愚者たちの饗宴
「なんてことを!」
カロ・トロが叫ぶ。
刃渡り一ヒロ以上はあろうかという短剣の刀身がほとんどドン・トロ老の胸の中に潜り込んでいるのを確認して、息を呑んだ。
カロ・トロは修羅場を何度かくぐった経験があるので、致命傷かそうでないかはある程度は判断がつく。
今の時点で出血が殆ど見られないのは体内に入った刃が傷口を塞いでいるからだが、たとえ目に見える出血がなかったとしても、重要な臓器が集中している体幹部にこれだけ深く異物が差し込まれたていたらまず助からない。
ましてや、ドン・トロ老は老齢であり、体力や回復力にも期待できない状態なのだ。
長男であるロロ・トロは、もののはずみとはいえ取り返しのつかないことをしてしまったことになる。
カロ・トロは父の肩を抱いて寝台まで誘導し、そこに体を横たえた。
「助からんか」
ドン・トロ老が、冷静に事実を確認する口調でいった。
カロ・トロの表情を読んだからでもあるし、自身の知識から結論した予測でもある。
「今、治癒魔法の使い手を呼んできます」
カロ・トロはいった。
「無駄なことはするな」
ドン・トロ老は薄く笑った。
「このザマではどうせ助からん。
なに、予定が少し早まっただけのことだ」
治癒魔法の効果は即効性のものではない。
特に、複雑な臓器を魔法のみで治そうとするには、熟練した治癒魔法の使い手が入念に準備をしてから行う必要がある。
つまり、カロ・トロもドン・トロ老も、両者ともにもうドン・トロ老が手遅れであることを知っていた。
「少し前に戦死したベレンティア公爵がいたな」
唐突に、ドン・トロ老はいった。
「知っているか?
あの死に様は、様々な憶測を呼んでいた。
確かに不審といえば不審、あの状況下で単騎で敵の中に突っ込むなど、歴戦の勇士であるベレンティア公爵らしからぬ行動であるといえる」
か細い、かすれた声で、ドン・トロ老はそんなことをいい出した。
「それは、今はなさなければならないことなのですか?」
カロ・トロはいった。
「いいから聞くがいい」
ドン・トロ老は続ける。
「今際のきわの戯れ言だ。
ベレンティア公も、一代で領地を倍増させた傑物だった。
しかし、あえて跡継ぎを作らなかったような節もある。
わしにはな、カロ。
ベレンティア公の気持ちがわかる気がするのだ。
なんで営々、長年苦労をして築いてきたものをそっくり自分以外の者にくれてやらねばならんのだ。
ましてや、遺産を受け取りそうな者は、揃ってその遺産の価値を理解する能力すらないと来ている。
ベレンティア公があえてああした死に様を選んだのはな、あとに残した者たちへの痛烈な罵倒だ。
呪詛だ。
おれが築いてきたものは、むざむざお前らにはくれてやらんぞ。
それをめぐってせいぜい争うがいい。
と、いうな」
ドン・トロ老はそこで盛大に咳き込み、大量に吐血した。
「これは、いよいよ駄目だな。
目の前が暗くなってきた。
いいか、カロにロロ。
それから、この場にはいないホロとルノにも伝えておけ。
トロ家はわしの一代で終わりとする。
放っておいても、ブラズニアが潰すだろうがな。
ふふ。
お前らはこれから、過去にとらわれずに自分の人生を切り開いていけ。
これ以降、わしにもドン・デラにも過去の栄華にも拘泥するな。
さもなくば、わしの。
わしの、呪詛が。
お前らの身を蝕む……」
そこまでいったとき、ドン・トロ老の体は大きく痙攣する。
そして、その動きが止まったときにはそのまま目を見開いて事切れていた。
カロ・トロの注意がドン・トロ老に集中していた間に、ロロ・トロは姿をくらませていた。
「それで、相手はどんな連中なのですか?」
アズラウスト・ブラズニア公子は現在の状況について説明を求めた。
「無法者の集団と聞いていますが」
「は!」
現場での指揮を担当していた魔法兵が姿勢を正して答える。
「無法者は無法者ではあるのですが、手強い無法者どもであります!」
「ほう」
アズラウスト公子はなぜか嬉しそうな表情になった。
「うちの手勢は、かなり厳しく鍛えてきたつもりですが。
それでも、彼らには対抗できませんか?」
「率直にいいますと」
「その理由は?」
「やつらの中に、加護持ちが何名か混ざっているようであります!」
「加護持ちが、何名も?」
アズラウスト公子の表情が厳しいものになる。
「珍しいですね。
しかも、何名もが同じ集団に属しているというのは。
普通、使える加護を持って生まれれば、どこかに仕官をして安泰な生活を送ろうとするものですが」
「それに加えて……」
「それに加えて?」
「やつら、妙に戦い慣れているのであります!
臨機応変融通無碍剽悍無比!
おそらく、ここの兵の練度をみると、われらよりも優っているのではないかと!」
「ほう」
アズラウスト公子は、表情を緩めた。
「流石は魔都ドン・デラ。
そのような意外な伏兵が出てくるとは」
耳にしたものを強制的に眠らせる奇妙な歌。
付与魔法により一時的に強化された魔法兵よりも素早く動ける女。
あっという間に、なんの変哲もない街路に出現した石造りの陣地。
その他にも、その無法者たちは倒した魔法兵から奪った通信タグでこちらのやり取りを傍受し、その情報に基づいて適切な対応をしていたという。
まさか無法者風情がそこまで芸の細かい真似をしてくるものとは想定せず、魔法兵側はかなり被害を大きくしてから敵が通信を傍受していることにようやく思い当たったということでだった。
「要するに、相手を見くびっていたということですね」
魔法兵側の対応について、アズラウスト公子は端的にそう評した。
「それで、瞬く間に勝手に盛りあがってできたとかいう陣地が、あれですか?」
アズラウスト公子は、人の背の高さよりもよほど高くまで積まれた石材に目線をやった。
その陣地は、ドン・デラの城壁の前に構築されている。
「高さだけではなく、厚みも相当なものらしく、こちらの攻撃ではビクともしない様子であります!」
敵がなにを考えてあのようなものを構築したのか、その意図は図りかねたが、確かにあんなものに立て篭もられたのではこちらも攻めあぐねるだろうな、と、アズラウスト公子はそう思った。
敵の無法者集団は、その陣地に拘泥することなく周囲に散ってこうしている今も周囲の魔法兵を個別に撃破しているそうだが。
そもそも。
と、アズラウスト公子は思う。
公子自身が手塩にかけたこともあり、ブラズニアの魔法兵は精強なのだ。
つい先ごろ、グラウデウス公爵家とグラゴラウス公爵家の魔法兵を難なく迅速に撃退したことからも、それは証明されている。
戦闘能力を比較すれば、王国随一、いや、周辺諸国の魔法兵の中ではかなり抜きん出ているのではないか。
そのブラズニア家の魔法兵をたやすく個別撃破できる敵というのが、かなり非常識なのであった。
というか、そんな腕があったら、普通は無法者の境遇に甘んじていることはない。
「砲撃魔法の準備を整えてください」
いろいろな意味で、かなり規格外の連中であるらしいなと、アズラウスト公子はそう結論し、この場でするのに的確な指示を口にした。
「まずはあの堅固な陣地を粉砕することから手をつけましょう。
早急に、周辺住人に避難勧告を通達してください」
通常、このような町中で強大な破壊力を持つ砲撃魔法を使用することはまずない。
破壊力はともかく、標準の精度についてはいまだ課題が大きく、数回の試射をしてから軌道を修正し、ようやく本来の目標に命中するような代物だったからだ。
それだけ周囲の被害も甚大になるわけで、ドン・デラの市街地のような人口が集中した場所で使用するような術式ではないのである。
どうしてこんなことに。
自分の荷物を持って急ぎドン・トロ老の部屋から出たロロ・トロはひどく動揺していた。
わずか、一日。
いや、ロロ・トロを取り巻く環境が大きく様相を変えてしまってから、まだ半日も立っていない。
今日の昼では、ロロ・トロもこのドン・デラの市長として、場合によってはドン・トロ老の地位を襲う可能性すらあり得る、将来を嘱望された存在であったはずだ。
少なくともロロ・トロ自身は、そのように認識していた。
それが今では、生命の危機に晒されて職場を放棄し、追手の追求から逃れ、果ては、結果として、じ、実の父親まで殺してしまった。
なんでこんなことに。
今となってはロロ・トロの全財産となった書類かばんを手にして足早に歩きながら、ロロ・トロは思考の堂々巡りをはじめる。
そうだ。
あの男、ハザマ男爵とやらがドン・デラにやって来てから、すべての歯車が狂いだしたのだ。
ロロ・トロが心中でそう結論したとき、大勢の背中によってその行く手を遮られる。
「貴様ら!」
ロロ・トロは威圧するような声を出した。
「そんなところでなにをやっている!」
「ああん?」
その場にたむろしていた連中の中でひときわ大きな体格の男がロロ・トロを振り返る。
「なんだ、おっさんは?」
顔中に細かい傷が入っていて、人相の悪いやけに人相が悪い男だった。
「わたしのことはどうでもいい!」
ロロ・トロは傲然といい放った。
「先に、ここでなにをやっているのかと訊ねているのだ!」
「見てわかんねえかな」
その巨漢は面倒くさそうにしながら、それでも答えた。
「いくさやってるんだよ。
いくさ。
忙しいんだからあんまり煩わせるなよ」
「いくさ?」
ロロ・トロの口から疑問が漏れた。
「誰と、誰の?」
「決まってんだろ」
巨漢が、短く答える。
「ブラズニア家の手勢と、それにおれたちヴァルクールの一味とのだ。
今のドン・デラには他にまともな戦力がねえんだから」
巨漢がいい放った内容を理解したとき、ロロ・トロはあやうく悲鳴をあげそうになった。
なんで勝手にブラズニア家と正面から戦端を開いているんだこいつらは!
なんでこんなことになっているんでしょうねえ。
誰にともなく、心の中でヴァルクールは愚痴をこぼしている。
「せいぜい、逃げきるまでの足止めをしてくれる程度でよかったのに」
口に出しては、そういってみた。
「その程度で済ませてくれるほど、かわいい相手か」
マイマスがヴァルクールの見通しの甘さを指摘した。
「なまじこいつらが手応えあるもんだから、やつら、かえってムキになって来ていやがる。
こいつらもこいつらで、血の気が多いやつらばかりだから歯止めが効かない」
「だからって、なにも公爵家の軍勢に喧嘩を売ることもないでしょうに」
ヴァルクールはそういって天を仰いだ。
「このところ、ケチな仕事ばかり続いていたからな。
こいつらもなにかと鬱憤が溜まっているのだろう」
マイマスは冷静に説明する。
「それよりも、この事態をどう収めるのかを考えるのがお前の仕事だろう」
「そりゃ、そうなんですがね」
ヴァルクールはげんなりとした表情で頷いた。
「こんな想定外の事態、すぐにどうにかする妙案なんて思いつきやしませんよ」
「おーい!
お頭さんよう!」
そのとき、ダバザがロロ・トロの首に腕を回してヴァルクールの前に拉致してきた。
「この偉そうなおっさんがなんか知らんが絡んでくるんだけどよ。
こいつ、なんか怪しくねえか?」
「怪しいのはお前らの方だろう!」
「……市長、こんなところでなにやっているんですかい?」
ヴァルクールはダバザに抱えられてきた市長をみて呆れた顔をしている。
「もう家族同士のいざこざはどうにかなったんで?」
ヴァルクールは、この時点ではロロ・トロが市長を解任されたことも先ほどの顛末も知らない。
「そうだ、貴様!
ヴァルクール!」
ダバザに首を抱えられたまま、ロロ・トロが叫んだ。
「貴様はその逃げ足を活用して逃し屋をしているそうだな!
そんな貴様にひとつ、依頼をしてやろう!
このわたしをデラ・デラから遠い場所まで逃がすのだ!」
「って、このおっさんはいってますけど、お頭」
ダバザはヴァルクールに確認します。
「受けるんですかい?
この依頼」
「うん」
ヴァルクールはあっさりと頷いた。
「おお!」
ロロ・トロが喜びに顔を輝かせる。
「この人の身柄はせいぜい有効に活用させていただきましょう」
しかし、ヴァルクールはそう続けた。
「これでも一応ここの市長をやっている人だし、人質としての価値はあるでしょう」
「貴様!」
ロロ・トロは目を見開いて叫んだ。
「裏切るのか!」
「裏切るもなにも、こっちは市長さんにはなんの義理もありませんが」
ヴァルクールはそう指摘をする。
「第一、わたしらは悪党ですぜ。
その悪党に、そんなことを期待されてもねえ」
「なに?
ロロ・トロ氏を人質に?」
アズラウスト公子は軽く眉根を寄せる。
「敵が、そういってきたというのですか?」
「はっ!」
報告をしてきた魔法兵が姿勢を正す。
「そのような書状を持たされて、一部の魔法兵が帰されてきました!」
「そのことから判明する事実がみっつあります」
アズラウスト公子はいった。
「敵集団は、敵対した魔法兵をむやみに殺そうとはしていない。
また、われわれとの間で、なんらかの取引が可能であると想定している。
そして最後に、彼らはここ数時間の状況の変化について随分と疎い。
前のふたつはともかく、最後のひとつは致命的ですな」
そう前置きしてから軽くため息をつき、アズラウスト公子は命じた。
「砲撃魔法を発射してください」
「ありゃ?」
ヴァルクールは間の抜けた声を出した。
「撃たれてやんの」
条件さえよければ、砲撃魔法の弾道は肉眼でも視認することができた。
白みはじめたドン・デラの上空に、白く緩やかな弧を描いて魔法による砲弾がいくつかこちらにむかって来るところだった。
周辺住民に対して避難勧告が出されていたので、ヴァルクールたちも魔法兵側が砲撃魔法の準備をしていることは把握していた。
ヴァルクールにとって想定外だったのは、市長であるはずのロロ・トロに対して、魔法兵側が人質としての価値をまるで認めなかったことだ。
「お頭」
一味の一人が声をかけてきた。
「曲げますかい?」
「そうしないと、死ぬだろう。
おれたち全員が」
渋い顔をしながらも、ヴァルクールはそう答える。
「こんなときにしか役に立たないんだから、さっさとなんとかしろ」
「はいはい」
ヴァルクールに声をかけてきた男はそういうと飛来してくる魔法の砲弾にむけて手をかざす。
すると、砲弾の軌道が不意に、不自然な方向に曲がった。
いきなり下方向に、あるいは、左右に。
ばらばらの方向に軌道を変えた砲弾はそのまま進み、ヴァルクールたちが居る陣地ではなく、周辺の街路や無関係の建物に着弾してその膨大な破壊力を無駄に撒き散らした。
いくら避難勧告が出ているとは、地元住民は溜まったもんじゃないな、とかヴァルクールは他人事のように思った。
「……砲撃魔法が、強制的に曲げられたと?」
「はっ!
間違いなく、そのように見受けられました」
砲撃魔法による標準を精密につけることは難しい。
だから、最初の数発の着弾地点を観測して、以後の標準を修正する必要があるわけだが、その観測している目の前で飛んで行く砲弾が自然法則を無視していきなり軌道を変えたという。
「そんな魔法、あったかな?」
アズラウスト公子は首をひねった。
「それよりも、周辺施設の被害が甚大であります!」
その魔法兵は意見を述べた。
「このまま砲撃を続けても、被害が広がるだけの結果になるのではないかと!」
「それもそうですね」
アズラウスト公子は殊勝な顔をして頷く。
いくら領主といっても、領民の財産や家屋を平然と破壊し続けるわけにもいかないのであった。
アズラウスト公子はいった。
「砲撃魔法を即刻中止してください」
敵勢力の中にそんな奇妙な能力の持ち主が居ると判明した以上、このまま砲撃魔法を続行するわけにもいくまい。
「それでは、敵への対処はどういたしますか?」
「どうやらあの方たちは、当初想定した以上に非常識な方々のようです」
アズラウスト公子はいった。
「非常識な方々の相手は非常識な人にしてもらいましょう」
そういってアズラウスト公子は洞窟衆のハザマ男爵を通信術式で呼び出した。




