ビゲジア王国への使節団
ケイシスタル姫ら司令部の人間が今後の方針を協議している間にも、 前線の人々は動き続けている。
なにしろ、多少は距離を置いておるとはいえ、すぐそこに自軍の数倍する敵軍が居座っている状態なのだ。
敵軍が再び動き出さないうちに打てる手を全て打とうとするのは、必然的ななりゆきでもあった。
空堀や塹壕を掘ったり、その逆に土塁を築いたり、カタパルトや物見塔を増築したりといった防御陣地の構築はもちろんのこと、日が落ちてからは断続的に騎兵部隊による敵野営地への奇襲攻撃が敢行された。
これはせいぜい百騎以下の集団が敵陣地に接近し、遠距離から一度だけ攻撃をしてそのまま戻ってくるという、見方によっては単調な襲撃で、しかし、この単調な攻撃は時間と場所を変えて何度も繰り返されることによって敵軍兵士の人数を気力を着実に奪って行くことになった。
そもそも、日が落ちて光源が乏しくなった場所での騎兵による作戦行動は、なにもせずとも馬を走らせるだけでかなりの危険を伴う。
馬という巨大な動物は、一回コケて足を骨折でもしたら、そこで立ち往生するしかない繊細な生物でもあるからだった。
今回のような騎兵による夜襲が可能であったのは、解放軍側があらかじめ周囲の地形を詳細に把握し、通信によりその情報を実働部隊に提供して実効的なナビゲートが可能であったことによる。
このような奇襲は火矢や油壺などによる焼き討ちか、それともニライア姫謹製の毒壺を遠くから敵陣地内部に投げ込むという形で行われた。
解放軍にしてみれば、警戒をしているであろう敵兵を直接叩く必要は別になく、食料や馬用の飼料などを留め置いているらしい場所や厩などがまず第一の標的となった。
敵兵が野営している場所を狙うときも、火攻めと毒壺を併用して被害が拡大することを期待した。
何度か襲撃を繰り返していれば、その中には敵軍の返り討ちに遭うこともあったが、そうした味方の被害を織り込んでもなお、敵軍に対して与えることができた被害はかなり甚大なものとなった。
特に毒壺の効果は著しく、なぜか意識を失った膨大な敵兵がそのままなす術もなく火に巻かれて焼死した。
一度の攻撃により数百から千を超える被害を与え、その上、ドラジア王国軍側はしばらくそこまで被害が大きくなった原因をしばらく特定できず、有効な対策を取ることができなかった。
もちろん、同じような奇襲や夜襲は、ドラジア王国軍側も企図し、実行に移している。
しかし、こちらの成果はあまり芳しいものにはならなかった。
「なんだこれは」
奇襲を意図して解放軍の陣地に接近した部隊の者たちは、その途上で例外なく呆れて足を止めることになる。
「まるで、昼間のようではないか」
煌々と広い範囲を照らし出す照明魔法の元で、数百、数千という単位の人間が忙しなく防御陣地構築の作業に当たっている。
そうした人足たちの動きには疲れが見えず、まるで今がいくさの最中であることを忘れたかのように誰もが活発に動いていた。
いや、それよりもなによりも。
「こうまで明るいと」
「夜襲の意味がないな」
「せめて、あの物見櫓だけでも壊すことはできんか?」
「攻撃魔法が届く場所まで出る前に、集中砲火を浴びるのがオチだ」
敵軍に見つかる前に攻撃を加える必要がある奇襲の常として、こうした部隊は少人数で行動をしている。
人数が多くなればなるほど、物音などをたてて敵に見つかる可能性も高くなるからだった。
「しかし、こうも明るく照らされているようでは」
そもそも、「夜陰の乗じて」という夜襲の前提条件が覆されていることになる。
「これ以上に近寄れば」
「ああ。
間違いなく、見つかるな」
こうして、この夜、夜襲を企図して解放軍の陣地に近づいたドラジア王国軍兵士たちは、その大半がなにもせずに途中で引き返すことになる。
彼ら傭兵たちのほとんどは、場数を踏んでいるだけあって状況判断は的確であった。
なにがしかの効果が期待できるのならばともかく、無駄死にや犬死はしたくはないと思うのは、誰にでも例外はなかったのだ。
前線において兵士たちが、あるいは人足たちがそれぞれの仕事をこなしている間にも、アズラウスト・ブラズニア公子の提案した内容は解放軍の内部に速やかに浸透していった。
こうした情報の伝達速度が速いのも、解放軍の特徴なのである。
「しばらく、せいぜい数日くらいは保たせることができたとしても、長期戦となると流石にキツいからな」
ネレンティアス皇女は、現実的な判断としてそう意見を述べる。
今は兵士たちの気が張りつめているからなんとかなっているが、その状態も、そうそういつまでもは続かないであろうと、ネレンティアス皇女は読んでいた。
「兵站線を叩くか、それとも敵の頭を叩くか。
確実に敵軍の息の根を止めるのには、そのどちらかしかないわな」
とは、ヴァンクレスの意見であった。
この男は、複雑な戦略や戦術の理論を諳んじているわけではないのだが、これまでの経験からそうした勘所を心得ている節がある。
「うちの国が、今のドラジア王国を狙っている可能性ですか?」
そういったのは、ドメスト・ビゲジア王子である。
「現在のドラジア王国内がどれほど手薄になっているかにもよりますが、ビゲジア王国がドラジア王国への侵攻を考えている可能性は十分にあると思います。
すぐそこに容易に攻め込むことができる国があれば、攻め込まずにはいられない。
ビゲジア王国に限らず、王族という者はそうした人種なのではないでしょうか?」
なにもビゲジア王国だけが例外的なのではなく、これがこの時代、この周辺諸国でのごく普通の発想なのである。
そもそも、そうでなくては現在のスデスラス国内の混乱も発生していないわけだが。
「ビゲジア王国は、まだまだ大勢の精鋭兵を国内に温存しているはずです」
ドメスト王子は、こうつけ加えもした。
「スデスラスへ派遣されていたのは、どちらかというと練度の低い、経験の浅い兵ばかりなので」
「というわけで、こっちにビゲジアとの交渉をしてくれって依頼が解放軍からあったんだけど」
その内容が伝わってきた直後、アポリッテア・スデスラス姫は例によってハザマに対して相談の通信を入れた。
「さて、どうしたもんかなあ」
『好きにすりゃいいでしょ、そんなもん』
ハザマの返答は冷淡なものであった。
『ただ、解放軍の司令部が助けを求めてきたということは、それだけ事態が逼迫をしているということだとは思いますけどね』
仮にここでアポリッテア姫がビゲジア王国との交渉を断るとすれば、解放軍の損害は今後どこまで増えるのか予想がつかない。
それだけではなく、スデスラス国内がドラジア王国軍によっていいように蹂躙をされる未来も、十分に予想ができるのである。
「そうなんだけどね」
アポリッテア姫はため息をついた。
「でも、その手の交渉ってやったことがないから、気が重いっていうか」
『だからといって、解放軍に任せるわけにもいかんでしょう』
ハザマは冷静に指摘をする。
『スデスラスは、あなたの国なんですから』
スデスラスの主権はあくまでスデスラス王家にあり、解放軍がその主権を侵すことはできない。
この前提は、絶対に覆すことができないのであった。
下手に解放軍のみの裁量で動いてしまえば、解放軍は簒奪者の汚名を着ることにもなりかねない。
当然、この場でビゲジア王国との交渉を担当するのは、アポリッテア姫を筆頭とするスデスラス王家ということになる。
「でも、ビゲジアって苦手なのよ。
これまで、こちらの呼びかけにまともに応じたことがないし」
ムノライ、ゴロジオ、ビゲジアなど、これまでアポリッテア姫は三つの王国に対して使者を送り、戦後補償の問題を協議しようと試みていた。
このうち、ムノライ王国とゴロジオ王国についてはそれなりに前向きな返書が返ってきたが、ビゲジア王国についてはその限りではない。
それどころか、ビゲジア王国軍はスデスラス国内に侵攻をした事実を認めようとはせず、少なからぬ兵をスデスラス国内に入れたのも、混乱期にあるスデスラスの秩序を保つための助力であると強弁していた。
その証拠に、王族であるドメスト王子を今に至るまでスデスラス国内にとどめおき、解放軍の方もドメスト王子をはじめとするビゲジア王国軍の兵士たちを快く迎え入れているではないか、と。
外交上、自国の利益を最大にするための詭弁でしかないことはアポリッテア姫も理解していたが、いずれにせよそうした態度を平然と取る国家に対してのアポリッテア姫の心象が、よくなるはずもない。
ちなみに、前向きな協議が開始されたはずのふたつの国家のうち、ゴロジオ王国では最近内乱が勃発をしたため、交渉自体が現在は途絶してしまっている。
『そこは考え方じゃないかな』
ハザマは指摘をした。
『これから、ビゲジア王国がドラジア王国に殴り込みをかければ、どちらも無傷で済むってことはない。
姫様がお嫌いなビゲジア王国を、こちらの手をあまり汚さずに痛めつけるいい機会だとでも思っておけばいい』
「なるほど」
アポリッテア姫は素直に頷く。
「そういう考え方もありね。
そうね。
こちらとしては、無責任に焚きつけるだけのことだし、ちょっとその線で押してみる」
ハザマとの通信を終えたあと、アポリッテア姫は親族のルスリスがなんともいえない視線を自分に据えていることに気づいた。
「なに?」
「姫様は、あのハザマ男爵という男を頼りすぎだと思います」
ルスリス・スデスラスは単刀直入にいった。
「得体が知れない男ですし、なによりあの男はスデスラスの人間ではないのですよ。
この微妙な時期に、そんな男がいうことをそこまで真に受けてもいいものでしょうか?」
「わたくしだって、あんな男を信頼とかはしていません」
アポリッテア姫はそう即答した。
「ただ、あの男の意見はなにかと参考になることは確かですし。
そう、それに、今となってはスデスラスはおろか、その他の国々もあの洞窟衆とかいう連中を無視して動くことができないのが現実なわけですから。
なにか判断をするにしても、その前に洞窟衆首領であるあの男の意見を確認しておいて、損になることはないでようし」
「なんだか、ご自身にいい聞かせているようにも聞こえますね」
ルスリスは、そう続ける。
「洞窟衆の影響を無視できないということは認めまます。
ですがその同じ洞窟衆がガンガジル動乱においてエデチエル伯爵率いる十万からなるスデスラス王国軍を降したことが、現在の国内の混乱の原因になっているのも事実です。
そうした元凶に対して、そこまで親しい様子を見せるのもおかしいのではないでしょうか?」
「別に、親しくしているつもりもないのですけどね」
アポリッテア姫はそういってため息をついた。
「こちらの都合で、利用をしているだけで。
ところでルスリス、先ほどのビゲジア王国との件について、あなたはどう思いますか?」
「やってみる価値はあると思います」
この件については、ルスリスは即答をする。
「仮に失敗したとしても、こちらはあまり失うものがありませんし」
「それでは、早速ビゲジアへの親書を用意しましょう。
あなたは、それを持って解放軍の選抜隊といっしょにビゲジアに渡ってください」
「わたしがですか!」
「他に誰が居るというのですか?
この大事な時期に、王女であるこのわたくしに国を出ろと?」
アポリッテア姫は冷静な態度でそう指摘をする。
スデスラスの王族はすでに何名かハザマ領内にあるヘムレニー教団の寺領を発っていたのだが、まだこの時点では旅の途上にあって、スデスラスまでには到着していない。
「ということで、上の許可も出そうだし、どうかね?」
そもそも発案者であるアズラウスト・ブラズニア公子はそういってにこやかにはなしかける。
「ひとつ、君も来てみないかね?
ヴァンクレスくん」
「おれがか?」
ヴァンクレスは目を丸くする。
「なんでまたおれなんかが、そのドラジアって国にまでいかなけりゃならないんだ?」
元盗賊の、無法者であったヴァンクレスと、王国公爵家の跡取りであるアズラウスト公子。
奇妙な、組み合わせであった。
お互い、遠目に見かけて顔と名前は知っていたものの、これまで親しく会話をしたことがない。
そもそも、普通に考えればあまり接点がない二人でもある。
「理由はいくつかあるよ。
今回の使者はそのままドラジア王国へと攻め入る先兵として参加する可能性が高いから、できるだけ少数精鋭であることが望ましい。
それから、ヴァンクレスくん。
君は、今さら指摘をするまでもないことながら、歴戦の勇士として名を馳せているから、ドラジア王国側にこちらの本気さを伝え、説得をするためのいい道具にもなる。
最後に、このぼくが君とは一度の肩を並べて戦ってみたいと思っていたんだ!」
「面白いいくさになるんだろうな?」
「面白いかどうかはともかく、他ではできない体験にはなるだろうね」
アズラウスト公子はうけあった。
「なにしろ、まわり中、敵だらけだ。
そんな中で、ごく短期間のうちにドラジア王国の中央、王城にまで攻め入って、ドラジア王をとらえなくてはならない。
難易度もかなり高いし、なにより、機動力が必要となる」
「おれの馬もそのビゲジアって国にまで運んでもらえるんだろうな?」
「もちろんだよ!
その辺のことは、うちの魔法兵が責任を持つから」




