラタトテは完全に役立たずであり、目下のところふらりと姿を現したハメラダス師に協力をあおいでいる形である。
専任の担当者であるトスラタトテが転移魔法の基本から学んでいるような状況であるから、ハザマの捜索が進捗する様子は微塵もなかった。
そんな時期に、この二人が本来であれば洞窟衆のごく一部の者しか知ることができない極秘事項を図らずも知ってしまった形となる。




