スデスラス王国の異変
スデスラス王国は、ガンガジルやガルメラと同じく「ガダナクル王国」という大昔に滅亡した大王国に端を発する国である。
つまり、ガンガジルやガルメラと同じく五百年からの歴史を刻んできたことになるわけだが、南側にミノラダやジュムバツなど大きな湾岸都市をいくつか擁し、加えて大きな河川を有している。
それに、それなりに肥沃な国土を持っていること、などの条件がそれらの両国とは異なっていた。
国土はたとえばメレディアス王国と比較するよりやや狭いくらいなのであるが、水利がよく人や物の出入りが盛んであり、周辺諸国と比較すると経済的にもかなり恵まれている。
人と物の出入りが盛んであるあることは、経済的には有利に働いたが、反面、際限なく流民がなだれ込んでくるということでもある。
増大し続ける流民は、治安や社会秩序を乱す原因にもなった。
それらを保持するために、スデスラス王国はよそでは見られない独特の制度を採用する必要とした。
まず、実績をあげさえすれば積極的に人材を登用するという気風を作りあげ、あまり血筋に頼らぬ独特の貴族制度を発達させた。
他国で貴族といえば、まず領地や血筋がものをいうわけであるが、スデスラス王国では必ずしもその限りではない。
なにがしかの功績を挙げれば積極的に爵位を授けられ、国事への参加を求められる。爵位もふるまわれる。逆に、一度爵位を与えられたとしても、次代の者がなにも功績をあげることがなかったら、あっさりと爵位を無効化されることもあった。
世襲の貴族という概念を否定するこうした制度は、スデスラス王国において王家の権力を強大にする結果となった。
スデスラス王国は代々一貫してそうして実力主義的な空気を醸成するのと同時に、日々増え続ける流民対策として、定期的に大規模な遠征を行っている。
直接スデスラス王国自体の問題を武力で解決するため、のときもあったし、それ以外に、傭兵のように遙か遠国まで大軍を派遣することもあった。
そうでもして無理にでも人減らしをしなければ、人間が増えすぎて国内の体制が維持できない、というのがスデスラス王国につきまとう問題なのである。
周辺諸国からみたスデスラス王国の心象は、まず、
「なにかというと戦争をやりたがる国」
というところであろう。
さて、そんなスデスラス王国の南端に、ミノラダとジュムバツという港町がある。
どちらも町、というよりは、湾岸部にあるかなり大きな商業都市であった。
日々、商船ひっきりなしに港につき、荷を捌いていく。
そうした荷には必然的に商いを伴っているので、港には大きな利権がある。
ミノラダとジュムバツの両都市は、有力商人たちがスデスラス王国から形ばかりの爵位を下賜されて、実質的には談合して自治を行っている形であった。
無論、どちらもそれななりの規模の都市であるから、スデスラス王国の武官も多数駐在している。
しかし、そうした武官も、演習ならばともかく、実戦を経験することはないだろうと高をくくっていた。
少なくとも、これらの都市に赴任している間には。
ミノラダとジュムバツの両都市が、周辺諸国でも有数の取引高を誇る商都市であったからである。
この両都市が戦火にまみれれば、その影響はスデスラス王国のみならず、周辺諸国にまで大きく影響するはずであった。
つまり、この両都市はその利権……というよりは金権によって保護されており、よほどのことがなければ実際に手を出そうとする輩は現れないはず、であった。
しかしその思いこみは、あっさり破られることになる。
最初の兆候は、ジュムバツにほど近いある漁村に突如出現した桟橋であった。
その漁村に面した海岸は、いわゆる遠浅であり、大きな船が直接接岸するのにはむいていない。
そのため、ジュムバツからさほど離れてはいないのにも関わらず、小さな漁船しか出入りしていないような場所であった。
その漁村に、ある朝、奇っ怪な桟橋のようなものが出現した。
ずらりと並んだ木の板を、なんとなにも仕掛けがない海水に見えるものが押しあげ、固定しているように見える。
その木の板は、何百ヒロも離れたところにあった船から海岸まで続いているようだ。
ぽつんと遙か遠くに見える船から、その奇妙な桟橋を通って、どかどかと足音も荒くおびただしい数の武装した騎兵が降りてくるのを、その漁村の住人は目撃することになった。
「邪魔をしてすまんな」
何事かと目を丸くする漁村の住人たちにむかって、そうして降りてきた騎兵のひとりが声をかけてきた。
「なに、半日もあればすべての兵員を降ろすことができる予定だ。
無論、その間、お主らの生業を邪魔した代償は支払うつもりだ」
「それはいいんだが」
漁村の男は、そう訊ねずにはいられなかった。
「あんた方は、いったいどこの軍隊かね?」
どこへ向かうのか、とは訊ねはしなかった。
この場所で、これだけの兵員を降ろしているのだ。
目的地は当然、ジュムバツであろう。
「わしらか?」
その男は、馬上で微笑んだ。
「メレディアス王国、沿海州はグフナラマス公爵家の軍勢よ!」
それと前後して、ミノラダ、ジュムバツの両都市におけるスデスラス王国軍の駐留所に対して、ほぼ同時に、魔法による大規模な艦砲射撃が行われた。
また夜も明けきっていない未明のことである。
遠距離をものともせず放たれる大規模な魔法攻撃は、通常ならば海上で船舶が船舶に対して行うものと想定されている。
そのため、滅多に命中することはないのであるが、しかしことのときは標的が固定された陸地のある地点への攻撃であった。
的を外しようもなく、多くのスデスラス王国軍の将兵が攻撃を受けたことに気づく間もなく沈黙した。
事実上、予告なしに行われたこれらの攻撃によって、両都市におけるスデスラス王国軍の組織的な抵抗は不可能となった。
その砲撃と前後して、どこからともかくおびただしい数の兵隊が両都市に殺到していった。
それらの兵隊たちはまだ業務を開始する前の人気がない役所や、それに衛兵の詰め所などを次々と占拠していく。
そして夜が明ける頃、ようやくミノラダとジュムバツの住人たちは、自分たちが奇襲攻撃を受けていたことに気づいた。
気づいた頃には、すでに手遅れな状態であった。
奇妙なことに、スデスラス王国によってミノラダとジュムバツの領主として指名されているはずの大商人たちは、こうした侵略者の存在に一切の抵抗をすることがなく、それどころか、かなり柔順な態度で受け入れているように見えた。
正午近くになり、ミノラダとジュムバツの領主たちは、相次いで以下のような声明を発表する。
「ミノラダとジュムバツの両都市は、スデスラス王国から分離、独立し、今後はメレディアス王国の九番目の公爵領となる」
と。
ここにいって、両都市の住人たちはようやく一連の事態について理解をすることになった。
「やつら、都市ごと身売りをしやがった!」
その声明と前後して、スデスラス王国を囲む国々が一斉にスデスラス王国への進軍を開始する。
大きな資金源であるミノラダとジュムバツさえ切り離されてしまえば、もはやスデスラス王国は長期的ないくさには耐えられまい。
そのように判断した国が多かったのだ。
加えて、現在のスデスラス王国は五十万という大軍を遠い国外の地にまで送ってしまっている。
国内の戦力は、それだけ手薄になっているはずであった。
「……本国が急襲を受けましたか」
エデチエル伯爵はその報を聞いたとき、深くため息をついたという。
「そこまでやりますか、メレディアス王国は」
有効ではあるが、思いついても実行できる国は希だろうな、とエデチエル伯爵は思う。
混合軍の背後にメレディアス王国が居ることを知った時点で、もう少し慎重に振る舞うべきであったのか。
「どうしますか?」
「どうするもこうするもありませんよ」
副官の確認に、エデチエル伯爵は応じる。
「このまま進軍するより他に、選択肢はありません。
なにしろこの遠征軍の中には、転移魔法の使い手は五十人も居ないわけですからね」
この場で全軍を引き返しても、スデスラス王国の異変に対応するのにはとうてい間に合わない。
かといって、転移魔法を駆使したとしても、せいぜい百名単位の兵士かスデスラス王国に送り込めない。
だとすれば、この場で全力を尽くしてなにがしかの戦果をあげるしかなかろう。
エデチエル伯爵は、そのように判断した。
「なにより、かの混合軍の野営地はすぐそこにまで迫っておりますし……」
エデチエル伯爵は、そう続けた。
「……本当に本国が危ういようでしたら、そうですね。
せめて王族の方だけでも、こちらに逃げ延びていただければ、あとで巻き返すことも可能でしょう」
場合によっては。
この周辺のどこかの土地を占拠して、そこを新生スデスラス王国の国土とすることも可能なはずであった。
この時点で、エデチエル伯爵は自分の軍勢が負けることはないと確信していた。
「……敵軍は明日にも到着する、か」
報告を受けたファンタルが呟く。
「行軍速度を少しも緩めることなく……。
ふん。
この場に至っても初志貫徹か。
敵の司令官は、どうにも面白味に欠ける者のようだな」
「まるで動揺することがない、というのは、軍人として賞賛に値するかと」
そばに居たハデントン・ガルメラ王子がいった。
「そういう人を、あまり敵にはしたくはないことは確かですが。
……それで、どうなさいますか?」
「どうするも、先方があきらめないのであれば、相手をするより他、なかろう」
ファンタルはいった。
「ああいうクソ真面目なタイプは、開戦前に律儀に降伏勧告の使者でも送り込んでくるはずだ。
それに対応する準備をしておいてくれ」
「それはもちろんですが……」
いいかけて、ハデントン王子は口を閉ざす。
軍事的な意味で敵軍を出迎える準備は、すでに整っているということをファンタルの態度から察したのであった。
『実質的に、戦力になりそうなのは?』
『本格的な潰し合いになれば、役に立ちそうなのはせいぜい五万といったところかな』
一方で、この頃のファンタルは通信を解してネレンティアス皇女とこんなやり取りをしていた。
『五万ですか』
ファンタルの言葉を受け、ネレンティアス皇女は呟いた。
『単純な戦力比で見ると、約十倍。
なかなか、厳しい』
『そのかわり、なかなか打撃力がある連中が揃っているからな』
ファンタルは、そう応じた。
『勝てないまでも、それなりに有意な打撃は与えられるだろう。
こちらの攻撃力を目の当たりにして、敵の方が早めに戦意を喪失してくれればよいのだが……』
『期待できませんか?』
『たぶん、よほどのことがなければ投げ出さないタイプだな、敵の司令官は』
ファンタルはいった。
『これまでの動向を見る限り、クソ真面目な堅物野郎に違いない。
全滅するまで降伏することはないだろう』
『うまくその司令官だけ、叩けないですかね?』
『もっと少数の編成ならばともかく、今度の敵は五十万も居るからなあ』
ファンタルは嘆いた。
『その中からたった一人の司令官を探し出すだけでも、骨が折れる。
一応その線でも、影組やらブラズニアの魔法兵やらが動くようだが』
翌日、ファンタルの予想通り、スデスラス王国軍は野営地に対して降伏勧告の使者を出してきた。
そちらの対応についてはハデントン王子をはじめとするガダナクル連邦の者たちに任せておいて、ファンタルたち実働部隊は最後の軍議を行っている。
「今回の目的は、あくまで敵軍の意志を挫くことにある」
ファンタルはいった。
「本国であるスデスラス王国が危機に瀕している今、敵軍としてもここで長期戦を行うだけの余裕はないはずだ。
また、物資の面からいっても敵軍は持久戦に耐えられるだけの食料を保持していないものと予想される。
だから、われわれは敵軍に対して大きな損害を与え、容易に風下に立つような者ではないと思い知らせる必要がある。
具体的にいうと、効率的に敵軍を蹂躙する。
そのための準備は、かなり周到に用意してきたはずだ。
兵員の数においてはかなり劣勢にあるものの、敵軍にいくつかの弱点が存在する。
そこを巧く突こうと思う」




