求婚の効果
グラウデウス公爵が数名の配下を従えて出張所前に転移し終えると同時に、周囲の空気が一斉に震える。
圧倒的な音圧。
しかし、決して不快な音ではなく、それどころか前と左右から聞こえてくる音は見事なまでに調和してあるメロディを奏でていた。
打楽器、管楽器、弦楽器。
ざっと見ただけで百人を超える編成の楽団が、聞きおぼえのある曲を奏でている。
屋内で、もっと少人数の編成でならば何度も聞いたおぼえがある曲であった。
が、野外で、かつこれほどの大編成で演奏されているのを聞いたことは、グラウデウス公爵もこれがはじめてだった。
少し前から王国の社交界で流行していた曲で、ホールでの伴奏としては聞き慣れていた旋律であるはずだったが、これほどの人数で演奏されているとそもそも音の厚みと迫力が違う。
これだけ大勢の楽人たちが、いったいどこから湧いてきたというのか。
そう、グラウデウス公爵は疑問に思う。
演奏はなかなか見事なもので、少なくともグラウデウス公爵が気づいた限りでは誰も致命的なミスをしていなかった。
その曲の最初の数小節を演奏し、区切りがよいところまで演奏をし終わったところでピタリと止む。
演奏に聞きいっていたグラウデウス公爵は不意に演奏が止んだことでわれを取り戻す。
「ハザマ領は公爵様を心より歓迎いたします」
礼装をまとったハザマ領の役人らしい若い男が、慇懃な口調でグラウデウス公爵に挨拶をした。
「領主であるハザマ男爵が自らこの場で公爵様を出迎えることはかないませんでしたが、なんなとりお申しつけください」
「これはなんだ?」
面白味のない、型通りの挨拶だな、とか思いながらグラウデウス公爵は疑問を口にした。
「この、大規模な楽人の集団は?」
「お気に召しませんでしたか?」
その役人は首を傾げる。
「公爵様に歓迎の意を現すために、わざわざ用意したのですが」
簡単にいってくれるな、と、グラウデウス公爵は思う。
なにしろグラウデウス公爵自身がここに来ることを決めたのは、昨日のことでしかない。
そのわずかな準備期間だけで、これだけの技量の持ち主を、これだけの人数を、一度に集められる。
これは、かなり異常なことといえた。
楽器の扱いに習熟することには相応の年月を必要とするものだし、それに、上等な楽器を良い状態に保つのにも、やはりかなりの経費を必要とする。
これだけに規模の楽人の集団を一夜にして集めることは、どの王国大貴族の権勢を持ってしても不可能なはずだった。
「気に入ったのか気に入らないのかでいえば、おおいに気に入った」
グラウデウス公爵は、そのこと自体は否定しなかった。
「疑問に思ったのは、どうやってこれだけ大人数の楽器演奏者を急遽集めることができたのかということだ」
「ああ、そのことですか」
ハザマ領の役人はあっさりとそういって頷く。
「彼らは、再開発地区で建築中の劇場で働く予定の者たちです。
ハザマ男爵が、ハコだけ立派なものを用意しても中身が貧弱だと格好がつかないだろうとそうおっしゃられまして、急遽素養のある者を集めて召し抱え、連日楽器の演奏のみに習熟させていたのです」
その返答を聞いて、グラウデウス公爵は目の前の風景が揺れるような錯覚をおぼえた。
この役人はことなげな口調でいっているが、たかだか楽曲を演奏するだけのためにこれだけの人数を普段から養っておくことなど、なかなかできることではない。
演奏者だけではなく、上等な楽器やそれを整備する者なども含めて、かなりの人数を抱え込まなければならないからだ。
その維持費を考えても、気が遠くなるような金額を必要とするだろう。
確かに一部の貴族の中には、自分の道楽のために盛大に散財をする者も存在するのだが、ハザマ男爵はこの楽人たちをわざわざ建築中の劇場のために確保しているという。
確かに、これほどの演奏であれば金を払ってでも聞きたいと思う者は居るだろうな、と、グラウデウス公爵は思った。
道楽ではなく、金銭を集めるための文化事業という発想は、グラウデウス公爵の中にはなかった。
いや、王国貴族の社会では、到底生じない発想であるといえた。
大抵の貴族は、グラウデウス公爵のような大貴族でさえも、それだけ莫大な出資を必要とする事業を軽はずみにはじめられるほど、資金面での余裕はなかったのだ。
これだけの楽人を養っているということは、領主であるハザマ男爵の思考の柔軟さと、それにハザマ領の豊かさを証明していることになる。
そしてハザマ領の者たちは、どうもそうした特殊性について、自覚に欠けているように思う。
これは。
と、グラウデウス公爵は思った。
予想した以上に、難航するのではないか。
グラウデウス公爵の目的は、ハザマ領の先進性を奪取し、自領をはじめとする王国のものにすることにある。
しかし、ハザマ領以外の王国の基準とハザマ領の基準との差がここまで大きいと、それもかなり難しいのではないか。
「失礼」
グラウデウス公爵の相手をしていた役人がそう断りをいれて別の者が差し出した紙片を受取り、軽く眉を顰めてからその紙片をグラウデウス公爵に差し出した。
「それは?」
「公爵様も、早めに知っておられた方がよろしいかと」
役人から手渡された紙片に目を走らせ、グラウデウス公爵は瞠目した。
「マヌダルク・ニョルトト公爵令嬢とメキャムリム・ブラズニア公爵令嬢とが、ハザマ男爵に対して正式に縁組を申し込んだ、だと」
グラウデウス公爵は、今度こそ、目前の風景が大きく歪んだように錯覚した。
「なにを考えているんですか、貴族様というのは!」
その報せを受けたとき、リンザはようやく人員交代に関わる業務をひと段落し、これから普段通りの業務に手をつけようとしているところであった。
マヌダルク姫とメキャムリム姫とが、ハザマに対して正式に婚姻の申し出をおこなった。
しかもその事実を近隣諸国に対して一斉に伝えたということには、それなりの重みがあった。
『それでどうすんの?』
双子と水妖使いの三人を連れて外に遊びに出ていたトエスが、通信で訊ねて来る。
「どうするもこうするも、男爵が不在の今、なんとも返答をしようがないでしょう!」
『だよねー。
つまりはこちらからはまともな返答ができないってわけだけど、男爵が留守にしているのは両公爵家だって知っているわけでさ。
だから今回の目的は縁談自体を進めることではなくて』
「わかっているって」
リンザは冷静な声を出した。
「ニョルトトとブラズニアの両公爵家が、ハザマ男爵と縁組をしたいと思っている。
内外に、そう示すことこそが、目的」
そもそも、貴族社会では婚姻や縁組も自分の家を興隆させるための道具なのである。
現在、王国からの分離独立を目指している両公爵家が直系の令嬢をこぞって嫁ぎ先に指定しているという事実は、リンザたちハザマ領側がどう反応しても外部の者から見れば余計な憶測を呼ぶ十分な根拠となり得た。
傍目には、ハザマ領もニョルトト公爵家やブラズニア公爵家と並んで王国からの脱退を望む仲間のように、否が応でも見られてしまうだろう。
もちろん、リンザたちにしてみれば、よりにもよってハザマ不在のこの微妙な時期に、わざわざ自分から王国対して喧嘩を売るなどという面倒なことをしたいなどとは、夢にも思っていないわけだが。
貴族様とは、やはり随分と狡猾なんだな。
リンザは、認識を改めた。
事実はどうあれ、これからニョルトト、ブラズニア両公爵家に対応する王国の勢力は、今後その背後にハザマ領の幻影を見ることになる。
王国からの脱退を思いとどめるように交渉をするにしても、それだけやりにくくなるはずであった。
ニョルトト、ブラズニア両公爵家にしてみれば、こうした報告を各所に触れ回るだけでかなりの利益を得ることができ、その逆に損害を受けることはほとんどない。
彼らにしてみれば、収支はプラスだけなのであった。
『それで、どうすんの?』
物思いに沈んでいたリンザに、トエスが訊ねた。
「どうしもしないよ」
リンザは、反射的に答えている。
「いや、両公爵家に対して、正式な回答は男爵が帰って来てから改めておこないます、程度のことは返しておくかな。
実際、わたしたちだけではなにも決められないし」
『そうじゃなくて、いや、そっちはそれでいいとは思うけど、王国中央に対して、さ』
「そっちも、なにもしない」
リンザは即答をした。
「だって、なにもしてないのにこっちか弁明するのも、かえって怪しまれるでしょ。
むこうから問い合わせがあったら、事前になんの示し合わせもしていません、あちら様が勝手にやったことです、って、そのまま事実を答えるけど」
『それしかないよね。
相手が信じてくれるかどうかは別だけど』
「正直、そこまでは責任持てない」
リンザは、拗ねたような声を出す。
「こっちは素直にあるがままを伝えているだけだし」
「ちょっと兄さん!
これはどういうことですか!」
ほぼ同時刻、スデスラス王国王都においてブラズニア公爵家が借りきっている宿屋でも軽い騒動が勃発していた。
「自分の縁談を自分が最後に知るって、どういうことですか!」
「ああ、おはよう、キャム」
アズラウスト公子は自分の妹であるメキャムリム姫にむかって軽い口調で挨拶をする。
「いい縁談でしょ。
そんじょそこらの貴族なんかよりはよほど将来性があるよ、彼は」
「今問題になっているのはハザマ男爵よりもわが公爵家の将来性だと思うのですが、それは!
これからいったいどうするつもりなんですか、あれだけ派手に王家に喧嘩なんて売っちゃって!」
「王国もしばらくは強行な手段を取ることはないよ」
メキャムリム姫の剣幕もものともせず、アズラウスト公子は平然と食事続けている。
「なにしろ、ここスデスラスの後始末さえまだ済んでいないんだ。
そしてこっちが落ち着くその頃には、わがブラズニア公爵家は独立公国として新生解放軍と相互保障条約を締結しているはずだし。
見かけほどには危ない橋を渡っているわけではないよ、今回は」




