末期の親征軍政権
アポリッテア姫暗殺未遂事件は解放軍に大きな衝撃を与えた。
この時点でアポリッテア姫が死亡したら、それ以降、解放軍は誰のために動けばいいのか判断に迷うことになる。
解放軍の目的はスデスラスの領地を回復することであり、ここに来て「スデスラスの主権者」が不在となれば、混乱は必至である。
スデスラス国内で内紛や抗争がはじまることは避けられないであろうし、そうなれば最悪、過去に今回の騒乱の原因を作った前国王が再び実権を握るような結果にさえなり兼ねない。
そして、よそ者である解放軍は、スデスラスの民が選択したことに対して異を唱えることができないのであった。
ヘルロイ・スデスラスが指摘をしたように、
「アポリッテア姫がみずからの身辺警護に関して、これまで無頓着に過ぎた」
のである。
解放軍はこの事態に即応し、アボレテ沼地の周辺で斥候兵の訓練に勤しんでいたイリーナと訓練中の何名かの女性たちをアポリッテア姫の護衛として即座にマルマイトの離宮へと派遣している。
情報収集要員の育成も急務であったが、アポリッテア姫の身辺を警護することはそれ以上に優先順位が高かった。
この女性たちが到着する前に、ヘルロイはアポリッテア姫の許可を得て心得のある魔法使いを集め、離宮全体を覆う魔法効果消去結界を構築する仕事をはじめている。
実際には、そうした知識を持つ魔法使いを探し、集める仕事は洞窟衆に頼るしかなかったわけだが、洞窟衆にしてみればそうした人探しはどちらかといえば得意とするところであった。
依頼をしてから半日にもせずに数名の魔法使いがマルマイトの離宮に集まり、すぐに仕事に取り掛かることになった。
この結界が完成すれば、少なくともその内部では認識阻害の魔法なども発動はせず、今回のように気づかれないままに曲者がアポリッテア姫の近くにまで潜入してくる、という事態は避けられるはずである。
そうした手配と並行して、ヘルロイはスデスラスの者の中から腕の立つ者を選りすぐり、自分の手で稽古をつけて護衛としてどうにか役に立つくらいにまで仕立てあげる仕事についても、アポリッテア姫の許可を得て開始していた。
こちらの方はすぐに成果が出るわけではないのだが、いずれにしても今後のことを考えると、いつまでも洞窟衆に依存をしているわけにもいかず、できるだけ早い時期にスデスラスの民ののみですべての仕事を回せるような体制にしていかなくてはならない。
現在の状況は他に選択肢がなく、仕方がないのでなにかというと洞窟衆に頼っているわけであるが、いつまでもそうした緊急避難に甘えていては、今後の国事に支障が出かねないのであった。
こうした人材難、有能で、かつ、信頼のおける人材に事欠くことも、現在のアポリッテア姫体制の大きな泣きどころとなっている。
この問題については、いきなり解決をするということは考えられず、結局は地道に信頼に値する者を集め、育てていくしかないのだろうな、と、アポリッテア姫は諦観交じりに思っていた。
この国難の中にスデスラスの実権を握るということは、いい方を変えればマイナスからの再出発であるともいえる。
金子もない、人もいない。
ないない尽くしのこの状況の中から、アポリッテア姫はスデスラスの再興を試みている最中であった。
アルマイトの離宮にやってきたイリーナという女性は、アポリッテア姫が想像をしていたよりも若かった。
洞窟衆の中でも歴戦の戦士であると事前に聞かされていたので、もっと男と見間違うような、ゴツい女性を想像していたのだが、外見的にはどこにでもいそうな若い女性でしかない。
「これからしばらく、われわれが交代で姫様をお守りします」
挨拶に来たイリーナはそういった。
「見苦しい点もあるでしょうが、そこはご容赦のほどを」
あのような暗殺未遂があったのであるから、今後は四六時中、このイリーナに率いられた者たちがアポリッテア姫の周囲を固めることになる。
目につく場所に常に他人が居る状態になるわけだが、これについては我慢をしてもらうしかない。
「それはいいのですが」
アポリッテア姫様はため息混じりにそういった。
「イリーナとやら。
あなたは、あのハザマ男爵と古くからの馴染みであると聞いていますが」
「確かに洞窟衆の中ではかなりの古参ではありますが」
イリーナは複雑な表情をしていった。
「親しいといえるほどの間柄でもありません。
仕事の関係で離れていることが多いですし、それに、あの人はどこか浮世離れしていて、なかなか本心を他人にうかがわせない人でもありますから」
「そう」
アポリッテア姫は深く考えずに頷いた。
そうか。
あのハザマ男爵は、洞窟衆の身内からもそのように見られているのか。
「それはともかく、今後しばらく、この身の安全はあなたたちにお任せします。
わたくしは別の仕事で多忙になるはずなので、あまりそちらには気を回せなくなるかと思いますが、よしなにお願いをします」
マルマイトでそのような事態が進行している間にも、解放軍による対親征軍戦は続いている。
親征軍の占拠地域は今では従来の四分の一程度にまで減じていた。
解放軍によって、西へ西へと押されていった形である。
そして、親征軍占拠地域の西側には、ベズデア連合軍が陣を張っており、親征軍を継続的に攻撃していた。
親征軍は解放軍とベズデア連合軍に挟まれ、先の見えない消耗を繰り返すのみの状態となっている。
そんな中、親征軍から解放軍へと投降をする将兵が日を追うごとに増えはじめていた。
攻撃を開始した当初こそ、精霊使いエセルの広域電撃魔法によって部隊ごとなす術もなく捕縛されるときくらいしか、部隊丸ごとの寝がえりをする事例はなかったのだが、最近になって自発的に部隊全体が解放軍に連絡をしてきて、そのまま投降をするパターンが増えてきている。
「われわれは騙されていた」
そうして投降をしてきた将兵は口を揃えてそんな意味のことをいった。
「国王よりもアポリッテア姫の方が、よほどまともな治世をおこなっているそうではないか」
解放軍も親征軍の占拠地域内でチラシなどを配布ふしてアポリッテア体制の正当性を訴えたりしてきたのだが、そうしたチラシは見つけ次第回収され、思ったよりも人目についていなかったらしい。
いや、それ以上に、親征軍の占拠地域内では、前国王にとって都合のよい風に、物事すべてが歪められて領民に伝えられていたと、そうみるべきか。
独裁政権下では、往々にして見られる現象であった。
たとえば、解放軍とアポリッテア姫に対しても、親征軍の占拠地域では、
「解放軍という外来勢力が、アポリッテア姫を傀儡として使っている。
あれは、純粋なスデスラス王家による政権ではない」
という風に扱われていた。
解放軍が外来勢力であることは確かであり、それに外からみればどちらが実権を握っているのか、にわかには判別できない。
それに、解放軍のような外来勢力が、なんの野心も下心もなくどこかの国のために働くこと、といった前例も、これまでにほとんどなかった。
そのため、こんな理屈も微妙に真実味を持って伝わるのでる。
しかし現在の状況を見てみれば、どうにも勢いがあるのは解放軍とアポリッテア政権の方であり、なおかつ、先に解放軍に投降をした人々も、迫害をされるどころかいい扱いしか受けていないという噂が親征軍の占拠地内部にも次第に伝わってくる。
次第に、親征軍の占拠地域内部でも、親征軍の方針に疑問を抱く者が増えていた。
こうした独裁政権下において、物事がそれなりに順調にいっているうちは問題がないのであるが、一度なにか齟齬が生じ、おかしくなりはじめると、現状に不満を持った領民たちが疑問を抱きはじめ、最終的にはなんらかの形で破綻をする。
これも、事例としてはよくあるパターンであった。
前国王を旗印とする親征軍も、その根幹となる軍人がまとめて逃亡を開始するほどの末期に至っている。
親征軍体制が崩壊をするのも、もはや時間の問題である。
解放軍の首脳部は、そうみなしていた。
「にしても、しぶとい」
パベラムという街を包囲している部隊を指揮していたネレンティアス皇女は、いらただしげにそう呟いた。
「やつら、今度は領民を盾にしている、だと?」
「は」
物見の兵士が答える。
「やつら、百名をこえる領民を縄で縛り、ひとまとめにしてわが軍との間にもおいています。
これ以上に攻撃を続ければ、これらの領民を順次殺害していくと、そう申しています」
「末期だな」
ネレンティアス皇女は小さく呟いた。
「領民を守るべき兵士が、その逆に領民を害そうとするなど。
本末転倒もいいところだろうが」
「同感です。
ですが、どうしましょうか?」
「どうする、とは?」
「やつらへ、どのように対象するべきでしょうか?」
「しばらくは、やつらに従っているふりをしておけ」
ネレンティアス皇女はいった。
「手も足も出ない。
そういう芝居をしながらしばらく時間を稼ぎ、日が落ちたら急襲して領民を救出する。
相手に気どられる前に接近できるような兵士を選抜して、集めておけ」
手出しをしないまま、しかし包囲網も解かずに兵糧攻めにする手もあったが、これはこれで時間がかかる。
こんな馬鹿馬鹿しい悪あがきに、長くつき合わなければならない理由もなかった。
「人員が集まったら、まず領民たちを縛っている縄を解けと、そう伝えておけ」
そのような扱いを受けた領民たちが解き放たれれば、どのように動くのか。
場合によっては、解放軍が手を下すまでもなく、親征軍の兵士たちは領民たちに私刑を受ける形で始末をされるかも知れない。
いずれにせよ、親征軍政権はもはや終わりが見えていた。




