攻勢の開始
ニョルトト公爵は妙に理解があり、こちらの、すなわち洞窟衆側の意図を察した上でおおむねこちらの要求するところを大筋では是としてくれる。
最終的にはニョルトトとブラズニアの両公爵領を王国から脱退、独立させることを目的としていると最初に提示していたことも大きいのであろうが、リンザとしては交渉がすんなりといき過ぎてかえって拍子抜けするくらいであった。
そこで、交渉がひと段落したときに、思わず、
「公爵様は、なぜここまでわたしどもによくしてくださるのですか?」
と、訊ねてしまう。
「あなた方が自分の力でここまで来て、自分で考えたことを自分の言葉で説明しているからですよ」
ニョルトト公爵は柔和な笑みを浮かべてそう応じる。
「わたくしはハザマ男爵というの人がどんな人物であるのか、よく知りません。
しかし目の前に居るあなたの言動や立ち振る舞い、その説明する内容については、この目で見ればある程度は判断ができます。
うしろ盾となるものがほとんどない状態からここまでやって来たあなたは、あなたと同じ境遇の、洞窟衆の人たちは、もっと自分たちの業績を誇りに思ってもいいのですよ」
ニョルトト公爵との交渉はこうして円滑のうちに終わった訳であるが、そのあとリンザには王国中央に提出する議事録を作成するという仕事があった。
もちろん、ニョルトト公爵との交渉内容をそのまま書き記すことなどできず、肝心の部分は国中央が望むような内容を創作して書き起こす形になるわけだが、意外にこれが難しい。
基本的にはニョルトト公爵がリンザの提案をする王国への復帰案をなかなか認めようとはせず、再三に渡る説得の末、しぶしぶ王国からの脱退を断念する、っというシナリオが用意されているわけだが、これに説得力を持たせるのは至難の技といえた。
まだ第一回だし、ニョルトト公爵がこちらのいうことをまるで受けつけない、程度の内容でもいいか、とも思うのだが、あまり手を抜きすぎて王室の疑心を買うのも避けたいところであり、ほどほどに真実味のある内容に仕上げる必要があった。
そのような創作をした経験がリンザにあるわけもなく、リンザはその作業にかなり苦心することになる。
これが済んだら今度はブラズニア公爵家の当主となったアズラウスト・ブラズニア公爵の元へと訪ねていき、同じような交渉をおこなう予定であった。
このアズラウストという人物について、リンザはこれまでハザマに随伴する立場からその言動を覗き見るくらいの関係性しかなかったわけだが、リンザはある種の苦手意識を持っている。
苦手意識、というよりも、なにに重きをおいて行動する人物なのか、よく理解ができない部分があり、そのおかげで交渉も難航をすうるだろうな、と、今から心配になっていた。
もっと身近なハザマという男もリンザにとっては理解不能な部分が多いのだが、あちらはどちらかというと価値観の根本がリンザたちとは隔絶していて、結果として理解を阻んでいる感がある。
アズラウストの方は、そこまでリンザたちと隔絶した価値観を持っているわけではないのだが、その行動原理自体がどうにも不明に思えた。
最初から隔絶した存在と思えるハザマとは違って、一見近い場所に居るはずのアズラウストの方がより大きな隔たりを感じてしまい、そのアズラウストと直に交渉しなければならない立場であることは、リンザの気を重くしていた。
そのブラズニア公爵アズラウストはといえば、いまだにスデスラス王国に滞在して他国の首脳部となにやら会談を続けているらしい。
なにやら、というよりは、具体的にいえば今後の解放軍の扱いについて、なかなか意見がまとまらずに長引いている様子だった。
無理もないな、と、リンザは思う。
王国内の公爵家の進退問題にこれほど手こずっているのだから、数カ国の利害が錯綜するような問題についてはなかなか意見がまとまらないはず、なのである。
利害を同じくしない複数の集団がなんらかの合意を取ろうとすると、問題が重要であればあるほど揉めるのは必然であるともいえた。
リンザがそうして二公爵との交渉を進めている頃、洞窟衆の他の部門では本格的に王国へ進出するための準備をしていた。
表向きには、
「以前から予定されてはいたが、スデスラス王国の騒ぎで延期していた工程を実行する」
という形に見せかけられてはいたが、その実、急遽決定し、実行しているわけであり、必然的に各現場はそれなりの混乱が生じている。
王国内部の商取引は大部分、ドン・デラに本拠を構えるハザマ商会が担当していた。
洞窟衆がこのハザマ商会に対して特別に便宜を計っていたわけでもないのだが、洞窟衆としては他の地域との交易を開発、維持するだけでもそれなりに人手を取られている現状があり、それでは王国の内部くらいはコネと実績があるハザマ商会に任せておこうと、そういう役割分担がいつの間にか固定している。
このハザマ商会は、紙から通信タグまで、洞窟衆の細々とした産物のすべてを王国全域に流通させているわけであり、このハザマ商会が発足してからまだ間もないことを考慮すれば、会長であるゴグスという男の手腕も十分に評価に値するといえた。
「だけど、十分じゃない」
と、タマルは思う。
「必要なら資金なら貸し付けるから、もっと派手にいきましょう」
『と、いいますと』
ドン・デラに居るゴグスは通信を介して怪訝そうな声を伝えて来た。
『またなにかありましたか?』
「その辺は想像にお任せするしかない」
タマルとしては、そういうしかなかった。
「詳しいことを知ったらそっちの身が危うくなるかも知れないから、詳しいことは知らないままの方がいいよ」
『承知いたしました』
こうした機微に敏感なゴクスは、あえて深いところを訊き返さなかった。
『ですが、一口に派手にともうしましても、いろいろありますな。
具体的にどれほどの規模のテコ入れを考えているのでしょうか?』
「うーんと、ねえ」
トエスは少し思案してから、口を開いた。
「そちらの商会、その本店規模の支店を、最終的にはあと五十ほどは増やしたいかな。
もちろん一気に、とはいかないことはわかっているから、段階的にだけど」
遠く離れたドン・デラで、ゴグスが息を呑む気配がした。
『いや、ですが、それは』
しばらくして、ゴグスはようやく口を開く。
『採算が、合うのですか?』
「最終的には、合う。
そのはず」
タマルが答える。
「どうする?
そちらの商会が乗らないつもりなら、洞窟衆が勝手に動くけど」
『いえ、それも困ります』
慌てた口調でゴグスがいった。
『いいでしょう。
これまでの縁もありますからな。
当商会も、総力をあげて協力させていただきます』
「結構」
タマルはそういって頷いた。
「それでは手始めに、ニョルトト公爵領ならびにブラズニア公爵領内部の主だった都市部すべてに支店をおくように手配をして」
『主だった都市部に?
領都だけではなく、ですか?』
「ある程度賑やかな、人が多い場所には必ずなにかしらの支店があるようにして。
その支店の敷地も、できるだけ広めに確保して。
人の手配とかがつき次第、各種の工房や印刷所、それに私学の学舎とかを開く予定になっているから。
費用が足りないようだったら、いってもらえばできるだけ都合する」
『それはいいのですが』
ゴグスは戸惑った様子でそういった。
『今度はいったい、なにをするおつもりですか?』
「王国全土を洞窟衆の色に染めあげて、後戻りできないようにする」
タマルは早口に答えた。
「ブラズニアとニョルトトが終わったら、その次はグラウデウスとグラゴラウスに。
公爵様の領地ひとつにつき、一ヶ月程度で終えるようにしてよ」
『支店の設置を、ですか?』
「そう。
建物か、それが駄目でも最低限、土地を確保しておけばどうにかどうにか動き出せるから」
『ブラズニア公爵領はこれ以上に支店を増やす余地もない状態ですし、ニョルトト公爵領ももう少し支店を増やしてやればご期待に添えるでしょう。
念のため、いくつか都会の郊外部の土地か建物を確保しておきますが、これについてもそんなに時間をかけずに手配できるかと思います』
今度はゴグスの方が、早口にそんなことをいいはじめる。
『同時に、グラゴラウス公爵領内とグラウデウス公爵領内の
用地買収を進めておいて構いませんな?』
もともと、達成するべき目的さえ理解していれば、動きは早い男なのだ。
「早い分には問題ない」
タマルはいった。
「今回は、今の洞窟衆が総力を結集しておこなう事業だから、出遅れると儲け損なうよ」
『心に止めておきます』
「いつのもことながら、忙しないこと」
名簿のページを操り、ざっと目を通しながらルアがぼやいた。
「はい、この名簿の人たちは手配がつき次第、馬車に乗せちゃって」
「いいんですか?
まだ仕事も行先も決まっていないのに」
「のんびり馬車に乗っている間に、なにもかも決まっているはずよ。
とにかく、ある程度は基礎がてきていて配属先が決まっていない人たちは片っ端から馬車に乗せて送り出しちゃって」
ハザマ領の中で一番王国内部に突出している再開発地域からでさえ、たとえばドン・デラにまで馬車でたっぷりと数日はかかる。
出先の手配が整ってから送り出したのでは、なにもかもが遅すぎるのであった。
こうして人員を送り出すのと並行して、配属先になる場所の手配をし、状態を整えておくくらいでちょうどいい。
旅程の間にも日当を支払うことは約束していたので、そうして送り出された人員たちが多少こぼすことはあるにしても、大きな不満は出てこなかった。
一日あたり千人までは届かないにしても、数百という人数がこうした形でハザマ領地を発っている。
強行軍もいいところだな、と、ルアでさえそう思った。
武器を持たない、いや、知恵と技術、それに文化を武器とする王国への攻勢が、静かにはじまっていた。




