それぞれの朝
その朝、大デリガリ子爵とのその孫にあたる、アレウス・デリガリとハイエツ・デリガリは食卓を囲んでいた。
大デリガリ子爵と旧知の仲であるザマンダ伯爵もその場に同席している。
「もう昨日の記事が出回っているのですか」
デリガリ子爵家の三男でハイエツは戦時時報にざっと目を通して感嘆の声をあげる。
「この時報というものは、ずいぶんと手回しがよいものですね」
「一度、印刷所という場所を見学したことがあるのだが」
ザマンダ伯爵が説明する。
「なかなか、壮観な眺めであったぞ。
活字というものを拾って箱の中に収め、それをすぐさま版下にして刷りはじめる。
時報のように部数が必要なものだと同じ文面の版下をいくつも作り、できあがった先から印刷をはじめていた。
何十人もの人間が版下にむき合って墨と紙を捌いて一斉に動き、何十部、何百部という印刷物が瞬く間に刷りあがって、それができた先から梱包して発送に回される」
「おお。
それはなかなか見応えがありそうですね」
年若いハイエツは、ザマンダ伯爵の言葉に素直に感心していた。
「機会があれば一度、領地に帰る前に実地に見学をしたいものです」
その機会とやらを作れるかどうかは、なかなか微妙なところであった。
なにしろこの微妙な時期である。
デリガリ子爵領においても周囲に工作や働きかけをしておきたい相手は内外にいくらでも居るわけであり、総領の息子にあたるこの兄弟たちも、当面は相応に多忙になるはずであった。
「ともあれ、今回は手柄であったな、ハイエツ」
デリガリ子爵家の次男であるアレウス・デリガリが、弟と労う。
「なんとか援軍を間に合わせてくれた。
あの時期に三万の援軍は、味方にしてみればかなり心強かったはずだ。
初陣であれならば、十分な大手柄といえよう」
「なに、運が良かっただけのことです」
ハイエツはいう。
「いくさに間に合うかどうかだけが心配でしたが、なんとか間に合うことができました。
それに、最終的には三万に膨れあがりましたが、そのうちの二万はこちらの旗印に反応して勝手に集まってきた連中でして……。
なにより、アレウス兄様が送ってくださった付与魔法の教本がかなり役に立ちました」
謙遜ではなく、ハイエツは本心から自分は運が良かっただけだと、そう思っていた。
三ヶ国各地に散っていたガンガジル王国の兵士たちを集めている途中で、自発的に合流してきた兵士たちが思いがけず多かったこと。
それに、そうした、大多数は自前の馬も持たず、身ひとつで駆けつけた兵士たちを運ぶために必要な付与魔法の教本が、アレウス経由で大量に送られてきたこと。
デリガリ領内に備蓄していた具足や武器などを、行軍の途中で受け渡しができたこと、なお。
通信網によって遠隔地同士の連絡が以前より緊密になったとはいえ、関係各所との連携がうまくいったからこその成功であり、その功績は決してハイエツだけに帰するものではない。
謙遜ではなく、ハイエツはかなり深いところでそう得心をしている。
「わたしも、ですが、今回のいくさはなにもかもが異例尽くしですね」
ハイエツは、その年齢に似つかわしくない、重々しい口調でいった。
「この規模の会戦がわずか一日で決着がつくなどということは、これまでの常識では考えられませんでした」
「そのわずか一日で出した死者の数も、異例だな」
アレウスも、ハイエツの言葉に頷く。
「正確な集計はまだ出ていないそうだが、やはり四十万はくだらないだろうということだ」
「まるで、この一日だけ時間が早送りされてしまったような気がするな」
大デリガリ子爵も、孫たちの言葉を認める。
「いや、実際、早送りされた部分はあるのだろうよ」
ザマンダ伯爵は指摘をする。
「大規模な通信術式の利用による指揮系統の合理化。
ならびに、新兵たちの教練も、驚くほど短期間で済ませてから合戦に望んでいる。
今回のいくさから新たに加わった兵士たちは、武術など満足に学ぶ暇がなかった。
ただ一心に、弓を引き、投石機を操作し、付与魔法を仲間にかける。
ごく単純な仕事を、何度も繰り返していただけだ。
兵士というよりは、単純作業を行う生きた部品だな。
目の前でなにが起こっているのか深く考える余裕すら与えられず、淡々と指示された仕事を行い、その結果として多くの敵兵を倒した。
しかしこれは、本当にいくさといえるのかね?」
「合理的なやり方ではあることは、認めざるを得ないのだがな」
大デリガリ子爵も、ため息混じりに感想を述べる。
このふたりの世代にとっては、いくさとは、自分の体を張って命のやりとりをするものなのである。
なんらかの作業をして、その結果として間接的に誰かが死んでいる、というあやふやなものがいくさであるといわれても、甚だしい違和感をおぼえてしまう。
「ですが、戦力差十倍からなる敵軍を最後まで引けを取らなかったことは事実です」
その場の雰囲気を取りなすように、アレウスは声を大きくした。
「最後の停戦工作の決め手こそ、メレディラス王国の方々に奪われてしまいましたが、この戦力差でここまで持ちこたえたこと自体はまさしくわれらの手柄。
十分に誇りに思ってもいいのではありませんか?」
われら。
ガダナクル連邦。
アジエス、ガルメラ、ブニュムルの三ヶ国に、多くの部族民たち。
それに、ガンガジル王国から離脱した北部の諸侯軍からなる混成部隊。
つまるところ、外部の協力はあったものの、今回のいくさの主戦力は、実際に戦ったのは、他ならぬ地元の民なのである。
「それは、そうだな」
大デリガリ子爵は、級友のザマンダ伯爵とそっと視線を交わしたあと、眩しそうな表情で目を細めながら孫たちを見た。
「いずれ、この先もこの世は大きく様相を変えていくだろう。
それをどう捉え、どのように対応するかはお前たち若い者が考えるべきことだ」
当面の危機を脱したとはいえ、ガダナクル連邦とデリガリ子爵領の未来は、この時点では不透明な部分が大きかった。
「わずか一日で決着がついたか」
戦時時報を手にした小デリガリ子爵が、やはり朝食の席で誰にともなく言葉を漏らしていた。
「それはいい。
いくさなんぞ、長引くよりは手っ取り早く終わらせるに越したことはないからな。
しかしおい、この被害はないだろう!
なんだってこんなに戦死者が出る前に、停戦交渉を行わなかったのか!」
その頃、小デリガリ子爵はその婦人とともに、まだザマンダ伯爵領に逗留していた。
メラモリから率いてきた大勢の避難民たちの今後の身の振り方について相談に乗っているうちに、滞在日数が延び続けた結果である。
旧知のザマンダ伯爵の厚遇に甘えた結果でもあった。
「スデスラス王国のエデチエル伯爵は、どうやら初志貫徹をモットーにしていたようですね」
ザマンダ伯爵は涼しい顔をして答えた。
「有能な方だとは思いますが、その性向において、いささか柔軟性に欠ける。
それに、有能であるがゆえに無能な者がしでかしそうなことをうまく想像できない」
「それで、スデスラス国王に退位を迫った上で自害、か」
小デリガリ子爵は大仰な動作で天井を仰いだ。
「どうせ自害をするのなら、ここまで被害が拡大する前にしてくれたらよかったものを!
なんだってこんなことで、未来がある若者たちが何十万と命を落とさなくてはならないのか!」
かなり勝手ないい草であったが、小デリガリ子爵にとっては紛れもなく本音であった。
「安易にいくさを起こす為政者など、まず自身が勝手に舌を噛んで死んでしまえばいい!」
「あなた。
朝食の席でそのような呪詛を吐くのは……」
小デリガリ子爵夫人が、控えめな態度で配偶者を窘める。
「おお、そうであったな!」
小デリガリ子爵は、同席していたザマンダ伯爵夫人に軽く謝罪をした。
「これは、失礼をした!」
「お気になさらず」
ザマンダ伯爵伯爵夫人は、柔らかい笑みを浮かべて小デリガリ子爵の謝罪を受け入れる。
「子爵様は、以前より大のいくさ嫌いで通っておりますので。
今回の件も、よほど口惜しかったのでしょうね」
「いくさのすべてが、とはいいませんが、たいていのいくさは為政者の自負心を満足させるためだけに起こされる。
そんなもののために多くの死傷者を出し、生き残った兵士たちもその後の人生に大きな陰を落とす。
これほどの無駄がありましょうか?」
小デリガリ子爵は、ザマンダ伯爵夫人にそう説明した。
「われら責任のある地位に居る者は、全力でいくさを阻止するように務める義務があるのです!」
「そうした自説を力説した結果、蟄居を命じられて国政から遠ざけられたのはどこのどなたかしら?」
小デリガリ子爵夫人は、辛辣に指摘をした。
「馬鹿正直に正面から反対するのではなく、のらりくらりと批判を交わしながら宰相の地位にしがみついていれば、あなただってまだいろいろとできたことがおありだったでしょうに」
「……むむ」
小デリガリ子爵は、渋い顔になって黙り込んだ。
「まあ、小デリガリ子爵も、名宰相といわれたお父上の器量までは引き継ぐことができなかったというわけですね」
ザマンダ伯爵が、小デリガリ子爵夫人の言葉に賛同する。
「結局、宰相の地位にあったのは八年、ですか。
二十年以上も宰相を務め、在位中に数々の難事を切り抜けた大デリガリ子爵と比較するのは、いささか酷でしたかな」
「うるさい!
おぬしだって、先代のザマンダ伯爵と比べるとまるっきり影が薄いではないか!」
「そりゃあ、わたしはしがない婿養子ですからね」
ザマンダ伯爵は動じることなく続けた。
「次代に爵位を伝える中継ぎでしかありませんし、こういういい方もなんですが、誰もわたしなんかに過大な期待をしていませんから、気は楽ですよ。
わたしに期待されているのは、国政を左右するような重要な判断をすることではなく、この領地を無事に子孫たちに伝えることでしかありません」
「その領地を、おぬしはこれからどうするつもりだ?」
小デリガリ子爵はザマンダ伯爵に問いただした。
「ザマンダ伯爵領は、ガンガジル王国につくのか、それともガダナクル連邦につくのか、まだ旗色を鮮明にしていなかっただろう?」
「さて、果たして、あらためて旗色を鮮明にする必要があったのでしょうか?」
ザマンダ伯爵は軽く首を傾げた。
「特に声明を発表していない以上、ザマンダ伯爵領は従来通りにガンガジル王国の臣下ですよ」
「それで、無事に済むと思うのか?」
「どうして無事に済まないということがありましょうか?」
小デリガリ子爵の追求にも、ザマンダ伯爵は態度を改めることがなかった。
「一連の動乱も、ぼちぼち終結にむかっています。
そうしたら今度は、変化のあとに、新しい秩序を規定する時期にはいります。
そしてこのデリガリ子爵領は、王都メラモリとガルメラ王国とのちょうど中間点に位置している。
交易を行うにせよ、交渉を行うにせよ、ガンガジル王国とガダナクル連邦の関係を考える上で、このザマンダ伯爵領は無視できない土地になるでしょう」
「つまり、ガンガジル王国内の領国として、ふたつの勢力の仲立ちを行うと?」
「ガンガジル王国は、今回の件で北部諸侯がかなり離反してしまいましたからね。
大きく力を削がれている状態です」
ザマンダ伯爵はそういって肩をすくめた。
「この領地も、これまではガンガジル王国の中でたいした価値を持たない領地として扱われてきたわけですが、これからは少し事情が違ってくるでしょう。
現在の状況下でより堅実な選択をしようとすると、どうしたって選択肢は限られてきます」
「朝食後、すぐにガダナクル連邦の会議に出席してもらう予定になっています」
「なんで?」
「なんで、って……。
男爵は、ハザマ領の領主であると同時に洞窟衆の首領でもあるんですよ?
その配下の人たちは、今回のいくさでもかなり大きな働きをしていますし、第一、エデチエル伯爵の首級を持ち帰ったのは男爵ご自身ではないですか。
それに、ガダナクル連邦の方々とも談合して合意を取っておかなければならない案件が山ほどあります。
具体的にいいますと、今後、連邦の軍事力を維持するために洞窟衆の戦法、特に通信術式を多用した戦術を教授してくれとの要請が入っています。
その他に、開拓事業や各種手工業、製紙や印刷業を連邦内で立ち上げるための正式な取り決めを行うための条件のすり合わせとか、それに、旧スデスラス王国軍兵士たちの受け入れと再教育事業についても相談をしたいとこかで……」
その朝、朝食の席で、ハザマはまだしばらくはこの土地に滞在する必要があるということを思い知らされていた。
責任のある地位にあるということは、たとえ本人の意識的にはお飾りに過ぎないとしても、なかなかに不自由な立場なのである。




