ハザマの消失
「アラテラ公爵の引き渡しは求めないのですか?」
「確かにメレディラス王国の方がアラテラ公爵と呼ぶその男は、わたくしどもスデスラスの者からみれば住民の互選で選ばれておきながらその地位をほしいままにして領地を敵国に譲り渡した裏切り者になります。
その身柄を求めたいのはやまやまですが、今はその裏切り者も貴国において相応の地位を得ている様子。
であれば、無理にその処罰を求めて新たな諍いを起こすのも、今この場では得策ではないと判断します。
それに、わたくしどもスデスラスがみずから処罰をおこなわないにしても、貴国のわが国に対する攻略がこうして半端な結果に終わった今、そのアラテラ公爵とやらもその地位に安穏として就いてもいられない状態になっているのではないでしょうか?」
バグラニウス公子とアポリッテア姫の対談は続いていた。
「どういうことだ?」
バイラド・ゴロジオはかたわらに居るイジオドル卿に解説を乞う。
「アラテラ公爵は、先の戦いのおりスデスラス王国の領地の一部をそのままメレディラス王国に譲り渡すことで戦乱を回避し、現在の地位を得ています」
イジオドル卿はバイラド・ゴロジオに小声で教えた。
「これにより、スデスラス王国は南部の、面積は小さくとも海に面した部分をごっそりと失っているわけで。
こうした領地内には漁村や港町が含まれており、それをすっかり奪われてしまっているので、経済的な損失はかなりのものになるでしょう」
「そのことを追求しないといっているのか、あの小娘は?」
バイラド・ゴロジオは怪訝な顔つきになった。
「なぜだ?
漁村はともかく、港町を押さえていればいい金蔓になったであろうに。
それを奪われて、なおかつ泣き寝入りをするなどと弱気に過ぎるのではないか?」
「形の上ではともかく、スデスラス側が実際に弱気になっているのかどうか」
イジオドル卿は小声でいった。
「むしろ、その分も恩に着せてメレディラス王国にあてた賠償金に上乗せしているのではないでしょうか。
他の国々とは違い、現在のメレディラス王国は部族連合からの莫大な賠償金を受け取っている最中なわけです」
「取れそうもない国に過大な請求をするよりは、取れるところから確実に取ろうという魂胆か」
バイラド・ゴロジオは小さくうなり声をあげた。
「それに、両国ともこれ以上の戦乱を本心では望んでいない、という認識を持っていますからね」
イジオドル卿はそうつけ加えた。
「メレディラスもスデスラスも大国で、それぞれに傷を抱えてはいますがまだまだ余力を残してはいます。
ですが、これ以上にいくさを続けるとなると、ちょっと傷が深くなり過ぎて割に合わなくなる」
「どちらも本心ではここいらで手打ちにしたいと思っている、わけか」
「特にスデスラス側は、その思いが強いでしょう」
イジオドル卿は、そう結論した。
「いくら精強な兵隊を揃えていても、ただそれだけで荒れ果てた国土が蘇るわけでもありませんから」
スデスラス王国は、今は諍いよりも国土の復興を優先したいと思っているはずだ、という意味である。
「ふむ」
バイラド・ゴロジオは思案顔になった。
「スデスラスの連中がそこまで困窮しているのであれば、それこそ攻めどきではないのか?」
「ちょっと!」
イジオドル卿は危うく大声をあげるところだった。
「彼我の戦力比がどれほど開いていると思っているんですか!
それにうちはようやく内乱が収まったばかりで、国土も民心もスデスラスに負けず劣らず荒廃している最中ですよ!
そんなに立て続けにいくさを望まれても、領民の方がついて来ません!」
あれだけ解放軍にボコれれておいて、まるで懲りていないのだろうか、この人は。
イジオドル卿はそう思う。
「なに、冗談だ」
バイラド・ゴロジオはそういって、顔の前でゆっくりと手を振った。
「だが、そうか。
仮にスデスラスを降したとしても、まだまだ他にベズデアとかメレディラスとかいう連中が存在するのだったな」
「そうです」
イジオドル卿は大きく頷く。
「仮に一国を完全に併呑したところで、そのこと自体がさらなる強国に目をつけられる契機となり得ます。
きちんとした計画があるのならばともかく、軽々しい思いつきでいくさを起こされても決していい結果にはならないでしょう」
「ベズデア連合に、メレディラス王国、か」
バイラド・ゴロジオは忌々しそうな口調で呟いた。
「目障りな連中だな」
このうちベズデア連合の方はどうやら分裂する方向に動いているようであったが、いずれにせよ邪魔な存在であることに変わりはない。
「いいですか。
しばらくは捲土重来、この先なにをするにしても、荒れた国土を回復することに専念しましょう。
そうしなくては、なにをするにしても身動きが取れません」
イジオドル卿は念を押すように、バイラド・ゴロジオにそういい聞かせた。
なんだ、これは。
この会談においてビゲジア国王がそう思うのは、いったい何度目だっただろうか。
最近、関税収入がやけにあがっていて、それはスデスラスで騒乱の影響で各種物資の動きが活発化したからだと説明されていた。
そうして忙しく出入りしている商人の中に、洞窟衆とかいう連中の名がやけに目についていたことは事実であるが、その洞窟衆が他の国にまで輸送路を持ち、なおかつ解放軍を背後から支えていたことまではビゲジア国王は知らなかった。
いや、配下の官僚たちは気づいていたのかも知れない。
その上で、そうした洞窟衆の性質について、あまりにも自明のことであったので、かえって改めてビゲジア国王にまで教えようとしなかった、という可能性はあった。
いや、きっとそうなのだろう。
そうとでも考えなければ、これほど重大なことをあえて伏せていた配下の官僚たちの意図が説明できない。
聞けば、その洞窟衆とやらは山岳民どもとの交易によって潤っている連中だという。
その本拠地であるハザマ領も遥かに北方の山地に接した場所にあり、ビゲジア国王はそうした遠くの事柄に関しては、仮に以前に報告されたとしても、深く気に止めもせずに聞き流して忘れ去っていたはずだ。
なにしろそれほど遠くでの出来事など、ビゲジア王国に直接関わり合いを持ってくる可能性がほとんどない。
少なくともこれまでは、それでよかったはずであった。
しかし、奇跡の復興をなしとげつつあるスデスラス王国と解放軍を影で支えていたのは、その洞窟衆とやらであるらしい。
さらにいえば、スデスラスに匹敵するベズデア連合やらメレディラス王国やらも、その洞窟衆の動向をしきりに気にかけている様子ですらある。
なんなのだ、その洞窟衆というのは?
ビゲジア国王は先ほどから苛立ちまぎれに繰り返し、心の中でそう叫んでいた。
多少規模が大きいにしても、たかだか商人風情がそこまで多大な影響力をそれらの大国に及ぼせるものなのか。
それとも洞窟衆とは、単なる商人というだけの、単純な存在でもないのか。
これまで自国とその周辺にしか注意を払ってこなかったビゲジア国王は、深い焦燥に駆られている。
なんといっても、判断材料となる情報が圧倒的に少ない。
気づけば、スデスラス王国は完全に代替わりを完了しつつあり、ベズデア連合はこの先どういった形に落ち着くのかさえ定かではない、不明瞭な状態となっている。
自国とその周辺のみを注視していさえすればどうにか母国を治めることができた時代は、どうやら知らない間に終わっていたようだ。
ビゲジア国王にしても、そう認めないわけにはいかなかった。
まずは、この会議がひと段落したら。
ドラジア王国のベントリー王子に声をかけて、停戦の交渉を持ちかけることにするか。
ビゲジア王国は、そう決意をする。
どうやら、近場の国同士で小競り合いをしている間に、もっと広い場所でなにやら大きな動きが起こっているらしかった。
具体的になにが起きているのかを究明して、その動きに対応できるように国内の体制を変化させていかなければ、おそらくビゲジアの未来はない。
遅まきながら、そう気づいたのだった。
そうした諸王族や貴族たちのやり取りをぼんやりと眺めながら、ハザマはせっせとバジルに食事を与えていた。
自分でもそれなりに摘まんではいるのだが、出された食べ物の大半を箸でバジルに投げ与えている。
箸を使う様子が珍しいのか、それともバジル自体が珍しいのか、遠目から眺めていた聴衆たちが、ハザマが投げた食べ物をバジルが器用に口で受け止めてそのまま嚥下するたびに小さなどよめきがあがった。
この会議でのおれの役割は、ここで睨みを効かせてアポリッテア姫の援護をすることだもんな、と、ハザマは思っていた。
この会議の主役は、あくまでアポリッテア姫であり、スデスラス王国のなのだ。
その会議の方は、序盤でこそハザマやら洞窟衆やらに話題が集まっていたが、今ではすっかりアポリッテア姫のペースになっている。
アポリッテア姫はおそらく、事前にいく通りもの反応を予測した上でそれに淀みなく対応するための練習を繰り返してきたのであろう。
なかなか堂に入った応答をしていた。
事前に会議出席者たちの反応をいく通りも予測をした上で、それにどう対応するのかも繰り返し練習していたのだろう。
なにしろこの会議は、スデスラス王国の未来を左右する重要なものであると認識されていた。
アポリッテア姫の方も必死である。
ま、スデスラス王国が洞窟衆の助けを必要しなくなっていくのは、それはそれで健全ではあるよな。
と、ハザマは思う。
これからも洞窟衆とスデスラス王国との関係や交渉が完全に途絶えることは、少なくともしばらくはないのであろうが、その関係や交渉は次第に小さくなり、徐々に依存的なものから脱していくはずであった。
まあ、そこまでいくのに、何年かかかるのかも知れないが。
少なくとも洞窟衆の側は、スデスラス王国に限らずどこかの国を裏から支配しようなどとは思わない。
他ならぬハザマ自身が、
「そんな面倒臭いこと、誰がやってやるか!」
と、そう思っているかだった。
「もし、ハザマ男爵様」
そんなことを考えていると、不意に背後から声をかけられた。
なんだ、こんなときに。
「なんだ?」
不審に思いながらも、ハザマは振り返る。
給仕の服を身につけ、柔和な微笑みを浮かべたステラシュス・ラデンダルと、目があった。
ハザマの方に、腕を伸ばしている。
テーブルの上に乗っていたバジルが素早くハザマの方に登る。
あっ。
と、そう思った瞬間、ハザマの周囲の風景が一変していた。




